夜
いつまでもここにいたら気付かれてしまう可能性もある。逆に今逃げてしまえば…剣を盗んだ犯人も、上手くいけば誤魔化せるかもしれない。ずっと封印は解かれていなかったようだし。
天使を抱え、階段をまた登り…天使の魔力探知で然るべきタイミングで外へ。
急いで天使に壁を封印、隠蔽を掛けてもらった。
「…あれ?…もしかして、先輩?」
…その現場をばっちり見られてしまったものだから、どうしたものかと。
「…ありがとう、ここまでで大丈夫」
「そうですか?…先輩、これからどうするんですか?」
学園の門を堂々と正面から出て4人が辿り着いたのは、都市国の門からほど近い宿屋。
辺りを兵士が駆け回り、怪しい人間を片っ端から脅迫紛いの尋問をしていたが…彼女達は誰にも気づかれずそこまで逃げられた。
宿で部屋を借り、そこへ入るなり…彼女は天使の傷を魔法で治した。
天使は翼を広げふわりと浮かび上がり、部屋の隅へ。
「もういいか?流石に三人はきついぞー…」
「あ、ごめんなさいシャード。もういいよ」
三人の影から黒い靄が飛び出す。それらが1つに集まり、真っ黒な紙のような薄い人形へ。
その謎の影の正体は、アメが使役している召喚獣だ。彼女は2体目の召喚獣を手に入れるため、あの学校に通っていたのだ。
「ありがとね」
「気にしなくていい。こいつがいつも世話になってるからな。ただ…天使と俺は相性的には最悪だ。あんまりそいつの影の中に入るのはごめんしたいね」
それだけ言うとシャードは、まるで空間に溶けていくように消えていった。魔力生命化をしたらしい。
シャード。影の魔族。
その個体数は少なく珍しい。
気配…“影の薄さ”を操ることができる。また、自分の形状を自在に変化させられる。
魔法は闇魔法を多少使えるだけで、戦闘能力は低いらしい。
「…魔物相手に不意打ちしてそう」
「あ、あはは…だから、もう一体、正面から戦闘出来るような召喚獣が欲しくて…」
戦闘用ではない便利スキル。それだけしか持たない召喚獣など滅多にいないだろう。少なくとも魔法を二種類か、一種類は中々極めていたりする。どちらかというと補助は人間側の役回りのことが多い。
といっても、今回はかなり助けられた。扱いようによっては、戦闘ができる召喚獣よりも強くなるのだろう。
「それで、あの…」
「うん。今後どうするか…だね?」
2人してベッドに腰掛ける。
この世界のセキュリティ概念は相当に緩い。性別を男と言い張って一年過ごせるぐらいには。
「北の方を目指したいけど…飛空艇は封鎖されちゃったし…徒歩か、何か陸路で近くまで行くしかないかな…」
天使を呼び出した者が向かう所…ということで、北の国へ続く海路、航路はもう既に封鎖されてしまっている。近くの国までそれで飛ぶことも考えたが…船の中に閉じ込められる状況は避けた方がいいだろう。
「あ、アメもついていきまふ!」
ぐはっ…と盛大に舌を噛み悶えるアメ。アメの言葉は少し…彼女には予想外だった。
「学校はどうするの?もう一体は召喚獣がいないと…困るんじゃない?」
「それでもっ!先輩が死んじゃうかもしれない時にアメ、勉強なんてできません!」
「それにシャードはあの子と相性も良くない。性別を誤魔化してたとはいえ、いずれ気づかれる。危険だよ」
「危険だからですっ!そんな状況で1人で…先輩が死んじゃったら、アメは…っ」
…連れてはいけないよ。アメがいれば安全かもしれないけど…もし、戦闘になって…アメを守って、天使も守って…そんなこと、私にはまだ…できない。
ズイズイと迫ってきたアメから逃れるように立ち上がる。そして、端っこで膝を折って縮まっていた天使に手を差し伸べる。
しかし天使は…その手を見ようともしない。
仕方がないので彼女は何も言わずに天使を抱き上げる。そしてアメの横へ座り…膝の上に天使を乗せた。
…本当に軽い。
「この子は翼を隠すなら飛べない。全然喋らないし、歩くことはできても走れない。それでも…私はこの子を捨てる気は無い」
突然のことにも天使は何も返さない。
アメが天使の目を覗き込み、時計の針を見た。
「…解ってます。先輩は、優しいですから」
…伝承の天使に、“そんなもの”の記述はない。この天使は…普通とは違う。それは予感ではなく確信だった。
「…アメは、お邪魔ですか?」
不安の色が、アメの瞳にはあった。縋るような…自分で言っておいて、怖がっているような…そんな色。
確信的、トドメを刺すか否かの選択肢。
ずるいなぁ…と思いつつも、どうするべきかを考え続けること数秒。
膝の上の天使の頭を、まるで子供にするように撫でながら…
