探し人
相も変わらず春の心地よい気候がこの国を包む。職員が増えた住民相談窓口とどすこい職業紹介窓口__通称「どす職」は、通常通りの業務をこなしていた。
「リサ殿!そろそろ結婚していただけますか?リサ・ユカナ・テルエンスという名前も悪くないと思うのですが」
金髪碧眼のキラキラした勇者様の相手をするものもう慣れたもの。ここ最近はにこやかに返答をする技術さえ身に付けた梨沙に死角はない。
「私、自分の苗字を大変気に入っておりますので、しばらく変えるつもりはございません」
秋野梨沙。秋の梨なんてからかわれたり、水道局の明細に「松野梨沙」と間違えられたりしたが、自分の名前を気に入っているのは本当だ。
ただし、いくつか受かった公務員試験のうち「松野梨沙様」あてに採用通知を送った県庁だけはいまだに許していない。
「どうせお昼に会えるんですから、何か要件がございましたらその時に仰ってください」
にっこりとした笑顔でそう言えば、勇者様は一歩下がって小さく頭を下げた。素直な人は嫌いじゃない。これ以上何も言うまいと、梨沙は次の利用者を呼んだ。
勇者様を帰らせたあと、何人かの住民の相談を受けたり、相談所に届いた手紙に返信を書いたりと、梨沙は充実した公務員業務をこなした。中には、相談ではなく、感謝を伝えに来た元テルダ商会の人間もいて、梨沙をはじめ、ノルン、セネル、ルイス、リベラと何気ない話をしていった。仕事先でのこと、テルダ商会がつぶれてからの市場の動向、最近の流行など、ありとあらゆる話をしてくれることは、実はこちらにとってもありがたい。
どうしても民間のことに疎くなりがちなこちら側は、テルダ商会の件を通して、太いパイプを持つことに成功したのだ。窓口から紹介された人が、様々な職につき、そこから人脈が広がり、情報が集まる。窓口が抱えていた弱点が改善された効果は大きく。どす職は求人の情報が切れることはなかった。
あと一人相談を受けたら昼休憩に入ろうと決意すると、タイミングよく梨沙のもとに新しい利用者が並ぶ。
「どうぞー」
要件を聞くためのメモを準備し、顔を上げると、視線の先に入ってきた見覚えのある金と碧の色彩に、また彼が来たのかと思った。
レスリードとお揃いの金髪碧眼。とはいえすべてが同じではなく、勇者様よりも長い金髪は一つに結んであり、太陽の笑顔ではなく、どちらかといえば不愛想と言える表情をしていた。体格も一回り小柄で、まるで勇者様を十代にして不機嫌にしたみたいだった。
似ている。ちゃんと見れば別人だと分かるのに、雰囲気が似ているのだ。
「探してほしい人がいるんだ」
思いつめた顔で少年はそう切り出した。それから、人目を気にするように視線を周囲に巡らすと、声を落として、梨沙にだけ聞こえるように続けた。
「赤い髪の魔女を探してほしい……!」
苦しそうに揺らめく瞳。声を落としたのは「赤髪」が厭われることを理解してのことだろう。公の場でする話ではないと判断し、梨沙はノルンに一声かけて奥の部屋へと彼を連れて行った。
机が一つ、椅子が四つ置かれ、応接室になっている奥の部屋は、もともと国の偉い人をもてなす部屋だったらしい。しかし、住民相談所は独立機関のような扱いになっているので、この場所を訪れる人を見たことはない。おかげで資料やら荷物やらが少し積まれてしまっている。そのうちきちんと片付けなければいけないのだが、機密資料や貴重品というわけでもないので誰も急いでやろうとはしない。
「どうぞ、お座りください。紅茶で大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう……」
こんな対応に慣れていないのか、戸惑う彼の前に、温かい紅茶とミルク、砂糖を置いた。気を利かせるくれたノルンが用意してくれたもので、相変わらず梨沙は魔法で湯を沸かすことができない。ノルンの気配りができるというか、梨沙が甘やかされているというか。
魔法を使えない自分が焦れったくもあり、周りの優しさが心地よくもあった。
ふわりと香る紅茶を一口飲むと、緊張に固くなっていた少年はほっと息を吐き、肩の力を抜いた。その温かさと香りで心をほぐしてくれるお茶は偉大だ。
「それで、探し人ということでしたが、お話しいただけますか?」
「……はい」
持っていたカップを机に置き、唇を震わせ彼は沈黙を破った。
「探してほしいというのは、俺の幼馴染……リアナという赤い髪の女の子。彼女は師匠と一緒に森に棲んでいて……十年前、行方不明になったんだ……。そのとき見習いだったから今は魔女になってると思う」
「もしかして深紅に近い髪色ですか?」
「……知ってるのか!?」
「いいえ……ただ話しにくそうにしてらしたので……」
食いつくように顔を上げた少年に、ごめんなさいと軽く頭を下げる。探し人を知っているわけではない。
呆けたように彼は椅子にどっかり座りこんだ。瞳に涙が滲んでいた。なにも言えないまま、梨沙は言葉を待った。泣くほどの感情を彼は持っていて、それに干渉する権利は梨沙にはない。ただ一つ、少年がリアナという少女を心から心配しているということだけは紛れもない事実だった。
十年間、手掛かり一つなかった、と絶望を吐き出すように少年は言葉を零す。
姿を見せたくないくらい嫌われてしまっただけなら、それでもいい。生きてさえくれればいい。
少年の絞り出すような声に、胸がぎゅっと締め付けられた。
「……分かりました。こちらでも住民票や戸籍を探してみます。でも、教えられるのは存命されているかどうかだけです。もし彼女が生きていても居場所を教えることはできません」
それが梨沙にできる最大限の譲歩だった。本来こんなことは出来ない、それ以前にやってはならない。
馬鹿なことをしていると分かっていても、罰を受けるかもしれないと分かっていても、ただ一人の少年の力になりたかった。
「それではこちらの紙に、貴方のお名前、住所、それから探し人のお名前、大体でいいのでその少女が住んでいたあたりの住所をお書きください」
「はい」
藁にもすがる思いだったのだろう。言われた通り少年はその紙に名前を書き込んだ。
__エドワード・ユカナ・テルエンス
その名前に聞き覚えのある梨沙は一瞬呼吸が止まった。どうりで似ているわけだ。他人の空になんかではなかった。
エドワード・ユカナ・テルエンス。それは勇者レスリード・ユカナ・テルエンスの弟であり__聖女、マリナ・リスリックの想い人だった。