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番外4.一方的鞘当

リクエストをありがとうございました!その2。

>兄貴VSパン屋の坊ちゃん

 睨まれている。それも、隠す気もなく。

 店番たる母親の不在により偶々店に出ることになった。普段は配達箱に詰め込むパンが所狭しと並ぶ中で店番をするというのは何とも腹が減る。

 夕飯間近、涎を堪えて接客しているところに来店したのは、見知った男だった。程々のイケメンであり腕が立つと名高い警備兵だ。物凄く隙のない美貌というわけではないからこそ人気であるというから乙女心は複雑だが、まあ、男からしても高嶺の花より健気な路傍の花を求める傾向はあるから納得いく話である。

 ヒューダというその男は、精悍なツラを不機嫌そうに固めて、パン屋の柔らかな空気をいささか冷たくした。こちらの心情からすると営業妨害である。


 「……よう、いらっしゃい」

 「ああ」


 面識はある。自分の姉と、ヒューダの妹である友人──というにはどうにも棘を感じる関係だが──を通した、少し遠い位置で。あと、一応当店の常連でもあるので、配達の帰りに顔を合わせたことくらいはある。

 しかしこれはどういうことだろう。パンを選ぶでもなく向けられた視線の鋭さといったら、魚の骨が歯茎に突き刺さるよりずっと酷い。以前顔を合わせた際にはこんなことはなかったはずだ。目礼をするくらいの礼儀を持ち合わせた男であったはず。

 兵士という荒事に長けた男からの敵意を受け止められるようには生憎できていなかった。自然な仕草で目を逸らし、他の客の相手に集中する。お陰で新作のパンの説明に熱が入った。可能な限り会話を引き伸ばし、店内の客を粗方見送った後、ようやく商品を選び始めた男にほっとする。

 たかだか数分のことだが肝が冷えた。傷を負った心が熱烈に癒しを求めている。

 楽しい思い出を走馬灯のように脳裏に呼び出して、束の間のリフレッシュに浸る。最近は自分にも、春の予感が訪れようとしているのだ。

 春の名はミハルという。ちょっとばかり気の強そうな目をした、たまに見せる笑顔が可愛らしい少女である。満開で笑うんじゃなくて、こう、話し手に釣られたようにして笑みをこぼすところがキュンとする。

 忘れもしない初対面は、配達に出た直後だった。注文の品を抱えて店を背にした自分に注がれる、どこかうっとりとした視線。──正確には、ミハルの視線の先は自分が抱えたパンだったのだが、首を傾げた自分にはっとしたように恥じらいを乗せた、その表情の愛らしさときたら。

 ええと、と逡巡して数秒、桃色に染めた頬で俯きがちにこちらに眼差しを向けて、彼女は誤魔化すようにはにかんだ。「美味しそうなパンですね」と。

 らっしゃぁせえええ!と声を張り上げて道行く人々の注目を浴びたのは微笑ましい思い出だ。直後のミハルの呟きはどういう意味があったのだろうと時々回想する。確か、チュウトロサビヌキデ、とか何とか。またハッとした顔で恥ずかしそうに視線を泳がせたのが可愛かった。

 1人上映会を楽しんでいるところに水を差されたのはまもなくだった。剣を振り下ろす勢いで叩き付けられたトレイの上、罪もないパンが踊る。


 「あの、備品は大切に」

 「会計」

 「はい」


 武闘派の男に正面から楯突くなど愚考であると自分は思う。

 殺意を乗せた眼差しから逃れるべく、必死に己の肉体に魔法を掛ける。自分は無色透明の透過物である。思い込めばいつか魔法は発現するはずだ。信じるものは救われるというありがたい言葉をどこかで聞いたような聞いてないような。あれ、妄信ですくわれるのは足元だよとかいうお言葉だっけ?ううん思い出せない。重篤な記憶生涯があるようだからもう仕事終えて引っ込んでも良いかな。

 叶いそうにない魔法の成就を諦めて、早く両親帰って来ないかな、という祈りにシフトしながらパンを詰める。職務は忠実に全うすべきと身体に叩き込まれているので、魂が半分ほど削られたくらいでは作業に淀みを生むことはない。計算しやすく値段設定しているとはいえ金額合計まで自動計算なのだから教育とは素晴らしいものである。間違えると頭頂部に襲来したオタマのおかげで背が3センチは伸びた。ちくしょう鬼婆。ありがとうございます。濁る。心が。


 「ええと、32点合計で──」

 「こんにちはー!ヒューダやっぱりここにいた!」


 そのとき清涼な風が店内を浄化した!

