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06.食卓と失言

 異世界四日目。今日は街で服を買い足した。

 また遭遇した警備兵長に声を掛けられて、不審者を見掛けたらぶっ飛ばしてやるから詰め所に来いよと背を張られた。

 職務に一生懸命なのは評価するが、か弱い女性の背に巨大紅葉を作るのは許さない。痣的なものは翻訳模様だけで十分だ。効能が痛いだけとか舐めてるのか。今度会ったら百烈張り手を食らわせてやる。小さな紅葉一杯咲かせてやる。まあ防御力高そうだし無理だろうけど。

 食欲をそそられる香りの誘惑は、恐らく豪華になるだろう魅惑の夕飯を思ってどうにか退けた。沢山歩いて腹を空かせておこうと実行すればする程に誘惑の威力は増すので、これはかなりの苦行だった。

 どうして私はこんなに我慢しているんだ。食べちゃえば良いじゃないか。生存本能に身を任せて何がいけないんだ。

 悪魔が等身大にまで膨れ上がるのがもう少し早ければ、美晴の口内は今頃肉汁で溢れていただろう。破滅の誘いに打ち勝って、美晴は初日ぶりに訪れる家の前に立つ。

 先日はいまいち分からなかったが、こうして見ると家というか、安アパートみたいな連なりの建物だった。夕日に染まった壁は、整えられた内装からは思わぬほど薄汚れていたので、案外古い建物らしい。

 ところで、インターホン的な呼び鈴っていうのはないんだよね。どうしたら良いんだろう。ノックで良いんだろうか。そんなもので家という広いスペースに響き渡るものか?借金取りの勢いで殴れば良いのか。


 「……何してんだおまえ、さっさと入って来い」


 家の前を右往左往する美晴に、どうやら家主は気付いていたらしい。意を決して腕を振り上げたところで、あからさまに馬鹿にしたような顔をしながらドアを全開にして招き入れられた。


 「お邪魔しまぁす」

 「ミハル、いらっしゃい!」


 花の笑顔に迎えられて自然と笑顔が浮かぶ。しかし、テーブルに肘を付いた存在に気付いて眉を顰める。


 「やー、ミハル。何その傷付く顔」

 「何でご飯泥棒がいるの」

 「やだなあ、いない方が良いみたいな言い方して」

 「わあ、そう聞こえなかったとは驚き!」


 舌打ちを落としても、泥棒ことアルトの笑顔は崩れなかった。

 キッチンから湯気を立てる大皿を運んできたヒューダが疲れたような顔をする。


 「喧嘩すんなよおまえら。良いから、早く座れ」

 「だってまた盗られたら殺人事件が起きるよ」

 「殺人事件が!?」

 「今日は盗まれても腹立たしくならないから、座れ」

 「だ、大丈夫大丈夫、取らないよ。多分そんな余裕ないし」

 「一度失った信頼を取り戻すのは難しいんだからね」


 促されて、引かれた椅子に渋々腰を下ろす。アルトの横というのは過去の再来を懸念するのでまた顔が盛大に歪んだが、こればっかりは己の所行を悔いろとしか言えない。だからそう言い訳を喚くな泥棒。食い物の恨みは怖いと知ってるだろうに。

 ヒューダが重たい音を立てて皿を置く。改めて見るテーブルの上には、すでに大量の料理が並べられていた。様々な種類のサラダに、メインになりそうな肉料理や魚料理。湯気が立つスープと山盛りのパン。それらの大皿を飾るように、総菜が点々と──。


 「ミハル、ごめん、そこ開けてくれる?」

 「どこを」


 皿の隙間をパズルゲームよろしく最大限に埋める。テトリスより頑張ってどうにか渡された皿をそこに納めて、妙な達成感に息を吐く。

 ティティが軽やかな足取りで戻る先、キッチンの上を占領する皿の数々が目に入った。


 「まだ誰か来るんだね」

 「いや、四人だ」

 「へー、あと四人もどこに座るの?」

 「この場の四人であれをどうにかして平らげるんだよ」

 「毎度凄いけど、一人増えただけで大皿が二つも増えるとは思わなかったなあ……」

 「いやいやいやいやいや」


 にこり、と皿を渡されると何も言えない。にこりと張り詰めた笑顔で受け取って、無言で皿を寄せる二人を腕を震わせて待つ。重い。

 また軽やかに舞い戻っていく華奢な後ろ姿を見送って。


 「多くない?」

 「そんな見たままを限りなく控えめに表現されても」

 「だから食い物の手土産はいらんと言っただろ」


 そういうレベルの量じゃない。何だ、中国とかみたいに、多ければ多いほど良いもてなし的な文化なのかここは。視線を向けると首を振られた。横に。

 じゃあ、ティティ特有の文化なのか。可愛くて、優しくて、仕事もしていて、家庭的で、でも欠点がこれなのか。見るだけなら涎を垂らすだけで済む、実に食欲をそそる光景。しかし食欲とは違う意味でごくりと唾を飲んだ。

