001 怠惰
地球とは異なる世界があったとしたら、どのような世界であろうか。
未だに太古の原始時代であろうか。
魔法が存在するファンタジーのような世界であろうか。
科学が高度に発達した管理社会であろうか。
本当に存在するのならば、幾通りもの世界が存在する可能性は否定できない。
本当に存在すればである。
少なくとも、地球の人々は、自分たち以外の次元の観測に成功はしていない。
しかし、未だに観測できていないだけで、実は存在するとしたらどうだろうか。
そう、別の世界は存在する。
しかも、地球から転移してきた者達までも住んでいる世界である。
その世界には、異能と呼ばれる超能力と魔術が存在し、人型兵器が存在し、多くの人々が住んでいる。
そして戦っていた。
ここにも、今、戦う者がいた。
世界の大陸最大の都市の一角に、巨大なドームがあった。
今から語られる物語の始まりは、そこのある一室から始まる。
幾多もの大型機材が煩雑に並び、その間をツナギを来た整備員達が駆け回っている。
パーツをもってこいだの、工具をもってこいだのの声が響き渡り、見る限りは非常に忙しそうである。
ドミニク・サウザンツは、木箱の上にあぐらをかいて座り込み、その光景をぼんやりとした様子で眺めている。整備員の忙しさなど、とんと知らぬ様子だ。
十代後半程度と思しき少年は、真っ黒なツナギに似た服を着ていて、両手には真っ黒な革手袋をし、日に焼けて茶色が混じった髪が首を隠す程度にまで伸びている。さらに頭にはオレンジ色のニット帽をかぶっていた。
目は黒く、肌はよく焼けていて、ほおにはソバカスが目立つ。
傍らに置かれてるのはファストフードチェーン店のアボカドハンバーガーにフライドポテトとフライドチキン、そして紙製の容器に入ったコーラだ。ハンバーガーは食べかけのまま包み紙につつみ、山ほど盛られたフライドポテトをゆっくりと口に入れていく。
「暇だな……」
フライドポテトをポリポリと食べながら、目の前の忙しい整備員に喧嘩でも売るかのような一言をつぶやいた。だが、整備員達の耳には届かなかったようで、とくにこれといったたことも無く、彼の前を忙しそうに駆け抜けていく。
この場所は、人型兵器リンクアーマー同士が戦うアリーナの整備室だった。リンクアーマーとは全高約五メートルの陸戦最強と謳われる人型兵器である。
魔術と呼ばれるものがこの地球とは異なる世界には存在した。
特定個人に宿る異能と呼ばれる能力を不特定多数にでも扱えるようにしたのが、魔術である。
異能にしろ魔術にしろ、死者を操ったり、炎を操ったり、通常は見えないものを見たりと、その種類は様々だ。
いずれにしろ、そのような魔術を組み合わせて作られたのが、リンクアーマーと称される代物である。
ただし、その整備室のハンガーで片膝をついて座り込んでいるリンクアーマーは、通常のものとは違った。
全体的に角張って非常にゴツく、地球で言うところの現代的な戦車を思わせる。そこまではリンクアーマーに良くあるデザインの一つだ。
違ったのは、左右に伸びた腕の肩の部分からさらに腕が生えていること。四つの腕を持っていると言うことだ。
さらにいえば、その機体は立ち上がれば全高約八メートルには達するであろう巨大さである。
ヘカトンケイルと名付けられた異形のリンクアーマーであった。
アリーナは、傭兵や賞金稼ぎ、アリーナ選手などを統括するソードギルドが主催しており、戦績によってEからAランクまでに格付けされる。そして、Aランクに上がる際に、このヘカトンケイルと戦って勝たなければならないというルールとなっていた。
Aランクへの番人が、このヘカトンケイルであり、そのリンカーと呼ばれるパイロットが、彼、ドミニクであった。
「相変わらず暇そうだな」
