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8日目 月曜日~14日目 日曜日

         8日目 月曜日


「あ、あれ?」

 目が覚めると、なぜか自分の部屋にいた。

 なんでオレ、こんなところで寝ているんだろう?

 どうも記憶がはっきりしてこない。もしかして、夢を見ていたんだろうか?

 そんなことを考えながら、起き上がろうとして――


「痛っ!?」


 後頭部に痛みが走った。

 ……なんだ?

 不審に思いながら頭の後ろに手を当てると、すこし膨らんでいるのがわかる。

 どうやら、頭を怪我しているみたいだ。

 たしか、あのとき転んで――


「……っ!?」


 脱衣所での出来事を思い出して、直前の記憶もはっきりしてきた。

 そうだ。なにを楽観的なことを考えているんだ。あれが夢であるはずがない!

 オレは結梨花を……失ってしまったんだ。


「うっ、あああああああああああああああああっ!!」


 悲鳴を上げると共に、涙があふれ出してきた。

 そしてこの世界の、すべての事柄に対して関心がなくなっていく。


「あ、あああ……」


 ここは、オレのいるべき世界じゃない。

 行かないと……結梨花のもとに行かないと!


「兄さま!」

「まり……か?」


 心を乱していると、あわてた様子で茉莉花が部屋に入ってきた。


「大丈夫ですか? 兄さま」

「あ、ああ。すこし頭が痛むけど」


 ベッドのそばまで寄ってきて、心配そうな目で見つめてくる。

 そんな茉莉花に、オレは真っ先に聞きたいことを口にした。


「茉莉花、結梨花は……結梨花はどうなったんだ?」

「…………」

「教えてくれ、茉莉花!」

「今日、警察の方が来られました。遺書があったので自殺として扱われ、事件性はないものとされたようです」

「遺書?」

「はい、『すべてに疲れたから、ラクになりたい』と、姉さまの字で書かれた手紙が、部屋の机の上に置いてありました」

「そんな、なんで――なんで結梨花が、自殺をしたんだ!」

「それは……」

「オレになにも言わずに、勝手に死ぬなんて……そんなの許せるわけがない! 結梨花の存在が、『オレの生きる目的』だったのに」

「えっ!?」

「行かないと……結梨花のいる世界に。そこがオレのいるべき場所なんだから」

「ま、まさか、力の効果が……続いている?」


 わなわなと震えながら、茉莉花がオレのことを見つめてくる。


「そんな、姉さまが死んでも、兄さまにかけられていた力が消えないなんて。それじゃあ、なんのために――なんのために、姉さまはっ!」


 茉莉花の様子がおかしかったけど、今のオレにはそんなことどうでもよかった。

 早く結梨花のあとを追いたい! そのことしか考えられないでいた。

 痛む頭を押さえながら、ベッドから起き上がろうとする。


「兄さま、まだ寝ていないと」


 しかし、茉莉花がオレの両腕をつかんで押し戻そうとしてきた。


「茉莉花、放してくれ」

「放しません。兄さまはまた、姉さまのあとを追うつもりですか?」

「ああ、そうだ」

「それでは姉さまの死が、本当に意味のなかったことになります」

「茉莉花、おまえは結梨花の自殺の理由を知っているのか?」

「え、ええ……でも、それを兄さまに言って、理解してもらえるかどうか」

「別にわからなくてもいいさ。知ったところで、オレのやるべきことが変わるわけでもないし」

「兄さま!」


 茉莉花の腕を強引に振り解いて、オレはベッドから起き上がろうとした。

 すると――


「はい、そこまで」

「えっ、うっ!?」


 目の前にいきなり編集長が現れて、腕にちくりとした痛みが走った。


「な、にを……」

「すこしの間、眠っていてもらうよ」


 自分の腕に視線を移すと、編集長がオレに注射器を刺しているのがわかる。


「あ、ああ……」


 なにかの薬を打たれたのだろうか? だんだん意識が、まどろんでいく。

 いや、まどろむというより、壊されていくような感じがする。

 そのまま、ゆっくりと瞳を閉じて……オレは再び眠りについた。



         9日目 火曜日


「うっ……」


 目を開くと、自分の部屋にいることがわかった。

