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08.獣と力

 出立時の曇天模様はどこへやら、美晴はご満悦だった。

 初日に通った森の様相など、ろくすっぽ視線を向けてはいない。精々、間違って川に着水しないよう川縁に気を付けていたくらいだ。緊急事態だったから仕方がないとは思うが、今はそれを悔やむ。

 森自体に感動はない。日本にだって自然はたくさんあるわけで、そのいくつかに足を運んだことはある。遊歩道を歩けば木漏れ日が美しく、雄大な自然に感嘆の声を上げたこともある。しかしそれ以上に、異世界旅行を嗜む美晴は、人の手が一切入っておらず、幻想的で、時間を忘れる景色を両手で足りないほど目にしている。

 だが異世界で景色を堪能するにあたり、いくつか障害がある。危険の回避だ。

 一人旅で、しかも現地ガイド皆無ときた。無防備に歩くのは恐ろしいし、その場に留まって目に焼き付けるにも背後や足下への警戒は怠れない。まして、現地の生物に近付くなど言語道断である。遠くで見ていることすら難しい。気性が荒ければ、全力で走り寄って来る危険性もあるのだから。

 今、美晴の前後には現地人がいた。足下に待機していたり頭上から垂れ下がるヘビ的なものはアルトが払ってくれるし、後方で物音がすればヒューダが即座に剣に手を掛ける。

 ティティはアルトの傍で手慣れたように道中の草花を摘み、時々こちらに寄ろうとしてはアルトがデレデレと引き留めていた。

 夢にまで見た、およそ安全な環境である。

 この状態で歩いていると、時々ラブリーな小動物が姿を現す。特に害のある生き物ではないようで、ティティと二人黄色い悲鳴を上げて歓喜した。声に驚いてすぐに去ってしまったので、次は自重しようと決意した。


 「とうちゃーく。ミハル、この辺りの草花はね、染料に使えるものが多いんだ」

 「生えてるのを何でも採れば良いの?」

 「それじゃ際限ないから、えーっとね、こっちの葉っぱがギザギザしてるのとか──」


 あらかじめ近いと聞いていた通り、採取ポイントにはすぐに到着した。腰ほどまでの背の低い木が密集する中ぽっかり開いた、小部屋ほどのスペース。垣根を越えた向こうに川が流れている。

 採取のターゲットを聞いて、隣を陣取ったヒューダの手元を参考にしながら手首を捻った。ぷちりと取れた鮮やかな緑を籠へ放り込み、手を伸ばし、摘み、籠に入れる。

 単純作業は嫌いじゃない。むしろ楽しい。さくさくと採取を続け、新たな一体に手を伸ばす。


 「ミハル、そっちは毒草だから手出すな」

 「ど……ッ!」


 触れ掛けた指先が、肩を掴まれて戻る。心臓が変な風に飛び跳ねた。


 「そういうのあるなら先に教えといて欲しい!」

 「悪い、忘れてた」

 「死ぬでしょ!?」

 「そんな怖いのはねぇよ。数日起き上がれなくなるほど全身かぶれるだけだ」

 「それ怖くないんだとしたらヒューダとは一生分かり合えない」


 これは毒草、と指さし確認。こっちは、と指さすと、毒草、と答えられる。

 ふらふら指をさまよわせて、種類の違う草を指で示す。


 「毒草」

 「おうち帰る」

 「おまえが妙に毒ばっかり引き当ててんだよ。こっち代われ」


 赤色の花を摘めと指示された。赤って毒々しいイメージだけど、この辺りには毒を含む赤い花はないそうだ。そんなの言われなきゃ真っ先に疑うのは当たり前だと思う。

 指先ほどしかない赤色の花。茎を折ってくるくると回すと、良い香りが広がる。


 「これってみんな同じ色になんの?」

 「お花によっては黄色になったりするよー。だから綺麗に染まるよう試行錯誤中するの」

 「へー、奥が深いねえ」


 染色についての知識なんて、凄い色した液体にざぶざぶ浸けて布を染める光景をテレビで見たくらいだ。赤黒い液体に付けてて、出した布も黒いのに、水で洗って乾くと優美な藍色になったりする摩訶不思議な錬金術。あれが単純に糸に変わると思えば良いんだろうか。浸けてる間にこんがらがっちゃいそうだ。

