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6/15

6日目 土曜日

「おい、起きろ」

「う……」


 目を覚ますと目の前に結梨花の顔があった。


「おはよう、結梨花」

「おはよう、朝食の準備ができているぞ」

「ありがとう、着替えてから行くよ」

「うむ」

「茉莉花はどうしている?」

「さっき声をかけたが、『食欲がないから朝食はいらないと』とだけ言って、部屋から出てきてはくれなかった」

「そうか」


 昨日からずっと自分の部屋に籠もったままなんだろうか。


「じゃあ、待っているからな」


 複雑な表情のまま、結梨花が部屋から出ていく。

 茉莉花のことが気がかりではあるけど、まずは朝食を食べるとしよう。



 いつものようにダイニングまで来ると、すでに食事は用意してあった。

 それを結梨花と2人で食べる。


「…………」

「…………」


 今日はテレビをつけてあったから、昨日のように静かというわけではない。

 だけど、なぜかもの悲しい気持ちになった。

 テレビからはニュース番組が流れていて、またテロ事件のことが報道されている。

 多数の死者が出た痛ましい事件。それに巻き込まれることなく、茉莉花は幸運にも帰ってくることができた。

 また、以前と同じように生活ができるって思っていたのに、どうしてこうなってしまったんだろう。



「なあ」


 食事を終えたところで、結梨花が話しかけてきた。


「ん? どうした?」

「その、私が茉莉花と話をしようと思うんだ」

「えっ?」

「あいつが部屋から出て来てくれるかどうかわからないが、さすがにこのままってわけにはいかないだろうし」

「すまない。オレがふがいないばっかりに」

「いや、おまえは間違ったことをしていない。間違ってしまったのは……私の方だ」

「結梨花?」

「心配するな。茉莉花との関係がもとに戻れるように、できる限りのことはするから」

「…………」


 たとえ結梨花と付き合うことになったとしても、茉莉花とは以前と同じように接していきたい。

 それはオレの、わがままなんだろうか?


「そのかわり、ひとつ約束してくれないか」

「えっ!?」


 急に結梨花が、鼻先まで顔を近づけてきた。


「な、なにを?」

「もし、それで不幸な結果が起こったとしても――おまえだけは、なにがあっても生き続けてくれ。それが私の願いでもあるから」

「それって、どういう意味だよ?」

「気にしないでくれ」


 いや、気にするなと言われても……


「それより、おまえは今日一日、なにをするつもりだ?」

「ええと、今日も編集長に呼ばれているから、編集部に行くよ」

「だったら、弁当を作ってやろう。すこし待っていてくれ」

「う、うん」



 オレは出かける用意をして、リビングでしばらく待つことにした。


「できたぞ。ほら、持っていけ」

「ありがとう」


 ほどなくして、結梨花から手作り弁当を渡される。


「それじゃあ、行ってくるよ」

「ああ、気をつけてな」


 今日は結梨花に見送られながら家を出た。

 編集部に向かう途中で、思わず顔が緩んでしまう。

 なんか、新婚夫婦みたいだったな。いや、同棲したばかりのカップルともいうべきか……って、なにを考えているんだ! 家には茉莉花もいるってのに。


「…………」


 オレの説明では、茉莉花にちゃんと理解してもらえなかったけど、結梨花ならきっと、なんとかしてくれるだろう。

 血を分けた双子の姉妹であり、これまでずっと一緒に暮らしてきたんだから、お互いの気持ちだってわかっているはずだ。



「おはようございます」


 編集部に着くと、すでにほとんどの人が出社していた。

 締め切り前ということもあって、みんなあわただしく作業に追われている。


「やあ、待っていたよ」


 編集長が笑顔でオレを迎えてくれる。


「君がいないと仕事が進まなくてね。なんたって、うちで一番期待されている新入社員なんだから」

「いや、オレただのバイトなんですけど」


 いつからここの社員扱いになったんだ?