と彼の隣に、いつの間にか一人の小柄な少女が現れる。真っ赤なずきんをして、その間から金色の美しい髪が見えるが、その目の焦点はあっていない。手には白い杖が握られており、視覚に障害を持っているようだ。
「うん、暇」
ドミニクは、慣れた調子で言い放ち、フライドポテトをほおばる。
「相手は?」
「知らない」
彼は、今日、とある選手のAランク昇格をかけた試合があるのだが、相手選手のことは何一つとして調べていなかった。それに関してはいつものことである。
「あんたもそんなもんでしょ? 赤ずきんちゃん?」
「それもそうだな。どうせやることは変わらん」
赤ずきんと呼ばれた少女は、手探りでドミニクの足下に広げられた食べ物の中から、フライドチキンを掴み、モグモグと食べ始めた。
「おっと、ポテトだと思ったらチキンだったか。すまないな」
「本当は見えているんじゃないの?」
少女のわざとらしい調子にどこか呆れた様子で言った。
「さぁ」
少女は視覚に障害があるというのに、器用にチキンを食べて、時々コーラまで手にとって遠慮無く飲んでいく。
「それで、最近はどうだ?」
「うーん、いきなりフライドチキンとコーラを奪われた」
「それは災難だったな。他には?」
「特には。のんびり生きているよ」
「ふむ。最近、本気を出しているか? 人間、本気を出さないと錆び付く一方だ」
「本気ねぇ」
そう呟いた時、整備員から整備完了、準備を願いますと言われ、ドミニクはノロノロと木箱から下りた。
もう一つおまけにポテトをつまむ。
「出したら出したで怒られたり」
「怒られて、気にするのか?」
「そういうわけでもないけどね」
ポテトを口にほおばってヘカトンケイルに近づいていて身軽そうに登っていく。
機体の複数の目のある頭部が胴体の上部の装甲と一緒に後ろへスライドし、そこに操縦席があり、ひょいと下りた。
中はあまり広くなく、硬い座席とその前にはディスプレイが広がっていて、左右には操縦桿、足下にはペダルがある。
シートベルトをしてからレバーを上げていくと、上部の装甲がスライドして閉まっていく。シート越しに、背後から微かな振動が伝わってくるのは、ジェネレーターの魔石が稼働した証拠だ。魔術によって、熱や光を吸収して蓄え、電気を放出できるようにされたという一種の魔術動力源である。ヘカトンケイルの場合は、通常のリンクアーマー五個分の魔石が搭載されており、規格外の出力を有している。
ディスプレイに、機体の自己診断を示す大陸共通語の文字列が流れるように現れてから、機体頭部のカメラからの映像が映される。
だが、まだ、この状態では動かすことは出来ない。
この機械と魔術の融合によって作り出されたリンクアーマーは、ここからが特殊である。
もう一つのレバーを上げた瞬間に、機体と搭乗者の感覚がつながる。
自らの肉体の感覚はそのままに、全高八メートルにわたる巨大な感覚が拡張されて形成され、その膨大な情報が脳へと入っていくる。
目で見える光景が、センサーが感じ取る音が、振動が、室温が、四つの腕の感覚が入り込んでくる。まるで、自らがリンクアーマーそのものになったかのような感覚でありながら、自らの体の感覚じたいは残っているという不思議な感覚になる。
傍らに置かれた、幾何学的な形状をした四本の長剣を四つの手で掴み、立ち上がる。
直接、機体の視界が脳に入ってくるが、同時に、自らの体はディスプレイに映る光景を見ているのだから、慣れない者ではその複雑な情報を受け入れることさえも難しいであろう。
「帰ったのか」
先ほどまで座っていた木箱を見ると、コーラと赤ずきんの少女はいなくなっていた。
さて、彼女のことについては実のところ、あまりよく知っていない。
だが、知っていることと言えば、このリンクアーマーアリーナのナンバーワンリンカーであること。
血まみれの朱の二つ名をもつレッドガールその人であった。