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5日目 金曜日

「兄さま、起きておられますか?」


 ノックの音と共に、茉莉花の声が聞こえてきた。


「今、起きたところだよ」

「朝食の用意ができていますが」

「ありがとう、着替えてからリビングに行くよ」

「はい、お待ちしています」


 ドアの向こう側から茉莉花の気配がなくなる。

 いつもと変わらない日常が戻ってきたことを、あらためて実感する。また、以前のように3人で過ごすことができそうだ。

 でも、まるっきり同じというわけではない。オレは結梨花と付き合うことにしたから。


「とりあえず、朝食を食べるとするか」


 着替え終えたところで部屋を出て、ダイニングに向かう。

 先延ばしにするのもなんだし、今日中に結梨花との関係を伝えておこう。

 家族でいようっていう約束を反故にしたけど、茉莉花ならちゃんと話せばわかってくれるはずだ。



 ダイニングのテーブルの上には、すでに朝食の用意がしてあった。

 さすがは茉莉花、手際がいいよな。


「ん? 結梨花はどうしたんだ?」

「姉さまは先ほど声をかけたら、『食欲がないし、もう一眠りする』と言っておられました」

「そうか」


 あいつ、まだ気に病んでいるのかな?

 なにがそんなに心配なのかわからないけど、こういうときこそ彼氏であるオレがしっかりしないと。


「では、食事にしましょうか」

「ああ」


 茉莉花が作ってくれた朝食をいただくことにする。

 あたりまえの光景に、どこか安心してしまう。



 食事を終えたところで、これからどうするか考えた。

 結梨花とのことを話すつもりだけど、家の中は避けて外で茉莉花と2人きりになって話した方がいいかもしれない。

 ここだと、結梨花に気を使わせてしまうからな。


「あの、兄さま」

「ん? なに?」


 考え込んでいると、茉莉花が話しかけてきた。


「すみません。編集長からの伝言を忘れていました」

「編集長から?」

「はい。今日できるだけ早い時間に、兄さまに編集部に来てほしいとのことです」

「なんの用だろう?」

「多分、編集の手伝いではないでしょうか?」

「あ〜、そういやもうすぐ締め切りだもんな」


 記事の校正とかを、やってほしいんだろう。

 なんでオレにそんなことを任せるのか、不思議でしょうがないけど。


「編集長、兄さまのことをずいぶん買っているみたいですから」

「いや、オレのやってることって、ほとんど雑用みたいなものだから」

「それでも、期待しておられるんだと思いますよ」

「そうかな?」

「ええ」

「そういうことなら応えておくか。いったん部屋に戻って、準備してから出かけるよ」

「わかりました」



 外に出る用意をするために、自分の部屋へと戻る。

 すると、結梨花がドアの前で待っていた。


「結梨花、おまえ具合でも悪いのか?」

「いや、大丈夫だ」


 そうは見えないけど。

 昨日、茉莉花が家に帰ってきてから、明らかに様子がおかしい。

 なにをそんなに苦しんでいるんだろう?


「なあ、本当に私たちのことを茉莉花に言うつもりなのか」

「ああ、隠し通せることでもないし」

「たしかにそうだが」


 やっぱり、そのことで思い悩んでいるのか。


「大丈夫だって。ちゃんと話せば茉莉花もわかってくれるはずだから。結梨花と付き合うことになったとしても、茉莉花が大切な家族であることに変わりはないんだし」

「…………」


 納得がいかないって感じだな。

 もしかして、オレが心変わりするんじゃないかと思っているのだろうか?

