15日目 月曜日
――22日後、深夜の病院。
「う゛あああああああああああああああああああっ!!」
うなり声を上げながら、オレは病室のベッドから跳ね起きた。
「はぁ……はぁ……はぁ……ぐっ!」
心臓の鼓動が高鳴っているのがわかる。全身から、嫌な汗も流れ出ているようだ。
な、なんだ? さっきの光景は? もしかして、夢を見ていたんだろうか?
……いや違う、そんなわけがない。あれは全部、実際に起こったことだ。
オレ自身が体験したことだ。
それなのに――それなのに、どうして忘れていたんだ!
なんであのときの記憶が、曖昧なままになっているんだ!!
「う、うう……」
オレの彼女である結梨花は、すでに死んでいる。そして両親も、とっくの昔に亡くなっている。
にもかかわらず、オレの記憶は幸せなものに書き換えられていた。
間違った思い出を与えられていた。
……その理由も今ならなんとなくわかる。
あのときのオレは、結梨花のあとを追うことしか考えていなかった。
そんなオレを止めるために、茉莉花が偽りの記憶を与えたんだろう。
「茉莉花」
もし、嘘の幸福を与えられたままでいたら、どんなに幸せだったろう。
真実を思い出さずにいたら、どんなに救われただろう。
でも、それではなにも解決しない。自分のやるべきことを忘れたままになってしまう。
だから――だから、向き合わないと。
忘れたくても忘れられない、残酷な記憶……結梨花を失ったという、無慈悲な現実に。
「うっ!?」
突然、死への衝動が自身に襲いかかってきた。
こんなところにいるべきではないと……結梨花のいる世界に迎えと、心を突き動かされてしまう。
こっ、これがゴシックの瞳の呪いなのか。
依存の相手に死なれたら、問答無用で自害の道を迫られる。しかも、どうあっても拒むことができない。
「いや、ダメだっ!! 今はまだ、死を選ぶわけにはいかない!」
オレはわきあがる感情を、必死に抑え込もうとした。
どうしてこんな状況におちいったのか……
いったい誰がこの世界を操っているのか……
それを知らないまま、死ぬわけにはいかない!!
「だから……だから、消えてしまえっ!!」
心を強く持ち、死への衝動を打ち消そうとあがいた。
すると突然、体の内側からなにかが砕けるような音がしてきた。
同時に、気持ちがすこしだけ落ち着いてくる。
今のはいったい?
なんだか、自分の心の中にある感情のひとつを、つぶしたような感覚がした。
でも、そのおかげで死への衝動を抑えることができた。
……どんな犠牲があったにしろ、生き残ることができたんだ。今はそれを受け入れよう。
「ふぅ……」
額から滴ってくる汗を、手で払いのけようとした。
「づっ!」
しかし、手首に激痛が走り動かすことができなかった。
ああ、そうだった。自分の両腕がどういう状態なのか忘れていた。
オレは包帯を巻かれた両手首を見つめた。
これ、ほとんど使い物にならないだろうな。
両足だけでなく、両手までも使えなくなってしまったから、この先、今まで以上に不自由な思いをするだろう。
いくつかの神経はかろうじて残っているから、激しい痛みも襲ってくる。
痛みがあるだけマシって、医者に言われはしたけど……正直、自分の体のことなんて、どうでもいいと思った。
今のオレには、やらなければいけないことがある。
そう……記憶と意識がはっきりした今こそ。
これまで自分のまわりで起こったことを理解し、これから先、なにをするべきかを考えるんだ。
…………………………。
すべては、5週間前の水曜日が始まりだった。
あのときオレは茉莉花が死んだと思い込んで、自ら死を選んでしまった。
しかし結梨花に止められて、生き残ることができた。
そのとき、ゴシックの瞳を得たんだと思う。
もともとゴシックの瞳を持っていた結梨花は、オレが同属になったことに気づいて、自分の力を使って恋人同士になるようにしたんだろう。
そうすることで、生きる目的を与えようとしてくれたんだ。
そのおかげで、オレは幸せな世界に浸ることができた。茉莉花を失った悲しみを消し去ることができた。
でも、そんなものは嘘の幸福にすぎない。偽りの関係を続けていれば、いずれはひずみが生じてしまう。
現に、茉莉花は生きていた。
そしてオレの心変わりを、茉莉花は不審に思ったようだ。
当然か。自分で決めた約束を反故にして、結梨花と付き合ったんだから。
結梨花の方も、オレの心を動かしたことに責任を感じていたみたいだ。
だから、力の影響を消し去るために、自ら死を選んだのだろうか? あいつはオレが、ずっと茉莉花のことが好きだったって知っていたみたいだし。
「くそっ」
そのことを、オレがちゃんと理解していれば……
結梨花の気持ちに気づけていれば……
あんなことには、ならなかったのに。
結梨花は自分が死ねば、力の効果はなくなると思ったのかもしれない。
でも、実際はそうはいかなかった。
これは使用者が死ねば効果が消えるようなものではないようだ。永遠に続く、呪いといったところか。
現に結梨花を失ったオレは、すぐにあとを追おうとした。
しかし、茉莉花に止められてしまった。
そして編集長が持ってきた変な薬を使って、記憶を書き換えられた。
茉莉花もオレに、嘘の幸福を与えた……というわけか。
「…………」
だからといって、茉莉花を責めることはできない。
そうしていなければ、オレはとっくの昔に死んでいた。
間違った方法だとわかっていても、そのときはそれが最善策だったのだろう。
