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12/15

18日目 木曜日

「ぐっも〜に〜〜ん」

「お、おはようございます」


 いつもと変わらない調子で、真都香さんが病室にやってきた。

 昨日の午後、あんな醜態をさらしてしまったけど、これまでと同じようにオレに接してくれる。


「今日も一日、お世話してあげるわね」

「ありがとうございます」


 今まで何度も真都香さんにはお世話になってきた。

 その恩を考えたら、感謝してもしきれないだろう。


「なんなら、ネコミミメイドのコスプレでもしてあげましょうか」

「いや、それはいろいろと問題になりそうなのでやめてください」

「平気よ。あなたはこの病院ではVIP並みの待遇なんだから。どうしても着せたかったんですって言えば、コスプレくらい許してくれるわよ」

「あの、オレをネタにして自分の趣味を実行しないでもらえますか」

「もう、おもしろみがないんだから」


 こういうところも、彼女なりのコミュニケーションの取り方なんだろう。真都香さんのオレへの対応は、ずっと変わらないままだ。

 だから、違和感がすることもなかった。

 いや、違和感がないこと自体が違和感になっていたのかもしれない。


「それじゃあ、朝食にしましょうか」

「はい」


 昨日と同じように、真都香さんに手伝ってもらいながら朝食をとる。



 それが終わったところで、オレは真都香さんに質問をなげかけることにした。


「あの、真都香さん」

「ん? なに?」

「ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」

「なになに? なんでも聞いてよ。あっ、もしかして、あたしのスリーサイズが知りたいとか?」

「いえ、真都香さんの……名字を教えてほしいんです」

「…………」


 一瞬だけ、真都香さんの顔がこわばった感じがした。


「え〜、なんでそんなことを聞くのよ」


 しかし、すぐにいつもの調子に戻る。

 だけど、さっきの表情で確信が持てた。


「ほら、真都香さん名札をしていないから、ずっとわからないままですし」

「あたしの名字くらい、その辺の看護師に聞けばいいじゃない」

「それだと、偽名を教えられそうなので」

「…………」

「だったら、真都香さんの口から直接聞いた方が確実だと思ったんです」

「なるほどね」


 真都香さんの表情から笑みが消えた。

 オレがなにを聞き出そうとしているのか、わかったみたいだ。

 このあたりの理解力の高さは、さすがといったところか。


「あんたって、変なところでするどいのね」

「よく、言われます」

「いつ気づいたの?」

「なんとなく、そうじゃないかと思ってはいたんです」

「決め手になったのは昨日、名前の呼び方を思い出したからです」

「名前の呼び方?」

「ええ、先々週、真都香さんのことを名前で呼ぶようになったとき、紗耶香に『わかりやすいならいい』って言われたんです。それと、最初にオレの部屋で真都香さんを見たとき、紗耶香はなにかを言いよどんでいましたから」



『それより、あの……お……ど、どうしてここにいるんですか?』


 看護師さんを見ながら、紗耶香が不思議そうに尋ねる。



「だから、そうじゃないかと思っただけです。正直、ハッタリをかけたとこもあります」

「ふ〜ん……まいったわね。この真都香ちゃんが、一杯食わされるなんて」


 オレは今、真都香さんに対して恩を仇で返すようなことをしている。

 だけど、これは知っておかなければいけないことだ。

 今まで真都香さんがよくしてくれたのは、オレの持つゴシックの瞳に魅せられているからだと思っていた。

 でも、真都香さんほど心の強い人間が、魅了の力に屈服するだろうか?