 あれ? オレ、どうしたんだろう……なんだか、頭がボーっとする。

 まるで自分の記憶と意識が、薄らいでいくような感じだ。

 いや、薄らいでいくというより、溶かされていくと言った方がいいだろうか。

 同様に、自らの体に対する感覚も希薄になっていく。


「どうやら、気がついたみたいだね」

「編集長? どうしてここに?」


 なぜかオレの部屋に、編集長がいた。


「君がいつ目を覚ましても対応できるように、茉莉花ちゃんと交代で見ていたんだよ」

「茉莉花? 茉莉花はどうしているんですか?」

「自分の部屋で休んでいるよ。ここ2、3日、警察への対応や、葬儀のこととかで忙しかったのに加えて、君のことまで心配しないといけなかったからね。さすがにこのままだと倒れかねないんで、僕が助っ人として来たわけさ」

「警察? 葬儀? なんでそんなことを、茉莉花がやっているんですか?」

「覚えてないのかい?」

「なにをですか?」

「へぇ、これは驚いたな」


 そういえばオレ、怪我をしていたような気がするけど……

 体からは痛みを感じないし、怪我をしていたのかどうかもわからない。


「今の状態なら話しても問題ないだろうから、ちょっとだけネタばらしをしてあげよう。君に使ったのは、心を病ませる薬なんだ。これを使えば痛みを感じることがなくなるし、理性すら消し去れるから、強力な兵士を作ることができるんだ」

「は、はあ……」

「でも、もともと心が壊れているゴシックの瞳を持つ人間に使うと、こういう副作用が出るみたいだね」

「なにを……言っているんですか?」

「ああ、気にしなくていいよ。どうせすぐに忘れるだろうし」

「えっ、あっ!?」


 いつの間にか、編集長がオレの腕に注射器を指していた。

 でも、全然痛みを感じない。そしてまた、記憶が薄れていく。


「この際だから、君にはもうすこしデータ取りに付き合ってもらおうかな。おもしろいサンプルになりそうだし」

「う、うう……」


 自分の意識がどんどん遠のいていく。

 なんの抵抗もできないまま、オレは闇の中へと落ちていった。



         10日目 水曜日


「茉莉花?」


 目を覚ますと、心配そうに覗き込む茉莉花の顔があった。


「兄さま、起きたのですか?」

「ああ、おはよう」

「おはよう……ございます」

「なんか、けだるい感じがするんだけど」

「それは多分、痛み止めの薬によるものだと思います」

「痛み止め?」

「はい、編集長からいただいたのですが」

「そうか。でも、なんでオレはそんなものを使っているんだ?」

「えっ!?」

「どこか怪我でもしたのか?」

「兄さま、覚えてないのですか?」

「どうも、ここ数日の出来事がよくわからないんだ。なんていうか、自分の心を……なにかに操られているような感じがして、記憶が混濁しているんだ」

「そんな……」

「なあ、結梨花はどうしているんだ?」

「……っ!?」

「自分の部屋にいるのか?」

「その、姉さまは……姉さまは……」

「結梨花に、なにかあっ――」


 不意に、結梨花の身に起こった出来事を思い出した。


「うっ、あああ……」

「兄さま?」

「そうだ……そうだった。結梨花はもう、いないんだ」

「お、落ち着いてください。兄さま」

「行かないと。結梨花のもとに……いかないと……」


 オレは再び、自ら死を選ぼうとした。


「……っ。これでは、また同じことの繰り返しになってしまう」

「茉莉花?」

「兄さま、ごめんなさい」

「えっ?」


 茉莉花が机の上に置いてあったアンプルらしきものから、注射器を取り出してきた。

 そしてそれを、オレの腕に刺してくる。


「うっ!?」

「もう、これを使うしか方法がないのです」

「な、なにを……」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい」


 泣きながら茉莉花が謝罪の言葉を述べてくる。

 その声を聞きながら、オレは意識を失っていった。

 同時に、なにかよくわからないものに……自分の心が侵食されていく。

 まるで、暗闇に飲まれるかのように。



         11日目 木曜日



「どういうことですか!」


 ……ん?

