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第二片 7

「なに見てるの?」

 立ち止まって空を見あげていたカリンを振り返り、陽平が訊ねた。

「ううん。なんでもない」

 風にかき乱される髪をおさえ、カリンは早足に陽平を追いかける。

 ここ数日部屋に籠もりきりだった彼女を、陽平は散歩に連れ出した。

 数分の距離を歩いて、空船公園に到着。

 日曜日ということもあってか、家族連れの姿が多く見られた。

 空船公園は、敷地内に野球場と巨大な人工池を備えた大公園であり、中心には名前の由来となった帆船のオブジェが、舳先を垂直に天へと突き出した格好で聳え立っている。

「もう、だいぶ散っちゃったね」

 陽平がしみじみと言う。

 外周をまわる散歩道沿いに植えられている桜は、盛りをすぎて葉桜へと変わっていた。

 日差しの強さも、風の匂いも、はじめてやって来た頃とはちがう。すこしずつ。確実に、季節は移ろっているのだ。

 陽平と並んで歩き、今この時に在る、おなじ景色を眺める。なぜだかとてもまぶしい。

 すれちがう人をよけた拍子に、肘と肘がふれあった。慌てたように謝罪する少年に、軽く微笑んで平気だと伝える。

 穏やかな時間。傍から見れば。

 カリンは密かにスカートのポケットに手を差し入れ、そこにある石を握りしめた。


 紅色あかいろ滴る、大粒の宝石。


 幻獣カーバンクルの額に輝き、つがい同士で意思疎通するのに用いるとされる魔法石である。

 対となるもうひと粒はタイカにあり、念じることで信号を送ることができる。

 昨晩、これを使ってメッセージを送った。


 ――障害発生。至急援軍求ム。


 本当なら、すべてが終わるまで使うつもりはなかった。

 だが、想定外の出来事が次々に起こり、そんなことは言っていられない状況になった。とてもではないが、カリン独りでは対処しきれない。

 恥を忍んでの援軍要請である。

 ちゃんと届いただろうか。もしそうなら、そろそろなんらかの反応があってよい。

 陽平の誘いに応じたのも、それとなく《門石ヤーヌシュタイン》のようすを見るためだった。

「なにかあるの?」

 知らず知らずのうちに、また空を仰いでいたらしく、陽平に見咎められた。

「カリン姉ちゃんてさ、ときどきそんなふうに、ぼーっとするよね」

「そ、そうかな? 今日はほら、久々に外に出たから。そしたら、空がきれいだなーって」

 そっか、と陽平は安心したように笑った。こんな見え見えの嘘でも、彼は信じてくれる。

 だが、今日はそれだけで終わらなかった。

「でも、カリン姉ちゃんを見てると思うんだ。姉ちゃんさ……きっと、ここじゃないどこか――オレの知らない、どこか遠くを眺めてるのかなって」

 寂しげな声。

 ひょっとしたら、見透かされているのかもしれないと思った。操心術でも、無意識に出てしまう仕草や表情はごまかせない。

「そんなこと、ないって」

 なおも嘘を重ねようとする自分を、カリンは嫌悪した。

 これは未練。故郷に残してきた弟を、この少年に重ねているだけ。

 振り捨てていかねば、つらいのは自分だ。

「カリン姉ちゃん……!」

 突然、なにかを察したのか、陽平がカリンの腕をつかんだ。

 心が揺らぐ。他人の心をいいように弄ったくせに、自分のそれは御しきれないとは皮肉にすぎるだろう。

「陽平、私は――」

 そのとき、まったく予想もしていなかった方向から、場違いに陽気な声が響いた。

「あらあら。愁嘆場というやつかしらァ?」

 振り返ると、《こちら側》の人間とは明らかにちがう格好の人物がふたり、歩いてくるのが見えた。

 ひとりは白地に金糸の装飾という華美な軍装を纏った美女。もうひとりは、直立した牛と見紛うほど大柄で魁偉な風貌の女であった。

「お久しぶりねえ。ずいぶん捜しましたわよ、カリン・グラニエラ」

 派手派手の美女が、毒々しいほど紅く塗ったくちびるの端を、きゅっと持ちあげた。

 とがった耳と二本の角は、上級奈落人(アビエント)の標準的特徴である。特に、彼女の角は節がなく、ゆるく彎曲して天を衝いているさまが美しい。

 吊りあがった切れ長の瞳は、極地の氷を思わせる青。色素の薄い金髪は入念に縦巻きにされ、死人のように白い肌からは妖しい色香を放っている。

 とりわけ目を引くのは、太股を跨って彩るコウモリのタトゥーだった。

 若干気圧されながらも、カリンは挨拶を返した。

「元気そうね。……アルメリア・で、でへ……んにゃめりあ?」

「アルメリア・デ・ヘルメリアですわ!」

 ごまかそうとしたが駄目だったらしい。

 美女は、くわっと目を見開き、軍靴の踵をヒステリックに踏み鳴らした。

「うるさいわねえ。言いにくいのよ、あんたの名前」

「なんて失礼な女。きっと、落ちぶれると舌が短くなるんですわね」

「ほざいてなさい。……で、そっちの人は?」

「三豪のモルガルデン。聞いたことはないか?」

 カリンとアルメリアのやりとりをニヤニヤ眺めていた大女が、しわがれた声で言った。

「西方戦線で暴れまわっていたとかいう?」

「嬉しいねえ、邪神殺しの英雄様がご存じでいてくれたとは」

 モルガルデンは、アルメリアよりもだいぶ軽装で、鍛え抜かれた肩や腹筋が惜しげもなく晒されている。

 手のひらをこすり合わせ、牙を剥いて笑うその仕草には、獣じみた野卑さがあった。

