21日目 日曜日
橘先生に運ばれて、病室のベッドに戻ってきた。
時刻は0時をまわったところだろうか。どうやらオレは、連れ去られずにすんだみたいだ。
だけど……さっき聞かされた、編集長の話。
あれが全部、本当のことだとしたらオレは――
オレは紗耶香を、殺したことになる。
「彼になにか言われたのかい?」
「えっ?」
動揺しているのを、橘先生に見抜かれてしまう。
「あ、その……」
「この病院に来て、もう3週間ほどたつのかな。いろいろあったとはいえ、キミは前向きに生きるようになった。記憶を取り戻し、それに向き合えるようにもなった」
「…………」
「結構、いい感じに回復していたのに、今のキミはここに入った頃に逆戻りしたみたいだ」
たしかに、あのときと同じ状態に見えるかもしれない。
もう、なにをどうしていいのか……わからなくなってしまったから。
「僕では相談相手になれないか」
「すみません」
「まあ、仕方ないか。そんな状態のところに、追い打ちをかけるようになってしまうけど、キミに言っておかないといけないことがあるんだ」
「なんですか?」
「キミの妹さん、ついさっき亡くなったよ」
「そう……ですか」
茉莉花まで死んでしまったのか。
「意外と冷静だね」
「あの傷で、助かるとは思っていませんでしたから。それに――悲しみに対する感情が、わきあがってこないんです」
「…………」
せっかく、悲しみと向き合えるように……逃げ出したりしないように、真都香さんが導いてくれたのに。
全部、台無しにしてしまった。
だから――
「また、オレの心は壊れてしまったのかもしれません」
…………………………。
「壊れてしまったなら、治せばいいんだよ」
「えっ」
「それでまた壊れたら、何度でも治せばいい。あきらめたり、失われたりしない限り、それが可能なはずだよ」
「……橘先生でも、そんな風にいいことが言えるんですね」
「どういう意味だい、それは」
「いえ。なんか、すこしだけ見直しました」
「いいことを言ったところで、それが相手に届かないと意味はないよ」
「そんなことはありません。ちょっとだけ、心が軽くなりましたから」
「ならいいけど」
まさか、橘先生にはげまされるなんて。
「もう知っていると思うけど、ゴシックの瞳は力の影響を受けるたびに、自我のエスに含まれる死の欲動、デストルドーが大きくなってしまうんだ。でもキミは、これまで何度もその欲動を回避し、闇に飲まれることはなかった。そして、最後の力を解放したわけだ」
「オレがなにかしたわけじゃ……ないです。死なずにすんだのは、編集長に薬を打たれたからでしょうし、偽りの記憶を植えつけられたからってのもあります」
「たしかに、超自我を破壊する薬を打たれたおかげで、デストルドーの影響を受けずにすんだかもしれない。でも、僕が与えた中和剤によって、薬の効果は数日前に切れているはずだ」
「…………」
「今のキミは、ゴシックの瞳の影響をそのまま受けている。それなのに死を選んでいないのだから、以前よりずっと強くなっているはずだよ」
「買い被りです。オレはそんなに強い人間じゃありません。今までだって、まわりのみんなに助けてもらったから、立ち直ることができたんです」
……両親の死、結梨花の死。
天馬さんの死、明日佳さんの死、琉璃佳の死。
紗耶香の死、そして……茉莉花の死。
人の死を経験するたびに、オレは心を壊したり、痛みが怖くて無関心になったりした。
そのすべてが、逃げている行為でしかないとわかっていても、自分一人では立ち向かっていけなかったんだ。
「オレは、ずっと弱い人間のままなんです」
「誰だって、最初から強いわけじゃないさ。いろいろなことを経験して、強くなっていくんだ」
この人も口には出していないけど、これまでいろんなことがあったのかもしれない。
考えてみれば、ゴシックの瞳の患者を相手にしているんだ。心が強いのは当然か。
「橘先生」
「なんだい?」
「最後に、これだけは言っておこうと思います。今までいろいろと、ありがとうございました」
「…………」
「真都香さんにも、お世話になったと伝えておいてください」
「それはお断りだね」
「えっ!?」
「言いたいなら、直接本人に言えばいい。そういう伝言、僕は大嫌いなんだ」
橘先生が今まで見せたことのない悲愴な面持ちをしている。
地雷をふむようなことを言ってしまったのかもしれない。
「そう……ですね。そうだと思います」
「ここにはもう、ゴシックの瞳の持ち主はいない。だから、キミの行動を止めることは誰にもできないだろう。でも、もし可能性があったら――また、会おうじゃないか」
「いえ、もう会うことなんてありませんよ」
「……そうでないといいんだけどね」
最後はさみしそうな表情を見せて、橘先生が病室から去っていった。
結局、あの人の目的はなんだったんだろう? オレのことを、どうしたいと思っていたんだろう?