「…邪魔、なはずないよ。大切な後輩だもん。…一緒にいたいけど、でも『今』は…今のこの状況じゃ、共にはいられない」
アメだってわかってくれている。仲は良い。だがそれでも、いや、だからこそ…。
仮に4人で共にいたとして、正面からの戦闘をすることはまず不可能。ならばシャードの力を常に使う…というわけにもいかない。あれは誤魔化しレベルもので、対抗するような力、つまり…探し当てる能力を持った者に対しては勝てない。
「…う〜ん。…あ!そうだ!」
良い事思いついた!と天使を抱えて立ち上がる。
「旅支度をしなきゃいけないから、明日、手伝ってくれないかな?私だけじゃ何か不備があるかもしれないし、さ」
アメの視線が床へ落ちる。
天使をベッドに下ろし、アメの前へ立つと…落ちそうになった大切な少女を救い上げる。
「今日と明日で、一杯思い出を作ろ?それで1年後、アメがそれでも気が変わらなかったら、助けに来てくれないかな」
「一回長く離れると、再会した時に、きっと飛んで喜べるよ?」
覗き込むように膝を折って屈み、アメと彼女の瞳の色が混じる。
不安の色は、それと真逆のものへとバトンタッチ。
顔は上がり、先程までのアメは何処かへ。
「っ…はいっ!先輩の物語のハッピーエンドは、私が導くんですからっ!」
タックル紛いに彼女へアメが抱き着く。そして勢いのまま倒され、マウントを取られてしまった。
胸元へ顔を埋め、上目遣い。…可愛い。
「ゔっ…取り敢えず、今日はもう解散で…」
「よ〜っし!そうと決まったら、その子も連れて、大浴場に行きましょう!」
話を聞いてないのか、或いはそのフリか。
パッと立ち上がり、アメは手を差し伸べる。
やれやれ…とそれを掴んで、彼女は立ち上がった。
「いや…バレるって」
「大丈夫ですって!シャード!」
アメの影からシャードが出現する。
「話は聞いてた!しょうがねぇから人肌脱いでやるゼェ!」
「さぁ、行きましょう行きましょ〜う!」
結局その日は…部屋に泊まるだなんて言い出され、帰って貰うまでにだいぶ時間が掛かってしまった。
別に泊まってもらっても構わなかったが…今日、彼女と過ごす初日の内に、すべきことがある。
彼女が学校で習ったのは宗教の教義やら、国の歴史、英雄譚、算術など…それに加えて、魔法も幾つか。
どれも召喚獣を補助する為の最低限レベル。しかし彼女は自主的に、自分も前に立つことを前提にした魔法も幾つか修得していた。
手を引いて部屋の中へ入る。
察したのか、そっと、送ってくれたシャードが2人の影から抜け出す。シャードに小さく礼を言い、部屋の扉を閉めた。
「…名前も、変えなきゃね…」
そう、学校での名前は本名を使ってしまっていた。だから彼女は…親から貰ったそれを、捨てなければならない。
同時に、自分の相棒に名前もつけなければならないだろう。
その為に、2人きりになったのだ。
手を離すと天使はまた、部屋の隅へ。まるでそれが癖のようだ。
…あれらの体の傷、不恰好な翼…。
考え至った結論は1つ。
少女はきっと…他の天使に虐められていたのではないか。
「…こっち、おいで?」
言われてすっと立ち上がり、ちょこちょこと歩き、ベッドに座る彼女の元へ。
目の前でただ立ち、次に言われる言葉を待っている。
腕を一杯に広げてみる。…解ってはいたが、少女は何も、彼女からはしてくれない。
「名前、無いんだよね?」
「…」
天使は黙って頷く。
「私が付けていい?」
「…」
天使は黙って頷く。
「…私もね、さっき名前を無くしたの」
「…?」
僅かにだが…ようやく反応を見せてくれた。
疑問符が浮いていたようにも見えたが、表情が乏しいためよく解らない。
幾年聳え立つ木のように立ったままの天使へ…両腕をそっと広げ、体を密着させ…腕で錠をかける。
一方的なそれに、やはり彼女は何も返してはくれなかった。
窓からの月明かりが照らす部屋、窓際にて、2人の影が重なっていた。
「だから…お互いにつけ合おう?名前」
肩に手を置き、天使の目をまっすぐに見つめる。その回る針は、何も変わることなく、また止まらない。だが…それの持ち主が変わらないとは限らない。
天使が頷いたのを見て、じゃあ…と、彼女は少し屈み目線を合わせ、天使の白い頬へ触れた。
「…夜々(やや)、それが、貴方の名前」
…この子には、朝よりも夜が似合う気がする。それは勿論、暗い意味ではなく…夜に……月と星だけの明かりの中で飛んでいる姿が、きっと綺麗だと思ったから。
頬から手をずらし、耳、そして髪へ。銀と金の髪は、なんだか無性に触りたくなる。
「…『ヤ…ヤ?』」