 目を開けると、必死の形相で編集長にくってかかる茉莉花がいた。


「なんのことかな?」

「とぼけないでください! あの薬は、いったいなんなんですか!」

「なにって、ただの鎮痛剤だよ」

「嘘! それでどうして兄さまの意識が弱まって、記憶が混濁したりするんですか」

「いいじゃないか、それくらい」

「それくらいって――」

「この薬がなかったら、彼はとっくの昔に自害していただろうし」

「……っ」

「困るよなぁ、ホント。ゴシックの瞳の持ち主は、第2段階の時点でみんな自殺するんだから」

「兄さまが、そうだというのですか?」

「ああ。第1段階になったのは、茉莉花ちゃんが死んだと思い込んで、あとを追って自殺しようとしたからだろうね。そして結梨花ちゃんの死が、第2段階へと進めたわけだ」

「あなたは、兄さまをどうするつもりですか?」

「死なせたりはしないよ、絶対に。貴重な力の持ち主であることに変わりはないし」

「…………」

「でも、このままだとじり貧にしかならないだろうね。薬でごまかすにしても限界があるから」

「それじゃあ、どうすれば」

「一応、打開策はあるんだ」

「本当ですか!?」

「だけど準備をする必要があるから、それまで彼を死なせないようにしてもらえるかな」

「そんな、どうやって……」

「幸いにも記憶が混乱しているみたいだし、一時的でもいいから、幸せなときの記憶でも植えつけておいたらどうだい?」

「幸せなときの記憶?」

「そうすれば、今すぐ自殺することもないだろうし。たとえそれが、偽りの幸福であったとしてもね」

「そうするしか、ないというのなら。わたしは……わたしは――」


 また、意識がもうろうとしてきた。

 さっきまで茉莉花と編集長が、なにを話していたのかも思い出せなくなっていく。

 オレはいったい、どうなってしまうんだろう。

 この先、どうなっていくんだろう。



         12日目 金曜日


「兄さま」


 目を覚ますと、さみしそうに微笑む茉莉花の顔があった。


「なんで茉莉花がここに……ってか、なんでオレは寝ているんだ?」

「そ、それは――」

「まあ、いいか」

「え……」


 なぜか部屋の中で寝ていることに、それほど疑問を感じなかった。

 普通なら、おかしいと思うはずなのに。


「なんかさ、すべてのことがどうでもいいように感じるんだ。よく覚えてないけど、すごく悲しいことがあったのに、それがなんなのか思い出せないし、思い出したいとも思わない」

「…………」

「こんなことを言うと、おかしいって思われるかもしれないけど、自分が今、なんのために生きているのか……なにを理由に生きているのかわからないんだ。だから、このまま死んでもいい気がしてくる」

「そんな、兄さまが死んだら、姉さまが悲しみます」

「結梨花が?」

「はい」

「そういえば、結梨花はどうしているんだ?」

「えっ?」

「なんだか、ずいぶん長い間会っていないような気がするんだけど」

「……っ」


 なぜか茉莉花が、つらそうな表情をした。


「どうしたんだ?」

「その、姉さまは今、撮影で……海外に行っています」

「海外に?」

「はい、終わったら戻ってきてくれますから」

「そっか。でも、1人で大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。ええと……その、父さまと母さまも一緒ですし」

