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写真 ①

「ほら、こっち向いて!頑張って目開けて!」

隣人の曽野その 明美あけみが張り切った声で言った。

真昼の陽射しが一直線に親子を照り付け、なかなかシャッターチャンスが掴めないらしい。

「ちょっとの間だけだから!」

幼い子供には顔を前に向けるだけで精一杯なのだろう。やせ細った母親の片手が小さな頭の上に傘を作った。

拓人たくと、笑って」

耳に心地いい柔らかな声、目を瞑っているだけにその声の印象が強まった。背を包むように母親が寄り添い頬をくっつけると拓人の口元が自然と緩み、陽射しに負けじと瞼が右左順番に開いた。

「そのまま、そのまま!はいっチーズ!」

自宅前で撮られたこの写真が、拓人にとって母親との最後の写真撮影となった。たった1輪の大きな向日葵が、窮屈な鉢から傾きながら高く伸びて親子を飾っていた―――――




鼻に纏わりついて離れない線香の匂い。それはぼんやりとした記憶だった。悲しい、というよりも、夢の中で彷徨っているような疑問に溢れた感覚が事あるごとに拓人の胸に蘇る。あの日から6年、小学4年生になってから初めての授業参観に、母親は勿論、父親であるはら 健司けんじの姿は最後まで見られなかった。

「ねえねえ、拓人君のパパさあ、どうしたの?」

隣の席の女子生徒、永井ながい 美雪みゆきが拓人に訊ねる。拓人は聞こえない振りをしてランドセルの中に教科書を入れ始めた。他の生徒もちらほらと見ている。

「前はいつも来てたのに最近来ないね。どうして?」

「………病気だから」

「えっ、病気!?なんの?」

永井 美雪は立ち上がり拓人の机に両手をつき身を乗り出した。

「知らない」

「知らないってどういう意味?」

質問が続きそうな空気に拓人はうんざりしたのか、唇をしっかりとつむって目を合わせないようにした。黙って手を動かす姿を見て永井 美雪は不満そうに口を尖らせた。

「拓人君のお父さん見たかったな~。だって、かっこいいんだもん」

「わかる。なんか優しそうだよね」

話を聞いていたもう1人の女子生徒が横へ来て同調した。

「背は私のパパの方が高いと思うけど、パパはお腹が出てるから。拓人君のパパの方がかっこいい」

誉め言葉にも反応せず、拓人はランドセルを肩に引っ掛けるとさっさと教室の外に出てしまった。

かっこいい、優しそう、太ってる、細い。そんな単純な要素で気分を高ぶらせている女子生徒を異質に感じた。門に向かってグランドの端を歩いていると入学してからずっと同じクラスの佐野さの さとしがランドセルを背中で弾ませながら駆け寄って来た。

「おい、拓人!」 

足を止めて振り返ると佐野 聡は様子を窺うような視線を向けていた。

「何?」

「林先生が探してたぞ」

「それだけ?」

「うん……」佐野 聡は遠慮がちに言葉を続けた。「あ、今日公園で野球するんだけど、来れる?」

拓人は地面を見て小さく首を振った。

「そっか。また野球しような!」

「……」

拓人の瞼は小さく痙攣した。佐野 聡はそれを見逃さなかった。

「職員室行ったほうがいいよ。じゃ!」

遠ざかっていく背中を見ながら拓人は少し考えた。引き留めようと声が喉の奥から出そうになるのをくっと堪えて、職員室へ行く事を決めた。


職員室のドアを開けて担任である林の席を見た。林は1枚のプリントとじっと睨み合っている。

「先生」

林は振り向いた。「原君、来てくれたのね」

「何ですか」

「ちょっと話がしたくて探してたの」

林は周りを流し見てから拓人に座るよう言って隣の空き椅子を引いた。拓人はランドセルを背負ったまま椅子に浅く座った。

「お父さん、元気?」

「はい」

「今日の参観は来られなくて残念だったね」

拓人は目を合わせない。

「もうすぐ家庭訪問の時期なんだけど、来週の火曜日、お父さんは家にいられるかな?仕事で忙しい?」

「たぶん、います」

「それなら良かった。プリントは渡してくれてるのよね?」

「はい」

「あと、原君」林は出来るだけ自然な口調で尋ねた。「体でどこか痛いところはない?」

拓人は思いもよらぬ質問に顔を上げた。

「どこも痛くないです」

「本当に?」

「はい」

「何か悩んでる事があったら先生に言ってね。力になるから」

拓人は再び視線を落とし「大丈夫です」と答えた。林はその姿を見て気にかかったが、今度の家庭訪問を断られなかっただけで少し安心できた。

「それから、お父さん1人であなたを育てていて大変だと思うけど、この先暑くなってくるから衣替えしてもらえるように自分で言いなさいね」

「……はい」

拓人は“コロモガエ”の意味がわからなかった。しかし「暑くなってくるから」の言葉と同時に、今着ている厚手生地のパーカーを林がじっと見たので内容を察した。

「じゃあ、また明日ね」林はにっこりと笑って見せた。

重たげに頭を下げてから教室を出た拓人は林の言葉に落ち込んだ。やはり真冬のようなこの服は目立っているのだと知り、恥ずかしく思った。


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