「どうかな?」
手を離し、ジッと天使の言葉を待つ。
今になって…少し恥ずかしくなった。
天使は……その時初めて、焦点を彼女に向けた。
「…解った。…ヤヤ」
やや…ヤヤ、夜々…。と、何度か確かめるように言葉に出すと、改めて頷いてくれた。
そして…窓の外へ顔を向ける。彼女も追うようにそれを見た。
「…あれ」
「『アレ』、が、私の名前?」
首を振る。
目線の先にあるのは、窓。そしてそこから見えるのは幾つもの輝く星々。
「窓?星?空?」
1つ1つ尋ねていくが首を振られてしまう。いっそ言ってくれればいいのだが…もしかしたらその概念を、名前を知らないのか。
「…?じゃあ、『夜』?」
首を傾ける。夜って何?と言っているのが、目で解った。
夜というものが、もしかしたら彼女がいた所には無いのかもしれない。
…夜々、という名前の意味を教えるのにも、いい機会かもしれない。
「太陽が沈んで、月だけが世界を照らす…この時間かな。太陽が昇る『朝』。太陽が沈み始める『夕暮れ』。辺りが暗くなって、星と月が姿を見せる『夜』」
少し考えるように、窓の奥へ目をやり…遠くを見つめる。
「……よる…」
口に出してそれを理解し、そして彼女は…彼女の呼び主を真っ直ぐに見つめ、その名を呼んだ。
「…『夜』」
…。
彼女の名前の意味は、まだ教えていない。それなのに…同じような名前を付けてくれた。
…きっと、お互いにお互いを、そう感じていたんだ。
眩しくはない、きっと…落ち着く。そんな時間。空間。…在り處。
彼女…夜々からの初めての贈り物。それを噛み締め…次には自然と、夜々を抱き締めていた。
「…貴方の名前の夜々っていう字にも…夜があるんだよ」
「…知らない」
「そうだろうね。…ありがとう。この名前、大切にするね」
「…」
天使はそれから何も言わず、黙って彼女…夜の手を受け入れていた。
一方的に触れ合いながら、夜々にこの世界での天使の立場を説明し、今後の予定も伝えた。
「…天使じゃない」
「え?」
下を向いた夜々の小さな声が彼女へ届く。
身長差のある2人、見上げる形になった夜は夜々の表情を見れない。
「…失敗作。天使…臣が造った天使の」
翼が開く。輪が浮かぶ。しかしそれらはボロボロで、薄くて…。
天使達が神へ位を上げる為の最終試験。自分たちと同じ天使を作ること。
しかし失敗、神には至れなかった。
「失敗作は…いらない」
目線が上がる。開いた窓の、そのまた更に奥を見つめるようにして、ただ真っ直ぐに。
暗い瞳には何も映らず、ただ、円を描くように針が動くのみ。
その機械的な動きは…生きているソレとは、常識の存在とは、大きく違うように見えた。
「それでも…私は夜々と、一緒にいたい」
「…?」
窓に向いていた視線が夜の元へ。刺さるというより、トンと触れるような瞳の力は、不安定で脆く思える。
「可愛いから……なんてね。貴方を呼んだのは私。きっとそれが、答えだよ」
『来て』と願った。そして、その願いに応えてくれたのは…傷だらけのジン造天使。
夜々は彼女の言葉に?を深めるだけしかできない。
「…いくつか約束して。知らない人と話さない、ついていかない。勝手に何処かへ行かない」
子供と母親がするような約束。言われずとも解っているとは思うが、一応に。
夜々はゆっくりと頷いてくれた。
「そして…辛くても、死なない。絶対に、一緒に生きるって」
もしかしたら、もう死んでいるんじゃないか。そう思ってしまう程に…夜々の身体は死んでいた。
瞳を閉じてしまうと、もう開くことはなさそうで…ふと、歩いているだけで、糸の切れた人形のように動かなくなってしまうのではないかと不安になる。
ジッとまっすぐ見つめ続け、返事を待つが…彼女はいつまでも、返事をしてくれることはなかった。
「…もう、今日は寝よっか。…ほら、一緒に、ね?」
ベッドに横たわり、奥へ詰めて夜々を手招きする。
何も答えず…しかしゆっくりと、隣へ入ってきてくれた。
天使は寝る必要は無い。
腕の中に閉じ込められた夜々は、彼女をこの世界へ呼び寄せた張本人をマジマジと見つめていた。
カーテンによって僅かな光さえも遮られたその部屋は真っ暗で、今まで感じたことの無い布団の感覚は…腕の中は、そのくせ暖かい。
気持ち良さそうに眠る夜は、趣味が寝ることだと言えてしまうぐらいには、睡眠大好きだ。
それに抱き枕まで与えたならどうなるか…きっと良い夢を見ているに違いない、頬が緩んでいた。
対する夜々は、何をされようと無表情…幸せそうな抱き手にされるがまま。
その必要はないが…幸福に埋もれた彼女を真似て、瞼を閉じることにした。