「ああ、なら心配ないな。いいよな〜、なんでオレたちだけ留守番なんだろう?」

「兄さまは、怪我をしたので仕方がないです」

「怪我? オレ、そんなのしたっけ?」

「あっ、でも、すぐに治るはずですから」

「もしかして、茉莉花はオレの看病をするために残ったのか?」

「は、はい」

「なんか、悪いことしちゃったな」

「そんな……」

「じゃあ、みんなが帰ってきたら、今度こそ家族そろって旅行に行こう」

「家族みんなで……ですか?」

「うん。オレと父さんと母さん、そして結梨花と茉莉花。みんなで一緒に行こう」

「……っ。そう……ですね。それはすごく、楽しいことだと思います」


 オレの提案に、茉莉花は笑顔で賛同してくれた。

 だけど、その表情がすこし硬い感じがした。

 それなのに、特に気に留めたりはしなかった。


「今ごろみんな楽しんでいるのかな?」

「ええ、こことは違う世界で、みんな楽しく過ごしているはずです。だから、なにも心配しないでください」


 茉莉花の瞳から大粒の涙が流れ落ちている。


「どうしたんだ? なにを泣いているんだ?」

「な、なんでもないです」

「でも――」

「本当に、なんでもないですから」

「…………」


 そう言いながらも、茉莉花はずっと涙を流し続けていた。

 泣かないで……くれ。オレはおまえの泣き顔だけは、見たくないから。

 茉莉花には、いつも笑っていてほしいから。だからオレは、おまえとずっと一緒にいようと……おまえを守っていこうと誓ったんだ。

 あれ? なんでオレは茉莉花と一緒にいようとしたんだろう? オレには、結梨花っていう彼女がいるのに。

 ……彼女? オレの彼女は、結梨花だよな。

 でも、どうしてオレは結梨花と付き合うことになったんだろう? そのきっかけがわからない。まったく思い出せない。


「さあ、もう休んでください」

「あ、ああ」


 いろいろと疑問に思うことがあったけど、なぜかそれを深く追求しようという気にはならなかった。


「次に目が覚めたら、違う世界が待っているはずですから。そこならきっと、兄さまを救ってくれて、すべてがうまくいくはずです」


 茉莉花の言葉の意味がよくわからなかったけど、オレは素直に従うことにした。

 ゆっくりと瞳を閉じて、眠りについていく。

 本当に寝ているだけで、すべてがうまくいくんだろうか? なにか大切なことを忘れているような気がするのに。

 そう、すごく悲しいことがあったはずなんだ。人生に絶望しテシまうほど、悲しいコトが……

 ダけど今は、ナニモ考エられナイ。

 ソシテ、ナニニ対シテモ興味ガ持テナカッタ。



         13日目 土曜日



         インタールード


 ゴシックの瞳を持った彼を、どうやって同属と引き合わせるか考えていると――

 1人の男が編集部にやってきた。


「やあ、久しぶりだね。まあ、かけてくれたまえ」


 突然の来訪者に、驚きつつも席を勧める。


「結構、くつろぎにきたわけではないので」

「やれやれ、おかたいねぇ」

「あなたはまだ、こんなところで編集長をやっていたのですか」

「ああ、ここだといろいろ都合がいいこともあるんでね」


 それにしても、こちらから連絡を取ろうとしていた矢先に訪ねてくるとは。さすがは如月家の執事ってところか。

 まあ、よけいな手間が省けたし、よしとしよう。


「なんの用件かは、だいたい想像がつくよ。でも、それで僕のところにまた来るとは……どうやら君は本当に優秀な人物のようだね。姫川天馬くん。よかったら僕と一緒に働いてみないかい? それなりの待遇は用意するよ」