「どうせここに就職するんだし、今から慣れておくにこしたことはないだろう」

「は、はあ」


 そこまで買ってくれるのは、素直に嬉しい気はする。


「とにかく、締め切り前で人手が足りないんだ。今日は各担当から頼まれている、僕の仕事を手伝ってもらえるかな」

「わかりました」


 編集長のところに来ている仕事を、ひとつひとつチェックしていく。

 ざっと見ただけでも、かなりの量が手付かずになっていた。

 おいおい。編集長、ちゃんと仕事をしているのか? これは結構、大変そうだな。


「編集長、この記事についてですが」

「ああ、彼が見てくれるから」

「えっ?」

「この記事について、確認をお願いできるかしら」

「あ、はい」


 社員の1人から、記事の書かれた書類を渡される。

 いきなり仕事が増えたな。とりあえず、これは後回しにするとして――


「編集長、ここの校正についてですが」

「ああ、彼がチェックしてくれるから」

「ええっ?」

「この原稿の校正をお願いするよ」

「は、はい」


 別の社員から、校正が必要な原稿を渡される。

 なんか、さらに仕事が増えたんだけど。

 こんな調子で増えていったら、いつまでたっても終わらないんじゃないだろうか。


「編集長、廊下の電気が切れそうなんですが」

「ああ、彼が交換してくれるから」

「えええっ!?」

「じゃあ、よろしく」

「は、はあ」


 今度は新品の蛍光灯を渡されてしまう。

 ってか、編集長の仕事が全部こっちにまわってきてないか?

 まさかとは思うけど、オレに丸投げするのが前提になっているんじゃ――


「よし、一通り仕事を押しつけたところで、みんなでひと狩り行くか!」

「おおっ!!」

「って、ちょっと!!」


 オレに仕事を押しつけてきた社員と編集長が、一斉にどこからともなく携帯ゲーム機を取り出してきた。

 やっぱり、そういうことなのか!


「あっはっはっ、冗談だって」

「編集長が言うと、全然冗談に聞こえないんですけど」

「まあ、ほとんど本気だったんだけどね」

「あのですね!」

「仕方ない。みんな持ち場に戻ってくれたまえ」

「は〜い」


 社員たちが自分の机に戻っていく。

 まったく……締め切り前なのに、こんな調子で大丈夫なのか?