 そりゃあ、以前は茉莉花のことが好きで、付き合いたいと思っていた時期もあった。

 でも、今のオレには結梨花がいる。そのことをはっきりさせておこう。

 そうすれば、結梨花の不安だって払拭できるはずだ。


「今日はオレ、編集長に呼ばれているから編集部に行ってくるよ。そのあと、茉莉花を呼び出して話をするつもりだ」

「そうか……」

「大丈夫、全部オレに任せておいてくれ」

「……っ。私は、私は……」


 悲痛な表情を見せながら、結梨花が自分の部屋へと戻っていく。

 茉莉花が生きていたっていうのに、結梨花の心は茉莉花が死んだと思っていたときよりも揺れ動いているようだ。

 その理由がわからなくて、もどかしくなってしまう。

 とにかく、オレは自分が正しいと思ったことをやろう。



「それじゃあ、行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃいませ。兄さま」


 出かける準備を終えると茉莉花に見送られて、編集部のある駅前を目指して歩き出した。

 編集長に会ったら、最初にお礼を言おう。あの人のおかげで、また3人で暮らせるようになったんだし。



 街中まで来たところで、昨日の出来事を思い出した。

 そういや昨日、ここでメイドさんとぶつかったっけ。

 今日も会えるだろうか……って、なにを考えてるんだ! オレには結梨花という、心に決めた相手がいるってのに。

 それに理想ともいうべき女性は、今でも茉莉花なわけだし――

 って、ああああっ! なんでそうなるんだよ!!

 なんか、どんどん墓穴を掘っているような気がする。

 1人で物思いにふけりながら、頭を抱えていると――


「なに道の真ん中で、もんどり打ってるのよ」

「んっ!?」


 懐かしい声が聞こえてきた。


「この声、まさか――」

「いえ〜す、姫宮空ひめみやそら! 不死鳥のごとく蘇る乙女でーす!!」

「でたあああああああああああああああああああっ!!」


 オレの人生の中で、関わりたくない人間の筆頭ともいえる存在が、目の前でいつものポーズを決めていた。


「ちょっと、人のことをユーレイみたいに扱わないでくれる」

「大して変わらないと思うけど」

「なによ、それが元クラスメイトに対して言うセリフ?」

「相変わらず元気だな」

「まあね。今は彼ともラブラブな関係だし」

「あ、そう」


 その彼には、心の底から同情したくなる。


「で、あんたはこんなところでなにをしてるの?」

「編集部に行く途中なんだけど、ちょっと考え事をしていて」

「考え事? なにを考えてたの?」

「その……たとえばの話なんだけど、付き合ってる彼女がいるのに、他の女の子のことを考えるのはよくないよな」

「なるほど、妹と付き合ってるのに、姉の方も自分のものにできないか考えてしまったと」

「違うっ! オレはそんなことは言ってない!」


 なんでそんな風に話を曲解されてしまうんだ。


「やだやだ、これだから節操のない男は。茉莉花にチクってやろうかな、あんたの旦那が浮気しようとしてるって」

「やめてくれ! それにオレが付き合っているのは結梨花のほ――」

「えっ、姉の方と付き合ってるの?」

「あ゛ああっ」


 しまった!? 今のは完全に墓穴を掘った!


「マジで!? それって、大どんでん返しもいいところじゃない」

「いや、その……だから、オレが言いたいのは――」

「うむむ。これはボクもがんばらないと。あきらめたらそこで試合終了だもんね」


 聞いちゃいない。そういやこいつ、一度思い込んだらつっぱしる性格だったな。

 そのせいで、これまで何度迷惑をかけられたことか。

 とはいえ、この状況でさっきの発言をごまかすのは難しいし……仕方がない、ここはしっかり口止めしておこう。


「なあ」

「なに?」

「このことは、学園では内緒にしておいてもらえないか。妹と付き合うなんて、どう考えてもいいようにはとられないだろうし」

「え〜、最近は実の妹であっても、付き合ったりする作品は多いよ」


 作品って、なんの話をしているんだ。

 そういや編集長も、まったく同じことを言っていたっけ。

 似たもの同士の2人で、純真な結梨花に悪影響を与えてくるんだから。


「とにかく、近親相姦をしてるんじゃないかって、うわさを広められたくないんだ」

「別にいいじゃない。あんたたちの場合、義理なんだし」

「な、なんでそれを知って――」

「あ、やっぱりそうなんだ」

「えっ、あ゛ああああああああっ!」


 しまった! さっきからオレ、言わなくてもいいことを全部しゃべってる。

 これまで必死に隠そうとしてきたことが、こうもあっさり暴露してしまうとは!