「奇妙なふたつ名だったから、よく憶えているわ。たしか剣豪、酒豪……それと、なんだったかしら?」

「性豪よ」

 モルガルデン本人ではなく、アルメリアが吐き捨てるように言う。がははは、とモルガルデンは豪快に笑った。

「そのとおり! ダンデラ族のモルガルデン、故に号して三豪と称す、ってなもんよ!」

「下品極まりないですわ」

 アルメリアは顔をしかめ、懐のハンカチで鼻を押さえた。

「カリンさんも、油断してると食べられちゃいますわよ。主に性的な意味で」

「がっはは。おめえも大概下品じゃねえか!」

「ちょっと、叩かないでくださる? 貴女とちがって身体の造りが繊細ですのよ」

 名門出身のアルメリアと、腕っぷしだけでのしあがってきたモルガルデン。どう考えても水と油の組合せで、ふたりがいっしょにいるところを、これまで見たことはなかった。

「あなたたちが援軍ってことでいいのよね?」

「そうですけど、通信にあった障害ってなんのことですの? よほどのことがない限り、貴女に助けなんて要らないでしょう」

 なんと答えたものか一瞬迷ったが、結局カリンはありのままを伝えることにした。

「強敵が現れたわ。私ひとりじゃ太刀打ちできないほどの」

「おいおいおいおいおいおいおい!」

 モルガルデンが愉快そうに声をあげた。

「太刀打ちできないって、マジで言ってんのか? 邪神殺しの英雄様が? 相手はどんな奴だよ。まあ大方、転生体でも戦闘に特化した奴とか、そんなんだろうけどよ」

「人間よ」

 それも、ごく普通の。いちおう、現時点ではという注釈はつくが。

「フザけんなァ!」

 とたんに、モルガルデンは激昂した。

 岩の塊のような拳が、カリンの頬を打擲する。たまらず吹っ飛び、地面で額をこすった。

「なにするんだ、このデカ女!」

 転倒したカリンとモルガルデンのあいだに、陽平が割って入る。

「カリン姉ちゃん、大丈夫?」

「お、なんだい坊や。いっちょまえにナイト気取りかい――って、へへえ。こいつァ……」

 頭から爪先まで陽平を眺めまわしたモルガルデンが、好色そうに舌なめずりした。

「なかなか、いい子を飼ってるじゃあないの、カリンちゃんよう」

「悪趣味ですわね。地表人デアマントの幼体じゃありませんの」

「問題ねえよ。ウチの先祖はオークともヤってんだ」

 ぐへへへ、と笑うモルガルデンは、涎を垂らさんばかりだ。アルメリアが、理解できないと言いたげにため息をつく。

 いけない。

 このままでは、陽平が酷い目に遭わされる。

 カリンは痛みをこらえて立ちあがった。

地表人デアマントじゃない。こっちの世界の……人間よ……」

「どっちでもいいさ、ンなこたァ!」

 モルガルデンは唾を飛ばして吼えた。

「アビエントラントの騎士ともあろうモンが、ただの人間に遅れを取ったってェのか! テメェ腑抜けたか、それともおちょくってんのか、アア!?」

「わたくしも、ちょっと信じられませんわ」

 アルメリアが、疑わしげな視線をカリンに向けた。

「不甲斐ないのは百も承知よ。でも、本当なの。……悔しいけど、いまの私じゃ勝てない……お願い、力を貸して」

 カリンは低頭して懇願した。

 援軍がこのふたりというのはなんとも複雑な気分だったが、味方にはちがいない。

 アルメリアが小気味よさそうに笑った。

「はン。悪くない気分ですわ。貴女が立場をわきまえ、わたくしの指示に従うというなら、協力してさしあげてもよくってよ」

「……構わないわ」

「いいお返事」

 アルメリアはにっこりと微笑んだ。モルガルデンも、己の手のひらに拳を打ちつける。

「まあいいか。オレも、お前にそこまで言わせる相手がどんなモンか、興味が湧いてきたぜ」

「それじゃあ、いきますわよ。カリンさん、あなたのねぐらに案内なさいな」

「いえ、あそこに三人は手狭だわ」

「なあに、そこから探さなくちゃならいんですの? ……べつに、いいですけれど。来る途中、目をつけておいたところもあることですし」

「ま、待ってよ! いくって、どこに?」

 歩き出しかけたカリンの背中に、陽平の叫び声が突き刺さった。

 カリンは立ち止まって一瞬考え、それから踵を返して陽平のところにもどった。

 青ざめた陽平の、不安に駆られた瞳が見あげてくる。

「嘘だよね? カリン姉ちゃん、どこにもいったりしないよね?」

 カリンは少年の頬に手を添え、その瞳を覗き込んだ。

 パチッ、と静電気の弾けるような音がした。

 同時に、陽平の瞳から色彩が失われる。

「あなたにかけた操心術を解いたわ。これまでのことは、悪い夢だと思って忘れなさい」

 陽平の反応はない。だが、これは術を解いたショックで放心しているだけだ。数分もすれば気がつく。

 家族に対する想い――それを思い出させてくれた陽平には感謝している。

 できることなら、こんな別れ方はしたくなかった。

 しかし、そういう相手だからこそ、これ以上巻き込むわけにはいかないのだ。

 不自然な状態で、ずるずると関係を続けるわけにはいかないのだ。

「さよなら。……ごめんね」

 カリンは、少年の肩を軽く押した。

 ぺたん、と尻もちをつく。

 その姿勢のまま、彼は虚ろな表情で、なにもない空を見つめ続けた。


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