02.救出と交流
妖精もかくやという美少女が川の縁に引っ掛かっていたら、常人ならどうするだろう。即座に引き上げるか、見間違いかと目を擦るか、呆然と見下ろして硬直するか。
美晴は呆然と見下ろして硬直した後、見間違いかと目を擦って、慌てて少女を引き上げた。ギリギリで引っ掛かっていた手がゆっくりと川に飲み込まれ始めていた。
「ちょっと、大丈夫?ねえ!」
意識はないようだった。必死で引き上げた際に水を吐いていたので、気管はどうにか無事だった。胸に耳を当てて心臓の鼓動を聴く。細いながらも呼吸をしていることを確かめて安堵する。
細い身体は軽そうではあったが、意識を失った人間は重く、どうやったって美晴が一人で運べるものではなかった。抱き込んでしばしの思案。人命救助に仕方なし、と上流に目をやった。どうせ気絶しているし、遠慮する必要はないだろう。
少女が流されて来たのなら、当然上流からである。
遠くの景色を意識して見詰めると、意識が吸い込まれるような感覚を得た。身を任せると一瞬後には転移する。何度も繰り返して、着実に川を上っていく。段々と息が上がって、抱えた少女の重みが増すようだった。
十回目の転移を終えた頃、ようやく森の切れ目が見えた。随分と流されていたみたいだな、と思うと、冷え切った少女の体調が気になった。
森の向こうに見える、背は高いが頑丈そうではない塀。特別大きいというわけではないようだが村というには規模がある。そこは丁度街の入り口だったのか、塀の切れ目には門番なのか人が立っていた。
となるとあと少しの距離を跳ぶことはできない。苦悩の末に少女の両脇に手を入れ、引きずって行くことにする。踵が痛そうだが勘弁して欲しいところだ。荷物がショルダーで良かった。
あとほんの数十メートルが遠い。歯を食いしばる美晴の顔は見れたものではないだろう。じりじりと距離を詰め、気休めという少しの休憩を挟みながら、どうにか森の終わりに足を掛けて。
「──ティティ!?」
助け船が、舞い降りた。
街から駆けてくる男が二人。先程目にした門番である。腰に下げた剣がガチャガチャと音を立てて、悪くも何ともないはずの美晴を威嚇しているようだった。
視線は一直線に美晴が抱えた少女へと注がれていた。その間に入っている自分には果たして気付いてくれているだろうか。はね飛ばされないように半身をずらす。
「ティティ、ちょっと、ティティ!何があったのッ!」
少女を引ったくるようにして腕に抱き込んだのは、金髪というにはくすんだ色の髪をした男だった。
細身ではあるがやはり美晴よりずっと力があるらしい。片腕で背を支え、ぱちぱちと軽く頬を叩く。気を失った少女が目を開くことはなく、男は泣きそうな顔をした。
「あのさ、冷えちゃってるから、あっためてあげた方が良いかも」
同じように顔を覗き込んでいた、もう一人の男がこちらを向いた。
赤茶けた短い髪に、鋭い焦げ茶色の目。前の男より筋肉質で、腰を伸ばして見下ろす姿にプレッシャーを覚える。先の男より表情がないことも起因するだろう。
少し怯みかけたが、別に悪いことはしていないのだと気を取り直した。警察の前で不必要に畏まるような心地だった。
「あんたは?」
「旅人。この子、ここに来る途中で川縁に引っ掛かってたの」
「そうか……」
男が少し眉を顰めた。川に落ちていたとなれば大事である。
ちらりと少女に視線を落とし、またこちらへと向き直る。
「詳しく聞きたいんだが、一緒に来てくれるか?」
詳しくと言われても、非常に適当な距離くらいしか分かんないけど。
首を傾けて数秒、まあいいかと頷いた。濡れたままの彼女であるし、着替えるにも女手は必要だろう。べたべたというほどではないにしろ、自分も少し各部を拭いたい状態でもある。
「悪い、あと頼めるか──おいアルト、家に行くぞ」
「ん、分かった」
「ティティ寄越せ」
「えっ、このまま僕が運ぶって!僕が運ぶ!」
「さっさと寄越せ」
「ヒューダぁ、頼むよ」
もしかして三角関係とか何だろうか。少女、改めティティを抱いていたひょろっこいのがアルトで、美晴と話していた顰め面がヒューダというらしい。
門の近くにいた男にヒューダが声を掛ける。無理矢理小さな身体を奪い取られて、アルトががっくりと肩を落とした。消沈を露わに美晴の隣に並んで、尖らせた口を開く。
「どうも、僕、アルト。あっちの顰めっ面なのがヒューダ。かわいーいあの子がティティ。君は?」
「美晴。残念だったねアルト」
「血の涙が出そうなほど残念。もー、あいつガード堅いんだよ、鉄壁のシスコン!」
「誰がシスコンだ不治の病人」
兄妹だったらしい。驚異的に似てない。
彼らの歩幅は大きいので、あまり余所見をしている余裕はなかった。男の風上にも置けない──と言いたいところだが、冷えた少女の処置は至急の事態だ。今回だけは不問にしよう。
それでも隙を見て視線を走らせる。気を失った少女が目立たないよう裏通りを歩いているらしく、過ぎ行く人は疎らだった。ちょいと見えた表通りはそこそこ賑わっているように思える。
どこからか、腹の虫を刺激する香りが漂っていた。そういえば腹が減った。ティティを運ぶという運動もしたし。
転移には意外と体力を消耗するのだ。将棋にカロリーを使うようなものじゃないかと勝手に想像している。あれ、だとすると転移しまくったらダイエットになる?