「ねぇ。前から思ってたけど、あんたって誘導尋問とかにすごく弱いでしょ?」

「うう……」

「まあ、義理だろうってのは予想してたけどね」

「そうなのか?」

「うん。姉の方から以前、義理の兄を落とすにはどうすればいいかって相談を受けてたし」

「なんてことを相談するんだ。あいつは!」


 しかも、相談相手が姫宮空だなんて。


「一応、参考になりそうなゲームを渡しておいたけど」

「ゲーム? って、あのエロゲーのことか!!」

「そっ、役に立った?」

「あんなの役に立つわけないだろ!」

「え〜、でも付き合うことになったんでしょ」

「うっ……まあ、そうだけど」

「なんか、あんたってギャルゲーの主人公みたいよね」

「誰がギャルゲーの主人公だ!」

「そのせいか、妙に似てるところがあるし」


 誰にだよ。


「とにかく、義理ってことも学園では内緒にしておいてくれ」

「いいよ、どうせ言ってもみんな信じないだろうし」

「頼むよ。じゃあ、オレはもう行くから」

「うん、ボクもこれからバイトがあるから。アデュ〜」


 姫宮空が近くにあるゲームショップへと走っていく。

 そういや、あそこでバイトしているんだっけ。

 あれ? 昨日会ったメイドさんも、あのゲームショップに向かったよな。

 もしかして、ゲームを買いに行っていたのだろうか?


「ま、そんなことはどうでもいいか」


 それにしても、こんなところで元クラスメイトに出くわすなんて、予想外もいいところだ。

 今は留年して、もう一度2年生をやっているって聞いてたけど、相変わらずフリーダムな性格だったし。

 まあ、今の担任があの学園屈指の名教師、柏木先生だから心配することもないか。

 あの人も木之本先生同様、いろんな意味で規格外な教師だから。



「おはようございます」


 思わぬ人物に遭遇したせいで、すこしばかり遅れてしまったけど、ようやく編集部にたどり着くことができた。

 オフィスの奥から編集長がやってくる。


「やあ、待ってたよ」

「編集長、茉莉花を無事、帰国させてくれてありがとうございました」

「気にしなくていいよ。君が空港で不審者を見つけてくれたから、早く帰る決心がついたわけだし」

「でも、編集長が強引に進めてくれたおかげで、みんな帰ってこれたんですから」


 この人の機転がなかったら、きっと事件に巻き込まれていただろう。


「とはいえ、みんな現金だよね。最初はあれだけ反対してたのに、事件のことを知ったら手のひらを返して感謝してくるんだから」

「仕方ありませんよ。爆破テロが起こるなんて誰も考えたりはしませんから」

「まったく、この国の人間は平和ボケした者ばかりだよ」

「耳が痛いです」

「まあそれでも……ん?」

「どうかしましたか?」

「これは……驚いたな」


 驚愕の表情をしながら、編集長がオレに顔を近づけてくる。


「な、なんですか?」

「いや、数日見なかっただけで、ずいぶんいい瞳をするようになったと思ってね」

「瞳?」

「ああ、僕のいない間に、いろいろあったんじゃないかい?」

「えっ? ええ、まあ……」


 言葉をにごしながら、編集長からあとずさる。

 さすがに自殺しようとした……なんてことを言えるわけないし。


「たとえば、自ら死のうとしたとか?」

「なっ、なんでそれを!?」

「やっぱりね。でも、生き残ってしまったわけだ」


 この人、なんでそんなことがわかるんだ?


