20日目 土曜日
「う、うう……」
「おっ、気がついたかい?」
「あれ?」
目を覚ますと、なぜか目の前に橘先生がいた。
「ここは?」
「キミの病室だよ。気分はどうだい?」
「ええと、大丈夫です。すこし目のまわりがズキズキしますが」
「そうか」
どうやら、病室のベッドに戻されてしまったようだ。
「オレ、どうやってここまで帰ってきたんですか?」
「真都香くんが気を失ったキミを、ここまで運んできたんだよ」
「真都香さんが?」
「ああ」
なんだろう? 意識を失う直前のことが、いまいちはっきり思い出せない。
それほど時間はたってないと思うんだけど。
「どれくらいの間、オレは眠っていたんですか?」
「丸一日ってところかな」
「丸一日!? そんなに長い間、眠っていたんですか?」
「1年後とかじゃないだけマシだよ」
「それは、そうですけど」
「正直、このまま目を覚まさないんじゃないかとすら思っていたんだから」
「…………」
完全に日にちの感覚が麻痺している。
せいぜい数十分しかたっていないと思ったから、あまりの違いにとまどってしまう。
「どうして、そんなに眠っていたんだろう?」
「おそらく、開花した力に体が耐えきれなかったからだよ」
「力? なんのことですか?」
「ふむ。どうやらまだ、自分の状況を理解できていないようだね。まあ、そのあたりについては、おいおい説明してあげるよ」
「はあ……」
「とにかく、今後は勝手な行動を慎んでもらえるかな。無断で病院を抜け出すなんて、なにかあったらどうするんだい」
「す、すみません」
そういやオレ、この人に内緒で外出していたんだった。
「なにがあったのか、だいたいのことは真都香くんから聞いてはいるけど……また、大変なことが起こってしまったね」
「ええ……あっ、そうだ! 茉莉花は……茉莉花はどうなったんですか!」
「キミの妹のことかい?」
「はい」
「彼女なら、この病院にいるよ」
「生きているんですか!?」
「今、生死の境をさ迷っているところだ」
「……っ」
「はっきり言わせてもらうけど、希望は持たない方がいいよ。真都香くんが応急処置を施したから、なんとか即死は免れたけど、改造して殺傷能力が高められたクロスボウが使われていたからね。正直、明日まで持つかどうかわからない状態だ」
「茉莉花」
さすがにそう何度も、琉璃佳のときみたいな奇跡は起こったりしないか。
「それにしても、まさか紗耶香ちゃんが人を殺めようとするとは」
「彼女は完全に、ゴシックの瞳の闇に飲まれていました」
「ふむ。どうやら彼女は、悪い方向に進んでしまったみたいだね」
「それで、紗耶香はどうなったんですか?」
「行方不明さ」
「行方不明?」
「ああ、キミの妹を撃ったのが、紗耶香ちゃんであることは間違いない。現場に残されていたクロスボウから、紗耶香ちゃんの指紋も検出されたしね」
「ええ……」
「だけど、そこからどうやって彼女が逃走したのかが、まったくわからない。真都香くんの話では、応急処置をしている間に逃げ出したってことになってるけど」
……どういうことだ? オレが意識を失っている間に、なにが起こったんだ?
たしかあのとき、紗耶香は突然いなくなった。
だけど、なんの痕跡も残さずにその場から消えることなんてできるのだろうか?