 もしかしたらオレに罪の意識があって、それを償っていたのかもしれない。

 そのことを、今ここではっきりとさせておこう。


「ま、いいか。どうしても隠しておきたかったわけじゃないし」

「それじゃあ――」

「ええ。あんたの想像通り、あたしの名字は……『夢灯』よ」

「やっぱり」

「これでも一応、紗耶香ちゃんの双子の姉なんだから」

「双子!?」

「似てないでしょ?」

「あ、いえ、たしかに外見はそう見えますが、中身というか雰囲気は2人とも同じ感じがしたので。多分、姉妹だろうと思っていましたが、まさか双子とは」

「似てないのは、あたりまえなんだけどね。あたしは海外の大学に行くまで、この国で父親と一緒に暮らしていたから、幼い頃に海外へ行った紗耶香ちゃんや母親とはずっと会ってなかったし」

「そうだったんですか」

「双子が似た容姿になるのはね、遺伝子なんかもそうだけど、育った環境が同じで毎日同じものを食べたりしているからなのよ。だから、違う環境で育ったあたしと紗耶香ちゃんが似ていないのは当然ってわけ」

「なるほど」

「普段は父親の旧姓を名乗るようにしているの。その方が都合がいいし。名札をしていないのは、バッチリ本名で作られていたからよ」

「それで名札を外していたんですか」

「あたしは紗耶香ちゃんと違って落ちこぼれだったから、母親から早々に見切りをつけられちゃったの。で、捨てられるようにして父親のもとで暮らしてたわけ」

「それは、違うんじゃないですか?」

「えっ?」


 その言葉に、なぜか違和感がしてきた。


「本当は真都香さんの方が頭がよかったんでしょ? 前に言ってましたよね。自分の方がIQは上だって」

「そんなこと、よく覚えてるわね」

「いくつか……までは覚えてませんけど」

「もう、それだけ勘がいいなら、もっと他のことにも使いなさいよね」

「他のこと?」

「ま、今さら期待はしてないけど。たしかにその通りよ……あたしは自分から母親を拒絶したの。あんな人の操り人形になるのはまっぴらだったから、早々にバカな振りをして追い出されることにしたわけ」

「真都香さんらしいですね」

「でも、置いていった紗耶香ちゃんのことは心残りだった。だから――」

「だから、紗耶香の言うことを聞いてしまった」

「こんなことになるなんて、思わなかったのよ。でも、あたしは紗耶香ちゃんの願いを拒むことが、どうしてもできなかった。あなたの体を傷つけることになったとしても、あの子の望みをかなえてあげたかったの」

「…………」

「今でも、ものすごく後悔しているわ。一度ならず二度までも、手を貸してしまったんだから……言い訳に聞こえるかもしれないけど、自分でもどうして従ってしまったのかわからないのよ」

「わからないのは、当然です」

「えっ!?」

「真都香さんは、紗耶香に依存しているんですから」

「依存って、どういうこと?」

「真都香さんにこの話をするのは始めてですが、オレや紗耶香の持つゴシックの瞳のことは知っていますか?」

「相手を惑わす瞳の力ってやつでしょ? あの変態医師にいろいろと説明されたわよ。これからこの病院で、そういう人間を相手にするから、あたしに担当してほしいって。あたしが相手なら大丈夫だろうって、凛ちゃんに言われたんですって」

「鈴風さん……か」


 たしか、彼女には相手の心を見る力があるんだったな。

 その力は心の強い人間には通用しないみたいだから、効果が及ばないことから真都香さんの心の強さを見抜いたんだろう。


「他にもいろいろと、そのゴシックの瞳について説明されたけど……実際に見たわけじゃないし、正直、そんな力が現実にあるとは思えなかったわ。だから、今でもあたしは信じてない」

「意外ですね。真都香さんだったら、大喜びで飛びつくような内容だと思いますけど」

「たしかに、そういう中二病な話や設定はあたしの大好物だけど、それが現存するに違いない! なんて考えを持ったりなんかしないわ。あたしは現実と妄想をごっちゃにはしないもの」

「でも、力は実際に存在しています。そして、真都香さんはその力の影響を受けているんです」

「そんな……」

「オレは以前、同じように力を使われている子に接したことがあります。そのときわかったんですが、これは力の影響を受けていることに対して、本人に自覚がなかったり、まわりからはおかしく見えたりしないんです」