「自殺の原因は、茉莉花ちゃんのあの映像かい?」

「は、はい。編集長も見たんですか?」

「ああ。まあ、すぐに別人だとわかったけどね」

「すごいですね。オレなんか、完全に茉莉花だと思ったのに」

「あれはホテルで会った女の子にあげた、ナンバー3の服だったし」

「へっ?」

「今、茉莉花ちゃんが持っているのは、ナンバー4とナンバー5の服のはずだから、別人であることはすぐにわかるよ」

「えっと……それってもしかして、服で判別しているってことですか?」

「もちろん、ちなみにナンバー2の服はここにあって、ナンバー1の服は僕が持っているよ」

「は、はあ」


 オレにはナンバーによる違いなんて、全然わからないんだけど。


「つまり、君は茉莉花ちゃんが死んだと思い込んで、あとを追おうとしたわけか」

「はい。でも、結梨花に止められました。そして、『私のために生きろ』って言われたんです」

「ほう……」


 急に編集長の雰囲気が変わった。

 同時に、オレの心の中を探るかのように、怪しげな瞳で見つめてくる。


「彼女は自らの力を使ったというわけか……なるほど。今までは力が通じることがなかったけど、君が同属になったことで可能になったわけだ」

「え、えっと」


 また、編集長の妙な妄想が始まった……のか?


「ということは、君は今、結梨花ちゃんと付き合っているのかい?」

「えっ、はい」

「ふっ、はっはははははははははははははっ!!」

「な、なにがおかしいんですか!」

「いや、すまない。でも、茉莉花ちゃんは生きていたわけだから、今ごろ結梨花ちゃんは心中穏やかではないんだろうね」

「そんなことまで、よくわかりますね」

「ふふ。ダテに長い間、観察していなからね」


 観察? どういう意味だ?


「しかし、ようやく彼女の力が動きだしたわけか。君に力を使ったことからして、段階が上がっているのは間違いないだろう。茉莉花ちゃんと思われていたあの映像は、君だけでなく結梨花ちゃんにも影響を与えたわけだ」


 編集長の話の内容が、まったく見えてこない。


「これは予想以上の展開だよ。いやはやストーリーってのは、動き出すときは一気に動くものなんだね」

「あの、編集長。さっきからいったい、なんの話をしているんですか?」

「知りたいなら、詳しく教えてあげようか?」

「いえ、結構です。聞いたところで、どうせオレには理解できないでしょうし」

「やれやれ。こちら側の世界の人間は、あちら側の世界のことを、すべて『中二病』なんて言葉で片付けてしまうんだから。ま、みんな世界の境界を知らないから、仕方がないんだけどね」

「はあ……」


 これ以上、妙なたわごとを聞くのもどうなんだろう。


「そんなことより、今日はなんの用でオレを呼び出したんですか?」

「あ、そうそう忘れるところだった。君に仕事を手伝ってもらおうと思ってね」

「いいですけど、他のスタッフはどうしたんですか?」

「みんな事件のことでごたごたしていて、明日じゃないと来れないみたいなんだよ」

「まあ、家族に連絡したりとか大変でしょうからね」

「ただでさえ帰国に時間がかかって、スケジュールに余裕がないってのに」

「仕方ありませんよ。それで、オレはなにをすればいいんですか?」

「上がっている記事の校正を頼むよ。それと、使う写真のピックアップもね」

「わかりました」


 編集長から記事と写真を渡される。

 それからしばらくの間、オレは指示された作業を行った。



 もうすぐお昼になろうかというところで、茉莉花が編集部にやってきた。


「こんにちは」

「茉莉花、どうしたんだ?」

「お弁当を作って持ってきたんです」

「あ、ありがとう」


 さすが、気が利くよな。


「やあ、茉莉花ちゃん」

「編集長、その節はお世話になりました」

「いやいや、むしろそっちの方が大変だったんじゃないかい? なんせ死んだことにされてたわけだし」

「ええ、先ほども報道関係の方が家に来られて、わたしの姿を見て驚いておられました」

「えっ、そうなのか?」

「はい。どうやらあの映像の人物はわたしじゃないかと、調べてこられたみたいです。でも、別人ですよ。とお話ししたら、そのことを報道させていただきますって言われたので」

「なら、騒ぎはおさまりそうなんだね」

「それもこれも、編集長のおかげです」

「な〜に、気にしなくていいから」

「お弁当、編集長の分も作ってきたので、ご一緒にどうですか?」

「ありがとう、いただくよ」


 オレたちは切りのいいところで仕事の手を止めて、3人でお弁当を食べることにした。



 茉莉花の手作り弁当を残さず食べて、一息つくことにする。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま、おいしかったよ」

