プロローグ
「杖は行ったか?」
「はい。拾ったのはあの男です」
物置部屋の外から声がする。
少女はその声を右から左へ聞き流していた。
ボロボロの体、服、そして翼。
ここは天使の住む空の上、人間の住む世界とは分けられた世界。
そこに生みだされた天使…少女は名前もつけられぬままに、屍に等しい状態で、ただ生きていた。
たまに意味もなく暴力を振るわれるため、身体中に打撲痕があった。特に足は、移動を制限させるために焼かれ、火傷の跡がひどい。無論天使の光魔法ならば痕も消せるが、彼女にそれをする自由は無かった。
長い時を生き続けている天使達に、生まれたばかりのような純粋な光は残っていないらしい。
新魔法、新薬、新兵器…それらの的にされたこともある。
抜けるはずのない羽根の量が減ってしまったのはそれらのせいだ。
「何年ぶりだ?天使があの世界に行くのは」
「さぁ…私が生まれるよりも前ですから、少なくとも700年は前だったかと」
「誰が呼び出されるんでしょう…」
「大天使様じゃないか?前回はそうだっただろう?」
「いやいや、誰が呼び出されるか解らないですよ。だって召喚の基準は…」
複数人の話し声がそこから遠ざかっていく。どうやら彼らにとっては滅多にない楽しみらしい。
天使が神になるための試練。それは…天使を生み出せるようになること。
その言葉の意味を考え、研究し、生み出された彼女は…瞳に異常があった。
全く予想だにしなかった、原因も解らないそれ。
天使が創れなかった彼らは、それ以来神の声を聞けていない。
「………」
光の無い瞳。そこには…奇妙なものがついていた。
致命的な欠陥。…異常。そもそも時計という概念自体、誰かが必要だから作り出したものだ。神には必要ない。そんなものを持っている天使なんて…ありえない。
『…きて』
聞いたことのない誰かの声が聞こえた。
その目を開ける。
薄暗い部屋には自分1人しかいない。
『来て』
声はもう一度届く。女の人…優しさと凜とした雰囲気を持った声だ。
『来て…私の…』
誰かを呼んでいるんじゃない。…自分を、自分だけを…呼んでいる。
「…いく」
瞳を閉じて、翼を広げる。それは少女の体を抱きしめるように包む。
造られた体は光と化して、天使は…一人きりの暗い部屋から姿を消した。