7日目 日曜日
「なにが今日中には返してあげるよ……だ」
いつの間にか降り出した雨の中。コンビニで買った傘をさしながら、オレはげんなりとした気分で家路についていた。
結局、閉店間際まで編集長に付き合わされてしまった。毎度のこととはいえ、たまったもんじゃない。
ていうか、よくあれだけいろいろと妄想話が出てくるよな。変にリアリティがある内容も多いし、実際にあったことじゃないかと思えてくる。
あの歳で中二病をこじらすと、いろいろと設定にこだわるようになるんだろうか。
とにかく、日付も変わってしまったし、早く家に帰ろう。
雲行きからして、雨も激しくなりそうだし。
「ただいま」
家に入ると、中は真っ暗だった。
あれ? みんなもう寝たのかな?
さすがにこんな時間まで待ってはもらえないか。
ダイニングまで静かに移動し、電気をつけると――
足下に人の気配を感じた。
「だ、誰だ!」
よく見るとその相手が、床でうずくまっている茉莉花であることがわかった。
「茉莉花?」
「に、兄さま」
のろのろとした動作で、茉莉花が立ち上がってくる。
「どうしたんだよ? 電気もつけずに」
「あれ? わたし、どれだけの時間こうしていたんでしょう」
「えっ?」
顔を見ると、目のあたりが赤くなっているのがわかった。
「もしかして、泣いていたのか?」
「い、いえ、その」
「ごめん。変なことを聞いて」
「…………」
ひょっとして、結梨花となにかあったのだろうか?
「そういえば、結梨花は?」
「姉さまなら……ええと、多分お風呂に入っておられると思います」
「風呂?」
「はい。先ほど浴室に向かっ……えっ、あれっ!?」
「どうした?」
「今、何時ですか?」
「ええと、0時をまわったところだと思うけど」
「姉さまがお風呂に行かれたのは、ずいぶん前のはずなんです。それなのに――それなのに、まだ上がってきていないなんて!」
「それだけ長く入っているってことか?」
「いえ、違います。あのとき、姉さまはわたしに……」
「おまえが死ぬことなんてない……後始末は、自分がするから。わたしには、儚き未来を見せたりはしない……と、言っておられました」
「それって、どういう意味なんだ?」
「まさか……まさかっ!?」
突然、茉莉花が浴室に向かって走り出した。
「お、おい!」
つられてオレも、あとを追って走り出す。
「姉さま……姉さま……」
走っている間、茉莉花は呪文のように同じ言葉を繰り返していた。
なんだ? なにをそんなにあわてているんだ? よくわからないけど、ただごとでないのはわかる。
まさか、結梨花の身になにか起こったのか?
不安を感じつつも脱衣所までたどり着いた。
「姉さま、入ります!」
先を行く茉莉花が、浴室のドアを押し開ける。
すると中に――
真っ赤に染まった浴槽に、片腕を入れたまま座り込んでいる……結梨花の姿があった。
「ゆ、ゆり……か?」
「いやあああっ、姉さま、姉さまぁっ!!」
悲鳴を上げながら、茉莉花がその場に座り込んだ。
「あ、あああ……」
いったい、どれぐらいの間そうしていたんだろう?
お湯の色は赤く変色し、結梨花の体からは完全に生気が失われていた。
浴槽に入れてないもう片方の手のそばには、うっすらと血のりの付いた包丁が落ちている。
それを使ってなにをやったかは、考えるまでもない。
なっ――なんだ、これは!?
どうして結梨花が、こんなことをしているんだ。
「う、うう……」
オレは浴室に入り、結梨花のそばに近づこうとした。
しかし、中に充満していた異様な刺激臭……血のにおいをかいで、心を激しくゆさぶられてしまう。
ま、また……オレは大切な人を失ってしまったのか?
わけがわからないまま、奪われてしまったのか?
心が絶望に飲み込まれ、すべてを投げ出したい衝動にかられる。
「うっ!?」
不意に、視界に模様のようなものが映りこんできた。
そしてそれが、すこしだけ大きくなっていく。
おかしなものが見えたので、オレは両手で自分の目を覆いながら、浴室内でひざをついた。
「う、ああ……」
「に、兄さま、どうなさったのですか?」
すぐ後ろから、心配そうな茉莉花の声が聞こえてくる。
だけど、今のオレには……そんなものどうでもよかった。
ゆっくりと、覆っていた手を下ろして……目の前に広がる、残酷な現実を見つめなおす。
「結梨花……」
その光景を前にして、オレはただ放心するしかなかった。
がっくりと肩を落としながら両手を床につくと、手先になにかが当たった。
視線を向けると、それが結梨花の手元にあった包丁だとわかった。
「…………」
音を立てないように、静かに手を伸ばして包丁を握り締めると……オレは今、自分がやるべきことを決意した。
「人を呼んでくるから、茉莉花はここにいてくれ」
「は、はい」
茉莉花を浴室に残したまま、脱衣所に移動する。
そしてオレは、結梨花の血のついた包丁を、迷うことなく自らの首筋にあてがった。
「兄さま! なにをするつもりですか!!」
次の瞬間、茉莉花が浴室から飛び出してきた。
どうやら、自害しようとしたことに気づかれたみたいだ。
そのままオレの両手にくらいついて、包丁を奪い取ろうとする。
「放せ、茉莉花! オレは結梨花のあとを追う!!」
「ダメです! そんなことをしたら、姉さまのやったことが全部無駄になってしまいます!!」
「どんな理由があろうと、結梨花がいなくなった世界に価値なんかない!」
「やめてください、兄さま!」
ヒステリックな声を上げながら、オレを止めようとする茉莉花。
そのまま2人で、押し問答を繰り返してしまう。
「くっ……」
お互い一歩も引かずに、もみあっていると――
「え……うわっ!?」
「きゃっ!?」
なにかに足を取られたみたいで、バランスを崩して背後に倒れてしまった。
両腕をつかまれていたせいで受け身を取ることもできず、茉莉花を抱えたまま床に叩きつけられる。
頭と背中に激しい衝撃を受けて、視界が閉ざされてしまう。
「ぐはっ!」
「うう……兄さま? 兄さま!?」
遠くの方から、茉莉花の声が聞こえてくる。
手にしていた包丁も、どうなったのかわからない。
そのままオレは……自分の意識が失われていくのを感じた。