「おそまつさまでした」

「さすがは茉莉花ちゃん、相変わらず料理が上手だねぇ」

「そんな、わたしなんて全然ですよ」

「謙遜することないって、茉莉花の料理は本当においしいから」

「あ、ありがとうございます」

「しかも、わざわざ持って来てくれるんだから、ホント献身的だよね。それなのにこの男ときたら、茉莉花ちゃんを差し置いて――」

「へ、編集長!」


 危険なことを言われそうになったので、すかさず話に割り込んだ。


「ん?」

「ちょっといいですか?」


 編集長の腕をつかんで、部屋の隅まで引っ張っていく。


「なんだい?」

「なんだい? じゃありません。なにを言おうとしていたんですか」


 オレは小声で、さっきの発言をとがめた。


「ああ、やっぱり茉莉花ちゃんには話してないのか」

「こ、これから話すんです」

「ふ〜ん。それはどうだろうね」

「えっ?」

「君たちのことは前の編集長からいろいろと聞いているし、ある程度、家の事情についても理解している。だから忠告させてもらうけど、結梨花ちゃんと付き合うのはナシにして、以前と同じように家族であり続けた方が、みんなのためだと思うよ」

「そんなわけにはいきません。ちゃんとけじめはつけるつもりですから」

「……君のそういうところ、僕は好きだし選択としては正しいだろうね。でも、それが不幸を呼び込むとこもあるんだよ」

「不幸?」

「ま、すでに力を使われている以上、それを解除する方法はないけどね」


 また、わけのわからないことを。


「とにかく、この件はあとでオレの口から茉莉花に話すつもりですから」

「そうか、なら今日のところはなにも言わないでいてあげるよ。今日のところは……ね」


 含みのある言い方に、すこしひっかかったけど……

 とにかく、編集長を解放して茉莉花の所に戻ってきた。


「どうかしたのですか?」

「あ、いや、ちょっとね」

「はあ……」

「あのさ、茉莉花。その……話したいことがあるんだけど」

「話? なんでしょう?」

「えっと、ここだとちょっと」

「では、お帰りになってからお聞きしますね」

「いや、できたら家の中じゃなくて、外で話したいんだ」

「外で?」

「うん。だから今日の仕事が多分、5時くらいには終わるから、どこかで待ち合わせをしないか?」

「わかりました。では兄さまの仕事が終わるまで、近くのゲームセンターで時間をつぶしていますね」

「ゲームセンター?」

「はい。そこなら100円あれば、何時間でも楽しむことができるので」


 やっぱり昨日、店員さんが言っていたもう1人ってのは……


「じ、じゃあ、仕事が終わったらそのゲーセンに行くよ」

「お待ちしています」


 お弁当を片付けて、茉莉花が編集部から出ていく。


「さてと、続きをお願いできるかな」

「わかりました」


 そのあとオレは、再び編集業務に戻ることにした。

 このペースなら、約束した5時までには終わりそうだ。



 もうすぐ5時になろうかというところで、指示された仕事をすべて終えた。


「ふう、終わりました。編集長、今日はこれで失礼しますね」

「おつかれ。悪いんだけど、明日もまた来てくれないかな」

「いいですよ、特に予定もないですから」

「すまないね。それじゃあ頼むよ」

「おつかれさまでした」



 編集部を出て、昨日と同じゲームセンターに向かった。

 中に入ると、すぐに茉莉花のいる場所がわかってしまう。

 なぜなら昨日、結梨花が座っていたゲーム筐体の反対側に茉莉花がいたからだ。

 そっちは茉莉花専用なのか。予想通りというか、なんというか。


「茉莉花、終わったよ」

「あ、兄さま。おつかれさまでした」


 ゲーム画面を見ると、茉莉花が使っているキャラクターは……結梨花が使っていたのと同じだった。

 なんで姉妹そろって、筋肉質な男キャラを使うんだろう?


「もう終わりますので」


 そう言って対戦相手を瞬殺し、茉莉花が席を立つ。

 すると、昨日と同じように店員が筐体の電源を切った。


「おつかれさまでした。茉莉花さま」

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、またのご来店をお待ちしています」


 筐体をふたつも個人の専用にして、このゲーセン大丈夫なのか?


