父親
光があるから闇がある。
ケガをするにはケガを治す必要がある。
ならば怪我を治さなければ、もう痛い目には会わないのではないか。
木の上で一晩の野宿をし、翌日。
瞼を開けた夜がまず見たのは…時計の針が動く瞳。
もしかしたら、一日中じっと見つめられていたんじゃないかというぐらいに真っ直ぐな目線が突き刺さっていた。腕の中にすっぽりと入り、されるがままになってくれている少女が…なんというんだろう、嬉しい?
「おはよ〜…っ、うーーん!」
欠伸をしながら今日始めのナデナデ。揺らされる髪に目を閉じた夜々の、しぐさ1つ1つが可愛い。
それから朝食を摂り、数時間歩き…昼過ぎには村の入り口に着いた。
…何もない村だ。小さな門と、柵で囲まれた中に、家が数件、そして畑と、鶏などの家畜。犬猫もちらほら。
村の住民はいない。街へ行っているのかもしれない。
「…っ!?」
そんな寂しい村の門をくぐろうとしたその時、大きな気配を感じ振り返る。其処には…髭の生えた大柄の男性。歳は40ぐらいだろうか。
左眉から頬下に掛けてついた傷と、幾つかの皺は、一言で言うなら“戦士”だった。
「お、お父さん…!」
「1年ぶりだな。…その子供が、天使か」
父はやはり、という表情をしていた。
重みのある声が夜へ届く。考えるよりも早く、夜々を庇うように前に立った。
「私達、北へ行くよ。…お父さんは、私達を止める?」
夜が一歩下がると同時に、父は一歩前へ出た。夜の額に汗が浮かぶが、父の目は冷たく、汗を流さない。
「…その天使を殺せ。北へ逃げようが、勇者は追ってくるぞ」
…酷なことを言っているのは解っている。それでも…。
ーーエキド=ノーツは昨日のことを思い返した。
…有力な人間が一堂に会した召集が先日、件の街で開かれた。
場所は城の最上階。巨大な円卓が中央に置かれた、煌びやかな部屋だ。
その会議に…彼も呼び出されのだ。
集まったのは十数人、その中には“勇者”もいた。
「呼び出した者の名字…ノーツ。エキドさん」
「…うちには世界一の娘しかいないぞ」
「世界一かは知りませんが、そうですね」
今後どうするかなどを話す中、勇者はただ、黙ったまま。
そこで纏まった結論は…見つけ次第、捕らえること。最悪殺しても構わないとまで言われていた。
話されたのは見回りの順路や、天使がその後どう動くかの予想。
…仮に北へ辿り着かれたとして、どうするか。
「北から文書が届きました」
その会議室に、鳥のような羽を持った召喚獣が、封筒に入った文書を持って入ってきた。
その内容は…北の国へ天使と召喚者を渡すこと。罪の無い二人を殺すなど、神の意志に反している。という大義名分。
言ってしまうと…渡さないのなら、戦うことになる、ということだ。
「馬鹿らしい。あの小さな国に勝機などある筈がない」
「ええ、全くです」
完全に交戦モード。魔王が居なくなろうが、戦は無くならないらしい。いや、寧ろ…悪くなったような気さえした。
「…殺すのはやめて下さい。天使を呼び出した…神に選ばれたその人に、興味があります」
風の流れが、その声の途端に変わった気がした…というか、事実変わった。
当時13歳にして魔王を、4人パーティで討伐した勇者(現18歳)が一言喋ると、会議の場の空気はその瞬間に変わる。
皆が緊張感の中ゆっくりと頷き、その日の会議は終了となった。
「選べ。今すぐ“ソレ”を殺して一年間隠れて過ごすか、北に辿り着き、崇められて生きていくか」
背中に携えた大剣を抜き、父はそう選択を迫る。
その目には…僅かな子を想う心配の色と、殺意に似た決意を感じる“何か”。
「…崇められるなんて嫌。私は…この子と居たい。その為に北へ行くしかないなら、そこに行く。北で…普通の冒険者になる」
カタナを右の腰に移し替え、詠唱を始める。
父親は律儀に待ってくれた。
…全力を出した彼女を真正面から叩き潰さないと、納得しないと解っているのだろう。
夜もまた、父が詠唱を待ってくれることを信じていた。
「…なら、戦え。俺を納得させられる強さを見せてみろ」
収納魔法の穴が出現する。そこに彼女は手を伸ばし…“死入”を取り出した。
「…その剣、お前…っ!」
死入が取られたという報告は来ていない。ずっと放置され続けている為、何かが起こるまでは気付かれないだろう。
「…行くよっ!」
確かな決意を宿した瞳。親と子の決意の質に、違いは無い。
背後に庇った少女の為、夜は走り出した。
紫電一閃…蒼い雷を足に纏い、瞬間移動のような速さでエキドへ迫る。
そこから放たれた居合切り。常人には目で追うことすら叶わないが…エキドはそれを易々と大剣で防ぐ。
あらゆるものを断つはずの死入でも切れなかったのは…父の力。
「やっぱり…っ」
「まだ防げたか。…いや、お前の腕が未熟だからか」
煽るような言葉に唇を噛む。
父…エキドは、強化の魔術を極めた戦士だ。
自分、そして物の強度や、筋力の増強等…己自身の強さのみを高めた。
そのただ1つの力のみを使い、魔王と戦い抜いたのだ。
ジリジリと徐々に押し返されていく。彼女の筋力は無いわけではないが…エキドが大きすぎるのだ。
後方へ飛び、一旦距離を取る。
父は格段に…戦闘慣れしていた。
離れた瞬間に投げ飛ばされた大剣による突きを、夜は撃ち落そうと死入を振るう。
剣と剣がぶつかる音が轟く。だが、軌道をずらすこともできず…突きの勢いそのままに投げ放たれた大剣で、彼女は数メートル飛ばされた。
大剣の持つベクトルが無くなった瞬間に、彼女は大剣を横に弾き、再び駆け出した。
夜の視線の先…無防備に立ち尽くした天使の元へ、父が歩を進めていた。
父の腰にさしてあった細身の片手剣は抜かれ…それが夜々に振り下ろされる。
「夜々ぁぁあああああああ!!!」
未だかつて出たことのない速度で、まるで飛ぶように夜々と父の間に割って入る。
父を止めるのではなく、夜々を助ける。
止める為の《力》を彼女は取らず、救う為の《速さ》を選んだから…そうするしかなかったのだ。
熱烈なラブコールのように夜々に飛びつき、覆うように抱きしめる。
速さそのままに、迫る剣も避けれたならよかったが…
真紅の飛沫が空へ舞う。
夜の足から溢れ出たそれが辺り一帯に飛び散り…天使の髪の銀にも触れた。