012 微熱
目が覚めれば、木目の天井が見える。狭い店の割には天井はずいぶんと高く、天井近くの壁には大きな窓から光が差し込んできていた。
身体を起こそうとしたら、ジクリと身体に染み込んでいくような痛みが走る。左腕を見れば、真っ白な包帯がしっかりと巻かれ、崩れている様子はない。
雨音は、ソファから身を起こし、深呼吸を数度行った。潮の香りと木の香りが肺に満たされ、少しばかり目が覚めていくのが早まっていく。
なかなか都市の片隅であっても、住むには良いようだった。
一度立ち上がろうとして、状態がふらつき、膝をつきそうになる。
「血を出しすぎましたかね……」
額に手をやると、どことなく熱っぽい。思っていた以上に傷は体力を奪っていたようだった。二、三日は大人しくしていたほうが良いだろう。
身体が動くまで座り込んで待つ。血が足りないから、動きも鈍くなっているのだろう。
昨日は本が多いなとは思っていたが、よくよく見るとかなり専門的な本がやけに多いことに気がつく。機械に薬物に医療、心理学に、歴史、科学技術に数学。さらには魔術の本間である。とはいえ、魔術自体は不特定多数に扱えることは扱えるが、それは魔術式が刻まれている場合である。魔術式自体を描く作業や、異能を解析して魔術を作り出すのは非常に難易度が高く、それができる人間を魔術師と呼ばれている。
古くからの友人は見た目はアウトドアな感じで、活字なんて見ただけで眠くなっていそうなキャラのくせに、なにげに読書が趣味というか習慣だったりすることを今更のように思い出す。ただの時間つぶしと言っていた割には熱心に読んでいたし、そのジャンルは全般に及んだ雑食性きわまりない。
上半身には何も着ていなかったが、周りには血だらけのシャツは見あたらないので、勝手に処分されてしまったのかも知れない。仕方なく、タオルケットを羽織り、階段を下りていく。店は照明もついていたし、ガラス戸も開けられていたが、当の店主の姿は店内にはない。
自然と店の外を向くと海側沿いの道にパラソルと椅子が置かれ、そこに店主がいることが判り、外へと出て行く。
「起きた? 久しぶりにああいうことしたけど、うまくいくもんだね。ラッキー。ついてるついてる」
ドミニクは一瞥し、また海側を向いて、なにやら絵を描いていた。写生でもしているのだろうか。
「……患者の不安を煽らないでくれませんか? 」
昨日の頼もしさや信頼はどこへやら。急に不安になっていく。人間、弱っているときは判断力が鈍ると言うことか。
「そう思うなら、もうそういうことで私の元に来るのはやめたらいいんだよ。普通にお茶でも飲みに来てくれないものかな」
「それは、また今度にしておきます」
「ちなみに窓を突き破ってこないでね」
「前向きに善処します」
冗談を言い合いながら、ドミニクの横へとやってくる。
「何を描いているんですか? 」
てっきり風景かなにかかと思ったら、幾枚もの羽と蛙が描かれていた。
「ん~、オーダーメイドを受けてね。デザイン考え中」
「そんなこともやっていたというか、できるんですね」
なかなかうまく描かれているので感心している。
「器用貧乏が私の唯一のポイントだからね」
そういって、先が丸くなった鉛筆を傍らに置いて、鋭い鉛筆に持ち変える。
「あまり、そうそう自分をいじめるものでは無いですよ」
「へいへい。しかしさ昨日言ってた賞金稼ぎは『影踏』を見破ったんだよね」
「ええ」
五感と意識の死角へと回り込む潜伏移動技術『影踏』。
これは、一種の技術である。本来ならそれだけの技術に対して、彼自身の異能である存在感を限りなく薄めるという地味きわまりない力を併用することで、極限とも言える潜伏能力になる。
異能とは、不特定多数が使用できる魔術と異なり、特定個人にだけ使える一種の超能力だ。その異能を魔術解析することで、魔術として使えるようにすることもできるが、魔術として使う場合は、熟練の魔術師が必要であるし、魔術解析自体も膨大な時間がかかってしまう。
「それだけが、正直、僕の唯一のポイントだったんですがね……。見破られたことは屈辱ですよ。ここ数年は、さらに技術を上げてきたつもりだったのですけどね」
「ふむ。ってことは、やっぱり相当の腕か」
「でしょうね」
「ふーん」
ドミニクはいつもの様子で受け流す。
「そろそろおいとましましょうかね。世話になりました」
「あ~、店にワゴンにつっこんでるTシャツは安物だから、適当に着ていっていいよ。お金はいらない」
ドミニクは、スケッチブックを見つめたまま言う。雨音は未だにタオルケットを羽織っているだけだった。
「それではお言葉に甘えます。今度、お礼に何か持ってきますよ」
「期待しているよ」
雨音は店の中へと戻る。
ワゴンのTシャツを一枚適当に取ってみると、
「なっ」
×××××と大きく乱暴に書かれていた……。世の中のあらゆる者にでも喧嘩を売るつもりだろうかとしか思えないシャツである。
「さ、さすがにこれは」
と別の一枚を取ってみると
『男の舌は彼女の秘められた箇所へとのび、まるで別の生き物のように動き……』
「ぶっ」
思わず吹いてタオルケットが床へと落ちる。
卑猥な文章が、無駄なほど達筆に羅列していた。
子供に見せられはしないどころか、着て街を歩けば即軍に職務質問を受けても文句の一つも言えはしない……。
「えっと、文字ではないもの。これなんかは良さ……アウトです! 」
思わず叫んでTシャツを投げ捨てる。裸の女性と男性がプリントアウトされたものだった。思わず大声を出したせいか、ふらつき、ワゴンに手をかける。外にいるドミニクも思わず振り返りなにをやっているのだろうと思っていることなどつゆ知らず。
「……僕に恨みでもあるのでしょうか」
すでに海を向き、絵を描いているドミニクの背中を向きながら、雨音は呟く。
さらに別のものを手に取る。真っ白な無地で、文字といったものは書かれていない。
「これは……えー」
もう叫ぶ気力すら無かった。何故か、乳首に当たる部分だけ乱暴に切り取られている……。
「別のだ! 」
すでに口調が崩れていた。しかし、何故か卑猥な文章、画像がプリントアウトされていたり、謎の切り込みがあったりとする品ばかりだ。安物と言うよりも、誰も買わないというか×ゲームにでも使えそうにないものばかりだ。
「ど、ドミニク。なんなんですか、このラインナップは……」
自分が何故怪盗をやっているのか判らないとドミニクにいわれはしたが、雨音にも何故こんな商品を集めたのかもわからなかった。
昼に近い時間、生ぬるい潮風と古くさい香りのする薄暗い店内で、雨音は力なくティーシャツを選んでいた。
微熱と目の前のアンノウンティーシャツが雨音の思考を浸食していった。




