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036 風流

 そこは別段変わらない場所とも言え、そして異常ともいえる場であった。

 桜が咲き乱れ、草原には丈の短い草が生えそろっていた。

 真っ赤な絨毯がひかれた上には一人の正装をした男が座り、目の前に置かれた盆には徳利とぐい飲みが置かれていた。

 男がぐい飲みを持ち、桜を見上げると、一片の花弁がヒラヒラと舞い落ちて、ぐい飲みの酒に上に乗った。


 男は軽くそれを見て笑い、一口に酒を飲み干し、桜がぐい飲みの底にべったりと張り付いた。和風の風流だったが、酒を飲んだのは金髪碧眼に肌の白い男だった。髪にはウェーブが緩くかかり、社交界といった場が似合いそうな男だった。


「こういうのも風流があっていいものだ。そう思わないかね? 」


 ぐい飲みを指先で揺らし眺めながら男は自分の秘書に向かってそう言った。


「私には風流に対する理解がありませんので」


 氷のように冷たく、抑揚のない声で応えた。応えたのはフォーマルスーツを着た若い女性だった。長い髪を一つにまとめ上げ、凜としつつも無表情を崩ささない。手には手帳を持っていた。


「そうかい。もう少しばかり、もう少しばかりこういったことにも理解を示して欲しいものだね」


 そういって、男は徳利から酒をぐい飲みへと注ごうとしたが、ほんの数滴がぐい飲みへと落ちて、桜の花弁を潤しただけだった。


「ヴィヴィアン君」


 徳利の首を持って、フラフラと左右に振る。


「もうありません」


 とピシャリと秘書ヴィヴィアンは言った。


「もう半分でも」

「ありません」

「三分の一でも」

「ありません」

「五分の一でも」

「ありません」

「1024分の512でも」

「増えてます」


 男のしつこい要求にも、ヴィヴィアンは態度を崩さない。


「社長には三時間程書類を見ていただき、その後一時間の会議、その後五分ほど休憩の後に、連絡事項の確認作業がございます」

「む、仕方ないか。全く、人使いが荒いね」


 そういって、男は徳利を盆の上に転がすように置いて、立ち上がる。顔には先ほどの楽しそうな笑みなどは消えて、渋々秘書の言葉に従っているようにしか見えない。


「では、他の者にお替え頂ければ宜しいのでは? 」

「いいや。君が一番優秀なんだから、そういうわけにもいかないさ」


 男は、秘書にほほえみながら言う。

 ジルバート総合商社最高経営責任者アレックス=ジルバートこそが、この男だった。

 多忙を極めるアレックスのスケジュール管理を完璧にこなしつつも、ただ管理するだけでなく最も負担を軽減させるようにスケジュールを組む秘書がヴィヴィアン=アカサカであった。


「さて、そろそろ仕事だ。張り切っていこうか」

「はい」


 ヴィヴィアンは無表情のまま、特に抑揚もないまま言った。

 アレックスが大股に歩いていくと、桜の庭園の中に一つの木で組まれた柱が天にまで届くようにそびえ立っていた。その前で、ヴィヴィアンが隠れるように作られたボタンを押すと、木の扉が開く。ただのエレベーターでしかないが、そう見えないように努力したものだった。

 この場所自体が、本社の三十階全てを使って作られた桜の庭園であった。

 天井には調度真上の空がリアルタイムで写され、地面も桜も実際の物が使われている。

 花見をするためにただ社内の広大なエリアを使ったのは、アレックスの独断であり趣味でしかなかったが……。

 アレックスがエレベーターの中に入ろうとすると、ヴィヴィアンが手帳のデバイスに目を落とす。緊急連絡の文字が見え、


「社長、少々お待ちを」

「ああ」


 届いたばかりのメールを見て、ヴィヴィアンはやはり何一つ声を変えずに言った。


「警備部隊より連絡です。港の管理局にて職員、一般作業員含めて二十名死亡。六七名が負傷。犯人は現在のところ不明。データベースとの照合作業中とのことです」

「何……」


 アレックスの眉がひそめられる。さらにヴィヴィアンのデバイスに別口からの緊急連絡メールが入る。


「諜報部より連絡です。事件は不正パスを使用し入ろうとした者達二名による犯行。犯人についての照合は完了し、賞金首と判明。通称ジェミニと呼ばれる兄弟、トーマス=ハイランドとヘンリー=ハイランド。バウンティランクは両名ともAとなっています」

「そうか……。今すぐ連絡をしてくれ。『可及的速やかに手段を問わず犠牲を最小限に抑えて犯人を確保しろ』と。さらに警備部隊には警戒度を八として事態の処理にあたるように」

「了解しました」

「まぁ、タイラーに任せればこれ以上の被害は押さえられるだろう。こういう時のために彼に今の役職を与えたようなものだ」

「……」


 ヴィヴィアンは何も言わずに、デバイスを閉じながらエレベーターに乗り込んだ。

 おおよそ、サイラスが行うであろう処理が想像でき、それでも、自分がただ安穏な場にいることがなんとはなく歯がゆかった。

 しかし、無表情を常に崩さない秘書の心境などはアレックスは何も察することができなかった。

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