なにもわからないまま、最後の別れをすませてしまった。
でもまあ、いいか……それがわかったところで、これからオレのやることが変わるわけでもないし。
…………………………。
不思議と心は落ち着いていた。
自分の命に対する価値観は、とっくの昔に麻痺しているから、当然かもしれない。
さあ、最後の仕上げといこう。
「よし」
オレは、自分のベッドのわきにある引き出しに顔を近づけた。
取っ手の部分をくわえて引き出しを空けると、中に入っていた『鍵』を、口に含んで取り出す。
2週間前、橘先生から預かって、そのまま返しそびれている……屋上の鍵だ。
落とさないように注意してくわえなおすと、次は電動車椅子に乗り込もうとした。
さっきはあせっていたせいで、ベッドから落ちてしまったけど、今度は慎重にいこう。
ここで失敗するわけにはいかないから。
ゆっくりと体を動かし、足から順番に電動車椅子に乗せていく。
「……っ。ふう……」
どうやら今回は、ベッドから転げ落ちることもなく、乗り込むことができたようだ。
体が正面になるように座り直すと、肘でジョイスティックを操作し、電動車椅子を動かす。
病室のドアを肘ですこしだけ開けて、まわりに誰もいないことを確認してから……廊下に出た。
静かで暗い病院内を、1人でゆっくりと進む。
目的地である、屋上を目指して。
かなり時間はかかったけど、なんとか屋上に向かうエレベーターに乗り込むことができた。
肘でボタンを押して、到着するのを待つ。
…………………………。
しばらくして、屋上に出る扉の前までくると……
くわえたままの鍵を鍵穴に差し込み、首をひねって解錠した。
そのあと口から鍵を放し、アゴを使ってドアノブをまわす。
「くっ」
予想以上に苦労したけど、なんとかドアを開けることができた。
ふぅ……ようやく、たどり着けた。
夜の屋上は、月夜のおかげで思っていたよりも明るい。これなら、向かうべき場所を間違えることもないだろう。
あとは――
「器用なことするわね」
「!?」
背後から聞こえた声に、心臓が飛び出るんじゃないかというくらい驚いた。
なにしろ今、一番会いたくない相手である……
真都香さんが、オレに続いて屋上にやって来たからだ。
「ま、それだけ元気があるってことかしら」
「真都香さん、なんでここに」
「あんたの考えることなんてお見通しよ。ダテに依存されてないんだから」
「止めないでください」
「止めないわよ」
「えっ!?」
「あたしがなにか言ったところで、あんたが考えを変えるとは思わないし」
「…………」
「でも、これだけは言わせてもらうわ。あんたはたしかに、これまで数多くの不幸を経験してきた。そして自分の体も、そんな風になってしまった。これから生きていく上で、不便に思うこともたくさんあるでしょう。でも――」
「自分の体のことなんて、どうでもいいんです!」
真都香さんの言葉を、オレは声を荒げながらさえぎった。
「そんなことより、オレはとんでもないことをしてしまったんですから!!」
「とんでもないこと?」
「ええ。オレは……オレは紗耶香を殺したんです。あなたの大切な妹を、殺してしまったんです! この呪われた、瞳の力を使って!!」
「…………」
オレの告白を、真都香さんは冷静に受け止めているようだった。
そのことについては、すでに気づいていたんだろう。
「瞳の力……ね。そんなこと言っても、誰も信じないと思うけど。現に、紗耶香ちゃんは行方不明ってことになっているし」
「でも、オレが人殺しである事実は変わりません。真都香さんは、そのことを理解しているはずです。紗耶香が消えたとき、目の前で見ていたんですから」
「……そうね。状況からして、紗耶香ちゃんがあんたの視線を受けたことによって消滅したのは間違いないと思うわ。それは見ただけで相手を消せるから、ある意味最強の力よね」
「オレは……オレはこんな力を得たかったわけじゃない。ただ、みんなが幸せになってくれれば……楽しく生きていてくれれば、それだけでよかったんです」
「…………」
「それなのに――それなのに、みんな死んでしまった! オレのせいで、殺してしまった!」
全部……全部、オレの責任なんだ。
