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19日目 金曜日

 翌朝――


「おっはよ〜」


 いつものように、朝食の時間に合わせて真都香さんがやって来た。


「おはようございます。あの、真都香さん」

「今日のこと……よね」

「はい」

「多分、大丈夫のだと思うわ。あなたは時間がくるまで普段通りにしてればいいから」

「わかりました。それと、このことは橘先生には内緒にしておきたいんですけど」

「そうね。バレたら絶対、反対されるでしょうし。ただでさえ度重なる不祥事で、自分の立場があやうくなっているみたいだから」

「あの人に見つかることなく、抜け出せるでしょうか?」

「やっかいな相手ではあるけど、弱点をつけば問題ないわよ」

「弱点?」

「そっ、時間前になったら『そういえば今朝、男と朝帰りしているあんたの弟を見かけたわよ』って言うの」

「そんな嘘、すぐにバレませんか?」

「そう? 血相変えて出ていくと思うけどな」

「は、はあ……」

「とにかく、あんたは夕方までおとなしくしていてちょうだい」

「わかりました」


 この件に関しては、オレ1人ではどうすることもできない。

 真都香さんに任せるのが一番だろう。


「こんなことがバレたら、あたしはクビじゃすまないわね」

「すみません」

「いいわよ。あんたに依存している以上、逆らうことはできないんだから」

「やっぱり、オレの力を使うべきではなかったんじゃ――」

「その話はやめましょう。それに、あたしが使ってくれって頼みもしたんだし」

「でも……」

「ま、なるようにしかならないって」


 強いよな、真都香さんは。オレのようにグダグダ考えたりせず、前を向いて行動している。

 だから誰よりも信用できるし、強い心を持っているんだ。

 真都香さんならきっと、依存の力を打ち消すこともできるだろう。

 オレみたいに、不幸に飲まれたりはしないはずだ。


「なに? じっと見つめて、あたしの顔になにかついてる?」

「いえ、なんでもありません」


 今は、よけいなことを言わない方がいい。必要以上にオレに依存することのないようにしないと。

 そのあと、真都香さんに手伝ってもらいながら朝食を食べた。



 いつものように、午前中に外科の担当医に回診に来てもらって診断を受ける。

 傷の方はだいぶよくなってきているようだ。

 それが終わっても、オレは病室から出ずに、おとなしく待つことにした。



 お昼になったところで、真都香さんが再びやってきた。


「今のところ問題ないわね」

「ええ、いつも通り過ごしています」

「こっちも大丈夫よ。あとは夕方になるのを待ちましょう」

「わかりました」

「ところで、あんたの車椅子って新しいものになってるのね」

「橘先生に電動車椅子を用意してもらったんです」

「へぇ……でも、その体だと1人でベッドから乗り込めないでしょ」

「その辺はなんとかしますよ」

「必要なときはあたしが手伝ってあげるから、無理はしないでよね」

「ありがとうございます」


 とはいえ、真都香さんにあまえてばかりもいられない。

 万一に備えて、1人でも動けるようにした方がいいだろう。


「それじゃあ、昼食にしましょうか」

「はい」


 今日も真都香さんに手伝ってもらいながら食事をとった。



 午後になってからも、病室内で時間が過ぎるのを待つしかなかった。

 その間に、自分にできることをやってみる。



 5時前になったところで、真都香さんが迎えに来てくれた。


「行くわよ」

「こっちは、すぐにでも出られます」


 オレはあらかじめ、電動車椅子に乗って待機していた。


「あんた、どうやって1人で乗り込んだのよ」

「うつぶせの状態になって、足から車椅子に移るようにすれば、膝と肘しか使えなくても乗り込めますよ」


 昼過ぎからずっと、その練習をしていたし。


「ただ、傷が治りきってないので、かなり傷みましたけど」

「もう、無理をするなって言ったのに」

「すみません」


 でも、これくらいはできるようにしておかないと、なにかあったとき困ってしまう。


「とにかく、急ぎましょう」

「はい」


 さすがにまだ、自分で電動車椅子を操作するのは大変なので、真都香さんに後ろから押してもらいながら病室を出る。

 誰にも気づかれないように、あくまで病院内を散歩でもしているかのような雰囲気で廊下を進む。

 やはり監視の目は届いてないのか、誰かの視線を受けることもなかった。



