勇者の恋模様
根掘り葉掘り聞いたからか、切羽詰った梨沙は食事と酒に逃げ、今はすっかり夢の世界に旅立った。いつも気丈に振る舞う彼女が、無防備で幼気な寝顔を晒している。そんな姿にレトラは笑みを浮かべた。
「可愛いね……。レスリードは本気なのに……いや、本気だからこそこの子を悩ませてしまうんだね」
「素直になればいい」
「それができれば苦労はしないんだろうけど。少し真面目過ぎるところがあるみたいだし」
「髪飾りも、レスリードから」
「たぶんそうだね」
どれだけ勇者が本気か、もう十年近い付き合いのある二人は分かっていた。
今でこそ勇者と呼ばれる彼が、お金がないとか貧乏とかいう言葉で片付けられないほど飢えていたのか。たった一人の弟のために、両親も、そしてレスリードも食事をほとんどとっていなかった。勇者に選ばれてからも人一倍努力し、粗雑だった言葉遣いも敬語に直した。たっぷり支払われる給金を家族のためには使えど、無駄遣いは一切しない。そんな彼が、好きになった女性のためにプレゼントを贈った。それがどれだけ本気のことなのか、夢にまどろむ梨沙は知らない。
召喚されたあの日、王宮で王さまや大臣たちに啖呵を切った梨沙にくぎ付けになっていたレスリード。勇者が恋に落ちた瞬間を、仲間たちだけが見ていた。
「……このまま家で寝かせてもいいんだけど……ふふ、レスリードに連絡してみよっか。外はもう暗いし迎えに来るかな?」
梨沙は梨沙で悩むことがあるのだろうが、周りは周りで勇者の初恋が実ることを応援するくらいいいだろう。レトラは走り書きのメモを転移魔法でレスリードのところに送った。
「ほんと世話の焼ける」
「……レトラも素直になるべき」
「え?私はいつも自分に素直だよ」
「アルベリッヒ」
「その名前聞きたくない」
ここにも一人、迷える子羊がいる。聖女は少し笑って、全てが上手くいくことを祈った。
「レトラ!リサ殿は……」
「しっ!馬鹿、リサ寝てるんだから!」
手紙を出してから十分もしないうちに勇者はレトラの家に着いた。ノックもせず慌てて入ってくる男を睨み付けると、彼もピタッと止まった。
「んん、ステラ、さん?」
「リサ、起きた?今レスリードが来てくれたから」
「へ……なんでレスが……」
一瞬目覚めた梨沙だったが、レスリードの姿を見て夢だと判断したのか、もう一度眠りにつく。起こすのも忍びないと、机に突っ伏し、寝息を立てる彼女をおいて、二人の目はレスリードに向かった。
「レス、だってぇ」
「顔真っ赤」
勇者様も形無しである。好きな人から甘い声で名前を呼ばれ、レスリードは顔を真っ赤にして固まった。
「はいはい、照れてるとこ悪いけど、リサ送っていてあげてね」
「もちろん」
深い眠りに入ってしまった彼女は多少揺らしたところで目覚めない。大切な人を背負って立ち上がる。子供のような彼女の軽さに驚いて目を丸くすると、それを見ていた二人が静かに笑った。
「それが女の子の重さよ。待って、さすがに夜は冷えるわ。リサに私の上着貸すわ」
「ありがとう。レトラ」
「いいのよ。レスリード、思ったより期待していいみたいよ。大切なお姫様を送り届けてあげてね」
それに返事はせず、レスリードは一つ大きく頷いた。
確かにレトラの言う通り、夜の町は昼間と比べてぐっと気温が下がる。人気のない道を歩くレスリードが寒さを感じないのは背負っている梨沙との間に生まれる熱が心地よいせいだろうか。ときおり、寝息がレスリードのうなじを擽った。酒を飲んでいるのか、癖になる甘い香りが彼女から香っている気がした。
幸せってこういう瞬間のことを言うんだろう。
「ん……」
「リサ殿」
小さく吐息を漏らす愛しい人に、優しく声を掛けた。逃げるのが上手な彼女が、レスリードに捕まってくれるなんて、滅多にない。まだ朧気な声が、レスリードの名前を呼んだ。
「すみません、レス……」
「眠いなら寝ていていいんですよ」
心配しなくても、伊達に勇者を名乗っているわけではない。でまかせじゃなく、彼の背中は世界で一番安全な場所だ。
背中にべったりもたれていた梨沙が、少しだけ上体を起こしたあと、それからまたポスンと、彼の背中にすべてを預けた。これまで一度も見せてくれなかった、甘えるような様子に、レスリードの心臓は破裂しそうなくらいうるさい。
「……アルベリッヒ様のお宅ってどんなとこなんでしょうね」
「さぁ……あいつの家は誰も知りませんから」
「……じゃあ、レスの家は?」
梨沙からすれば純粋な興味だった。教会の中にあるマリナの部屋、さっきまでいたレトラのセンスのいい部屋。彼らがどんなところで暮らしているのか、降って湧いた疑問だったのである。
対して、レスリードは梨沙の言葉の意味を測りかねていた。自分に都合の良いようにも受け取ってしまえる言葉は、悪魔よりも彼を誘惑する。このまま家に連れて帰ってしまおうか、そんな囁きを聞かないふりをして、また今度遊びに来てください、と言った。今夜のお姫様は深く酔いが回っているらしい。甘い誘惑に飛びついて、彼女に嫌われてしまっては元も子もない。
不幸ってこういう瞬間のことを言うのだろうか。
自分に降りかかった、砂糖菓子の誘惑は、どうにもほろ苦すぎる。
もう一度背中の彼女を背負いなおして、彼は夜道を急いだ。