そんな、魔法じみたことが――
「いやはや、まったくもって滑稽だよ。現場には凶器であるクロスボウ以外にも、着ていた服と車椅子も残されていたっていうのに……それでどうして、逃走したって考えになるんだか」
「え……」
「一応、誰かの助けを借りたって線で警察は動いているけど、紗耶香ちゃんが見つかることはないだろうね」
「どうして、そう言い切れるんですか?」
「そのことも、あとでゆっくり話してあげるよ」
「は、はあ……」
「とにかく今は、眠った方がいい。まだ、まともに体を動かすこともできないだろうし」
「そう言われてみれば」
全然、動かせないわけじゃないけど、体がすごく重い。
なんだか、体中の力が抜け落ちたみたいだ。
「なにかあったら、ナースコールで看護師を呼びたまえ」
「はい。あっ、真都香さんはどうしているんですか?」
「彼女なら実家に戻っているよ」
「そう……ですか」
「いろいろと大変なんじゃないかな。あんなことがあったわけだし。院長も頭が痛いだろうね。今回ばかりは、もみ消すわけにもいかないだろうから」
「…………」
「僕はこれで失礼するけど、ちゃんと休んでいるんだよ」
「わかりました」
橘先生に言われるまま、オレは再び眠りについた。
「……あれ?」
再び目を覚ますと、あたりは真っ暗になっていた。
もう、消灯時間は過ぎているみたいだ。
…………………………。
なんとなく、嫌な予感がしてくる。
こういう状況で、あまりいい思い出がないから……悪い予想ほど的中するって言うし――
「やっと見つけたよ」
突然、病室の入り口から人の声がしてきた。
「だ、誰だ?」
「やあ、久しぶりだねぇ」
「へ、編集長!?」
そこには、数週間ぶりに見る編集長の姿があった。
「どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだよ。お屋敷での事件以降、君の消息がわからなくなったから、どこへ消えたのかと思ったら……まさか、こんなところにかくまわれていたなんて。意外と身近なところに、捜し物はあるものなんだね」
「オレに、なにか用ですか?」
「正確には、君に……じゃなくて、君の力に用があるって言った方がいいかな」
「オレの力?」
「そう、君の瞳に蘇った『魔瞳彩』、『黒檀の境界』に用があるんだよ」
「えっ?」
いきなり編集長の雰囲気が変化した。
これまでのような、おちゃらけた感じとは全然違う、獲物を狙う狩人のような気配を漂わせている。
この人は、いったい――
「それにしても、笑っちゃうよねぇ。茉莉花ちゃんには、力があったとしても使うものじゃない。なんてえらそうなことを言っておきながら、自分はちゃっかりその力を使っているんだから」
「オレが力を使った?」
「なんだ、理解すらしていないのか。君の鈍感ぶりにもあきれてくるね」
「どういうことですか?」
「君は昨日、ゴシックの瞳の最終段階を解き放ち、真の力を引き出したのさ。そして、夢灯の娘を……殺した」
「なっ!?」
「それすらわかっていないとは、つくづくおめでたいな君は。いや、ここの人間が事態を説明していないのが悪いのか」
オレが……オレが紗耶香を殺した?
そんな話、信じられるわけがない!
「ま、どっちでもいいか。夢灯の娘をたきつけたのは正解だったし、おかげで力の解放を目撃できた」
「まさか、紗耶香をあの場所に来させたのは――」
「僕の差し金さ」
「なんで、そんなことを」
「今週の月曜日だったかな。久々に夢灯の娘に会ってみたら、驚いたことに力の段階が上がっていたんだ。ゴシックの瞳の力は、同じ力を持つ者と関わることで上がりやすいから、もしかしたらと思ってね。で、彼女からいろいろと話を聞いて、君の所在を知ったんだ」
「…………」
「すぐに会いに来ようかと考えたけど、さすがにここに侵入するのは、僕でも骨が折れるんでね。そのうち君の方から、茉莉花ちゃんに接触してくるだろうと思ったから、しばらく見張っていたんだよ。すると案の定、おとといの夕方に連絡があったわけだ」
「それで、どうして紗耶香にオレと茉莉花が会う場所を教えたんですか」
「うまくいけば、夢灯の娘が持つゴシックの瞳を最終段階にできると思ったんだ。そうなるように、いろいろと手を打っておいたしね」
手を打っておいた? いったいなにを紗耶香にふきこんだんだ。
「でも、その前に君の方が真の力を解放してしまった。いやはや、まさか君がゴシックの瞳の最終段階になっていたとは……正直、予想外のことではあったけど、こっちとしては嬉しい誤算だったよ」
なんだよ……それ。
編集長は最初から、ゴシックの瞳の力が目的だったのか。
それを手にするために、オレたちに関わっていたのか。
「いったい、ゴシックの瞳ってのはなんなんですか!」
「ふむ、この際だから詳しく説明してあげよう。君がすべてを知った方が、僕の仕事もはかどるだろうし」