「で、でも……心を強く持っていれば、ゴシックの瞳の効果は及ばない聞いたわよ」

「はい。ですが、『親しい人間』に対しては別です」

「え……」

「どんなに心が強くても、家族や恋人に対しては心を許すときがあります。だから真都香さんは、知らない間に紗耶香に力を使われていたんです」

「まさか」

「真都香さんは紗耶香に依存しています。おそらく、彼女の言葉に逆らうことは絶対にできないでしょう」

「……っ」


 真都香さんの表情が、今まで見たことがないほど危機感に満ちた。

 さすがに事態を重く受け止めているようだ。


「あ、あなたがそう言うなら、そうなのかもしれないけど……だったら、あたしはどうすればいいわけ? このまま紗耶香ちゃんに依存し続けるの? また、あなたを傷つけることになるかもしれないの?」

「力を解除する方法が、ないわけじゃありません」

「本当に!?」

「でも、最善の方法というわけではないので……正直、今より悪くなる可能性もあります」

「いいから聞かせて! どうすればいいの?」

「オレの力を真都香さんに使います」

「あんたの力を?」

「はい」

「……なるほど。力を上書きするわけね」


 さすが真都香さん、飲み込みが早い。


「だけど、オレは以前それをやって、琉璃佳を死に追いやってしまいました」

「どういうこと?」

「依存の力が強すぎて、彼女は自分の体のことをまったく考えなくなってしまい、オレを守ることだけに執着してしまったんです。その結果、琉璃佳は自らの傷を悪化させて死んでしまいました」

「あの如月のお嬢さまに対して、あんたは力を使っていたのね」

「ええ。だから真都香さんにも、同じようなことが起こるかもしれません」

「…………」


 真都香さんが目を閉じて考え込んでしまった。

 当然か。突拍子もない話だし、昔のオレと同様、力のことを信じていないようだから疑ってかかるだろう。

 この提案も、受け入れてもらえるかどうか――


「いいわ、やってちょうだい」

「えっ!?」


 予想に反して、真都香さんはすぐに決断してきた。


「いいんですか?」

「他に方法がないんでしょ? だったら、ためしてみるのが一番じゃない」

「でも――」

「あ〜もう、あたしがいいって決めたんだからいいの! ほら、早く!」

「わ、わかりました」


 まさか、すぐに実行することになるとは。

 いや、こんな風にすぐに決断して行動に移すことができるから、真都香さんは心の力が強いのかもしれない。


「それじゃあまず、オレの目を見つめてください」

「これでいい?」


 真都香さんがオレの目を覗き込んでくる。


「なんか、このままキスとかしちゃいそうね」

「あのですね」

「冗談よ」


 この状況で、よくそんな冗談が言えるよな。

 とにかく、気持ちを集中させよう。うまくやれば、必要以上に依存状態にはならないはずだ。

 力なんてのは使い方次第なんだから。


「真都香さん」

「ん?」

「オレのために、紗耶香の力を打ち払ってください」

「っ……!?」


 その言葉を聞くと同時に、真都香さんの瞳が黒くにごった。

 そして放心状態になったまま、その場に立ち尽くしてしまう。

 以前、琉璃佳に使ったときと同じように、誰かに意思を乗っ取られているように見える。


「ワ……ワカッタワ」


 ……どうやら、力の効果はあったようだ。


「モウ、紗耶香チャンノ言ウコトハ聞カナイ。アナタノ、タメニ――」

「真都香さん、しっかりしてください!」

「えっ……あ、なに?」


 オレが意識を緩めると、真都香さんはもとの状態に戻った。


「い、今、なにをしたの?」

「オレに依存するように、真都香さんに力を使いました」

「そう……なの? なんか、自分ではよくわからないんだけど」

「たしかに、目に見えるわけではないので、わかりにくいかもしれません。でも、これで紗耶香に操られることはないはずです」

「そっか……」

「といっても、依存の相手がオレに変わっただけなので……オレになにかあったら、琉璃佳のときと同じように、すべてを捨てて行動することになるかもしれません」

「ようするに、あたしはあんたなしではいられない体になってしまったのね?」

「は、はい」


 無論、そのことに対する罪の代償は受けるつもりでいる。

 琉璃佳のときみたいに、真都香さんを死なせたりはしない。絶対に、オレが守ってみせる。


「つまり、あたしは傷物にされちゃったわけか」

「……はい?」

「んっふっふっ。なら、ちゃんと責任はとってもらわないとね〜」

「あ、え〜と」


 責任って……なにをどうしろと?