「わたくしはキサラギグループの人間です。姫川の名をいただいた以上、他の人間に仕える気はありません」

「そうか、それは残念だな。今の如月に、そこまでして仕えるほどの価値があるとは思えないってのに。今の当主になってから、ずいぶん力を落としているみたいじゃないか」

「…………」

「まあ、生まれてきた子どもが双子だったのに、片方を殺さずに使用人にしてしまったんだ。その報いだろうね」

「!?」

「あはは、顔色が変わったわよ」


 常に沈着冷静でいるかと思ったけど、さすがにこの話題には反応するか。


「なぜ、それを」

「僕も組織の人間だからね。他のグループの内情を知るぐらい簡単だよ。でも、よくやるよねぇ。ありきたりな話ではあるけど、ルールを破って生かしているなんて」

「あなたに、なにがわかるというのですか」

「ふふ。君のところだけでなく、水無月なんかも問題児を閉じ込めていたみだいだよ……そういう人間はとっとと殺せばいいのに、最近はみんなあまい考えを持っているというかなんというか」

「く……」

「バカだよねぇ。そのせいで、よけいなトラブルを抱え込んでいるんだから。グループの家系に生まれた双子なんてろくなものじゃない。そんなもの、さっさと始末すればよかったんだ」

「……そういうあなたも、双子ではないですか」

「ほう……」


 驚いたな。どこで調べてきたのか……この男、予想以上に切れ者のようだ。

 まあ、知られたからといって困りはしないが。


「さすがと感心したいところだけど、そんなことを言うために、わざわざ訪ねてきたのかい?」

「いいえ、今回はそんな話をしに来たのではありません」

「だろうね。聞きたいのは、君のところにいるメイドのことだろう?」


 ゴシックの瞳を持つ彼女が、その力を使ったのは想定内のことだ。


「あなたは彼女に、なにを吹き込んだのですか?」

「別に。ちょっと、ためになることを教えてあげただけだよ」

「ためになること? まさか――」

「ああ、出生の話はしてないよ。そんなことに興味はなさそうだったからね。僕はただ、彼女の持つ力の使い方を教えてあげただけさ」


 お家騒動なんてものは、誰も望んでいないだろうし。


「でも、同属じゃない人間に力の効果があったんだ。本人もうすうす気づいたんじゃないかな? ゴシックの瞳は、『家族』や『恋人』といった、深層下で心を許す人間に対して効果が大きいからね」

