異世界公務員の忙しない一日(後日談)
倒れこんだ梨沙を抱きとめて、レスリードは彼女を横抱きにした。そのまま相談所の奥にある職員用の控え室に彼女を下ろした。
朝から忙しかったと聞くし、もう限界だったのだろう。顔に掛かった黒髪を払い、目を瞑った彼女を見つめた。
おやすみのキスなら許してくれるだろうか、なんて邪な考えを打ち消す。
凛と輝く彼女が好きだった。
最初は憧れから入った感情。無駄遣いを許さないとばかりに偉い人に食って掛かる梨沙が貧乏出身の自分としては頼もしかったのだ。それが恋に変わったのはいつだっただろうか。周りが勇者として扱う自分を、一市民として扱う梨沙。それが嬉しくもあり、その反面特別扱いしてほしいという欲も生まれた。
住民のために働く彼女の姿が見たくて、大した用もないのに住民相談窓口に毎日顔を出した。それにちょっと嫌な顔をする梨沙が可愛くて仕方ない。
今日、アルベリッヒの話を聞いて、レスリードには一つだけストンと胸に落ちてきたことがある。
「貴女の特別になりたいのです」
艶やかな長い黒髪に一つキスを落として、レスリードは祈るように呟いた。
「リサ、大丈夫だった?」
「あぁ。疲れが溜まってたんでしょう……。すっかり眠っています」
「倒れてくれて逆にありがたかったかもね。あの子にこんな話聞かせるわけにはいかないからなぁ」
「そうね……。ノルンさんも効く必要はないわ。席を外してもいいのよ?」
「いや、聞くよ。俺は知っていなくちゃ」
そう、梨沙にもノルンにもこの話を聞かせる必要はない。今日の騒動の裏側にあった話なんて聞いていて気持ちのいいものではないだろう。
「まずはセネルさん……内側の話を聞かせてもらえるかしら」
「……ええ。身内の恥を晒すようですが、話さないわけにはいきませんよね」
セネル、それから、その両脇にいる元テルダ商会のルイス青年と、リベラという女性の三人は静かに話し始めた。
「テルダ商会はつぶれたんじゃなく、つぶされたのです」
元々テルダ商会は小さな商人たちの集まりだった。それゆえ既にある商会より、商人や職人に優しく、待遇がよかった。細々と、しかし確実にテルダ商会は発展していった。それがいつのまにか国を代表する商会に成長し、集まりだす大量のお金。やがて、上層部のほんの数人は欲を出してしまった。
最初は小さな嘘だった。売れ行きが良くないから品物を卸す代わりに払えるお金が少なくなってしまいます。上層部の言うことを疑いもせず、傘下の商人たちは納得した。テルダ商会は我慢するに値する信頼を持っていたからだ。
それが首謀者を調子づかせた。段々下がっていく賃金は、いつからか普段の半分を切っていた。
不況はきっと終わる。そう思っていた商人たちが流石に怪しいと疑い出したとき、テルダ商会はつぶれた。商会はもぬけの殻で、金庫にあったはずの金もすべて消えていた。
いわゆる人事や経理を担当し、確信を持って商会を疑っていたセネルたちには分かった。商会は自然につぶれたのではない。お金を貯めるだけ貯めた上層部が、つぶしたのだ。
問題が発覚する前にすべてを無にした。
それがことの顛末だった。
「上層部……商会長をはじめとしたテルダの一族がどこに行ったか私たちには分かりません……」
セネルから話を聞き終わったノルンと勇者たちは、ため息をついた。予想できていたとはいえ、傘下の商人たちを裏切ったテルダ商会には怒りが募る。
「……テルダ一族がどこに隠れているか、ルナンド商会の情報網で調べはついているわ。これは、提案なのだけど、処分は私たちに任せてもらえないかしら。必ず捕まえて国に出すわ」
「……お願いいたします。腹は立ちますが……悪い人たちではなかった……国に正しい判断を任せます」
頭を下げるセネルに勇者たちは黙って頷いた。場所が分かっているなら取り押さえるのはそう難しいことではない。
すべて梨沙に内密に終わらせる。その場にいた全員の意見が合致した。
やけに重い瞼を開き、そこが自分の部屋だということに気付いて梨沙は飛び起きた。最近似たようなことがあった気がする。あの日は酔いつぶれていたが、今回はそうじゃない。窓の外で朝焼けが滲んでいる。仕事をさぼってしまったわけじゃないことにほっと息をついた。
「倒れちゃってたのかぁ……」
勇者様の驚く顔が目の裏に焼き付いてしまっていた。誰がここまで運んでくれたのか定かではないが、部屋の中へは管理人さんが運んできてくれたのだろう。あとでお礼を言わなければいけない。とりあえず昨日のままの服を着替えるためにバスルームに向かい、身を清めた。