「…………」
「まず、ゴシックの瞳というのは、生と死の狭間に封印された力を転生させるものなんだ」
「転生させるもの?」
「そっ、ゴシックの瞳の最終段階は、その力を解放することでもあるんだよ。第1段階の魅了の力や、第2段階の依存の力は、その力の一部でしかない。そんなものは、自分と相手の境界をほんのすこし操作しているにすぎないからね。本来は、もっと高次元な『世界の境界』を操る力なんだよ」
せ、世界って……なんなんだ、その無駄にスケールの大きな話は。
しかも境界を操るとか、わけがわからない。
正直言って、また編集長の妄想話が始まったものかと思いたかった。
だけどオレは、ゴシックの瞳の力を何度も体験している。そのせいか、どうしても完全に否定することができない。
「とはいえ、最初から最終段階の力が使えるわけじゃないんだ。この力は、ひとつづつ段階をふんで、体になじませないといけないからね」
「なんで、そんなことをする必要があるんですか?」
「後天性の人間がいきなり力を持つと、その能力に耐えられずに心と体を壊されてしまうからさ。生まれつき力を持つ先天性でない限り、力そのものに殺されてしまうケースが多いんだよ」
たしかに、オレの知っているゴシックの瞳の持ち主は、みんな心を壊していった。
そして、ことごとく死に直面している。
「だけど、最終段階まで生き残って力の転生に成功すれば、黒檀の境界を手にすることができる。それがあれば、相手の持つ境界をすべて破壊することが可能になるんだ」
「い、意味が、よくわからないのですが」
「ん〜。わかりやすく言うと、人にはそれぞれ自分と世界をつなぐ境界が存在しているんだ。でも、それを破壊されてしまったら……どうなると思う?」
「どうって……」
「この世界に、自己を形成することができなくなってしまうんだよ」
「……?」
「つまり、消えてなくなるってことさ」
「なっ!?」
「ほら、昔『聖典』って言われていたアニメが似たようなことをしていたんだけど……わかるかい?」
「わかりません」
「そっか、まあ無理に理解しろとは言わないけど」
編集長の話が正しければ、それは自分が目にした人間を消滅させることができるってことだ。
そんな――そんなデタラメな力、ありえるわけがない。
「そんな力は信じられない……って顔をしているね」
「あ、あたりまえじゃないですか!」
「でも、その力を君は使ったんだよ。昨日、夢灯の娘に対してね」
「まさか――」
オレにその力があるっていうのか?
……待てよ。だとしたら、オレは――
「オレは昨日、その力を使って紗耶香を……」
「そう、この世界から消し去ったのさ」
「っっ……」
ば、バカな!?
「ようするに、殺したってことだね。無意識ではあっただろうけど」
「そんな――」
「いやもう、ホントすばらしいよ君は」
「な、なにが、すばらしいって言うんですか!」
「ふふ。僕はこれまで何人もゴシックの瞳の持ち主を見てきたけど、みんな最終段階に行く前に自害してしまうんだ。力の影響で、エスの中にあるリビドーが失われ、デストルドーが大きくなるから、仕方がないんだけどね」
「エス? なんですかそれ?」
「フロイトの定義さ。詳しく知りたいならググりたまえ」
編集長が話す固有名詞は、相変わらず理解しにくいものが多い。
いや、今はそんな言葉なんてどうだっていい。問題なのは、オレに人を殺す力があるってことだ。
「とにかく、ゴシックの瞳の持ち主は、力の段階が上がるごとに生に対する興味が薄れて、死へ向かおうとする欲動が強くなるんだ。だが君は、そんな中でも最終段階になるまで生き残り、そして力を発動させた。薬の影響もあっただろうけど、ようやく見つけたゴシックの瞳を解放した人間なんだよ」
し、信じられない。
それじゃあ編集長は、ゴシックの瞳の力を求めて、今まで暗躍していたってことなのか。
「もしかして、編集長も相手がゴシックの瞳を持っているかどうか知ることができるんですか?」
「ああ。でもだからと言って、僕はゴシックの瞳を持っているわけじゃないよ。それとは別の力を使って、相手の心を見ているのさ」
「相手の心を見る? それって――」
「おっと、僕の話はいいとしよう」
おそらく、編集長も鈴風さんと同じような特別な力を持っているに違いない。
だからオレや結梨花、そして紗耶香がゴシックの瞳を持っていることを知ったんだ。
「オレを、どうするつもりですか?」
「僕と一緒に来てもらうよ。その力はとてつもない価値を持っているからね。陳腐な言い方だけど、使い方次第では世界征服だって夢じゃないし」
「それをオレが、承諾するとでも思うのですか?」
「ふふ、君の意志なんてどうでもいいんだよ。人の心なんてのは、特別な薬を使えばいくらでも操れるから。そのことを君は実感しているだろう? 結梨花ちゃんが自殺した直後に」
あのとき打った薬か!