 帰ったら絞り染め体験とか行ってみても面白いかもしれない。体験教室っていうのもある意味異世界だよね。

 思いながら新たなターゲットを探すべく視線を巡らせると、茂みの奥からリスに似た小動物が覗いているのが見えた。口に出すまでもないが、可愛い。

 警戒させないよう膝でにじり寄って、目線を低くするべく四つん這いで頭を下げ──。


 「──戻れミハル!」


 突如、頭上を通り過ぎる巨大な質量を感じた。

 風を受けて髪が乱れる。ヒューダの怒号を受けて無意識に足が動いた。バネ仕掛けのおもちゃのように膝を伸ばす。何故か青褪めた顔で瞠目するティティと、険しい顔で剣を抜いたアルトがこちらを見ていた。

 数歩二人に歩み寄り、戻れという指示を思い出してヒューダを探すべくターンする。その先に。


 「どうして巨大種(ギガンツ)がこんなところまで上がってるんだ!」

 「ヒューダ、加勢を」

 「おまえはそこにいろ!ミハル、アルトの傍に行けッ!」


 見たことのある獣が、ヒューダに向けて太い前足を振りかぶっていた。鋭い爪が剣に弾かれて逸れ、返す刀で切り付けようとすると、巨体に似合わぬ軽やかさで跳び退る。

 大地を抉るように爪でブレーキを掛けた獣が、美晴に向けて凶悪な牙を見せ付けるように顎を開いて咆哮した。


 「な、なんで」

 「早く来るんだ!」


 アルトの常にないきつい調子を耳に入れ、視線を獣に固定したまま危うい足取りで移動する。石ころに躓いてバランスを崩したが、どうにか倒れず踏ん張った。

 あの時の獣だった。全く同じかどうかを見分けられるほど造詣深くないが、荒々しい作りの逞しい四肢といい、大木をも貫けそうなあの上下に突き出た牙といい、何より耳をつんざく咆哮といい、少なくとも美晴には全く同じ個体に見えた。

 踏み折った小枝が立てる音。皮膚を貫きそうな硬い黒毛に覆われた耳がぴくりと反応し、ぎらつく瞳がこちらを向いた。

 探し求めた獲物を見付けたように、金色の目が薄く細まる。あざ笑うように大きな口が歪んだ気がした。


 「……ぅあ……」


 全身の毛穴が開く。足下から脳天まで、ぶわりと不快感が駆け抜けた。

 訂正しよう。あのときの、あの獣であると。間一髪で身を逃し、リスタートを切ったあの日のトラウマが、てっきり世界線を超えたと思っていた悪夢が、どうして今目の前に。

 力に満ちた前足が方向を変える。ゆらりと上体を美晴に傾けたかと思えば、瞬きを忘れて乾いた視界の中、突然に大きさを増した。


 「な──にやってんの、ミハル!」


 腕を掴まれた、と感じたときには衝撃に見舞われていた。地面に引き倒されたのだと知って慌てて起き上がる。

 牙と剣で競り合うアルトの切羽詰まった横顔。隙を付いて寄越された視線に離れなければと思い当たったが、腰が抜けて立てない。後ろ手に地面を掻いて、少しでも距離を置こうと努力だけはした。

 ティティが駆け寄って、ひとしきり立たせようと引っ張ってくれたが、情けないことに少し尻が滑ったくらいで、立ち上がることはできなかった。

 隙を見てはこちらを射抜く獣の眼光に震えながら、美晴の身体を覆うように抱き締める。


 「ごめん、ミハル、私が森に行こうなんて言ったから」

 「てぃ、ティティのせいじゃ」


 ヒューダは「どうしてこんなところに」と言った。生息区域が違うのだ。上がって、というからにはもっと下流、とにかく離れた場所に棲んでいたのだろう。

 それがここまで来ている理由。あの念願の獲物を得た目。

 ティティと出会ったあの場所が、獣との遭遇場所に近かったとしたら。あり得なくはないのだ。『美晴の心の深い場所に刻み込まれ』ることが同一世界再訪問の鍵ならば、深い恐怖を叩き込まれた後、時間を置かずにもう一度跳んだのだから。