「ああ、別に今すぐ婚姻届にサインしろなんて言わないわよ。まあ、そのうちやってもらうつもりだけど」

「やらせるつもりなんですか!?」

「ただまあ、なんていうのかしら。特別な契約者になったみたいでいいじゃない」

「は、はあ……」

「ちょっと夢見がちな女の子風に言えば、この力はあなたとあたしが永遠であるための刻印ってわけね」


 ゴシックの瞳の力を、よくそんな風にとらえられるよな。

 下手をすれば、自分の命すら省みなくなるっていうのに。


「なんていうか、真都香さんってホント前向きですね」

「当然でしょ! あたしは自分のやりたいように生きてるんだから」

「だったら、ずっとそのままでいてください」

「えっ?」

「オレがこんな体になったのは、自業自得だと思っています。このことで、真都香さんがオレに対して罪悪感を抱く必要はありません。だから、無理にオレに気を使わなくてもいいんです」

「…………」


 そう、真都香さんにはいつも自由でいてほしい。

 オレなんかに縛られることはないんだ。


「今まで本当に、ありがとうございました」

「なによ……それ」

「えっ?」

「ねぇ、あんたってさ」

「はい」

「超ドキュン級のバカじゃないの!?」

「……はっ!?」

「なに? あたしが罪悪感から、あんたによくしているとでも思ったの?」

「違うんですか?」

「違うわよ! あたしが今まであんたによくしていたのはね……あんたのことが好きだからよ!」

「え、えええっ!?」

「え、えええっ!? じゃないわよ! なんでそんなことに気づかないのよ!!」

「だって、そんな風に思われてるなんて考えたこともなかったし」

「あんたってホンット、筋金入りのニブチーなのね。それとも、わざと気づかない振りをしているの」

「いや、それもよく言われますけど、気づかない振りなんてしてませんから」

「だったら、ちょっとは自覚しなさいよね。自分が好意を寄せられてるってことに!」

「え、ええと。でもそれは多分、ゴシックの瞳の力によるもので――」

「それはないわ。第一、あんたのことが気になったのは初めて会ったときだし」

「初めて会ったとき?」

「そっ、紗耶香ちゃんの命を救った、あなたのご両親の葬式会場よ。そのときはまだ、力を持ってなかったんでしょ」

「あ、やっぱり……あのとき来ていた姉って、真都香さんのことだったんですね」

「ええ。あたしにとっては、一目ぼれだったんだから」

「一目ぼれって……そのときオレ、真都香さんと話をしましたっけ?」

「いいえ。ただ、あたしが遠くからあんたのことを食い入るように見ていただけよ」


 そんなの全然気づかなかった。

 まあ、そのときのオレは両親を亡くしたショックで意気消沈していたから仕方ないけど。


「でも、それでどうして一目ぼれができるって言うんですか」

「それは、その……」