「なんにせよ、君には早く正式にうちの社員になってもらいたいよ。そうすりゃ、今まで以上にこき使えるし」

「いや、オレがここに就職するかどうかなんてわかりませんし」

「なにを言っているんだい。こんな貴重な丁稚奉公人を他になんか渡してたまるものか。どんな手段を使ってでもこの会社に入社させるつもりだから!」

「さすが編集長」

「よくわかってらっしゃる」


 一斉に喝采を送る社員の人たち。


「ええと……」


 なぜか、さっきと違って嬉しい気持ちにならなかった。

 みんなオレを、いいように使いたいだけじゃないだろうか。

 とにかく、受けた仕事をひとつずつやっていこう。

 それに忙しく働いていれば、よけいなことを考えなくてすむし。



 仕事をこなしているうちに、あっという間にお昼になった。


「よし、みんなお昼にしようか」


 編集長の号令とともに社員たちが手を止めて、何人かは食事を取りに外へ出ていく。

 オレも一息ついて、昼食を食べることにした。

 鞄の中から今朝、結梨花の手渡された弁当を取り出す。


「おっ、今日は自分で持ってきたんだね」


 横から編集長がお弁当を覗き込んできた。


「あ、はい」

「いいねぇ、茉莉花ちゃんの手作り弁当を食べられるなんて、うらやましい限りだよ」

「いえ、これを作ったのは結梨花の方です」

「なん……だと」


 編集長が、まるで相手の隠された能力を目の当たりにしたかのようなリアクションをした。


「あの、編集長?」

「待ちたまえ! いくら付き合っているからといって、そこまでしなくてもいいだろう! 命は……命は大切にするべきだぞ」

「ええと」


 そういや編集長も、結梨花の料理の餌食になったことがあったっけ。

 たしか、結梨花から手作りのバレンタインチョコをもらって、大喜びで食べて……3日間、会社を休んだよな。


「それに、君に今ここで死なれては、締め切りに間に合わなくなってしまう!!」

「だ、大丈夫ですよ。今回の料理はちゃんとしたものですから」

「ちゃんとしていようがしていまいが、ダークマターはダークマターであって、人の命を奪い取るダークマターじゃないか!」


 ……気持ちはわかるけど、えらい言われようだな。

 とはいえ、結梨花の料理の腕をいちいち説明するのも面倒だ。


「これはその、茉莉花が作った料理を結梨花がつめてくれただけなんで、問題ないですよ」

「そう……なのか?」

「は、はい」

「だったらいいけど」


 ふう……この編集長に、ここまでのトラウマを植えつけるなんて。

 そのチョコレート、いったいどんな代物だったんだろう。


「それじゃあ、僕は外出してくるから」

「あ、編集長も外食ですか?」

「いや、このあと茉莉花ちゃんと会う約束をしているんだよ」

「茉莉花と?」

「ああ。昨日の夜、電話でデートに誘ったら、OKしてもらったんだ」

「そうですか」

「心配なら、ついてくるかい?」

「そんな無粋なことはしません。それにどうせデートとか言って、次の特集の打ち合わせをするんでしょ?」

「なんだ、全部お見通しか。まあ、打ち合わせをするのはたしかだけど、そのついでに彼女にちょっとした種明かしをしてあげようと思ってね」

「種明かし?」

「そっ、それを聞いて茉莉花ちゃんがどういう反応を示すか、今から楽しみだよ」

「はあ……」

「じゃあね〜」


 のんきな調子で、編集長が出ていく。

 う〜ん。外で会うってことは、茉莉花は部屋から出てきてくれるのだろうか。

 昨日、結梨花と付き合ってることを伝えてから、ずっと様子がおかしいままだし……編集長と話すことで、すこしはよくなればいいけど。



 昼食を食べ終わると、社員の人たちと雑談をしながら時間をつぶした。

 そうこうしているうちに、編集長が戻ってくる。


「さあ、昼休みは終わりだ。仕事に戻ろう」

「はい」


 編集長の号令と同時に、みんな自分の机に戻っていく。

 オレは仕事を再開する前に、編集長に声をかけることにした。


「あの」

「なんだい?」

「茉莉花の様子、どうでした? 昨日の夜から、気落ちしているような感じが続いていて」

「ふむ。そのことなら、あとで話してあげるよ」

「えっ?」

「君が心配しても仕方ないんだし、今は仕事に励んでくれ」

「あ、はい」


 たしかに、編集長の言う通りだ。

 今は目の前の仕事を片付けてしまおう。



 日が暮れた頃になると、ようやく今日の分の仕事が終わった。


「編集長、終わりました」

「ありがとう。それじゃあみんな、今日はこの辺にしておこうか。ひと段落ついた者から上がっていいよ」

「はい」


 そう言われて、社員の人たちが1人、また1人と帰っていく。


「さてと、君には茉莉花ちゃんのことを話す約束だったね」

「ええ」

「そうだな。ここじゃあなんだし、場所を変えようか」

「へっ?」

「な〜に、いつもの店に行くだけだから。ちゃんと今日中には返してあげるよ」

「ま、まさか……」

「それじゃあ、レッツパーリーといこうじゃないか!」



 それからオレは、街はずれにあるバーへと連れて来られた。