「それに、この力を狙っている人物もいる。オレはこの先、ずっと狙われ続けることになるんです。オレが生きている限り、また犠牲者が出るかもしれません。だから、だから――」
「死のうと思ったわけ?」
「は、はい」
オレの決意を、真都香さんが口にした。
もう二度と、自ら死を選ばないと琉璃佳と約束したのに、それを破ることになってしまう。
だけどそれ以外に、自分の選ぶべき道が見つからなかった。
「もし……あんたと同じ状態になったら、あたしも同じ行動をとったかもしれないわ。誰もあなたの行動を、止めることなんてできないと思う。死のうとする人間を止めるためには、結局のところ、相手の心情を変えるしかないんだから」
オレの思考をすべて見透かしたかのように、真都香さんが語ってくる。
「それを簡単にできてしまうのが、ゴシックの瞳なのよね」
「……っ」
看護師という職業も、理由のひとつかもしれないけど……この人だって、いろいろなことを経験しているはずだ。
「なんか、真都香さんがそういうことを言うと、すごく説得力があります」
「あたしも今まで、いろいろあったもの。自分の好きなように生きてきたけど、好きなように生きるために、精一杯、努力してきたつもりよ。なにもしない連中や、批判しかしてこない連中を、そうやって全員黙らせてきた」
きっと、オレなんかでは予想もつかないほど、苦労してきたに違いない。
「でなけりゃ、夢灯の家を飛び出したりはしないわ。あそこは母親の言うことさえ聞けば、これ以上ないくらい豪勢な暮らしが約束されていたし」
「…………」
「でもね。そんな生き方が幸せだとは、あたしには思えなかった。だから苦しくても、自由になる道を選んだの。ま、ずいぶん嫌がらせを受けたけどね。うちの母親は陰険だったから」
「強いですね。真都香さんは」
「違うわ。強くあろうとしてるだけよ。人はみんな誰だって、弱くて臆病な生き物なんだから……特別な力があったりしたら、それに頼ってしまうのも当然よ」
「オレも力に頼ってしまった人間です。そして紗耶香を……殺してしまった」
「自分の罪が許せないから、死を選ぶの?」
「はい。それにこれ以上、犠牲者を出したくないってのもあります」
「だとしたら、あんたに依存しているあたしも、あとを追うことになるわよ」
「それは大丈夫です。真都香さんほど心の強さがあれば、オレの依存なんて払いのけられるはずですから」
「そんなこと――」
「あります。だってオレは、真都香さんのことを誰よりも信じていますから。その点については心配していません」
「ちぇっ。信じてくれるのは嬉しいけど、『あたしの思い』じゃ、あんたの抑止力にならないのか」
「すみません」
「まあ、仕方ないか」
真都香さんが、あきらめきったような声を出した。
オレの決意を覆すことは、誰にもできないだろう。
「だったら――だったら、あんたの『妹たちの思い』なら……どう?」
「えっ?」
「言われてたでしょ。『どんなことがあっても……生き続けてください』って。あたし、ちゃんと聞いていたんだから」
「あ……」
茉莉花の……最後の言葉。
「あんたはそのとき、『なんでおまえも、同じことを言うんだよ』って言っていたわよね。それって、あんたの彼女だった子も、同じことを言ったってことでしょ!」
「あ、ああ……」
そうだ、オレは――
オレは結梨花と茉莉花に、同じことを言われている。
『おまえだけは、なにがあっても生き続けてくれ。それが私の願いでもあるから』
結梨花……
『兄さま……だけは、どんなことがあっても……生き続けてください』
茉莉花……
「その思いを……願いを、あんたは無視するつもり?」
「……っ」
そんな、そんなこと言われても……
「だったら……いったい、どうすればいいんですか! どんなことをしたって、オレの罪が消えることはない。この世界に、希望すらありません! それなのに、生き続けないといけないなんて……死ぬことも許されないなんて――」
「生きなさい!!」
「!?」
「あなたにとってこの世界は、すでに価値のないものかもしれないわ! でもね、どんなにつらい思いをしても……どんなに悲しい思いをしても……精一杯、生き続けている人はいるのよ! この『現実の世界』をっ!!」
「……っ」
こ、この人は――