「情けない……よな」
本当に、自分が惨めな存在に思えてくる。
妹たちが与えてくれた嘘の幸福がなければ、生きることすらできなかったなんて。
オレは、なんて弱い人間なんだろう。
もしあのとき、今と同じように強い心を持っていれば、茉莉花に辛い思いをさせることもなかったのに。
違った未来も、あったというのに。
…………………………。
過ぎたことを嘆いても仕方ない。とにかく今は、状況をもっと整理しよう。
そのあとオレは天馬さんの手によって、自分の家から琉璃佳のお屋敷に移されたみたいだ。
なぜそんなことをしたのか、今ならわかる。同属同士を引き合わせることで、心を閉ざしたオレをどうにかしたかったんだろう。
そして天馬さんも、如月家で起こっている問題を改善させたかった。
それ以外に、ゴシックの瞳に対する解決策がないのだから。
翌週、オレはお屋敷で過ごすことになった。
そこで琉璃佳と出会い、彼女を救いたいと思った。
そう、オレは同属の明日佳さんではなく、琉璃佳の方にひかれたんだ。それは琉璃佳が、まわりに強い影響を与える存在だったからだろう。
しかし、彼女を救うことはできなかった。
そのときのショックで、オレは再び心を閉ざしてしまった。
結局、オレはあのお屋敷でなにもできなかったんだ。
…………………………。
そして2週間前に、この病院に来ることになったわけか。
どうやら鈴風さんが、ここまで運び込んでくれたようだ。
そしてここでも、お屋敷のときと同じように、同属である紗耶香と引き合わされた。
そのおかげで心を閉ざしていたオレは、再び世界に興味を持つようになった。
多分、紗耶香に会っていなければ、なにも変わっていなかっただろう。オレはずっと弱い存在のままだったに違いない。
それから数日間、紗耶香といろいろな話をした。
ごく普通に接していたつもりだったけど、実際は彼女と同じ目線になれてはいなかった。
中途半端なやさしさと無責任なおせっかいで、紗耶香の心をかき乱しただけだ。
その結果が、この両足というわけだ。
「世の中、うまくいかないことばかりだな」
オレは紗耶香のことも救えなかった。
…………………………。
でも、先週は嬉しいこともあった。
琉璃佳が生きていてくれたことだ。あのときは心の底から喜んだ。
だけど、オレは大切なことを忘れていた。
琉璃佳にゴシックの瞳の力を使っていたことを……そして、オレをかばって自ら死を選んだことを。
どうやらそのとき、琉璃佳もゴシックの瞳を持ってしまったようだ。
だから――だから琉璃佳は、紗耶香を傷つけたのだろうか?
オレを守るために。
う〜ん……どうもその辺のことが、はっきりしてこない。
たしかに琉璃佳はオレに依存していたし、本人もそのことを自覚していた。
でも、だからといって琉璃佳があんなことをするだろうか?
「こればっかりは、すぐに答えを出せそうにないな」
とにかく、あのあと病院内は大騒ぎになった。
異変に気づいた看護師さんたちがつめかけてきて、その場で琉璃佳は取り押さえられてしまった。
紗耶香も看護師さんに運ばれていったから、それから2人がどうなったのかはわからない。
紗耶香は無事なんだろうか?
琉璃佳はどうしているんだろう?
今のオレには、それを確認する手段がない。
「はあ……」
なにげなく近くにある時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしているのがわかった。
あの一件から、まだ2日くらいしかたっていないのに、なんだか遠い昔のことのように思えてくる。
解明しなければいけないことは、まだまだたくさんある。
すべての記憶を取り戻した今こそ、それらをひとつひとつ解き明かしていこう。
そして、すべてを終わらせることができたら……この病院を出よう。
自分自身の、けじめをつけるために。
インタールード
「はぁ……はぁ……はぁ……」
閉ざされた部屋の中、私はベッドの上で痛みと戦っていた。
なんなのよ、あの女は。いきなり攻撃してくるなんて。
……傷が思った以上に深い。しばらくは動けそうにないか。
でも――このままではすまさない。すませるわけがない。
だって彼の『彼女』は、私なんだから。
「絶対に、あきらめたりするもんですか」
「へぇ。久々に会いに来てみたら、大変なことになっているね」
「誰?」
「こんばんは、夢灯紗耶香ちゃん。僕のことを覚えてくれているかな?」
この男は……たしか以前、声をかけてきた雑誌の編集者。
「あなた、どうやってここに?」
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。それより、なにがあったのか教えてほしいんだけど」
「…………」
「僕はここに来ることができるほどの力を持っている。話してくれたら、君の力になれると思うよ」
「どうやらあなた、普通の人間じゃないようね」
「そういう君も……ね」
「……いいわ。手を組もうじゃない」
手駒は多いにこしたことはない。
「ふふ、お互いの利害が一致してなによりだよ」
私はこれまでの出来事を、男に話すことにした。
それからしばらくして――
編集者が去ったあと、彼女が部屋にやってきた。
「アノ男、信用デキルノ?」
「どうかしら」
「コレカラ、ドウスルツモリ?」
「彼を、私だけのものにしてみせるわ」
「ダッタラ」
「ええ、邪魔者はすべて排除するつもりよ」
「…………」
「だから――これからも力を貸してよね……姉さん」