 ここは編集長の行きつけの店みたいで、何度か来たことがある。

 そして毎回、夜遅くまで妄想話に付き合わされた。


「あの、ちょっと家に電話してきてもいいですか」

「ん? ああどうぞ」


 席に着く前に、携帯を取り出して家に電話をかける。


『はい』


 すると、結梨花が出てくれた。


「あ、オレだけど」

『どうした?』

「それがその、編集長に捕まってしまって」

『もしかして、いつもの店か?』

「うん。それで、今日は帰るのが遅くなりそうなんだ」

『そうか、おまえのために夕食を作っていたんだが』

「ごめん」

『仕方あるまい。だが、今日中に帰ってこれるのか?』

「わからない。一応、そのつもりではいるけど」

『わかった。こっちのことは心配しなくていいから』

「頼むよ」


 連絡を終えて、編集長のいる席へと向かう。


「嫁への電話は終わったかい?」

「え、ええ」

「それじゃあ、ぐっと一杯いってくれたまえ」

「って、なにを勧めようとしているんですか!」

「いいじゃないか、ちょっとくらい」

「ダメです。そもそも、オレを酔わせてどうしようってんですか」

「決まっているじゃないか! 中にこっそり薬をまぜておいて、意識をもうろうとさせたところで、そのままホテルに――」

「いや、それ犯罪ですから! それに大声で怪しげなことを言わないでください」

「大丈夫大丈夫、みんな本気にはしないから」

「オレはメチャクチャ本気にしますけどね」

「はっはっはっ、冗談が通じない男だねぇ」

「編集長が言うと、冗談に聞こえないんですよ」

「まあ、僕はノンケでもOKな人間だから」

「それ、どういう意味ですか?」

「よし! 詳しく説明してあげよう」

「結構です」

「意外とうぶなんだね。まあ、そういうところもかわいいと思うけど」


 怪しげな表情を浮かべる編集長。

 なんかもう、ホントに疲れるな。


「それより、茉莉花の様子はどうだったんですか?」

「ん? 茉莉花ちゃんがどうかしたのかい?」

「だから、茉莉花のことを教えてもらうために、ここに来たんじゃないですか」

「ああ。ようするに、新しいシリーズのプロットについて聞きたいんだね」

「へっ?」

「いいだろう! じっくりたっぷり、隅から隅まで具体的に教えてあげよう」

「いや、そうじゃなくて――」

「今までは、姉妹が協力して魔王を倒す話だった。だがしかし、新シリーズでは姉の方が魔王の力を受け継いでしまい、不幸なことに妹と対立する話になるんだ」

「え、ええと」


 マズい、この展開はものすごくマズいぞ。

 このままだと、また編集長の妄想話を延々と聞かされることになる。そのまま文章に起こせば、小説10冊分くらいになるほどの長い話を。


「それより茉莉花の――」

「いいから、最後まで聞きたまえ」

「……はい」


 ダメだ。こうなると、他の話なんて一切してくれない。あきらめて、きりのいいところまで聞いておこう。

 それから長時間、オレは編集長の妄想話を聞くことになった。




         インタールード


「兄さまからですか?」

「あ、ああ」


 受話器を置いたところで、茉莉花がダイニングにやってきた。

 どうやら、私が電話をしている間に帰ってきたようだ。

 昼前に家を出ていったようだが、今までどこでなにをしていたんだろう。


「今日は遅くなるそうだ」

「そうですか」

「ちょうどいい。茉莉花、おまえに話しておきたいことがあるんだ」

「わたしも姉さまに、お聞きしたいことがあります」


 こちらが話をする前に、質問されてしまった。


「なら、そっちの話を先に聞こうか」


 おそらく、あいつに関することだろうし。

 どうして付き合うことになったのか……納得のいく説明がほしいのだろう。


「なぜ――なぜ姉さまは、兄さまに『ゴシックの瞳』の力を使ったのですか」

「……っ」


 予想もしていなかった内容に、思わず言葉を失ってしまう。


「お、おまえ、その話を誰から――」

「今日、編集長から聞きました」

「そうか、まさか先手を打たれるとはな」


 私がぐずぐずしていたばかりに……なんてことだ。


「認めるんですね」

「茉莉花、おまえがどういう風に聞かされたかは知らないが――あの男は、私の力をずっと狙っていたんだ。ようやく力の段階を上げることができて、しかも同属まで増えた。ここで一気に、自分の目的を果たそうとしているのだろう」

「編集長がどんな目的を持っているかなんて、わたしには関係ありません。わたしが知りたいのは、兄さまに関することだけですから」

「そう……だろうな」


 おまえはいつも、あいつのことだけを見ていたし。


「人を魅了し、依存させる力、ゴシックの瞳。それを使って姉さまは、兄さまを自分のものにしたのですか?」

「おまえは私に、そういう力があることを信じるのか?」

「もちろん最初は、にわかには信じられませんでした。だけど、他のことならいざ知らず、兄さまのあの変わりよう。あんなもの、おかしな力の存在を認めなければ、納得のいく説明がつけられません」