 獣が美晴の再来に気付いて、食い損ねた肉の匂いを辿って街との距離を詰めていたのだとしたら。

 ティティの小さな身体で塞がれた視界をもがいて開ける。開かれた目に映る、非日常的な光景に息を止めた。

 そうしたら、どう考えても美晴のせいだ。ティティが美晴を庇うようにして怯えているのも、アルトが猛攻を捌き切れずに切り傷を作るのも、ヒューダがティティを守るか獣の討伐を優先するかを戸惑い切っ先を揺らすのも。

 ヒューダと目が合った。闘争の気配を帯びた険しさに身が竦む。また獣が足手纏いに鼻先を向ける。気付いて回り込もうとする人間の足は、四つ足の俊敏さに追い付かない。

 足先を飾る凶器に絡んだアルトの赤い血が、見開いた目の中でぬらりと木漏れ日を弾いた。向かう先、狙う獲物(みはる)を貫くには、小さな盾(ティティ)が覆い被さっていて。

 悲鳴に似た呼び声が咆哮に重なった。小柄な少女の腕が強く締まり、非日常に置いて行かれた美晴の脳に、赤色灯がようやく点滅する。


 「ティ」


 真っ白だった頭が急激に回り出す。覆い被さる少女を抱き締めた。


 「ティ、に、さわんないでええええええッ!」


 ぼやけた視界がクリアになる。

 鬱蒼とした森、背の高い木々と、隙間を縫って漏れる光。垣根のように茂る低い木、枝、その向こうに輝く川。対岸に渡るのは難しいだろう幅の。

 スローモーションの視界でその前足がティティに触れるより少し早く、美晴の意識が吸い込まれる。無重力感に包まれて、腕の中の温もりを離さないように、被さる身体を引き下ろし、しっかりと抱き込み返す。

 背中に衝撃を食らったのは、見詰めた先が空中だったせいだ。垣根が邪魔で地面が見えなかったから、とにかくその辺りへと念じた。

 そう高くない位置に転移して真っ逆さまに落ちたとき、ティティが上になっていたのは運が良かった。体格差があるから、美晴が潰していたのでは下手をすれば重傷になる。

 起き上がるより前に、とにかく叫んだ。後に残された人たちの反応を想像して。


 「ヒューダ、アルト、やっちゃって!」


 沈黙は数瞬だった。すぐに聞こえてきた鋼が擦れる音に重なり、切迫した声が飛んでくる。


 「無事なのか、どこにいるんだ!」

 「川向こうで転がってる!ティティ無傷、だと、思うけど、どうなの」

 「だ、大丈夫ー、何にも怪我してないよ!あれえ!?」

 「なな何で、どうしてッ?ミハル何やっておわあ危ない」

 「あーとーで!二人掛かりなら大丈夫なの!?」

 「すぐ片付けるから一歩も動かずそこで待ってろッ!」


 美晴の上でティティが身体を起こす。涙の滲んだ目を白黒させて、忙しなく周囲を見回した。

 遠くで剣を振るう二人が見えた。二対一になった今、先程の苦戦が嘘のようだった。

 ヒューダが切り込み、アルトが後ろからサポートをする。ヒューダの応戦に比べていまいち精彩を欠いているように見えたアルトの動きだが、彼は後方支援に長けたタイプらしい。なるほど、見た目といい性格といい、とてもそれっぽい。

 五分もしたら、大量の血を失って獣が動きを止めた。流れてくる濃い血臭。ヒューダが屍を蹴り転がして、念のためにと心臓を貫く。

 鋼を伝う赤色を拭おうともせずに視界を巡らせて、こちらを認めて駆け寄った。


 「ティティ、ちょっとごめんね」


 もう一度ぎゅっと抱き締めて、あちら側の川縁を見詰める。こちらを見る視線を気にしないように集中した。

 頭が痛いのは、あんまり急に瞬間移動を行ったからだろう。咄嗟の行動として転移をしたことはなかったから、こういう痛みは初めてだった。頭の中の一部が落ち着かずに浮いていて、定期的に絶叫マシーンの乗降後のような目眩を覚える。

 浮遊間からの着地。今度は上手く行って、ちゃんと足から降りられた。

 妙に疲れてへたり込む。肺に溜まった空気を押し出して項垂れたところで、肘に痛みを覚えて目を向け、後悔した。落ちて背を打った際に肘を擦り剥いていたらしく、傷口に入り込んだ砂利がグロい。目にしてしまうと痛みが増して、一気に涙腺に沁みて来た。


