公園の思い出
それはある薄雲のかかる朝のこと。ぼんやりと明るくなってきた方から、二つの影が近づいてきました。大きな影と、小さな影。
「ほら、いってきなさい。」
すっと光が当たったのは、一人の女性と小さな女の子でした。
「うん!」
そういって、女の子は駆け出しました。
「おはよう!」
周りのみんなに挨拶しながら私のところまできて、
「おはよう!」
そう、同じように、陽だまりのような笑顔で私にも挨拶をしてくれたのでした。
これが、私と女の子との出会い。
そのあとも、女の子と女性は何度も遊びに来ていました。ずっとそれを見ていると、女の子と女性は親子で、最近、つまり私と初めてあったくらいの時期にこの辺りに引っ越して来たということ、女の子の名前は「花」ということ、もうすぐ小学生になることがわかりました。
花は、私にたくさんのことを話してくれました。好きな食べ物はハンバーグで、好きな色は赤。絵を描くことも好きなのだと。
「小学校に行ったらね、いろんな人がいるって、ママがいってたの。友だち、いっぱいできるといいなあ!」
そう言われて初めて、私は気づいたのです。花から、友だちの話を一度も聞いたことがないということに。ここに越して来る前にできた友だちのことよりも、小学校でできるだろう新しい友だちとの出会いに胸を躍らせているからだろうと微笑ましく思って、これからの花の学校生活に幸いあらんことを、昼下がりの太陽に祈りました。
「カエデ!見て、今日の図工の時間に描いたのよ、あなたに似ているでしょう?」
いつものように並んで座ると、真っ先に見せてくれた画用紙には、私の絵が描いてありました。誰がみてもすぐに私だとわかるくらい、いいえ、実物よりも綺麗に描かれていたのです。初めて会った日から、五回の季節が巡っていました。
「ふふふ、カエデの隣に私も描かせてもらっちゃった。自分の好きなことを描く、っていうテーマだったの、わたしが好きなのはあなたと一緒にいる時間だもの!でもね。」
そこで言葉を切った花を怪訝に思って隣を見ると、どこか遠くの地面を見ている彼女の姿がありました。
「友だちとも、こんな風に仲良くできたらいいのに。」
遠くを見つめた彼女の横顔にかかる髪を、いたずらな風が吹き抜けていきます。
「仲間内では楽しいんだよ。流行りの曲とか服のこととか話したりしてさ。ふつうの小学生でいられる。でも、そこから一歩出れば厳しい世界なの。仲間内での小競り合いも、グループ同士の蹴落とし合いも日常茶飯事。もううんざりだよ、こんなの。」
花の顔からは、なんの感情も読み取ることができませんでした。あえて言うなら、そう。諦観、でしょうか。
「だからって言って、やめてって言うのも違うのよね。だって、みんな間違ったことをしてるとはいえないから。ただ自分のことを見て欲しくて、友だちより優れているって見せたいだけ。それをやめろなんて、言えるわけないじゃない。」
しゃらりと木の葉が擦れて、真っ赤に染まった紅葉の葉が一枚、ゆらりと落ちて来ました。ああ、もう秋も終わるのですね。
「人の顔色なんか気にせずに、前みたいに仲良くしたいだけなのに。あなたとみたいに。」
そこで大きく息をついて、ぱんっと立ち上がると、
「あーあ、柄にもなくシリアスな話ししちゃった。ごめんね。また来るね!」
何事もなかったかのように、いつもの陽だまりのような笑顔で駆け出していきました。その目が紅葉と同じくらい赤くなっていたのは、私だけの秘密です。
また何回かの年が巡っても、私と花との関係に変わりはありませんでした。違うのは、花が高校生になったこと。中学校のセーラー服も可愛かったけれど、高校のブレザーを着るとすごく大人っぽくなって。初めて会った時からの成長を、姉のように見つめている私がいるのでした。
「だいぶ久しぶりになっちゃったね。夏休みになったから来られたけど、またしばらくは来られなさそうだし。生徒会ってこんなに忙しかったんだ。」
ふう、と一息ついて腰を下ろしたいつものベンチも、だいぶ古くなってしまって木がささくれ立ってきています。花と出会ってからの年月を、図らずも実感することになりました。
「わたしね、高校卒業したら就職することにしたんだ。だいぶ遠くに行くから一人暮らしになるし、ほとんどこっちには帰って来ないと思う。だから、今のうちにたくさん来るね!」
そう話していた彼女は、今までよりずっと多く来てくれて、そして公園の入り口の桜が咲き始めた頃に「またね」と言って、この街を出ていったのでした。
わたしが街を出てから、はじめて実家に帰って来たのは二年後のことだった。本当は何度も帰ろうと思ったのだけれども、仕事もプライベートもどんどん忙しくなっていってそれどころではなくなってしまった。なんとか休みをもぎ取って帰って来られたのは、紅葉が真っ赤に染まる頃。
「俺も、花の育った街とか見たいな。ちょうど出発日は休みだから、その日だけ、一緒にいいか?」
なんて言ってくる会社の先輩、まあいわゆる彼氏なのだか、を断ることもできずに二人で懐かしい街に降り立った。もちろん、一番に向かうのは家までの途中にあるいつもの公園。カエデはいてくれるかな?
小さい頃の話をしながら並び歩いて公園に着くと、カエデはいなかった。というより、何もなくなっていた。公園の真ん中に立っていて、いつもわたしとカエデが座っていたベンチに取り囲まれていたもみじの木も、ベンチも、 小さいけれど確かにあった遊具も、全部。唯一残っていた入り口の桜は、葉が落ちた寒々しい姿で立っていた。
「ああ…」
ずっと一緒にいた、一番の友だち。彼女と過ごした跡が全てなくなってしまうなんて。そして、直感した。もう、カエデには二度と会えないのだと。いつの間にかうずくまっていた背中を撫でる大きな手の暖かさに、思わず涙がこぼれた。
「カエデ、カエデっ。ごめんね、またねって言ったのに。約束破って、ごめんね。」
散々泣いて落ち着いてから、彼は言った。
「きみの一番の友だちは、カエデという名前なのだろう?それなら彼女は、もしかするとここにあったもみじの木の精霊じゃないか?楓ともみじは、名前が違うだけで同じ植物だから。だとしたら、きっとまた会えるさ。精霊はこの世界から消えずに、ずっといるだろうから。」
実家から帰る日。もう一度、あの公園に行った。来た時と同じように寂しげな佇まいだったけれど、この間のショックはない。お母さんに聞くと、この公園は取り壊して駐車場にしてしまうらしい。この街に引っ越して来てから一番多くの時間を過ごした場所と、友だち。その両方をなくしてしまうのは寂しいけれど、カエデにはきっと会えるって信じることにした。わたしと同い年に見えたのに大人びていて無口だった彼女は、もしかして本当にもみじの木の精霊だったんじゃないかと思い始めていた。
「今までありがとう。いつかまた会える日まで、さよなら。」
口の中で呟いた時、聞こえるはずのない木の葉擦れがしゃらりとなったような気がした。