「たしかに、私と付き合うことにした……なんて話を聞かされて、納得がいくわけないよな」

「では――」

「ああ、私はそのゴシックの瞳を持っている。昔、母さまと心中しそこねたときに、偶然、手に入れたものだ」

「…………」

「最初はこの力が、どういったものかわかっていなかった。しかし、おまえと同じように編集長に力の存在を教えられ、使用方法や段階の上げ方を聞かされたんだ」

「あらかじめ、使い方は聞いていたのですね」

「だが、こんな力なんてものに興味はなかったし、この先も使うことはないだろうと思っていた」

「それなのに、使ったのですか?」

「そうだ。この力を使って、私はあいつを自分のものにしたんだ」

「……っ」

「本当は自分の口から伝えたかったんだが、先を越されてしまったようだ。ダメだな。すこし先延ばしにしただけで、このざまだ」


 力を使ってからというもの、なにもかも悪い方向にいっている。やはり、こんなものに頼るべきではなかった。

 ……今さら後悔したところで、どうにもならないが。


「力を解除する方法は、ないのですか?」

「そんなものがあれば、とっくに使っている。どうやらこの力は、使用者が存在し続ける限り、有効なままのようなんだ」

「そう……ですか」


 茉莉花の瞳が、なにかを決意したように輝いた。

 長い付き合いだから、こういうところはすぐにわかる。


「それで、おまえはどうするつもりだ?」

「え……」

「その手にしている包丁で、私を刺すのか?」

「!?」


 気づかないとでも思ったのだろうか? さっきから茉莉花は、後ろ手に包丁を持っている。

 それを使ってなにをするつもりかは、考えるまでもない。


「だとしたら、どうしますか?」

「かまわないさ」


 私は無防備な体制のまま、ゆっくり茉莉花に近づいた。

 この距離なら、外すこともないだろう。


「ね、姉さま!?」

「おまえに殺されるなら、それでもいいと思っている。殺されても仕方がないことを、私はしてしまったのだから」

「そんな、簡単に自分の命を――」

「この力を持つ人間は、自分の生死に執着しなくなるんだ。多分、一度死に損なっているから、感情のどこかが壊れているんだろう。だから、なにも気にすることはない」


 おまえは、おまえの目的を果たせばいい。

 そして私は、罰を受けよう。


「そんなことは……しません」

「えっ?」

「わたしが姉さまを、殺すわけありません。だって、兄さまと同じように姉さまも……わたしには大切な存在ですから」

「茉莉花」

「だから――だからわたしは、自分の力で兄さまを取り戻してみせます」


 そう言って茉莉花が、手にしていた包丁を突き出した。

 よく見るとそれは、逆手に持たれていた。


「なっ!?」


 当然、刃先は茉莉花の方を向いている。

 まさか――


「わたしも、姉さまと同じ力を手に入れてみせます!!」


 叫び声を上げながら、両手で包丁を握り締めて、茉莉花が自らの体を突き刺そうとする。


「よせっ!!」

「……っ」


 私はすぐさま、茉莉花の両手首をつかんだ。

 そのまま強く握り締めて、左右に広げていく。


「くっ!」


 痛みで腕の力が抜けたのか、茉莉花は持っていた包丁を落とした。

 それを見て茉莉花の手首を放し、落ちた包丁を拾い上げる。


「バカなことをするなっ!!」

「ううっ」

「たとえ人生に絶望し、自ら死を選んだとしても――確実に力を得られるわけじゃないんだぞ! むしろ、そのまま死んでしまう可能性の方が多い!!」

「それでも……それでもかまいません! 兄さまがわたしを見てくれないなら、この世界を生きる価値なんてありませんから!!」


 そんな……

 おまえはそこまで、あいつのことを……


「お、男に振られたくらいで死ぬなんて、どうかしている!」

「……っ。姉さまにだけは、そんなことを言われたくありません! 姉さまだって昔、わたしと同じ理由で自ら死を選んだではありませんか!!」

「なっ!?」

