苗字を変えるつもりはありません
短編を連載用に改変しています。
公務員(こうむいん、英: public servant, civil servant)は、国および地方自治体、国際機関等の公務(en:public service)を執行する人のこと。または、その身分、資格のこと。国際機関の職員は国際公務員といい、中央政府に属する公務員を国家公務員、地方政府(地方自治体)に属する公務員を地方公務員という。By Wikipedia
秋野梨沙は日本国の公務員だ。正確に言えば公務員だった。
日本のとある市役所で主に住民からの相談や、戸籍・住民票の管理などをしていた住民課に勤める地方公務員だった。両親も、祖父母も、教師や自衛官、国家公務員と幅広い公務員が存在する公務員の一家の長女が公務員になったのは必然と言えるだろう。
「何度も言いましたよね?書類は正しく書いてくださいと。正しい書類を書かなければ税金の控除できません。いくら勇者様と言えど、そこは譲れませんよ」
「そうですか!では、今日の夕飯でもご一緒しながら、そのあたりについてよく教えてもらいたいです!リサ殿は、魚はお好きですか?」
日本じゃありえないキラキラした顔面に慄きつつも、梨沙は毅然とした態度で言い放った。
「業務外でのご相談は承っておりません!!」
秋野梨沙は日本国の公務員だった。今はもう過去の話だ。
気づいたら、魔法使い然とした男の呆然とした顔が目の前にあって、「あ、イケメン」と思ったのもつかの間。日本とはかけ離れた外国のような景色を持つ国に召喚されていた。目の前で平謝りするイケメン(本当に魔法使いだった)曰く、この世界は数年前、魔王が誕生し、勇者一行が魔王を倒す旅に出ている途中らしい。なにを隠そうこの濃紺の髪を持つイケメンは勇者一行に属する魔法使いその人で、『この世界に必要な人間』を召喚し仲間を増やそうとしたところ、明らかに攻撃力も守備力も精神力もなさそうな梨沙が魔法陣の中から現れた、ということらしい。
なるほど、よく見れば魔法使い様だけではなくキラキラしい金髪のでっかい剣を携えたイケメンとか、出るとこは出て引っ込むとこは引っ込むグラマラスな踊り子風なお姉さまとか、全身白いローブに身を包む明らかに聖なる感じの少女とか、揃う人が揃っている気がする。
心底申し訳なさそうに謝る魔法使いさんに悪気はなかったのだろう。前の世界で応対していた態度の悪い(ほんの一部の)市民よりはずっと好感が持てる。
彼らはダンジョンに向かう道中の森(バリバリモンスターが出る)で召喚された梨沙のためを思って、すぐに転移魔法で王都へ引き返してくれた。そのあと、報告のための王様の謁見に梨沙も同行することになった。
仕事帰りの梨沙の服は、無難なスーツにパンプスといった姿で、明らかにこの世界から浮いてはいたが、それも召喚された証になると説得されれば着替えるわけにもいかない。その姿のまま、これまた無駄にキラキラ強い王宮を歩く。
国税がこの城の装飾に使われているのかしら、なんて考えながらしげしげと王宮を見渡した。
RPGさながらの大広間で、思ったよりもあっさりと報告自体は終わった。異世界から人を呼んでしまいました、それだけだ。しかし、その後が大変だった。具体的には梨沙の今後について。
すぐに元の世界に送り返してくれるつもりだったらしい魔法使い様に対して、そうもいかない王国側の王さまや大臣たち。
『この世界に必要な人間』という名目で召喚された梨沙が今後どんな役に立つか分からないのだから、ひとまずとどまってほしいという意見は分からないではないのだが、たぶん何の役にも立てないと思います。はい。だから早く元の世界に返してほしい。
初めはその場の成り行きを伺っていた梨沙だったが、王宮のお偉いさんたちがいっそ召喚を既成事実にしてしまおうと魔法使い様に謝礼を支払おうとしたあたりで、とうとう声を上げた。
「あの、簡単に褒賞とか仰いますが、予算は組まれてるんですか?」
「……え?」
「さっきから褒美とか領地とか言ってますけど、元からその予定があっての話ですか?……違いますよね?私は突発的に呼ばれたんですし……その褒美がどこから出るのか、私でもわかりますよ。国民の税金から出るんですよね?」
上の決定で決められる税金の使い道を末端の窓口職員に文句言ったってどうにもならないのに、わざわざ女性職員を選んで説教する人間一回目のおじさんを思い出す。
「いくら王さま方の判断が正しくても、あまり急に物事を動かすと困ります(末端職員が!)」
「そう仰ったリサ殿は大変凛としてらっしゃった」
うっとりとした顔で当時を思い出す勇者様。仕事もひと段落したお昼休憩の時間、結局、梨沙は彼と一緒の食事の席を囲んでしまっている。
あの時、王さま方に物申したところ、なぜかこの勇者様に大層気に入られてしまった。
私が後見人になるとか、梨沙がいないとやる気がでないとか、あげくは婚約者だとかあることないこと言って、王宮側に味方したのだ。
一生懸命私を庇ってくれた魔法使い様も最後は根負けして、本当に、心の底から申し訳ないと泣きそうな顔で頭を下げてくれた。もう少し頑張ってほしかったなんて口が裂けても言えない。
それから、啖呵を切った心意気を買われて、行政業務の末端……そうです、またしても公務員のような仕事をもらった。
主な仕事は確定申告のようなものと税金についての相談。市民生活についての相談など多岐に渡る。幸いにして日本国とこの国の税制、政治体制はそう変わりない。
「その件は本当にごめんね、リサ」
「構いませんよ、アルベリッヒ様。むしろ何から何までご面倒を見ていただいて。今日もお仕事お疲れ様でした」
「アルベリッヒ!リサ殿を呼び捨てにするなんて」
「勇者様。私がお願いしたんです。師匠に様付で呼ばれるなんてくすぐったいですし」
込み合ってる店内をかき分けて、梨沙と勇者様のいる席に合流したのは魔法使い様、もといアルベリッヒ。王宮と勇者様からやたらモーションを掛けられる梨沙の癒しであり、最近は空いてる時間で魔法を教えてくれる梨沙の師匠。全く魔法を使いこなせないのは本当に申し訳ないが、彼曰くかなりの魔力を持っているらしいので頑張りたい。
ちょっと気が弱そうで幸の薄そうな顔の良い青年魔法使いがいるからこそ、なんとか腐らずにこの生活を送れるのだ。
「リサ殿……いや、リサ」
「……勇者様に名前で呼んでいただくなど恐れ多いです。できれば秋野さんとでも呼んでください」
「……しかしそれはもうすぐ変わる名前ですよ?」
「……」
「プロポーズにしては奇をてらいすぎだと思うよ、レス」
「しかし、事実に変わりはないだろう?」
もしこの人……勇者、レスリード・ユカナ・テルエンスが婚姻届けを持ってきたらその場で握りつぶしてやろう。
異世界の片隅で、元公務員である秋野梨沙はそんなことを想うのだった。