「なんですか?」

「わ、笑わない?」

「笑いませんよ。そんな状況じゃないですし」

「あたしが、あんたのことを気に入ったのはね……」

「……はい」

「顔がタイプだったのよ」

「…………」

「…………」

「はあっ!? なにそれ?」

「い、いいじゃない別に! 第一印象の決め手なんて、ほとんど顔でしょ!!」

「そうかもしれませんが……なんか、いろいろとがっかりなんですけど」

「悪かったわね!」


 なんだかな〜。

 同じ一目ぼれでも、同属の力で引き寄せられたっていう紗耶香の方が、まだ説得力がある気がする。


「じゃあ、前世で恋人同士だと思ったとか、運命の糸で結ばれていると感じたって言えばいい?」

「やめてください! そんな重い理由をつけるのは」


 それこそ夢見がちな女の子になるし。


「とにかく、あたしは罪悪感であんたによくしているわけじゃないんだから。あんたの気をひきたくて、自分がやりたいからやっているだけなの! そのことを忘れないでよね」

「は、はあ……」


 なんか、真都香さんがすごく聞き覚えのあるセリフを言っているんだけど、こういうのをツンデレっていうんだっけ?

 いや、全然違うような気がする。


「あっ、いけない……長居しすぎたわ。あたしは仕事に戻るから」

「あ、はい」

「ちゃんと安静にしているのよ」


 照れ気味に捨て台詞を残して、真都香さんが病室から出ていく。

 なんか、いろいろとわかったのはいいけど、知らなくてもよかったことまで知ってしまった気がする。

 でも……これで謎はすべて解決した。

 あとは、けじめをつけるだけだ。



 そのあと午前中の検査を終えて、しばらく待っていると、橘先生がいつもの調子でやってきた。


「やあ、なにかわかったかい?」

「はい。紗耶香の手伝いをしていたのは、真都香さんでした」

「そうか……って、はいいっ!?」


 オレの言葉を聞くなり、橘先生の顔が間抜け面になった。

 なんか、この人の顔芸のバリエーションも、だんだん減ってきたな。


「な、な、なんで彼女が!?」

「真都香さんは紗耶香の双子の姉だったんです。だから依存の力も効果があって、手術を手伝ったり、お屋敷から連れ出したりできたんです」

「なっ、なっ、なんじゃそりゃーーーーーーーっ!!」


 よほど衝撃的なことだったのだろうか?

 橘先生が、かなりおもしろいリアクションをしてくれる。


「それ、間違いないんだよね!」

「ええ、本人も認めてましたし」

「うむむむむ……たしかに、そう考えたらすべてのつじつまは合う。でもまさか、あの2人が姉妹だったなんて」

「まあ、なんとなく気づいていましたが」

「それはまたすごいな。しかし、そのことを僕に黙っていたんだから、あの院長とんでもないタヌキじゃないか。こんなことなら、院長ではなく真都香くんに凛の監視をつけるべきだったよ」

