003 予告
その都市は大陸最大にして、最も進歩した都市であった。世界で最も繁栄し、最も混沌とし、最も雑踏がひしめいていた。
高層ビルディングが建ち並び、アーケードには様々なものが売買され、街のあちこちに都市警備隊が見回っている。
歩く人々は、カジュアルな装いから古くさい背広やドレスをまとった者たちまで様々である。見回りの兵達も、腰にミスリル製の剣を差している傍らで、ボルトアクションのライフルを持っていた。
中には、毛皮をまとった蛮族のような出で立ちのものまで混ざっていて、そうかと思えばプレートアーマーやチェインメイルをまとった傭兵の姿まである。
刀剣類をおおっぴらに売っている店の横では、格安のデバイスを売る店が開いており、そのまた隣には怪しげな薬の材料を売る店が開いている。
地球の紀元後から現代までの文明をシェイクしたかのようなチグハグのツギハギのような世界。
それもそのはずの、地球とは異なる異質な成長を遂げた魔術のある世界。
それが、この世界の正体であり、その世界の大陸中央に存在するメガロポリスの中心地、都市の名前は都市開発の貢献者の一族の名前から『ジルバート』と称される。
その都市の商業地区のアーケードを一人の少年が歩いていた。
ドミニクだ。
彼も、ジルバートの住人だった。
片手には食料の入った紙袋が握られている。タンクトップにややくたびれたジーンズ、浅黒い肌をし、年齢は十代後半と言ったところだろうか。オレンジ色のニット帽の間からは、黒と茶と金色の髪がのぞいている。
「他に買う物は、ないかな? 」
紙袋の中を一瞥し、脳天気そうな独り言を呟く。そのボンヤリとした表情と鈍い眼光は崩れることがない。
見上げた先にあるビルディングの壁に備えられたディスプレイを自然と見た。普段ならお昼ののんびりとしたニュース番組が放送されているはずだが、今はややアナウンサーが緊張した面持ちでニュースを伝えていた。
『さて、怪盗スモークから三日前に出された予告状の指定日時は今日です。そうです、またもや今夜怪盗スモークが現れます。すでに、朝からウィリアム商会とその周囲では警戒態勢がひかれていますが、その様子を現場からお伝えしてもらいましょう。中継先のの綾瀬さんお願いします』
と画面が切り替わり、雑踏の前に黒髪でセミロングのレポーターがあらわれる。
『はい。こちら中継先の綾瀬です。ウィリアム商会では、すでに多くの専属警備隊の方々が配備されていまして、リンクアーマーの姿も見えます』
フルプレートアーマーを着込んだ警備隊に紛れて、五メートルほどの高さの巨大な騎士の姿が見える。
『また、都市警備隊の方々も出動され、警戒と交通整備についています。私にも緊張が伝わってきています。今夜の事を最前線で見ようと一般市民の方々も既に場所をとっています。やはり、今夜も怪盗スモークが現れることは間違いない様子です。では、一旦スタジオにお返しします。中継先の綾瀬でした』
『綾瀬さん、ありがとうございます。しかし、スミスさん、ウィリアム商会からの発表では怪盗スモークが何を狙っているのかは依然として不明ですが、どう思われますか? 』
とキャスターの隣にいる中年の女性に話を振る。
『ええ。そうですね、ウィリアム商会にはいくつもの美術品が展示されていまして、おそらく、その中のいずれかの品ではないかと思われますが。ですが、怪盗スモークのこれまでの犯行を見るに、一度に一品だけしか狙わない。また、無一文に近い品から高額な品であったりとしますので、断定はできませんね』
「素晴らしく狂おしいほどに愛しいぐらいにノーアイデアって、ことでしょうに」
回りくどい形容しつつドミニクが呟く。が、その表情はニュースそのものにもさほど興味が無い様子だった。
『はい。では、怪盗スモークそのものについてどうお考えですが? 』
『これまでの歴史の中でも劇場型犯罪としては最大級と言っても可笑しくはないでしょうね。その大胆不敵な犯行にもかかわらず、まさしく煙のように現れては消えるという不可思議な目撃例もあり、怪盗スモークはやはり盗むことではなく、注目を浴びることで何かしらのメッセージを伝えたいのではないかと考えています。そもそも……』