 しばらく進んだところで、裏口に出るドアらしきものが見えてきた。


「あそこから外に出られるわ」


 どうやら無事、目的地に到着できそうだ。

 思いのほかあっさり到達できて、拍子抜けしてしまう。


「なんか真都香さん、手慣れてませんか?」

「だってこのルートは、これまで何度も仕事をサボるのに使ってるから」


 なるほど、納得がいった。

 いつもなら突っ込みを入れたいところだけど、今回ばかりはそのサボリ癖に救われたわけだ。



 真都香さんが裏口のドアを開けて、病院の裏手にある公園に出た。

 ここに来るのも久しぶりだ。

 以前は、茉莉花に結梨花と付き合うことを告げるために来たっけ。

 その前は、オレが自殺をしたときか……。

 いろいろと思い出して、感慨深くなってくる。

 だけど今は、それほど時間に余裕があるわけじゃない。


「真都香さん」

「ええ、見つかる前に進むわよ」


 オレたちは待ち合わせ場所である、公園の反対側にある湖を目指した。



 指定していた湖のほとりに着くと、そこには数週間ぶりに見る、茉莉花の姿があった。


「お久しぶりです。兄さま」

「茉莉花」

「やっと……やっと、会えました」

「ああ」

「…………」

「えっと……あたし、ちょっと離れたところにいるから、2人で話してていいわよ。なにかあったら呼んでよね」

「ありがとうございます」


 真都香さんが気を使って、すこし離れた場所まで移動してくれる。

 茉莉花と2人きりになったところで、オレは話を切り出すことにした。


「今日、呼び出したのは、ようやく自分の気持ちにけじめをつけることができたからなんだ」

「兄さま……えっ!? その姿は、どうされたのですか?」


 オレの体に巻いてある包帯に、茉莉花が気づいたようだ。


「ああ、これか。いろいろあって、両手と両足が思うように使えない体になったんだ」

「そんな……」

「でも、生きている。以前みたいに、結梨花のあとを追って死のうとしたりはしない」

「…………」

「物事に対して無関心になったり、すべてを投げ出して逃げたりすることもない。曖昧だった記憶も蘇り、自分が持つ『力』のことも理解できるようになった」

「どうやら、編集長の言った通りになったようですね」

「あの人は、この力のことを知っていたんだな」

「はい。力を持たないわたしがそばにいても、なにもできないと言われたときは本当につらかったです」

「仕方ないさ。この力の持ち主は、同属にしか心を開こうとしないから」

「もし、わたしにも同じ力があれば、兄さまを救えたかもしれないのに」

「茉莉花が悪いわけじゃない。それに昔のオレは、こういったものを信じてはいなかった。だから、オレにも責任があるんだ」

「兄さま」

「でも今は、はっきりと理解することができる。結梨花がオレに、なにをやったかということも」

「では……」

「ああ。結梨花はこの力を使って、オレと恋人同士になったんだな」

「……死ぬ直前、姉さまはわたしにそのことを教えてくれました」

「そうか、結梨花はオレの心を操ったのか」


 わかっていたことではある。だけど、どうしても認めることができなかった。

 だって、未だにオレは結梨花のことを、自分の彼女だと思っているから。


「姉さまは、自分が死ねば力の影響は消えるだろうと言っておられました。しかし――」

「結梨花が死んでも、力の効果は失われなかった。それどころか、オレがあとを追うような事態になった」

「はい」

「だから茉莉花は、オレに偽りの記憶を植えつけたんだな」

「他に方法が……なかったので」

「…………」


 たしかにゴシックの瞳の効果は、上書き以外に解除の方法がない。

 しかし、それが最善策というわけではない。

 現に、明日佳さんは琉璃佳のあとを追って自害し、そして琉璃佳も死んでしまった。

 『人を呪わば穴二つ』なんてことわざがあるけど、ゴシックの瞳はそれを見事に表している。

 相手に力を使えば、同じ力が自分に返ってきて、相手と自分を不幸にする。

 これは決して便利な力なんかじゃない。破滅へと導く、呪われた力だ。


「ごめんなさい。兄さまをだますようなことをして」

「いや、そのことについては、むしろ感謝している」

「えっ?」

「おかげでオレは、生き残ることができたから」

「兄さま」

「だけど……それでもオレは、今も結梨花のことを自分の彼女だと思っている。たとえこの気持ちが、結梨花の力によって作られた、嘘の感情であっても。オレが本当に好きなのは、結梨花ではなかったとしても」