「だけど、もう真都香さんが紗耶香の命令を聞くことはありません。オレの方に……依存させたので」

「キミはまた、ゴシックの瞳の力を使ったのかい?」

「それ以外に、力を解く方法がないので」

「ふむ。まあ、力なんてのは使い方次第だと僕は思っているから、今回も悪いことが起こるとは限らないよ」

「そうだと、いいのですが」

「とにかく、今からその辺の事実関係を洗ってみるよ。あと、院長にはおしおきが必要だね」


 橘先生の目が、邪悪に満ちている。

 どうせまた、ろくでもないことを考えているんだろうな。

 っと、そんなことより橘先生に頼みたいことがあるんだった。


「あの、すみません。話は変わりますけど、ひとつお願いしたいことがあるんです」

「お願い?」

「この体でも使える、車椅子を用意してもらえませんか」

「それでなにをするつもりだい?」

「別になにも。ただ、ずっとベッドの上ってのは気が滅入ってくるので、すこしでも動けるようになりたくて」

「ふむ。僕としては、ここでおとなしくしていてほしいんだけどね」

「…………」

「でもまあ、キミの気持ちもわかる。気になっていた案件も処理できたことだし、午後までには用意しておくよ」

「お願いします」

「それじゃあ、僕はいったん失礼するから」


 病室を出る間際に、橘先生は一瞬だけこちらの表情をうかがってきた。

 疑われている……よな。なにかするんじゃないかって。

 だけど今は、自分1人でも動ける状態にしておかないと。



「さて、お昼にしましょうか」


 昼食の時間になったところで、疲れた表情をした真都香さんがやってきた。


「なんか、元気ないですね」

「あの変態医者に、たっぷり絞られたのよ」

「ああ、なるほど」

「まあ、あんたの担当を外されずにすんだから、よかったけどね。ちなみに院長は今、あの医者から『おしおき』を受けているところよ」

「おしおき?」

「ええ、三角木馬に乗せられて、本当に熱いロウソクをたらされながら、グリンガムの鞭でしばかれてるんじゃないかしら」

「…………」

「バカよねぇ。そんなことをしたって、あのオヤジは喜ぶだけなのに」

「いやいやいや」


 正直、どっちもどっちだよな。


「とにかく、食事にしましょう」

「あ、はい」


 真都香さんに手伝ってもらいながら昼食をとる。



 食事が終わって、真都香さんが病室から去っていくと、入れ替わるようにして橘先生が見慣れない車椅子を押しながら現れた。


「やあ、ご希望のものを用意したよ」

「それは?」

「電動車椅子さ。操作用ジョイスティックの位置を手前に変えてあるから、肘の内側を使えばキミでも操縦できるはずだ」

「ありがとうございます」

「でも、今のキミの状態だと、誰かの力を借りなければ乗り込むことはできないよ」

「その辺はなんとかしますよ」

「ふむ、それで……キミはこれから、どうするつもりだい?」

「オレなりに、けじめをつけるつもりです」

「けじめ?」

「はい、ゴシックの瞳の力と向き合い、受け入れるつもりです。でないと、これから先も力に振り回されて生きていくことになりそうなので」

「まあ、キミがそう決めたのなら、僕が口出しすることはないけど」

「橘先生」

「なんだい?」

「先生はゴシックの瞳の力について、まだなにか隠していますよね」

「どうしてそう思うんだい?」

「先週、オレが質問したときに言っていたじゃないですか。言える範囲で応えるって」

「そういうことだけは、よく覚えているんだね」

「だからまた、答えられる範囲でいいので教えてください」

「それでいいなら答えてあげるよ。で、なにを聞きたいんだい?」


 よかった……今はすこしでも、自分の力のことを知っておきたいから。


「まず、オレのゴシックの瞳は今、何段階目なんですか?」

「キミの瞳はこの病院に来た時点で、最終の第3段階になっていたよ」

「ということは、第3段階の力が使えるわけですよね」

「まあ、そういうことになるね」

「だとしたら、第3段階の力はいったいなんなんですか?」

「ゴシックの瞳が持つ第3段階の力、それは――」

「それは?」

「なんだろうね」

「はっ?」

「残念ながら、それがなんだかよくわかってないんだよ」

「わかってないって……」

「だって、今まで使った人物を見たことがないから。僕は憶測でものを言ったりはしないんでね」

「…………」

「ま、キミが力を使ってくれれば、それがなにかわかるんだけど」

「力を使うって、なにをどうすればいいんですか?」

「それを僕に聞かれても困るよ」

「本当に、知らないんですか?」

「ああ」


 ……嘘、だろうな。

 なんとなくだけど、そんな感じがする。

 第3段階の力がなにかということを、教えるわけにはいかないということか。


「だったら、わからないままでもいいです。オレはもう、この力を使うつもりはありませんから」

「そうだといいけどね」

「え……」


 また、橘先生の雰囲気が変わった。

 この人が現実感のある話をするときは、いつもこんな風になる。


「たいていの人間は便利な力があると、それに頼ろうとするものだよ。どんな対価を払うことになったとしてもね」

「たしかに……オレも何度となく、この力を使ってしまいました。でも、それが間違いだったと今のオレは気づいています。だからこれ以上、この力を使うことはないと思います」

「ふ〜ん。ま、このあとキミがなにをするかは知らないけど、僕はもうしばらく観察させてもらうよ。どうも僕がなにかすると、ことごとく事態が悪化するみたいだから。キミは自分が思うことをやってみるといい」