「それじゃあ、行こうか」

「はい」



 茉莉花と一緒にゲームセンターを出て、このあとどこに行くかを考えた。


「喫茶店にでも入りますか?」

「いや、駅の向こうにある公園に行こう。そこの方が話しやすいし」

「わかりました」


 いつもと同じように、茉莉花とたわいのない会話を交わしながら、公園を目指して歩き始める。



 しばらくして、公園に着いた。

 なんか感じ入るものがあるな。一昨日、オレはここで自らの命を絶とうとした。

 だけど、結梨花に止められて……付き合うことになった。

 そのことを、ちゃんと茉莉花に伝えておかないと。


「さっそくだけど、茉莉花に話しておきたいことがあるんだ」

「はい、なんのお話ですか?」

「その……以前、両親が死んだとき、社会に出るまでは3人とも家族でいようって約束をしたよな」

「ええ、そのおかげてわたしと姉さまは、兄さまと一緒に暮らせています。兄さまが下した判断は間違っていなかったと、今でもわたしは思っています」

「でも、オレはその約束を守れなかった」

「えっ?」

「だから、オレの今の気持ちを茉莉花に伝えておきたいんだ」

「も、もしかして、兄さま……」

「茉莉花、オレ――」

「あ、あのっ!」

「えっ!?」

「あっ、ご、ごめんなさい。話の腰を折るつもりはなかったのです」

「でもその……あまりにも突然で、予想もしていなかったことなので」


 茉莉花が今まで見たことがないほど、とまどっている。

 無理もない。これからもずっと、家族でいるつもりだったろうし。


「驚かせてすまない。だけど、どうしても伝えておきたいんだ」

「な、なぜ今なのですか? 社会に出るまで待つわけには……いかないのですか?」

「それはダメだ! 茉莉花に隠し事をするようなことはしたくない」

「でも――」

「だから、聞いてくれ」

「…………」

「…………」

「わかりました」


 覚悟を決めてくれたみたいで、茉莉花がまっすぐこちらを見つめてくる。

 オレもその姿を正面から見つめ返し、結梨花との関係を告げることにした。


「茉莉花、オレ――結梨花と付き合うことにしたんだ」

「……えっ!?」


 一瞬の沈黙のあと、茉莉花が驚きの声を上げた。


「ごめんよ。自分で決めた約束なのに、当の本人が破ることになってしまって」

「どういう……ことですか?」


 茉莉花の様子が、さっきまでと明らかに変わっている。

 それはとまどいというよりも、ありえないものでも見るかのような形相だった。


「どうって言われても」

「兄さまは、姉さまを選ばれた――つまり、姉さまと付き合っている……ということですか?」

「まあ、そうなんだけど」

「…………」


 茉莉花の表情が、どんどん険しいものになっていく。


「どうして――どうしてそんなことに。わたしがいない間に、なにがあったというのですか?」

「それは、その……」


 自殺しようとしたことを伝えるのは気が引けるけど、下手に隠してもいいことはない。

 ここは包み隠さず、全部打ち明けておこう。


「テレビであの事故の映像を見て、オレは茉莉花が死んだものだと思い込んだんだ。そしてまた、ひどく落ち込んでしまった」

「まさか、またあのときのような――」

「いや、あのときよりもひどかったよ。なにしろ自殺しようとしたから」

「……っ。そんな、わたしのせいで」

「茉莉花は悪くない。ただ単にオレの意志が弱かった……それだけのことなんだ」

「それじゃあ――」

「ああ、死のうとしたオレを止めてくれたのが結梨花だった。そして心の支えになるように、恋人になってくれたんだ」

「姉さまが、兄さまにそんなことを」

「そのおかげで、オレは今、生きていられる。この気持ちを隠すことも変えることもしたくない。だから、茉莉花にはちゃんと話しておきたかったんだ」

「…………」


 茉莉花が視線を落としたまま黙り込んでしまう。

 納得してくれたんだろうか?