 「ミハル、おまえ……お、おい、何泣いてんだ」

 「肘がとても痛い」

 「わ、や、私、薬草採ってくる」


 簡潔に答えると、ヒューダは傷口を覗き込んだ。同じく盛大に裂けた肌を見たティティが身を翻す。すかさず後を追うアルトは、こんなときだけ歪みない。


 「見た目は派手だけど深くはないみたいだな。……多分綺麗に治るから、そんな泣くなよ……」

 「い、痛くて泣いてるわけじゃないよ!」


 やんちゃ盛りの子供じゃあるまいし。麻痺していた恐怖心が痛みで思い出されたから堤防が決壊しただけで。

 真正面から見られていると羞恥心が半端ない。手の甲で強く拭っていると、畳まれた清潔そうなハンカチが差し出された。この男、何という女子力だろう。

 遠慮なく受け取って鼻をかむ。


 「おい」

 「考えてみれば、涙流してるより鼻が垂れる方が恥ずかしいよね」

 「案外余裕ありそうだな……」


 照れ隠しである。普段ティッシュを使用している日本人からすると、やはりハンカチで鼻をかむというのは不思議な感覚だ。洗って返すのも悪いので、似たようなデザインのハンカチをどこかで調達して返すことにしよう。

 傷口の砂利を抉り出すヒューダに貧困な語彙から思い付く限りの罵声を浴びせていたところで、ティティがヨモギに似た葉っぱを持って帰ってきた。指先で擦り潰して、洗った傷口に当てる。アルトのハンカチを裂いて、包帯代わりにぐるぐると巻いて固定する。アルトが乙女男子なのは知ってた。

 ふと耳の横で揺れていた、纏めた毛束がないのに気付く。


 「あれ」


 手をやると、散らばった髪が指に絡まる。リボンがない。


 「あ、あれっ、リボンがない!」

 「そういえば君、今日リボン結んでたっけ。何か不器用が溢れる出来映えで」

 「アルトもその内結んであげるよ。首とか。リボンが細くなるくらいの力で。うわああ、その辺に落ちてない?ティティとお揃いだったのに!」

 「……もしかして、あれか?」


 関節の目立つ指がさす方向には、無惨な屍が倒れている。顔を青褪めさせて目を逸らそうとした瞬間、爪に引っ掛かった赤色に目を奪われた。血の赤さではない。


 「うう、いたわしい……リボンがリボンだったものに……」


 切れ端だろう一片がざっくりと突き刺さっている。例え残りの長さ分が見付かっても、もう使えないだろう。

 深く肩を落とすと、残念そうな顔をしながらも、ティティがすかさず慰めてくれた。失われたものは仕方がないので、また買いに行こう。同じ色があれば嬉しいんだけど。

 一段落したところで、神妙にヒューダが口を開き掛け──たので。


 「あのさ」


 眉尻を下げて提案する。


 「場所変えない?」


 血生臭さとは無縁の女子大生の目と鼻に、獣の死骸は余りにも毒だった。ティティもそこそこ普通の顔をしているところが現代っ子の貧弱さを物語っている。理科のカエル解剖授業で胃を空にした内の一人だから、現代っ子にしても美晴は弱めかもしれないけど。

 移動と言っても風上に移動するだけで、屍が見えなくなってすぐに川縁の岩に腰掛けた。まあ、街に戻ってできる話題ではないし、これも配慮の一種だろう。


 「……それで、突然消えたように見えたアレは何だったんだ?」


 固い顔で口火を切ったヒューダに迷う。別に口を噤むつもりはない。

 問題は、明かす範囲だ。二種類の空間転移。美晴の根幹たる異世界人という部分を隠すかどうか。

 明かしてしまえば気が楽になるだろう。しかし、反面リスクが大きい。信じるかどうかとか、線を引かれないかどうかとか。

 まだ出会って一週間も経っていない人に対して「実は私、異世界から来たんだ」と。

 インテリ鳥人の言葉を反芻するまでもなく分かるあり得なさ。まだ現代人に対して宇宙人ですと告白する方が現実的である。

 もっとファンタジーな世界観なら良かった。魔法がバンバン飛び交ったり、召喚した勇者が民家のタンスを漁るような。そうすれば、異世界人の一人や二人、犬猫を拾うかのごとく軽い空気で受け入れられただろうに。