 いつもこの量ではないとヒューダは言う。客が来ると途端に倍々に膨れ上がるのだと。

 アルト的には愛しのティティのこの癖はどうなのだろうと話を振ると。


 「お客さんに張り切っちゃうティティ可愛いよねぇ」

 「初めてアルトを尊敬した」

 「これだけは認めざるを得ないな」


 貧相な見掛けに反して彼は案外猛者だった。

 結局、テーブルには乗り切らなくて、サイドテーブルを運んで待機させることになった。背の低い台の上から漂うラスボスの風格パネェです。目の前に控える分でさえ見てるだけでお腹一杯になりそうな貫禄だというのに。

 ヒューダと二人、神妙な顔で食料に向かう。ティティとアルトが笑顔で取り皿を持つ。

 料理を前にして緊張するのは初めて──いやそうでもないな。カブトムシの幼虫みたいな形をした揚げ物にフォークを突き刺したときは、もっと薄ら寒い思いをしたんだった。あれは食べてみたら肉の腸詰めでおいしかったけど。

 あ、あのときに比べたらこれくらいの試練は屁でもないような気がしてきた。いざとなれば二つの詰め放題袋が存在しているわけだし。晴れやかな顔で問答無用に押し込めば結構入るよね。袋を限界まで先にのばしておく主婦的裏技は使えないかもしれないけど。


 「いただきます」

 「前も言ってたが、何だそれ」

 「食事前の挨拶。故郷の習慣で、うーんと、食材に対する感謝の気持ち?みたいな」

 「ミハルの故郷って礼儀正しいんだね。ミハルの故郷なのに」

 「表に出ようか、アルト」

 「食材に対する感謝かあ。うん、私も、いただきまぁす」


 あ、おいしい。これならいけるかもしれない。

 宿屋の食事に負けず劣らずの腕前に舌鼓を打った。食材そのものは多分こちらの方が安いのだろうが、味付けがいかにも家庭の味といった風で、口の中からものが消えると途端に次が欲しくなる。ふんわりとしたパンも絶品で、すかさず店を教えて貰った。

 それにしても、一緒に食べ出して分かるティティのフォークの移動の早さ。美晴が一口食べる間に、同じ量のご飯が三回程は運ばれている。これが、全て胸に行くのか。羨ましいこと山の如し。

 香草に包まれた魚を噛み締めて震える。


 「おいしーい!このお魚、食べたことない味だけど凄い美味しいよ」

 「へえ、結構ポピュラーなんだけどね」

 「あんまり外じゃお魚って頼まないからさ」


 危ない、何てことないところが地雷だった。踏み掛けたトラップを寸でで躱す。嘘じゃないです。お肉大好きだからお魚あんまり頼まないです。


 「そういえば、ミハルってこの辺の人と雰囲気違うよね。故郷って凄く遠いの?」

 「うん、大分遠いよ」

 「どんなとこ?」


 ティティの問いに、肉を貪っていたアルトが食い付いた。アルコールを傾けながら、ヒューダも興味深そうな目を向ける。

 当たり障りのない程度にと自戒し、美晴も酒で唇を湿らせる。


 「忙しないとこだよ。みんなあくせくしてて余裕がなくて。開拓が進み過ぎてて自然はあんまりないかなー。まあでも、治安は良くて、私のところは平和だったよ。ご近所仲も良好だったし」

 「ふうん。良さそうなところなのに、どうして旅なんてしてんの」

 「うーん、刺激がないっていうのかな、毎日同じことの繰り返しで退屈でさぁ」

 「教育とか結構しっかりされたんじゃない?」

 「別に普通だよ。みんな一緒」

 「そう?ここらの作法とは違うけど、食事の仕方も綺麗だし、良いご家庭で育ったかと思ったよ」


 随分と畳み掛けてくる。この街は、外界との接触があまりないんだろうか。

 嫌いではないけれど、お酒にはそんなに強くない。少し度数が高かったらしいアルコールに頬を染めながら笑って否定した。


 「ないない!良い家庭だったらもっと私、良い子だったって!お父さんは情けないし、お母さんはそそっかしいしさ、人にしっかりしろって言うなら、見本になってくんないとねぇ。あはは、そうだなー、色んな意味で、良いご家庭に生まれたかったかな」

