017 変装
場所は件の美術館。
館内は薄暗かった。
雨音は、真っ黒のレザーパンツにポロシャツ、さらにその上にレザーコートを羽織り、白いフレームの伊達メガネをかけていた。髪は普段下ろしているが、今はワックスでオールバックに。普段の穏やかな表情で細い目はしておらず、目は普段よりも大きく開き、無表情を作っていた。
別に、知り合いに見られればイメチャンしたんですかと問われる程度の変装ですらなかった。元々変装できれば、仮面などつけて怪盗などしていないわけであるし。とはいっても、この都市の住人で彼の知り合いなど数えるほどしかいないわけでもあるが。
平日ではずいぶんと人混みは少なく、同じフロアには彼の他には十人ほどの来訪者がゆっくりと歩いては立ち止まって美術品に目を奪われている。
彼の目の前にはずいぶんと昔に、絶対王政がはばを聞かせていたという時代と地域の産物の大きな冠があった。いくつものルビーとサファイアが黄金の台座を引き立て、富と権力の強さを表していた。
(魔術で強化されたガラスを壊すとなると、どの程度の加減がいいのか。相当の威力がいるにしてもトライデントは壊れて使えないですし。高周波カッターでもけますかね? )
トライデントは流通量が少なく、パーツ自体が特殊故に、直すのにも一苦労だ。
(というか、トライデントでも壊せますかね? )
あの銃で撃つことが出来る最も威力の高い弾丸は、ミスリルの鎧にもダメージを与えることが出来るものだが、これほど厳重であると壊すことが出来るのかさえわからない。
(鍵というか……どうやって展示しているんでしょうね。移動させないなんてことはないでしょうし、実際運ばれて展示しているわけですし)
今、彼が居るフロアに置かれている品々は約一月前に運ばれてきたものだ。宝石を使われた美術品の特別展として開かれている。そして、その特別展自体が四日後の夜に終わってしまう。
(しかし、これほど骨が折れそうな仕事だというのに、ずいぶんと急に来ましたね)
内部からの手引き付きで、急に入った仕事。
条件がどうであれ、準備という物が必要となるのだが、特別展自体がもう終わってしまうのだから、間に合わせるしかないだろう。
彼は、順路に沿って歩いて、ようやくフロアの中央に展示されている美術品の前に立ち止まった。円柱で、彼の腹部ぐらいの高さから二メートルほどの間が透明なガラスで覆われ、その中央に一輪の薔薇が展示してある。
否、それは植物ではなく、宝石で、できた朽ちることのない花であるが。
「作品名『我ガ想イ』」
そこにある薔薇だけは、他の展示品とは種類が違っていた。他の展示品は冠やネックレス、ブレスレッドに指輪。あとは装飾用の短剣といったものばかりだったが、そこにあるのは輝く薔薇だ。
サファイアで作られた花弁、エメラルドで作られた葉と茎、トパーズで作られた花粉。と全てが宝石で作られている。薄いが、色合いは深い青い花弁、しっかりと葉脈に見えるようにカットされた葉、その全てが見えない部分ではプラチナで固定されている。
「これはまた、すごいですね……」
自分にしか聞こえない程度の小さな声で呟く。
宝石も使われている技術も超一級品の最上級の品だ。この特別展のメインとして展示されている品だ。特別展の初日は、休日ということもあってか多くの人が訪れた。
過去の大きな戦争によって、美術品や宝石類の数多くが喪失され、その価値は戦前よりも遙かに高騰している。
「ふむ」
雨音は、円柱の手前に置かれている解説文を読む。作られた経緯や、誰によって作られたのか、どこで作られたのかが全くの不明となっている。しかし、どれだけのよい品かということは長々と続いている。
「誰の物かもよくわからないということか」
一人盗む物がどんなものかを納得し、あとは不自然ではないように残りの展示品もゆっくりと鑑賞していく。
特別展用のフロアを出ると、美術館のエントランスに出る。受付の近くには二人の警備員が立っているが、別段こちらを意識している様子はない。パンフレットの地図を見て、トイレの位置を確認し、一度トイレに入り、そこで瞬時に足運びを変えて、再びエントランスにでる。
今まさに、トイレに入ってこようとした人間をさっと避ける。入ってこようとした人間が雨音を意識することが出来ないためによけてもらえることもできないためだ。
すでに雨音は影踏を使っていた。
しかし、人を騙せても機械までは騙せない故に、監視カメラの位置を確認しつつ、関係者以外立ち入り禁止のドアを開けて入っていった。
「普通なものですね」
美術館の外観は近代的なフォルムであり、エントランスも展示室も凝った作りだったが、関係者専用通路に来てみれば、味気ないというか事務的なものだった。通路に人はいなかったが、影踏を使ったまま雨音は進んでいき、一つの部屋の前に立ち止まる。
コンコンコン。
三回軽くノックをする。
「どうぞ」
その声と共に、雨音はすばやくドアを開き、滑り込むように部屋へと入った。
部屋は真っ赤な絨毯がひかれ、左右の壁には書棚が置かれ、中央には応接用と思われる長いすとテーブル。さらにその向こうには、鈍重な木製の机が置かれ、さらに机の向こうには万年筆を持った初老の男性が座っていた。髪はてっぺんまで後退し、頬と目尻には深い皺ができている。
「予定通りの来客者ということで、よろしいですかな? 」
男性は雨音の姿にやや戸惑いながら言う。
「ええ。仲介された業者です」
怪盗という言葉を使わずに、二人は確認した。
「鍵をかけてくれるかね」
「ええ」
雨音は言われたとおりに、鍵を閉める。そこに、と男性が立ち上がりながら椅子を勧め、雨音と男性は向かい合って座る。
「館長さんでよろしいですね? 」
「はい。此度、依頼させていただきました」
「何故ですか? あれは」
「いえ、元はあるお方が個人で所有していた品であるのです」
館長は厳しい表情のまま、眉一つ動かさずに雨音の声を遮って言った。
「詳しい事は省かせていただきます。その方が誰であるかはできるだけ隠しておきたいのです。ただ、言えることは、その方はジルバード商会に尽力し、その果てに裏切られたと言っておきましょう」
「わかりました」
復讐か。と雨音は心中で呟く。
それに対する復讐。が、どれほどあれが高額であり歴史をもっていたとしても、これまでの歴史よりも新たな歴史を作ることに尽力している企業に対して、美術品を一つ盗むだけの復讐がどれほどの影響力があろうか。
が、企業に対しての復讐。そして、虐げられた者へ救済をするというなら、それは自分の信条に沿うものだ。あるべきものはあるべきものの元へ、ただそれだけの信条。
「受けていただきますかな? 」
「はい。ただ、あなたには責任があるでしょう? 」
「構いません。責任を問われても、ここを辞めることで果たせます。それに」
館長は雨音を見つめ直し。
「コソ泥ならまだしも、あなた程の腕の持ち主ならば、盗まれても仕方ない」
「そこまで腕が良いわけではありませんよ」
それに、そんなことなど盗まれてしまう理由にはならないだろう。本来ならば、作品を守らなければならない職務の者が、ここまでの覚悟で依頼したということに、意志の強さを感じてはいる。
問題は、ただのこそ泥では腕が足りない。確実に盗んで貰うために、雨音を頼ったのだとわかる。
「それでは、私にいくつか考えがありまして、それを聞いていただいた上で、あなた様に方法を任せようと思います。私も協力は惜しみません」
「はい。それでは始めましょうか」
雨音は姿勢を一度正して、館長の言葉に耳を傾け始めた。