「ゴシックの瞳。まさかそんなものが、この世に存在しているとは」

「まあ、無理に信じる必要はないよ」

「その力を、消すことはできないのですか?」

「これが、どうやっても無理なんだよ。上書きぐらいならできるけど」

「上書き?」

「そっ、ゴシックの瞳を持つ別の者に依存させて、状況を変えるのさ」

「まさか、同じ力を持つ人物が他にもいるというのですか!?」

「ああ、その所在も知っている。そこでひとつ提案があるんだ」

「…………」


 僕の申し入れに、天馬くんが眉をひそめた。


「そんなに警戒しないでくれよ。お互いにとって悪い話じゃないから」

「でしたら、その提案とやらを聞かせてもらいましょうか」


 そのあと天馬くんに、同じ力を持つ彼の身柄を受け入れることを話した。

 かけられた力を別の人間が上書きすることで、今の状態は改善されだろうと。

 他に方法がないのも事実だし、選択の余地はないはずだ。

 それに嘘は言っていないから、勘ぐられることもないだろう。



         14日目 日曜日


「やあ、様子はどうだい? 茉莉花ちゃん」


 翌日の夜、天馬くんを連れて彼の住む家を訪ねた。

 容態は、相変わらずといったところか。


「編集長、その方は?」

「僕の知り合いでね。名を姫川天馬くんと言うんだ」

「はじめまして、お嬢さん」

「……はじめまして」

「で、しばらくの間、彼のことを天馬くんに預けてみようと思ってね」

「えっ? どういうことですか?」

「天馬くんのお屋敷なら、彼の状態がよくなる可能性があるんだよ」

「本当ですか!?」

「普通の人間では、彼の悲しみを理解することはできないからね。ここに置いておくより、いい結果は出ると思うよ」

「でも……」

「他に方法はないんだし……もちろん、連れて行くのは彼だけだ。他の人間がいても邪魔にしかならないからね」

「…………」


 自分にはなにもできないとわかっていても、そうそう手放す気にはなれないか。

 やれやれ、めんどくさいなぁ。


「お嬢さん。その方は、あなたにとって大切な人なのですね」

「えっ? はい」

「わたくしにも、大切な人はいます。ですが今、大きな問題を抱えています。それを解決するためには、彼の力が必要なのです」

「もしかして、その方も兄さまと同じように、力の影響を受けているのですか?」

「ええ。わたくしでは、どうすることもできませんでした」

「そう……ですか」

「無理なお願いであることは、十分理解しています。ですが、どうか――どうか彼を、わたくしに預けてはいただけませんか? 必ずあなたのもとに、お返ししますから」

「…………」

「…………」

「本当ですか?」

「はい、この命に代えても」

「……わかりました」

「ありがとうございます」


 どうやら茉莉花ちゃんを説得することができたみたいだ。

 さすがは天馬くん。交渉もお手の物だな。


「話はまとまったようだし、さっそく運び出そうか」



 天馬くんが彼を背負って部屋から外に運び、乗ってきたリムジンの後部座席に乗せた。

 それを見届けたところで、同行するために自分も助手席に乗り込む。


「あの、兄さまのこと、よろしくお願いします」

「かしこまりました」


 別れの挨拶がすんだところで、天馬くんが運転席に座り、リムジンを発進させた。

 サイドミラー越しに見てみると、茉莉花ちゃんは最後までこちらの姿を見続けていた。



 しばらくして、如月家の屋敷に到着した。

 さっきと同様に、天馬くんが彼を背負って中へと運んでくれる。



 客室らしき部屋に入ったところで、彼をベッドに寝かせた。

 あとは、こっちでうまくやってくれるだろう。


「いやはや、先ほどは茉莉花ちゃんに対して見事な説得だったねぇ。さすがは如月家の執事ってところか」

「あなたは、わたくしなら彼女を説得できると考えて、あの家にわざわざ行かせたのですね」

「まあね。どうもここ数日で、僕の株は大暴落してしまったようだし。ホント、恋する乙女は怖いよ。すべてにおいて、自分のことよりも好きな人のことを優先してくるんだから」

「あなたがなにを企んでいようと、こちらの問題が改善次第、彼はお返しするつもりです」

「たしかに、君のその言葉に嘘はないだろう。だからこそ、茉莉花ちゃんも任せることにしたんだし」


 ……だけど、そううまくいくかな?