 決断は早かった。何とヒューダの眉間の皺がアメリカ産グランドキャニオンに到達する前だ。


 「私、ちょっと人と違った能力があって、短距離だけど転移ができるんだ」

 「転移って、ぱっと消えて別の場所に移動するってこと?」

 「そう」


 頷き返すと、隣のティティがぱっと顔を輝かせた。


 「凄い!」

 「待って待って待って」


 質問タイムを最大限に短縮しようとしたティティをアルトが宥める。美晴すら面食らう速度だったので、制止は人として正しい。美晴の答え方が完璧であったための快挙だとは、さすがの自分も思えない。

 どうどう、とテンションを押し戻される妹を後目に、兄は冷静に先を続けた。


 「具体的にはどんなだ」

 「視界の一点に集中すると、そこに移動できるの。間にものがあっても通り抜けられるけど、見えてない場所は駄目」

 「制限はないのか」

 「うーん、距離くらいで、あんまり。……あ、連発すると疲れるのと。あと、咄嗟に使うとちょっとキツい。って、さっき分かったくらいかな」

 「キツいっつうと?」

 「頭痛いとか、気持ち悪いとか。もう大丈夫だけど」


 まだ少し残っているようだが気にするほどではない。

 溜まってきた嘔吐感を頭を振って散らすと、およそ目眩は収まっているようだった。頭の芯が痛むのは寝不足の日と同じようなもので、今はそれより肘が痛い。


 「それで、どうして川の向こうに行ったんだい」


 アイドリング状態に落ち着いた少女を離してアルトが参戦した。


 「ヒューダが私たちのことを気にしてるみたいだったから、ひとまず離れるべきかなって思って、獣がすぐには来れない場所に移動したんだけど……まずかったかな。そりゃ、いきなり消えたら心配になるよね、ごめん」

 「いや、妥当な判断だった。ミハルは悪くないだろ」


 言って、ヒューダが太い眉をまた寄せた。疑問に答えているはずなのに、どうして険しさが増すんだろう。

 アルトが好奇心を滲ませて身を乗り出す。


 「で、それって何人くらい一緒に移動できるの」

 「分かんないよ。自分以外も連れて移動したのはこないだが初めてだったし」

 「私が倒れてたとき?」

 「うん。案外アルトとかヒューダみたいなでっかいのは無理だったりするかもしんないね」

 「えええ、僕も体験してみたいのに!ミハル、試してみようか!」

 「接触してないと駄目だから、アルトはちょっと」

 「汚物扱いとか抱き着きたくなるなー」

 「ティティの前でできるものならやってみろぉ」


 腰掛けていた岩から離れる。じりじりと身を寄せるアルトから距離を取り、ティティの背後に回る。

 しまった、ここじゃあどさくさに紛れてティティに抱き着く恐れがあるじゃないか。さすがアルト、卑劣だが見事な誘導だ。


 「事実無根の嫌疑掛けられた気がする」

 「被害妄想じゃない?」


 もう興奮しても良い?というようにつぶらな瞳に見上げられた。まだ早いので、首を横に振る。

 しゅんとしてもじもじする姿がキュートで、息を荒げる変態から庇うように腕に囲った。


 「……なるほどな、だからあんな旅装だったのか」


 物思いから回帰したらしいヒューダが、いやに重々しく呟いた。

 時を経るごとに沈んでいる気がして彼の親友──多分──に視線を送ると、肩を竦めて返される。アルトが原因を把握しているようなので、美晴の出る幕ではないだろう。差し辺りは流しておくことにする。

 なるほど、という言葉の示す場所に心当たりがなかった。首を傾げる美晴に補足が入る。


 「他の街や村までは随分距離がある。あのときの装備でミハルが森の中を抜けてきたってのはありえないんだよ。それに、ティティを担いで川を上ってきたのもな」

 「う……じゃあ、ヒューダは最初っから疑ってたんだね」

 「……そうだな」

 「そうだ!」


 後ろ暗いところを見逃されていた事実に目を逸らす。戻った声に被さるように、高い声が響き渡った。

 美晴の腕に縋り付くようにして、ティティがきらめく瞳を瞬かせる。その目はまるでヒーローを見る子供のようで、美晴に褒め殺しタイムを錯覚させた。思わず身を引こうとしたが、腕を押さえられていて動けない。