約一年前から都市を騒がせている怪盗スモーク。予告状を送りつけては、大胆不敵な犯行を繰り返す。正体も目的も依然として不明なままにあるが、現在のところ一件の失敗すら犯してはいない。
既に数冊の専門書まで出版され、メディアを騒ぎ立て、結局のところ、良い客寄せの話題にもなっていた。
「帰るかな」
やけに喋るコメンテイターとディスプレイに背を向けてしばらく歩き、紙袋を後輪のサイドについているカゴに入れ、愛用のスクーターにまたがった。オレンジ色のやけに古臭さを感じさせるスクーターが走り出す。
「お。ヴィヴィアンだ」
そのまままっすぐ帰ろうとしたときに、広場に顔を知っている者を見つける。見つけた先には、フォーマルスーツをしっかりと着込んだ黒髪の女性が噴水の周りに備えられたベンチの座して手帳を広げている。年もドミニクとはさほど変わりはしないだろう。
最近会っても居なかった所為か、ただの気まぐれか、広場の片隅にスクーターを停める。紙袋はそのままにゆったりと降りる。
「や。素晴らしく狂おしいほどに愛しい親愛なる友人よ、久しぶり」
右手を軽くあげ、軽薄そうな声を出す。すでに気がついていたのかヴィヴィアンは顔を上げて、
「ええ」
と小さく唇を緩めて応える。
「ひさしぶりだね。元気だった? 」
「ええ」
「仕事はどう? 順調?」
「ええ」
「……」
「……」
と二人にあっさりと会話のカーテンコールがひかれてしまう。ヴィヴィアンはずっと無表情に顔を変えず、ずっとドミニクの目を見ていたが、彼は複雑そうな気まずそうな顔をのまま目線をそらす。
「見かけたは良いけど、話題が案外にないもんだね……」
さっき見た怪盗スモークの犯行予告などとうに頭の隅にもないように思い浮かぶこともない。沈黙に耐えられずに口走ったのは、そんなつまらない台詞でしかなく。
「……そうでもないわ。変わらない? 」
「まぁね。ヴィヴィアンみたいに責任とかある仕事でもないし」
そう言って、ドミニクはヴィヴィアンの横へと遠慮無く座る。
「がんばっているのは知っている」
「んー、頑張っている気ないんだけどね……」
「熱中しているとは思う。ドミニクは昔から飽きっぽいと言うか、何にでも興味があるようで本心では何にでも無関心だったから」
「……そう見えていたのね。今更知ったよ」
ドミニクは、青い空を見上げながら他人事のように呟く。自分が無関心だった。確かに今でもそういった傾向はある。かといって、自分のことだけが大切だとか、自分にしか興味がないかと言えば、そうでもない。自分のことにさえ興味があるのかどうかと言えば、無いに等しい気がする。
ヴィヴィアンは、ボンヤリと空を見上げるドミニクの横顔を見つめてから、腕時計を見る。
「ごめん。もう、行かないといけないから。また、今度話そう」
「あ、ごめんごめん。忙しいんだったね」
ドミニクは気がつかなかったが、ヴィヴィアン自身は昔からのなじみと久しぶりに話ができたことが終わることに名残惜しく感じていた。ただ、昔からの仲間の大切な一人とはいえ、そういった絆だけでは時折偶然に会うことぐらいしかできていなかった。
一人、残ったドミニクはヴィヴィアンの背筋をまっすぐとのばし堂々と言うよりは凛とした様子を見えなくなるまで見ていた。相変わらず、何があっても表情が全く変わらないので何を考えているのかわかりにくい友人であった。
「無関心か……」
手を天にかざし、ドミニクは眺める。
何故無関心なのか。そもそも、自分に興味を抱く要素がなければ見ることすらできはしないのではないか。そんな自分が惨めならば、他人を見ることで自己嫌悪に陥る事が惨めにすぎないから、他人にすら興味を抱かないのか。
一度目を閉じる。
この手は今まで何を掴んできたのか。
目を開ける。
手の間から、真っ白な雲と青い空が見えるだけ。
目を閉じる。
この手は今何を掴んでいるのか。
目を開ける。
指が軽く開かれた手が見えるだけ。
目を閉じる。
この手はこれから何を掴むのだろうか。
目を開ける。
手は見えなかった。いつの間にか、手は下ろされていた。何故下ろされているのだろうかと思いながらも、自分が下げた記憶もあった。
「帰るかな」
何故そうしたのか、何故考えてしまったのか、その答えを出すことさえもせずに、ドミニクはスクーターに乗った。
スクーターはやけに遅く、どことなく力なく進んでいった。