今までさんざん、ゲームではどうだとか言っていたくせに。
最後の最後で、現実を引き合いに出すのか。
このタイミングで、そんなことを言うのか。
「だけど――」
「いいから、あたしの言うことを聞きなさい!! あたしもあんたの妹たちと同じで、あんたを死なせたくなんだからっ! 好きな人に死んでほしくないのは、あたりまえでしょうが! そんなこともわからないの、この朴念仁!!」
もはや、なりふりかまっていられないのだろうか? 必死の形相で真都香さんが叫び声を上げている。
なんか最後の方は、悪口までまじっている気がするけど……
なぜか、すごい説得力を感じた。
本当に精一杯、生きているよな。真都香さんは。
「…………」
その姿を見て、オレは――
オレは自分の負けを、認めざるを得なかった。
そう、これが……これが正しい答えなんだ。
力なんてものに頼らず、思いの力だけで相手を立ち直らせる。自分の気持ちを……本心をぶつけて、相手を説得する。
そうすれば、相手の心情を変えることだってできる。
もちろん、失敗することもあるかもしれない。うまくいかないこともあるかもしれない。
だけど、あきらめなければ……
何度でも、挑戦し続ければ……
真実の幸福をつかむことができるはずだ。
これこそが、オレに……いや、オレたちにできなかったことなんだ。
「本当に強引ですね。真都香さんは」
「あたりまえでしょ! それをやるだけの覚悟だってあるわよ!!」
「あなたにはかないません」
「だから……えっ!?」
「……わかりました」
「わかったって、それじゃあ――」
「はい。オレは真都香さんと一緒に、この世界を生きていきます」
それが、みんなの願いだというのなら。
「ほ、本当に?」
「でも、真都香さんがいなくなったら、すぐに死を選ぶと思いますよ」
「……いいわ。それであんたが生き続けるなら、あたしにとっては安い買い物よ! あんたの命、あたしが預かろうじゃない」
まったく、普通の人間はそんな風に考えられないっていうのに。
どうやらオレは、永遠に真都香さんにかなわないようだ。
壊れた体と、壊れた心。
こんな状態で、どこまで生きていけるのか……正直、わからない。
だけど、妹たちの願いをかなえるために……
必要としてくれる真都香さんがいる限り……
オレは自ら死を選ぶことはないだろう。
…………………………。
そのためにも――
今ここで、やっておかなければいけないことが……ある。
同じ目線で、真都香さんと生きていくために。
罪の代償を、受け入れるだけではダメなんだ。
嘘の幸福を、繰り返すわけにはいかないから。
「真都香さん、ひとつだけお願いがあります」
「なに?」
「これからオレがやることを、黙って見ていてもらえますか?」
「…………」
「…………」
「……いいわ。なにをするかは、だいたい想像がつくし」
「さすがですね」
「邪魔したいところだけど、あんたとあたしのこれからのためだと思えば自制できると思うから」
「お願いします」
オレは真都香さんを、すこし離れたところに待機させた。
そして自分の心を落ち着かせる。
これからやることに対して恐怖はない。むしろ、誇るべきことだ。
……よし。
覚悟を決めると、オレは右腕をゆっくりと持ち上げて、人差し指と薬指の先を自分の両目に近づけた。
そして……自分の眼球をつぶした。
「づっ……」
両目から、突き刺さるような痛みが襲いかかってくる。
あまりの激痛に、意識が途切れそうだ。
でも、これで瞳の力はなくなるはずだ。
こんなものを存在させるわけにはいけない。だから、オレ自身の手で消し去るべきなんだ。
「ぐっ、うう……」
両足を失い、両手を失い、両目までも失った。
オレは1人ではなにもできない人間になってしまった。この先、普通に暮らすのも困難だろう。
でも、生きる道を選んだ。どんな姿になっても、生き続けることを選んだ。
この決断に、後悔はない。
たとえ、この先にあるものが……
儚き未来としても
エピローグ
「……うう」
「ん〜」
まぶたを開くと、キスをしようとしてくる橘先生の顔が眼前に迫っていた。
「ふん」
「あがぁあああああああああああああああああっ!!」
その顔めがけて、オレは問答無用で頭突きをくらわした!