「それに、僕の組織には人の意志をある程度、操る力を持つ者もいる。君が完全に心を閉ざし、意識障害になったところで、さしたる問題ではないんだ」
「また、おかしな力を使って、人の意識を操るつもりですか」
「ああ、そうだよ」
「そんなことが許されると思っているんですか!」
「ふん。人外の力を得て、人を殺した化け物に、どうこう言われたくはないね」
「うっ――」
そうだ。知らなかったこととはいえ、オレは紗耶香を殺している。
編集長の言うように、人殺しの……化け物なんだ。
「どっちにしろ、君に選択肢はないのさ。ここにいたって、モルモットのような生活を続けるだけだ。それなら外に出て、僕のためにその力を使った方がいいと思わないかい?」
「……っっ」
冗談じゃない! どうせろくでもないことに協力させられるだけだ。
でも、こんな体では抵抗することもできない。
オレはここから連れ出されるのか? 編集長の言う通りにするしかないのか?
誰か……誰か、たすけ――
「人の患者に、なにを吹き込んでいるんだい?」
「えっ?」
唐突に、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「困るなぁ。彼には勝手にここを出るなって言ったばかりなんだし、連れ出すようなことはしないでもらえるかな」
いつものように、突拍子のないタイミングで橘先生が現れる。
「た、橘先生」
「貴様、いつの間に」
「やれやれ。彼の力を警戒するあまり、周囲に気を配ることを疎かにするとは。ま、ゴシックの瞳の最終段階を解放し、黒檀の境界を手にした人間を前にしたら、そうなるのも当然か」
「…………」
「久しぶりだね、蓮。君がこの件に関わっていたとは驚きだよ」
蓮? それが編集長の本名なのか?
そういえば以前、教えてもらったときは、違う名前だったような気がする。
それを知っているってことは、2人は知り合いなのかもしれない。
「なるほど、貴様が確保していたわけか。道理でこいつを見つけることができないわけだ」
「保護した……と言ってほしいな。僕は君みたいに、彼の自我を破壊する……なんてことをするつもりはないからね」
「ふん、力の価値もわかってないこんなガキよりも、我々の方がよっぽど有効活用できる。そう思わないのか?」
「それでいったい、何人の人間をこの世界から消し去るつもりだい?」
「はっ! 今さらなにを。貴様だってわかっているだろう。この世に存在する価値もない連中が数多くいることを」
「まあね。でも、だからって強制的に排除するなんてのは、僕の美学に反する」
「邪魔をするつもりか?」
「僕は自分の患者が連れ去られるのを、黙って見ているような人間じゃないんでね」
「あの女の犬に成り下がった男が、なにをほざく!」
「君だって、組織の犬みたいなものじゃないか」
「……っ。いいだろう、まずは貴様から消してやる」
「あっ!?」
会話を終えると同時に、編集長が病室を出ていった。
「キミはここから動くんじゃないよ」
「えっ?」
「巻き込まれると、あぶないからね」
そう言って、橘先生も病室から出ていく。
な、なんだ? いったいなにが――
「!?」
いきなり廊下から、金属がこすれ合うような音が聞こえてきた。
まさか、あの2人が戦っているのか?
明らかに普通の殴り合いとは違う音が、廊下から響き渡ってくる。おそらく武器を使った、命のやりとりをする争いが起こっているに違いない。
くそっ! 冗談じゃない。なにが、ここから動くんじゃないよ……だ。
橘先生がオレのために戦ってくれているのに、こんなところでおとなしくしていられるか!
