異世界公務員の忙しない一日(中編)
窓口多忙のため遅めの昼休憩に向かうと、どこからその情報を仕入れたのか、恐ろしいくらいぴったりのタイミングで勇者様御一行が現れた。梨沙は逃げられない。
先日、酔いつぶれて宿舎に届けられて以来、勇者様に会いたくない気持ちがより一層強くなっていた。
しかし、達筆すぎて読めないユエン(魔法学校の人)の文字に途方に暮れていた梨沙にとってこの場でアルベリッヒに会えたことは喜ばしいことだった。
「うん、確かにユっくんの字だね」
食事の傍らでその書類を確認してアルベリッヒは頷いた。見終わったなら書類が汚れるので返してほしい。
「読めます?」
「読めるよ、ユっくんの字、何年読んできたと思ってるの」
あの壮年のいかつい男性を「ユっくん」と呼ぶアルベリッヒが信じられなくて思わず彼との関係を問いかけた。
「あー、教え子?勇者一行に選ばれる前は、僕もこの学校で働いていたんだ。彼が入学して卒業して、そして教師として戻ってくるのも全部見守っていた恩師みたいなもんかなぁ」
そういえばこの人は長命の一族で千歳を超えていたことを思い出した。見た目は二十代半ばといった様子なのに、本当に信じられない。つるつるのお肌に、さらりと揺れる濃紺の髪。
「ほんっとむかつくわ」
怨念のこもった声でそう呟くレトラが我慢ならないと言ったように席を立った。
「午後からはフリーでしょ。私、用があるから失礼するわ」
「そっか。お疲れぇ」
のほほんと笑うアルベリッヒをレトラがまた睨むが、唇を引き結んでその場を去った。そんな彼女の様子にマリナもレスリードも、もちろんアルベリッヒも構うことはない。戸惑っているのは梨沙だけだった。
「あの、アルベリッヒ様」
「リサ殿、悪趣味な話が聞けるだけですよ」
梨沙が聞きたいことを察したらしい勇者様が渋い顔をして制止した。
「僕とレトラ、なんで仲が悪いか聞きたいって顔してるね」
楽しそうにそう言うアルベリッヒはこの話をしたくて仕方ないというように口を開いた。
「レトラはね、基本的に人が好きなんだよ。誰かが困っていたら打算抜きに助けるし、お喋りすることも、交流することも。言い換えれば極度のお人よしともいえる」
そんな風にレトラを評するアルベリッヒは、まっすぐな瞳で梨沙を見た。二か月この人たちと過ごして、梨沙も彼らがどんな人なのかある程度は理解できたつもりでいた。
何かあるたびに助言をくれたり、力になってくれるレトラがどれほどいい人かなんて、今更言われずとも分かっているつもりだった。
だからこそ、なぜレトラがこんなにアルベリッヒを嫌っているのか、その理由が分からなった。
「ついでに言うなら、けっこういい商家のお嬢さんで、それなのに人と交流することが好きだからって町の酒場の踊り子をやってる彼女が、僕を嫌いなんだ」
どこか誇らしげにさえ語るアルベリッヒの横で、ね?悪趣味でしょう?と言わんばかりの表情で勇者様が苦笑いを零した。
「万人を好きだと謳う彼女が、僕にあからさまに嫌いだという感情をぶつけるのは、特別でしょ?別に『好き』でも『嫌い』でもいいんだ。僕は、そんな変わってしまう感情より、『特別』なほうがいい」
言葉にするのは難しいことだが、なんとなく分かる気がした。ある種、レトラは薄情なのだ。すべての人に優しいということは、平等であり、明らかな線を引かれているのだ。だれであろうとレトラの『優しさ』を越えることができない。
だからアルベリッヒは、そんな彼女から生まれた『優しさ』以外の感情を、喜んでいるのだろう。それは間違いなく彼女の『特別』なのだから。
「それにしてもユっくんからの依頼なんて珍しいなぁ……ここ十年放置してくれていたのに……って、ああ」
斜め読みしていた以来の書類をもう一度見直して、アルベリッヒは納得がいった様子で頷いた。
「今年の入学者に深紅の髪の子がいるのか」
「そういうことですか。それは受けなきゃいけませんね。本当に馬鹿らしいことですが、アルベリッヒの言葉で救われる子がいるなら、そっちのほうがいい」
「そうだね」
深紅の髪。それは以前魔力の話をしていたときに聞いた話だ。
「黒に近いほど魔力が強いんでしたっけ?その深紅の髪の子は将来有望ということですね」
「……全員がリサ殿と同じ考えを持てればいいのですが」
勇者はそれ以上何も言わず肩を竦めた。
「確かにその通り。僕の濃紺、君の漆黒、そしてその子の深紅。どれも魔力が宿りやすい色だ。その色を持っているだけで憧れを持たれたり嫉妬されたりするけど、深紅だけは違う。本当に馬鹿らしいことにね、深紅は忌み嫌われるんだ」
「……なぜ、ですか?」
「血の色だからとか、不吉な色とか、たくさん理由はあるだろうけど、一番は……魔王が深紅の髪をしているからだ」
「魔王、が……ですか」
それだけで、たったそれだけの理由で深紅の髪は迫害されてしまうのだろうか。強大な力を持つからこそ、それを恐れるようになる心理は、分からないでもない。
しかし、同じ銃を持っているからといって、その人がその引き金を引くとは限らない。そんな理不尽を感じて梨沙は黙り込んだ。
「マリナも来るでしょ?」
「うん」
それまで黙っていたマリナが、力強い言葉で頷いた。
表情があまり変わらない彼女にしては珍しく、その瞳には明らかな意志が宿っていた。魔法使いの一人として、深紅の髪が不当に迫害されていることに納得がいかないのだろう。
話がまとまったところで、梨沙はもう一つ困っていた案件を相談しようとした。午前中エメルダに聞かれた『ベルデンガド』
千年生きたアルベリッヒならば、何か分かるかもしれない。
しかし、『ベルデンガド』のことを聞くことは叶わなかった。梨沙が口を開こうとした瞬間、彼らの前に転移魔法で送られた手紙が現れたのだ。
ノルンの署名を確認して、梨沙はその場で手紙を開いた。
休憩中にごめん、至急相談窓口に戻ってくれ!
彼らしくない粗っぽい文字で綴られた手紙に、梨沙は弾かれるようにその場から走り出した。
少しずつ情報が出そろってきたかな……?
勇者とは、魔王とは、黒、深紅、様々な情報が絡まってきています。うまくつなげていきたいものです……!!