「本当に、そうですか?」

「えっ?」


 再びオレを見つめる茉莉花の口から出てきたのは、疑いの言葉だった。


「もし――もしそれが兄さまの本心であるならば、わたしは祝福します。兄さまも姉さまも大好きですし、わたしの大切な家族ですから」

「あ、ありがとう」

「でも――そうじゃないとしたら。わたしは……わたしは……」

「茉莉花?」

「ご、ごめんなさい。変なことを言って」


 …………………………。


「あの……さ。オレは結梨花と付き合うことになったけど、茉莉花がオレの大切な家族であることに変わりはないから。それだけは、わかっておいてほしいんだ」

「そう……ですね。兄さまはきっと、これまでと同じようにわたしに接してくれると思います。そしてそれが、とても残酷なことであることを、理解してはもらえないでしょう」

「えっ?」

「もう、以前と同じ心で……わたしを見てはくれないのですね」

「それって、どういう――」

「いいんです。帰りましょう……わたしたち家族の家へ」

「あ、ああ」



 家までの帰り道を2人で歩いたが、来るときとは対照的に茉莉花は一言も口を開こうとしなかった。

 やっぱり、突然のことで混乱しているんだろうか? ちゃんと話せば、茉莉花なら理解してくれると思ったのに。

 結梨花の様子も、昨日からずっとおかしいままだ。

 なんだろう。いろいろなことが、うまく行ってないような気がする。



「ただいま」

「おかえり」


 家に帰ると、結梨花がオレたちを迎えてくれた。


「姉さま」

「茉莉花、その――」

「ごめんなさい」

「えっ?」

「気分がすぐれないので、今日はもう休ませてもらえますか」

「どうした? どこか具合でも――」

「大丈夫です。すこし疲れただけですから」

「…………」

「兄さま、夕飯は姉さまに作ってもらってください」

「えっ、でも……」

「大丈夫ですよ。作れますよね……姉さま、ちゃんとしたものが」

「あ、ああ」

「もう、わたしに気を使う必要はありませんから」

「おまえ――」

「それでは、おやすみなさい」


 茉莉花が自分の部屋へと向かって行く。

 その姿を、オレと結梨花は黙って見送ることしかできなかった。



 ダイニングに移動して、椅子に座って夕食ができるのを待った。

 結梨花はキッチンで料理を作ってくれている。

 あれから茉莉花が部屋から出てくることはなかった。

 せっかく家族がそろったというのに、未だに3人で食事をとれていない。なんだか、みんなの気持ちがばらばらになっているように感じる。

 もしかしてオレは、間違った選択をしてしまったのだろうか?

 だけど……結梨花との関係を黙っていたり、なかったことにしたりするのは絶対にダメだ。

 それこそ、結梨花と茉莉花に対する裏切り行為になる。


「できたぞ」


 思い悩んでいるうちに、結梨花が夕食を運んできてくれた。


「とりあえず、食べよう」

「そうだな」


 ほとんど会話らしい会話のないまま、味気ない食事を2人でとった。



「なあ、私たちのこと……話したのか」


 食事が終わって片付けが一段落したところで、結梨花が話しかけてきた。


「ああ」

「それで茉莉花は、なんて言っていた?」

「それがオレの本心あるなら、祝福するって言ってくれたよ」

「そうか。やはりあいつは、おかしいことに気づいているんだな」

「えっ?」

「このままってわけには……いかないだろうな。早まったことをしなければいいんだが」

「それって――」

「すまない。私も今日はこれで休ませてもらう」

「結梨花」

「おやすみ」

「……おやすみ」


 結梨花も早々に、自分の部屋へ去っていく。

 オレはなにも聞けないまま、この場に取り残されてしまった。



「はぁ……」


 自分の部屋に戻ってくると、思わずため息が出た。

 茉莉花といい結梨花といい、いったいなにを思い悩んでいるんだろう。それがオレには全然わからない。

 特に結梨花の方が、なにを考えているのかさっぱりだ。

 自分の彼女のことなのに、どうして理解できないんだろう?


「…………」


 とにかく、オレは自分のやるべきことをやったんだ。

 あとは、なるようにしかならないだろう。

 そう自分自身に言い聞かせて、オレはベッドに横になった。

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