「その思いを変えることは、普通の人間には不可能なのかもしれません。でも、わたしは……わたしは兄さまが生きていてくれれば、それでよかったんです。そのためなら姉さまと同じように、兄さまをだますことになっても、いとわないつもりでした」

「茉莉花」

「それなのに――それなのに、そんな体になってしまうなんて」

「仕方ないさ。オレは間違ってしまったから……この傷は、罪の代償だと思っている」

「罪?」

「そう、オレの罪は……ゴシックの瞳の力を使ったことだ」

「え……」

「この力は、すごく便利だ。使い方次第では、相手の意思を操ることもできる。それも相手に気づかれないまま、誰にも疑われることなく」

「…………」

「でも、そのせいで不幸を呼び込んでしまう。人の意志を勝手に操った、報いを受けることになる。それをオレは身をもって経験してきた。だからオレは……いや、オレと結梨花は間違ってしまったんだ」


 そして、紗耶香と明日佳さんも。


「たとえ、死に急ぐ相手がいたとしても……どうしようもないほどの問題を抱えていたとしても、こんな特別な力なんてものに頼るべきじゃなかったんだ。人として持っている力だけで、問題を解決すべきだったんだ」


 それを唯一実行できたのが、琉璃佳だった。

 そんな彼女に対して、オレは力を使い死に至らしめてしまった。

 彼女の気高さを、消し去ってしまった。


「ですが、その力を使わなければ、兄さまは自殺していたんでしょう?」

「たしかに、オレは茉莉花が死んだと思い込んだとき、この世界に絶望し自ら命を絶とうとした。そんなオレを止めるために、結梨花はゴシックの瞳の力を使ったんだと思う」

「でしたら――」

「だけど、その行為そのものが間違いだったんだ。それで幸せになったとしても、心を操作している以上、真実の幸福ではない! 嘘の幸福でしかないんだ!!」

「兄さま……」

「そういう風に、頭ではわかっていても――今の自分の気持ちは、どうすることもできないんだけどな。いろいろあって、茉莉花たちのおかげで今はこうしていられるけど、オレは一生、結梨花の嘘の幸福に縛られたまま生きていくことになる」

「もう、どうすることもできないんですね」

「ああ。でも結梨花は、オレを生かすためにゴシックの瞳の力を使った。だからオレは、この気持ちを一生かかえていくつもりだ」

「えっ?」

「自分から消すことも、誰かに消してもらうこともしない。それがオレの……オレなりの、けじめのつけ方だから!」


 この先、オレが力を使わない限り……

 ゴシックの瞳によって、誰かが不幸になることもないはずだ。


「兄さまは、これからどうなさるおつもりですか?」

「…………」

「家には、帰ってきてくださらないのですか?」

「茉莉花」

「わたしのもとには、帰ってきてくださらないのですか?」


 茉莉花がすぐ側まで近づいて、オレに懇願してくる。

 その姿にオレは……自分の決意を告げようとした。


「茉莉花、オレは――オレ……は……」

「あぐっ」

「……えっ!?」


 いきなり茉莉花の口から、赤黒い液体が吐き出された。

 そして、力なくオレに覆いかぶさってくる。


「な……んだ?」


 不思議に思いながら、茉莉花の体に視線を向けると……背中の中央付近に、細長い矢のようなものが刺さっていた。

 まっ、まさか!?


「に、兄……さま……」


 茉莉花が顔を上げて、オレのことを見つめてくる。

 同時に、さっきの赤黒い液体が血であることを理解した。


「茉莉花……しっかりしろ! 茉莉花っ!!」

「わ、わたしのことは……いいです」

「いいわけないだろ! なにを言ってるんだ!!」


 なんだこれ?

 なんなんだ、これは!


「でも、兄さま……だけは……兄さま……だけは、どんなことがあっても……生き続けてください」

「あ、あああ……」


 なっ、なんで――


「なんでおまえも、結梨花と同じことを言うんだよ!」

「……だって、わたしも姉さまも……兄さまのことが――だい……す――」


 最後まで語ることなく……

 茉莉花はオレが乗る電動車椅子の、すぐそばに倒れてしまった。


「茉莉花っ! 茉莉花っっ!!」


 あ、あああっ……

 オレはまた、目の前で大切な人を失うのか?