仕事用の服に着替え外を見ると朝日がすっかり昇っていた。髪を乾かし、お気に入りの蝶と髪紐のヘアクリップをつけて一つにまとめる。そうするとスッと背筋が伸びる気がした。
家を出て職場に向かうついでに町の様子を覗き見る。混乱が起こるようなこともなく、商店は開店の準備をしているようだった。昨日の対応は間違いじゃなかったと安堵した。
「おはようございます」
「おはよう、体調大丈夫?」
「うん!」
相談所に行けば、真っ先にノルンが挨拶を返した。それに続いてセネル、ルイス、リベラの三人の挨拶が室内を飛び交う。四人とも昨日の今日だというのに、笑顔で相談所を開ける準備をしていた。軽い掃除が終わるとノルンが手をパンと打って全員を集めた。
「朝礼するよ」
「朝礼?今までやってこなかったじゃない」
「さすがに五人もいれば全員で朝礼したほうが早いからね」
それもそうだと四人は輪になる。現状この場で一番年上なのはセネルだが、勤務年数はノルンが一番上。自然とノルンがトップという形で朝礼の指揮を執ることになった。
「まずお知らせ……というか告知?セネルさん、ルイスくん、リベラさんの三名を正式に住民相談窓口の職員にするべく推薦をすることになりました。近いうちに正式な任命書が来ると思います」
「本当っすか!」
嬉しそうに笑うルイスをはじめ、セネルもリベラもホッとしたような顔をした。立場としては曖昧なものだったから、それが確固たる立場になるのは梨沙にとっても喜ばしいことだった。
「それから、昨日の職の斡旋の必要性を鑑みて、これからも恒常的に職を紹介する場を設置することになりました。五つの窓口のうち二つをこれに当てます。それをセネルさんとリベラさんにお願いしたいと思います」
「分かりました」
「確かに拝命いたします」
「ルイスくんは住民相談窓口の方を担当してもらいます。俺たちが普段どういうことやってるか、今日は研修するから」
「了解っす!」
元気よく返事する青年のおかげで、和やかな空気が流れた。
「それから、これが一番大事なんだけど……」
言い淀むノルンに何かよからぬことでも起きたのではないかと、身構えた。
「名前を決めなきゃいけないんだよね。『仕事斡旋所』なんてつまらないでしょ?」
思わず足の力が抜けた。なんだか本当に公務員の業務みたいで笑いさえこみ上げた。前の世界でよくあったのだ。上司のおじ様たちが渋い顔して集まっているから何事かと思えば、新規のプロジェクトや新しい施設の愛称を悩んでいたりするのだ。公務員の「住民の皆様に親しんでもらうため」の地道な努力はこんな小さなところから始まっていたりする。
「リサの世界には既にあったんだよね?」
「あの話の腰を折るようで申し訳ないのですが……前から気になっていたのですが、リサさんって何者なんですか?」
どことなくリスに似た容姿を持つリベラは恐る恐ると言った様子で手を上げた。同じことを疑問に思っていたのかセネルとルイスも頷く。
そういえば身分を明かしていなかったと思い出す。周りにいる人間が当たり前のように召喚されたことを知っているから失念していた。
「えっと、実はこの世界の人間ではなくて……アルベリッヒ様にこの世界に召喚されたんです。いろいろあって今はここで仕事をさせてもらっています。特別内緒にしているわけじゃないんですけど、できればあまり言いふらさないでいただくとありがたいです」
三人はそれで納得してくれたのか驚きながらも黙っていると約束してくれた。リベラは興味津々と言った様子で前の世界のことを教えてほしいとせがんだ。
「それで、さっきの質問だけど、職安は存在してたよ。正式名称は公共職業安定所。愛称はハローワーク」
「ハローワーク!それいいじゃないか」
異世界にハローワークが存在するなんて誰が信じられようか。しかし、目の前で異世界ハローワークが誕生しそうになっていた。しかし、従妹がハローワークで働いていたことを思い出して、梨沙は嘆息した。親戚の集まりで会うたびに酔いながら、愚痴を零していたのだ。曰く「なぁにが『こんにちは、仕事』よ!質の悪い利用者さんに名前だけで絡まれるこっちの身にもなってほしいわ!」
それを職員に話すとそれはもっともだと彼らは頷いた。よって、ここでは従妹の案を採用させてもらう。響きが気に入ったのか、他の職員もその案に全員が賛成した。
「それじゃ、本日も『住民相談窓口』と『どすこい職業紹介窓口』、頑張ってまいりましょう!」
由良姉ちゃん、私はやったよ……!
今は遠い従妹の願望を叶え、異世界公務員は今日も頑張る。
これにて二章終了です。
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