「はい」

「それじゃあ僕は、この辺で舞台を降りさせてもらうよ」


 最後は自分を卑下するような表情を残して、橘先生が病室から出ていった。

 結局、あの人の目的を知ることはできなかったな。

 まあ、いいか。知ったところで、オレになにかできるわけでもないし。

 その後、再びやってきた真都香さんに手伝ってもらいながら、夕方を食べた。



 食事が終わったところで、やるべきことの準備をすることにした。


「あの、真都香さん。お願いがあるんですけど」

「お願い? なになに? なんでも言ってよ。あたしは今、あんたに依存しているから、なにを言われても断れないし」

「いや、無理ならちゃんと断ってください」


 なんか調子が狂うよな。

 オレと違って真都香さんは、力を使われたことに対してそれほど深刻に考えてないみたいだし。


「わかってるって。で、なんなの?」

「その、今からある人に電話をかけたいので、携帯電話を貸してもらえませんか?」

「携帯? いいわよ、それくらい」

「ありがとうございます。それで――その人を、ここに呼ぶことってできますか?」

「ここに?」

「ええ」

「それは……ちょっと難しいわね」

「そうですか」


 やっぱり、こちらから会いに行くしかないか。


「前も言ったと思うけど、あんたに対しては相手が誰であっても面会謝絶よ」

「じゃあ、オレがここを抜け出すしか……ありませんね」

「それこそ無茶な話よ。如月のお嬢さまの一軒で、病院内の監視はかなり厳重になっているから」


 まいったな。せっかく電動車椅子を用意してもらったのに。

 そう簡単に、この病院を出ることはできないのか。


「どうしても、会わないといけない相手なの?」

「はい。直接会って、伝えないといけないことがあるんです」

「そう……だったら、場所を限定すれば会うことができるかもしれないわよ」

「本当ですか?」

「あんたの会いたい人ってのを、明日の夕方5時に、病院の裏にある公園に呼び出すことはできる?」

「裏の公園?」

「ええ、正面の入り口は完全にガードされているけど、裏の公園ならなんとか抜けられると思うわ。そっちには、あたしが仕事をサボって抜け出すときに使っている出口があるから」


 それは社会人としてどうなんだろう。

 とはいえ、他に方法もなさそうだし。


「本当に、監視の目をごまかすことができるんですか?」

「大丈夫、警備の人間はいつも夕方5時に入れ替えがあるの。そのときだけ監視の目が緩くなるから、その隙に病院を抜け出せるはずよ」

「なるほど」

「でも、それほど長時間外出できるわけじゃないから、裏の公園で手短に話すようにして。バレたら即、連れ戻されるでしょうし」

「わかりました」

「で、今からその人に電話をするのね」

「はい。番号を教えるので、代わりにかけてもらえますか」

「わかったわ」


 真都香さんがポケットから携帯電話を取り出してくれたので、オレは自分の家の番号を教えて、代わりに押してもらった。

 最後まで押し終わると、真都香さんがオレのほほに携帯電話を近づけてくれる。


「……はい」


 数回コールしたあと、懐かしい声が聞こえてきた。


「もしもし、オレだけど――」


 …………………………。


「ありがとうございました」


 相手に用件を伝え終えて、電話が切れるのを確認してから、真都香さんにお礼を言った。


「ねえ、さっきまで話していたのって、もしかしてあなたの彼女?」

「いえ、違います」

「そうなの?」

「はい、彼女はオレの……オレの大切な妹です」



 消灯前になっても、オレの気持ちは高ぶったままだった。

 ようやく、会うことができる。会える状態になった。

 ここまで来るのに、ものすごく遠回りをした気がする。

 オレがふがいなかったせいで、ずいぶん心配をかけてしまった。

 彼女に伝えなければいけないことは、たくさんある。これまで起こったことや力のこと。そしてオレの今の気持ち。

 すべてを話して、けじめをつけることができたら……

 オレは……

 オレ……は……

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