 なにもできないまま、ただ見つめていることしかできないのか?

 誰が……いったい誰が、茉莉花を――


「なるほど、その女があなたの彼女というわけですか」

「うっ!?」


 聞き覚えのある声が、左手奥にある階段の上からしてきた。

 その方向を見上げると……クロスボウを構えてこちらを睨みつける、紗耶香がいた。


「さ、紗耶香!?」

「ふふ、でも死んでしまいました。これで私が、あなたの彼女になることができます」

「な、なにを言ってるんだ! 紗耶香っ!!」

「なにって、邪魔者を排除しただけですよ?」

「邪魔者?」

「ええ、どうやらあの黒い服の女は、勝手に自滅したみたいですが……その女がいる限り、あなたは私のことを見てくれそうにありません。だから、いなくなってもらったんです」

「そんな、そんなことで茉莉花を殺したったいうのか!」

「あなたは――あなたは、わたしのことだけを見ていればいいのです」

「ぐあっ!?」


 紗耶香の言葉を聞くと同時に、オレの目の前に模様が浮かび上がった。

 そしてまた、自分の心が壊れる音がする。


「くっ……」


 以前と違って、紗耶香はゴシックの瞳の力を使いこなしているみたいだ。

 強力な力で、オレの心を服従させようとしてくる。


「ふふ。聞いたところによると、あなたは他の女に依存の力を使われているようですね。ならばその力を、私が打ち消してさしあげましょう。今の私になら、それが可能ですから」

「……っ」


 さすがに同属同士で、あれだけ強い思いをぶつけられると、強制的に心が動かされそうになる。

 今の状態でもう一度、視線を受けて、果たして耐えることができるだろうか?

 このままだと、紗耶香に依存することになる。

 ……冗談じゃない。オレはこの気持ちと、一生付き合っていくって決めたんだ。

 そう、心に誓ったんだ。

 結梨花への思いを、簡単に消されてたまるものか。

 それに、傷ついた茉莉花をなんとかしないと――


「ちょっと、なにをやっているのよ!」


 すこし離れたところにいた真都香さんが、あわてた様子で駆けつけてきた。


「真都香さん、お願いします! 茉莉花が……茉莉花がっ!!」

「わかってる。すぐに応急処置をするから!」


 倒れたまま動かない茉莉花に、真都香さんが手当を施してくれる。

 こんな体ではなにもできなくて、もどかしくなってしまう。


「邪魔をするつもりですか? 姉さん」


 その様子を見て、紗耶香が冷ややかに声をかけてきた。


「あたりまえでしょ! 医者のくせに、人を傷つけてるんじゃなわよ」

「そんな女、助ける価値なんてありませんよ」

「それは紗耶香ちゃんの価値観で、あたしの価値観じゃないわ!」


 紗耶香の顔を見据えながら、真都香さんが反論する。


「もう一度言います。そんな女を助けるのは、やめてもらえませんか」

「お断りよ!」


 紗耶香からの警告を、真都香さんはきっぱりと拒否した。


「……? どうして私の言うことに反論するんですか?」


 自分の力が及ばないことに、紗耶香が動揺しているみたいだ。


「おあいにくさま。あたしは今、この人に依存しているの。力を上書きしてもらったから、もう、紗耶香ちゃんの言いなりにはならないわ」

「なるほど、そういうことですか」


 たしかに、紗耶香の力が真都香さんに通用することはないだろう。

 しかし――


「もう、私のお願いは聞いてくれないんですね」

「……これまでは1人で勝手に家を出て、あなたを残してきたことに対する罪悪感もあって協力してきたわ。でもこれ以上、好きにはさせないんだから」


 いや、ダメだ!

 今の紗耶香は、他人を殺すことになんの躊躇もない。

 ゴシックの瞳の闇に飲まれた人間は、自分だけでなく人の命に対しても関心を持たなくなる。

 このままだと、また――


「結局、そうなるんですね。姉さんはいつも最後に私を裏切る。私の知らないところで勝手なことばかりして、私のことを否定してくる」

「…………」

「どうあっても、その女を助けるつもりですか?」

「当然でしょ!」

「ならば――ならば姉さんも、排除するまでです」


 紗耶香がおかしな形をした矢をクロスボウに装填して、真都香さんに狙いをつけた。

 マズい!