昨日と同じように、うつぶせに体勢を変えて、なんとか車椅子に乗り移ろうとした。
しかし――
「うわっ」
暗い上にあせっていたせいか、うまく乗り込むことができなかった。
ぶざまな格好のまま、ベッドから転がり落ちてしまう。
「いてて……」
体のあちこちがズキズキと痛む。
だからといって、このままじっとしているわけにはいかない。
肘と膝を使い、ほふく前進の要領で、すこしずつ廊下に向かっていった。
オレが行ったところで、足手まといになるだけかもしれない。
でも――でも、このままなにもしないままなんて……絶対に嫌だ!
歯を食いしばりながら痛みに耐えて、ようやく廊下まで移動することができた。
周囲を見渡したけど、2人の姿はどこにもない。
「橘先生!」
大声で叫んでみたが、なんの返事も聞こえてこなかった。
くっ……そ……
「橘先生!!」
オレは再度、あらん限りの声で叫んだ。
すると――
「呼んだかい?」
「うわっ!?」
すぐ横から橘先生が現れた。
「せ、先生。無事だったんですね」
「ま、なんとかね」
「編集長は?」
「そこにいるよ」
「えっ?」
そう言われて、橘先生が指し示した方向を見ると……
近くにある階段そばから、編集長がこちらをうかがっていた。
「ちっ……」
「この状況は、キミにとってマイナスじゃないかな?」
「……いいだろう。今日のところは引き下がってやる。貴様が関わっている以上、こちらもそれなりの準備が必要だからな。だが、次はこうはいかないと思え」
「ふむ。じゃあ僕も、一言だけ言わせてもらおう」
「なんだ?」
「その金髪、似合ってないからやめた方がいいよ」
「ふん、食えない男だな」
「凛には会っていかないのかい?」
「必要ない。力を奪った半身などに、興味はないからな」
吐き捨てるように答えると、編集長は暗闇に消えていった。
「どうやら逃げたみたいだね」
「逃げた? 編集長がですか?」
「ああ、おかげで僕も命拾いしたよ」
「命拾いって……せ、先生、血が!?」
暗くて気づかなかったけど、先生の右腕からかなりの量の血が流れ出ている。
「これくらい大したことないって、なめときゃ治るよ」
「なにを言っているんですか! すぐに手当をしないと」
「大丈夫大丈夫、死なずにすんだだけでも奇跡みたいなものだったんだから。なにしろこっちはただの医者で……あっちはもと、殺し屋だからね」
「こ、殺し屋?」
「キミは彼のことをなにも知らないのかい?」
「は、はい」
「そうか、あのまま僕一人で戦い続けていたらあぶなかったよ。いや〜、キミがヒーロー体質の暑苦しい男でよかった」
「え……」
「ほら、ああいう風に言えば、無理してでもやって来ると思ったし」
ま、まさか、オレを駆り立てるために、あんなことを言ったのか。
この人、本当に食えないな。
「でも、オレが駆けつけたところでなにもできませんよ」
「そんなことないさ。キミは僕があの男とやりあって、もし命の危機に瀕したらどうしていた?」
「どうって……あっ!?」
「また、力を使うことになったんじゃないかな?」
「…………」
たしかに、オレは迷うことなく力を使ったかもしれない。
「だから彼は逃げたんだよ。その力に対抗する手段はないからね」
「でも、あきらめたわけじゃ……ないですよね」
「まあ、今は無事だったことを喜ぼうじゃないか。とりあえず、病室に戻るとしよう」
「……はい」
オレもいつまでも、床にはいつくばっているわけにもいかないし。
「ちょっと失礼するよ」
「えっ、うわっ!?」
橘先生が片手で軽々とオレを持ち上げて、肩に担いでくる。
「せ、先生って、見かけによらず力持ちなんですね」
「見かけによらずってのはどういう意味だい。こう見えても僕は、脱いだらすごいんだから」
「は、はあ……」
「なんなら見るかい?」
「見ません!!」
「はっはっはっ、それは残念だな」
これがさっきまで、殺し合いをしていた人のセリフだろうか。
とにかく、橘先生に担がれた状態で、自分のベッドに戻ることになった。