 限界まで目を見開きながら入り口を振り返ると、後光を背負った天使がいた。妄想の中から飛び出したようなタイミング。ミハルである。走ってきたのか怒りにか、上気させた頬が食べ頃の果実のような色をしている。

 齧り付きたい。青少年特有の邪まな思いを振り払いつつ、いらっしゃいませ、と弾んだ声で迎えた。こんにちは、と猫の目がこちらを見る。

 束の間の幸福は、しかしまたしても正面の男に妨害を受けて儚く散った。すぐに外されてしまった視線が、眦を吊り上げてヒューダに向かう。


 「私もパン選びたいって言ったのに、何で置いてくの!」

 「ちんたら支度してるからだろ」

 「上着取りに行ってただけでちんたらとか、世の中の女性諸君が、今、敵に回ったからね!」

 「それなら全人類の半数は味方と見て良いな」

 「アルトみたいなのがいるから半分以上は敵だよ」

 「そりゃ……めんどくさいな……」


 話半分というように聞き流す男と、ぎしりと固まった自分。ミハルはこちらに気付かない様子で憤慨を露わにヒューダの腕を揺すっている──いかにも仲良さげに。

 職業病が金額を口にするのを、遠い彼方で耳にした。自分の声が遠くに聞こえるって貴重な体験じゃなかろうか。今、恐らく自分は死んだ魚に酷似した目をしている。

 袋に詰められたパンの数々。それを一緒に選びたかったと彼女は言った。この大量のパンを。一晩では処理仕切れない量の、夕食向けだったり朝食向けだったりするパンたちを。


 「あ、私、明日これ食べたい。もう一個持ってきて良い?」

 「おまえ用だよ。俺はンな甘いのいらねえ。ティティはこっちな」

 「……自分で選ぶまでもなくってのも微妙に腹立つ」

 「真っ直ぐな人柄だなあミハルは」

 「ちょっと夕飯ノルマが二倍になる魔法とか教えて貰ってくる」

 「帰さねえぞ」


 とどめにこれである。

 魂の飛んだ我が身体は、感情を持たない冷酷無慈悲な自律型会計人形と化した。愉悦を含んだヒューダの目に、立たせる腹さえすでにない。

 お泊り。対象が自分の家であれば限りなく甘美なその言葉が、圧巻の気鬱を呼び覚ます。いくつかの袋に分けて纏めた食料を我が物顔で腕に抱える少女が、警備兵長の剣の一振り以上の破壊力をもって気力にダメージを与えてきた。

 これから夕飯をヒューダの家で食べて、お泊りして、翌朝を迎えて朝飯を食べるって?好みを熟知するほどに回数を重ねているって?

 神は死んだ。


 「へへ、楽しみ。いつもありがとね!」

 「どうもな」


 天使の微笑みと、悪魔の嘲笑。

 頬を引き攣らせる動作ができただけでも表彰ものの反応であったと思う。近い距離感を保って、寄り添うように歩み去る二人の背中には、涙すら乾く有様だった。


 「……またのお越しを」


 お待ちしていません。

 少なくとも、当て付けるためにわざとちょっと置いてきたりするような客は。


 「ちょっとアンタ、何ゾンビみたいな顔してんだい!」

 「母ちゃん俺この人生の全てを配達に捧げる所存です」

 「お?おお、そりゃ、良い心掛けだね」


 だから二度と店頭には立ちません。

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