 「川に落ちたの、あの獣に襲われたからなの。私、あいつからミハルに二回も助けて貰ったんだね」


 言葉に詰まって閉口した。天使が数人通り過ぎた辺りで、疑問に傾く頭部に向けて謝罪する。


 「ごめん……多分、今の獣って私のせいで街に近付いてたんだと思う」


 世界線事情を端折って獣との遭遇を説明した。黙っているのは簡単だが、感謝だけ受け取っているのは心苦しい。

 逃げた美晴を追って上がってきたんだろう、と考えを述べると、アルトが言い難そうにまごついた声を上げた。

 沈黙し続けるヒューダに視線を投げたのが不思議だった。


 「どっちも不可抗力だと思うんだけど、多分さ」


 アルトの考えはこうである。

 ティティが材料採取の最中に獣に襲われ川に落ちた。落ちたティティを追って獣は下流へ行き着く。ティティを探す最中、偶然そこにいた美晴に遭遇したがまた逃した。プライドに触ったのか、再び今度は美晴を追って川沿いに上がってきた。

 流れとしては自然で、思わぬ名探偵ぶりにティティと揃って拍手を送った。それなら、美晴がそこまで気にすることではないのかもしれない。かな?

 巻き込まれたアルトとヒューダには悪いが、アルトのこさえた傷は浅そうだし、結果として一番痛い目を見ているのが肘を擦り剥いた美晴だということで勘弁願いたいところだが……でも、やっぱり、再誘導してしまったことはいけないような。


 「じゃあ、もう良いよね」

 「んー?」


 ハッとした。ときにはもう遅かった。

 至近距離から猛タックルを浴びせ掛けた少女の体重に押されて重心を崩す。どうにか岩から転げ落ちることはなかったが、使用機会の少ない腹筋が痙攣しているので、早急にプラスした付加を解除して頂きたい!


 「ミハル凄い!ありがとう!それから、私のせいで怖い思いさせてごめんね」

 「や、別に、生まれつきの力だから、凄いわけじゃない、し。襲われたのはティティじゃなくて、あの怖いのが悪いんだよ」

 「じゃあありがとう。街まで運んでくれたのと、さっき助けてくれたのと!」


 それこそ即座に否定する。さっきの転移は自己防衛ようなものだ。先に庇ってくれたのはティティだし、そもそも美晴が腰を抜かさずにさっさと退避できていれば問題はなかったのだから。


 「だって、ミハルいきなり移動するの初めてだったんでしょ?じゃあ、一人で逃げた方が安全だったじゃない。でも私も一緒に逃がしてくれたんだから、お礼言って何が違うの」

 「一人で逃げるとか、普通あの状況でできないよ」

 「する人はするんだよ。だから、ありがとう!」


 言い含められて、勢い任せで頷いた。満足そうに笑う彼女を見ていると、何だか自分が誇らしいことを成し遂げたような気分になってくる。

 一人で逃げるなんて考えもしなかった。ティティも連れて行かないととも考えなかった。ただティティに近付く爪に怒りを覚えただけで、選択肢などなく、自然、二人で転移することだけを思って行動していた。

 荒くれ私兵に囲まれるティティを仮定して、救出に後込みしていた自分である。逃げ癖甚だしい美晴が成功率のあやふやな方法を無意識に選んでいたことは、もしかして、凄いことなんじゃないだろうか。

 己の成長を目にしたようで、きゃっきゃとはしゃぐティティにつられてテンションが上がってきた。肘の痛みを忘れて抱き締め合うと、抱いた恐怖心を凌駕する達成感に包まれる。


 「ねー、お兄ちゃん、今度、ミハルありがとうパーティ開いても良ーい!?」


 美晴もティティも、気付かなかった。ヒューダが口を閉ざして俯いていた意味も、ヘリウムよろしく口の軽いアルトが、黙ったまま気遣わしげに親友を見守っていた理由も。

 そうだな、と答えた声はあんなに押し殺されていたのに。

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