 ふと、質問を寄せるアルトに軽く答えながら、いつの間にか他が静かになっていることに気が付いた。

 ふわふわとした頭で視線を正面に戻すと、困ったようなティティの顔と出会う。直前、しまった、というようなアルトの顔を見た気がした。

 何か自分はおかしなことを言っただろうか。発言をリピートしてみても、特に問題があることは言っていない……と、思う。楽しいかどうかは人に寄るとして。

 瞬きを繰り返す美晴の耳に乱暴に食器を置く音が届いて、思考の海に漂っていた意識が戻ってきた。


 「……親に、そういう言い方ないだろ」

 「ヒューダ?」

 「寝るわ。片付けは明日やるから、置いといてくれ」


 床を傷付けそうな勢いで滑った椅子をそのままに、男は素っ気なく身を翻す。ぽかんと口を開いたまま硬直する美晴を振り返ることなく、さっさと自室に引っ込んだ。閉まる扉が荒々しい音を立てた。

 怒っていた。紛れもなく、あれは怒りだったと思う。美晴に向けられるはずだったらしい分かりやすいそれは、ヒューダの胸の中でくすぶり苛立ちという形に収まっていたが。

 唐突過ぎて意味が分からない。


 「あー……これは、ごめん。僕の運び方が悪かった」

 「私、何かやっちゃった?」


 答えずに、アルトがティティの顔色を窺う。

 薔薇色の頬の赤みを消した彼女は、困ったようにも、泣きそうにも見えた。柳眉を下げて俯いて、言い辛そうに小さな口を開く。


 「うち、昔、事故で……その、両親がいなくて……」


 風に吹かれれば消えそうな声だった。それでも内容は質量をもって美晴の脳を直撃する。


 「ごめん、だって、知らなくて」


 謝罪になっていない、と一度口を噤む。

 親には感謝してないわけじゃないし、本当に嫌いなわけじゃない。お金持ちのご家庭に生まれたかったという願望は否定しないが、悪い両親の下に生まれるよりずっと今が恵まれていることなんて知っている。誰に言うこともないけれど、二人の間に生まれたことは、成人した今では幸運だと確信もしている。

 友達同士の会話の定型文みたいなものだ、両親や地元の悪口なんて。他人に親の話をするとき、うっかり褒めるとマザコンだのファザコンだのと延々からかわれる。それが嫌で恥ずかしくて、その簡単な対処方であり、子供のちょっとした反発心。


 「そういうの、僕もあるから分かるけど」


 頭を掻いてアルトが言った。親のいるなら同じような人は多いだろう。

 誰だって、同じように口にしていた。それが悪いなんてケースに当たったことなく。

 多分自分は酷い顔をしているだろう。表情も、顔色も。こんなときどうして良いかが浮かばない。適当な誤魔化しも平謝りの多彩な言葉も、経験値が少な過ぎてまるで出てこない。

 色んな単語が頭をぐるぐる支配して、気の利いた構築もできず最後に行き着いたのは最初と同じところだった。


 「……その、ごめんなさい……」


 深々と頭を下げた。──というよりは、居たたまれなさに稲穂のように俯いた。

 ティティの目を見る勇気がない。あの綺麗な瞳が侮蔑を映し出していたら、甘んじて受け止めなければいけないはずの自分は、きっと盛大に傷付く。傷付いているのはティティたちなのに。

 だって、知らなかった、と心の内で自分が呟く。言い訳がましく目を逸らしながら。


 「あの、私、気にしてないから」

 「うん……ありがと……」


 間違いなく謝罪は美晴の本心からなのだ。けれど、悪いことをしたという思いは本物なのに、知らなかったんだから仕方ないという諦念も本物だった。

 反省の傍で言い訳が口を尖らせている。それが恥ずかしくてたまらなくて、ティティの健気な優しさを正面から受け取れなかった。

 送るというアルトの言葉を言葉少なに辞退して、とぼとぼと宿に戻った。途中でまた遭遇した警備兵長に心配され、結局はアルトの代わりに強引に送られた。

 サイドテーブルに残った料理は、美晴のせいで残ってしまった。安そうなアパートと、仕事に励む兄妹。あの食料を調達したのは、臑かじりの美晴と違って、彼らの頑張りが生んだお金なのに。

 甘えた場所に、恵まれた環境にぬくぬくと身を包み、それを捨ててきたと笑いながら言い放った美晴を彼らはどう思っただろう。少なくともヒューダには軽蔑されたはずだ。

 お洒落着のままベッドに潜り込んで涙をこぼした。また甘えたことをしていると思うと、際限なく滴が追加された。

 身じろぐとポケットの中の固いものが腰骨に擦れる。そういえば持って行った催涙スプレーも渡せていない。

 こぼす涙は悲しさじゃなくて催涙スプレーが滲みたんだ、と、意味のない言い訳を重ねて目を瞑った。

 いつになく鮮やかに映り込む自室に吸い込まれないように気を付けながら。

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