 ゴシックの瞳を持つ者同士が出会ったらどうなるか……天馬くんはまだ、そのすべてを理解していない。


「あっ、そうそう。とりあえず、やるべきことをやっておかないと」

「やるべきこと?」


 不審な顔をする天馬くんを尻目にベッドへ近づいて、眠っている彼のポケットから携帯電話を抜き取り、自分の懐に忍ばせた。

 茉莉花ちゃんが念のためにと入れていたけど、こういうものはない方がいい。

 他にも財布や生徒手帳を入れていたが、それらは残しておいても問題ないだろう。

 そのあと両手で彼の片足を持って、足首の部分を軽く……ねじりあげる。

 きしむような音と共に、彼の体が一瞬はねあがった。


「なにをしているのですか!!」


 天馬くんの非難の声を無視して、もう片方の足に手をのばし……同じようにねじりこむ。


「なにをしているのかと、言っているのです!」


 そこまで終えたところで、強引に彼から引き離されてしまった。


「なにって、逃げ出せないように両足を脱臼させたんだよ。この方が都合がいいし」

「なっ!?」

「君はできてもやならいだろうから、変わりに僕がやってあげたんじゃないか」

「あなたという人は」

「そう怒らないでくれよ。ちゃんと手加減しているから、これくらいの怪我だったら数週間で直るって」

「…………」


 納得はいかないけど、否定することもできないみたいだ。

 そんな中途半端なあまさは、命取りになるっていうのに。


「ああそれと、彼に力の持ち主からの『視線』には、気をつけるように言っておいてもらえるかな」

「視線? なぜ、そんなものを?」

「ゴシックの瞳の持ち主は、力のある視線を受けると、自らの瞳に刻まれた模様が反応するんだ。正確にはその模様のことを、ゴシックの瞳って言うんだけどね」

「つまり、視線を受けて模様が浮かんでしまうと、彼も琉璃佳お嬢さまと同じ状態になる可能性があるわけですね」

「そういうこと。ちなみにゴシックの瞳を最終段階まで上げて真の力を解放すれば、模様は役目を終えて消えると思うよ」

「その、真の力とはなんなのですか?」

「ゴシックの瞳に秘められた本来の目的……それは境界の彼方に封印されている力を蘇らせることなんだ。それを手にすれば、世界のバランスを崩すこともできるからね」

「あなたの狙いは、その封印された力というわけですね」

「そうだけど……君は僕の話を笑い飛ばしたりはしないんだね。こういうことを言うと、普通の人間は変な目で見てくるってのに」

「わたくしも実際に、力を持つ人物と対峙しておりますから。自分の知っているものが、すべてではないことを理解しています」

「なるほど」


 そういえば天馬くんは、水無月の当主と対峙して、自らの主を守ることができなかったんだっけ。

 だからこそ人外の力を認めて、慎重に行動できるってわけか。

 笑い飛ばす連中の方が遥かに操作しやすいだけに、こういう人間はやっかいだ。


「なにより、あなたも特別な力を持っているでしょう?」

「ほう……君はホント、優秀な人間だね」


どこで調べてきたんだか……彼については今後も注意しておいた方がいいな。


「まあ、僕の力は心が弱まっている人間にしか通用しないから安心していいよ。とにかく、君のところのメイドはゴシックの瞳の第2段階になっている。その子が彼に力を使おうとすれば、彼の瞳に模様のようなものが映るはずだ」

「そうならないように、注意しておけばいいと」

「もし彼も、メイドに依存することになれば、なにも変わらないだろうね。ゴシックの瞳の特性を考えれば、確率的にはその方が高いと思うし」

「わたくしは、それほど分が悪い賭けとは思っていません」

「へぇ、その根拠は?」

「琉璃佳お嬢さまは、周囲に対して強い影響力のあるお方です。きっと彼も、そのことをわかってくださるでしょう」

「だといいけどね。じゃあ、あとのことは頼むよ」



 彼と天馬くんを残して客室を出る。

 これでお膳立ては整った。あとは彼が、どういう行動をとるかだ。

 本来ならゴシックの瞳の持ち主は、『自我』の『エス』に含まれる人間の動因となる欲動『リビドー』が弱まり、死の欲動『デストルドー』が大きくなる。

 そのため物事に対する興味が薄れて、自分を含めた人の死をなんとも思わなくなってしまうけど……彼の場合、僕が与えた薬によって倫理を司る『超自我』が壊れかけている。

 超自我にはエスの伝達を促す機能があると言われているから、うまくいけばデストルドーを抑制し、自ら死を選ばないかもしれない。

 それに自らの自我がそんな状態なら、周囲の影響を受けやすくもなるだろう。

 前例のないパターンだけに、これが吉と出るか凶と出るか。


「すべては、彼の選択次第か」


 ゴシックの瞳は、同属同士をぶつけることで力の段階を上げやすいが、共に死んでしまうケースも多い。

 だけどもし、彼が最終段階になっても生き残ることができれば……

 そして、最後の力を解放することができれば……

 我等の悲願も、かなうはずだ。

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