「やめるんだ、紗耶香!」


 オレは紗耶香に、大声で語りかけた。


「すぐに終わるので、待っててもらえますか」

「なにを言っているんだ! オレの……オレの頼みが聞けないっていうのか!!」

「あなたこそ、なにを言っているんですか? 2人のためを思うなら、こうして邪魔者を消していくのが一番じゃないですか」

「うっ……」


 ダメだ。今の紗耶香には、なにを言っても通じない。

 先週の琉璃佳や、お屋敷での明日佳さんと同じ状態になっている。こうなると、説得なんてできるわけがない。

 いったい、どうすれば――どうすればいいんだ!


「撃ちたければ撃ちなさい。あたしは、自分が正しいと思ったことをやるだけよ」


 紗耶香の脅しに対して、真都香さんは一歩も引こうとしなかった。


「本当に、最後まであなたらしいですね。でも、それで生き残れるわけじゃありませんよ」

「……っ」

「さようなら、姉さん」

「や、やめろ――」


 やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろっ!!

 引き金にかけられた紗耶香の指に、力が入ろうとしているのがわかる。


「うっ、うううっ……」


 この体では、真都香さんをかばうこともできない。

 琉璃佳のように、自分を犠牲にして守ることすらできない。

 オレは、なんて無力なんだ。

 また目の前で、大切な人を失ってしまうのか? 疫病神に逆戻りしてしまうのか?



『……ご主人さまは、明日佳たちにとって……疫病神でしかありませんでしたね』



「あ、ああ……」


 絶望に叩き落とされる言葉が、記憶と共に蘇ってくる。


「あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


 オレは心の奥底から、声にならない声を上げた。

 すると――

 眼前に、ゴシックの瞳の模様が浮かび上がってきた。

 今まで何度も浮かび上がってきた、十字架と剣、そして心臓を描いた瞳の刻印。

 それが、かつてないくらい強く浮き出ている。

 次の瞬間、瞳の刻印が視界のすべてを多い尽くすほど広がり……そのまま消えてなくなってしまった。

 同時に、オレの中にあるなにかが轟音と共に砕け散る。

 な、なんだ……これは?



 瞳から刻印が消え去り、再び視界が戻ってくると……

 世界のすべてが、薄黒くにごっていた。

 まるで自らの心の中を表しているかのように、なにもかもが暗闇に覆われている。

 だけど……オレの気持ちは、意外にも落ち着いていた。

 くすんだ景色に身を任せながら、心の底から願いたてる。

 ……助けるんだ。真都香さんを助けるんだ。

 もう、誰かが傷つくのを見たくはない。これ以上、誰も死なせたりはしない!

 だから、だからっ……


「オマエヲ――オマエヲ、コノ世界カラ……排除シテヤルッ!!」


 強い感情を込めた視線を、紗耶香に向けてなげかけた。

 それはまるで、なにかの意志を持っているかのように、紗耶香の体にまとわりついていく。

 そして……


 『パシャ!!』


 水がはじけるような音がしたかと思うと、視界から紗耶香が消え去った。


「え……」

「な、なに? なにが起こったの?」


 すぐそばから、驚きとまどう真都香さんの声が聞こえてくる。

 オレも、なにがどうなったのかわからなかった。

 紗耶香がいた場所には、車椅子とクロスボウ、そして着ていた衣類だけが残されている。

 漆黒に包まれた視界の中で、わけがわからないまま呆然と立ち尽くしてしまう。

 ……なんだ? いったい、なにがおこっ――


「あっ、ぐっううっ!?」


 突如として、両目から激痛がしてきた。


「があああああああああああああっ!?」


 目を閉じて、なんとか痛みをこらえようとしたけど、まったくおさまりそうにない。

 それどころか、両目から顔全体……いや、全身に痛みが広がっていく。


「あ、ああああああああああああああああああっ!!」

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!」


 近くにいるはずの真都香さんの声が、なぜか遠くの方から聞こえてくる。

 その言葉に、なにも答えられないまま……


「ぐっ、ああっ――」


 オレは自分の意識を、かき消されてしまった。

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