「兄さまが、わたしと結婚するって約束をしたから……自分が選ばれなかったから、姉さまは母さまと一緒に死のうとしたんじゃありませんか!」

「おまえ、そのことを……」

「あの一軒があったあと、しばらくしてから気づきました。だからわたしは、兄さまに自分から絶対に告白しないと決めたのです。わたしは姉さまにも、生きていてほしかったから」

「茉莉花」

「…………」


 なんてことだ。まさか、知られていたとは。

 私は、私はなんて愚かなんだ。


「あのとき――あのときわたしは、母さまがわたしたちを連れて自殺をするなんて知りませんでした。だけど、姉さまは知っていたんですね」

「……ああ。ゴシックの瞳は『人生に絶望し、自ら死を選んだ者』にしか現れないからな」

「母さまはあの日、寝ていた私と姉さまを車に運び込んで、一緒にガス中毒自殺をしようとした。でも目が覚めると、なぜかわたしだけが車の外に放り出されていました」

「…………」

「あれは姉さまが、わたしだけ外に出したからですね。そして自分は、母さまと一緒に死のうとした」

「……そうだ」

「なぜですか! なぜわたしだけ、助けようとしたのですか!」

「おまえが死んだら、あいつが悲しむからな」

「……っっ」

「それに、母さまを1人で死なせるわけにはいかなかった」

「そんな……」

「いや、違うな。私はあのとき、たしかに死んでもいいと思ったんだ。今のおまえと、同じ気持ちになっていたんだろう」

「姉さま」

「だけど、生きのびてしまった。それが幸運だったのか不幸だったのか、今でもわからない」

「…………」

「だって、自分が生涯をかけて好きだと思った相手に、振り向いてもらえないんだぞ。この先にあるのが、儚き未来しかないとわかっていても、もう一度死ぬこともできなかった」


 私には、そんな勇気なんてなかった。そして、わずかな可能性にもかけていた。

 今思うと、変なところで往生際が悪かったのかもしれない。


「わ、わたしは――わたしは姉さまみたいな生き方ができるほど、強くはありません。死なせてくれないというなら、せめて……せめて姉さまの力を、わたしに使ってください」

「なんだと!?」

「兄さまのように、姉さまに依存させてください。そうすれば、この苦しみから――」

「それはダメだ!」

「な、なぜですか!?」

「この力は、使っても不幸しか呼び込まない。本当は使うべきではなかったんだ。人の心を、無理やりどうにかするなんてこと……やってはいけなかったんだ」

「今の姉さまが、それを言うのですか!」

「わかっている。私は間違ってしまった。だからもう、二度と使わないと決めたんだ」

「そんな……」

「わかってくれ」

「お、お願いです。せめてわたしに……わたしに……」

「……すまない」

「う、ううう……あああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 大声を上げながら、茉莉花がその場に泣き崩れた。

 その姿を見て、私は――

 私は自分の気持ちを、素直に伝えることにした。


「茉莉花、おまえが死ぬことなんてないんだ。後始末は、私自身がする」

「う、うううううっ」

「おまえには……おまえにだけは、儚き未来を見せたりはしない。私と同じ苦しみを、味わわせたりはしない」


 それだけ言うと、私は決意を固めてリビングを出た。



 自分の部屋まで戻ってくると、引き出しにしまっておいた手紙を取り出して、机の上に置いた。

 これは昼間、1人でいたときに書いたものだ。

 おそらく、こういう結果になると思っていたから……



 再びダイニングに戻ってくると、茉莉花はまだ床に座り込んで泣き続けていた。

 大切な妹をこんな風にしたのは、私の責任だ。

 その罪の代償を、今から受けるとしよう。



 そのまま脱衣所まで、音を立てないように移動すると……服を着たままの状態で、浴室に入った。

 そして――

 自分がやるべきことを……やった。

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