顔面を押さえながら、橘先生が病室内をのたうち回る。
「なにをやっているんですか、あなたは!」
「いや、眠り姫を起こすのは、王子さまのキスと相場が決まっているじゃないか」
「誰が眠り姫ですか!」
「誰が王子さまよ。このバカ医者!」
間髪入れず、真都香さんも突っ込みを入れてくる。
いつもの場所で、いつもの3人が集まって、以前のように馬鹿騒ぎをしてしまう。
まるで夢のような時間が戻ってくる。
「ひどいな、それが恩人に対する扱いかね」
「そりゃあ、彼の目を治してくれたことには感謝するけど」
「本当に、見えるようになるなんて」
「それなりに優秀な医者を海外から雇ったからね」
以前ほどはっきり見えないけど、普通に生活するには十分だ。
――あれから数ヶ月後。オレは橘先生たちの力によって、視力を取り戻すことができた。
ただ、包帯を取って久々に見たものが、橘先生のアップってのは……どうなんだろう。
まあ、贅沢が言える立場じゃないけど。
「キミの場合、眼球そのものをつぶしたわけじゃなかったから、失明を免れたんだ。壊れていたのは角膜と前眼房、そして力の本体である虹彩と瞳孔までだったからね。もし、水晶体まで傷つけていたら、本当に失明していたかもしれない」
「そうですか」
「両腕がそんな状態だったのが、よかったのかもしれないよ」
紗耶香がやったことが、こんな形で好転するなんて。
世の中、なにがどう関係するかわからないな。
「それに、ちょうどいい感じの提供元もあったし」
「この瞳は、茉莉花のものなんですね」
「ああ。死ぬ間際で、意識もはっきりしているかどうかってときに――自分の体は、全部キミのために使ってほしいと遺志を示したからね」
「その話、本当ですか?」
「凛が確認したことだから嘘ではないよ。まあ、必要な書類はこっちで用意したけど」
「茉莉花……」
オレが今、こうしていられるのは全部、茉莉花のおかげだ。
だから彼女の最後の願いを、どんなことがあってもかなえていこう。
そして、結梨花の願いも。
「とにかく、僕は自分の仕事ができて満足だよ。危険な力である『魔瞳彩』、『黒檀の境界』をつぶすことができたんだから」
「それが、あなたの目的だったわけですか」
「そういうこと。魔瞳彩は使用者本人でなければ、現状ではどうやっても破壊することができないんだ。だからキミ自身につぶさせようと、いろいろ根回しをしたってわけ」
「…………」
「まあ、僕としてはキミに死んでもらっても、かまわなかったんだけどね」
「なんですって」
真都香さんが鬼の形相で橘先生を睨みつける。
「いや、そうならないようにするために、僕なりにいろいろと手は尽くしたんじゃないか。使用者が死んだ場合、力の転生が起こって、また力の持ち主を捜すことになるわけだし」
「でも、そのほとんどが裏目に出てたわよね」
「たしかに」
「ぐ、ぐぬぬ」
この人、それなりに優秀なくせに、変なところで抜けているよな。
なんか、木之本先生に似ている感じがする。
そういや柏木先生も含めて、3人とも白い白衣と黒いネクタイをしているけど、なにか意味でもあるんだろうか?
「ゴホン。とにかく……だ。キミは今まで、数多くの不幸を経験してきた。でも最後の最後で、こういう幸運が巡ってきたんだ。生きている限り、いいことってのはあるもんだよ」
「橘先生」
「なんだい?」
「以前も言ったと思いますけど、あなたがそういうことを言うと、ものすごく胡散臭い感じがします」
「キミねぇ。最後の最後まで僕を否定するつもりかい」
「はは……」
「まあとにかく、これでハッピーエンドといったところかな。だけど、大変なのはこれからだよ。幸せってのは、つかむよりも続ける方が難しいんだから」
「わかってます」
「この先にあるのが、儚き未来でないことを祈るばかりだよ」
最後は皮肉じみた笑みを浮かべて、橘先生が病室から去っていく。
でも、以前のような不信感は抱かなくなっていた。
多分、あの人の目的がはっきりしたのと、オレが瞳の力を失って本能的な敵対心を持たなくなったからだろう。
「ねえ」
病室に2人っきりになったところで、真都香さんがオレに身を寄せてきた。
「な、なんですか?」
「とりあえず傷が治ったら、地獄のリハビリが待ってるからね」
「いきなり脅しですか」
「あたりまえでしょ。あたしはあんたの手足になるつもりはないんだから。自分のことは、自分でなんとかするようにしなさいよね」
自分がオレの手足になるって言った紗耶香とは、全然対応が違っているよな。
まあ、これが正しい選択ではあるんだろうけど。
なにより、真都香さんらしい。
「わかってます。絶対に、なんとかしてみせますから」
「ふふ、いい返事ね」
「じゃあ、最後に聞かせてもらおうかしら」
「なにをですか?」
「あんたは今、幸せ?」
「もちろん。だって、オレは――」
オレは……真実の幸福をつかめたから。
最終章 結梨花:嘘の幸福 終了
ゴシックの瞳 儚き未来としても 完