「アルト、ポケットに鍵があるから開けてくれ」
「うえー、男のポッケに手ェ突っ込むとか」
横並びの同じような扉の中、一際綺麗に磨かれたドアの前でヒューダの足が止まる。綺麗に整えられたプランターが可愛らしい玄関だった。まだまみえぬティティの趣味なのだろう。そうだと言え。
家の中も掃除も行き届いているようで、ものが少ないわけでもないのに整然とした印象だった。少なくとも、美晴の部屋よりはずっと整っている。机の上で揺れる一輪の花など、見習うに難しいほどの女子力である。多分見習ったとしても、数日後、ペットボトルに枯れた花が残るだけだろう。
「おい、こっちだ」
いつの間にか奥の部屋へと入っていたヒューダに手招きされた。
皺のないベッドの側で、少女は椅子に凭せ掛けられている。力の抜けた四肢が落ちないように支える手を交代した。
「初対面で何だけどな、こいつ、着替えさせてやってくれ。さすがに俺がやるわけにも行かないし」
「僕やろうか!」
「何より、俺にはアルトを見張るって仕事があるんでな」
「重要な仕事だね。わかった。頑張ってね」
扉の向こうに消えた途端、キイアアア、と麻布を裂くような汚い悲鳴が聞こえた。
聞かなかったことにして、手早く少女の服の紐を解く。薄暗い室内、浮かび上がるように白く細い身体には、同性ながらドキドキする。肌に残った水気を拭い、ついでに自分の湿った服にも適当に布を当てた。置かれた簡素なワンピースを着せ付ける。服の構造が複雑じゃなくて助かった。コルセットとかが主流だったら美晴には手の付けようがない。
ドライヤーなんて便利なものは存在しないようなので、丹念に長い髪を布で挟んで移動する。少しウェーブが掛かった細い髪は、乾いたらどんなふうに広がるんだろう。きっと少女の人形めいた容貌を優しく飾るに違いない。
扉をノックする音に、熱中していた作業から現実に戻った。
「まだか?」
「あ、ごめん。もう大丈夫」
待ってる人を忘れていた。悠長に髪を乾かしていて悪いことをした。声を上げると、足早にヒューダが入ってくる。
ドアノブが引っ掛かる音がしなかったということは、もしかしてちょっと開いてたんだろうか。確認もせずに乙女をすっぽんぽんにしてしまったとは、何とも申し訳のないことをした。
顔を青くして、姿を現さないアルトの所在を訪ねる。
「いつまでも二人も持ち場を放れるわけには行かないからな。先に戻らせたんだよ」
「あ、ああー、それは良かった!」
「アルトがどうかしたか?」
異性にわざわざ言うべきことじゃないが、兄だというなら良いだろうか。躊躇いをみせると、ヒューダの眉間に山脈ができる。その険しさおよそロッキー。堪え性がない!
「開けっ放しで着替えさせちゃったみたいだからさぁ、その、アルトに覗かれたりしなかったかと思って」
「……何だそんなことか。見せてねぇよ。部屋を出てすぐに追い出したしな」
それなら良かった。じゃあティティをベッドに移してくれたまえ。
場所を譲ると、心得たようにヒューダは妹を抱え上げた。乙女憧れの姫抱っこである。凄い。易々と持ち上げるものだなあ。
浮かび上がった筋肉の盛り上がりに人体の神秘を覚えながら、何気ない調子で向けられた事情聴取に適当に答える。正直に「空間を転移して参りました」なんて返答はNGだ。その腰にはいた、実用一途の飾り気の欠片もない剣を抜かれたら怖いので。
というわけで、美晴のようなか弱い乙女が──自己修飾語に文句があるなら迎え撃ってやるから掛かってこい──どうやってティティをここまで引きずってきたか、などと聞かれたときには冷や汗が流れた。ティティが心配だったから無我夢中で、と両手を振り振り答えたものの、不審の目を食らったのは言うまでもない。
不思議とそれ以上突っ込まれなかったのは僥倖だった。
「あ、ところでさ」
目に入った外の景色に、まだまだ襲来しそうだった質問を逸らした。乙女は秘密が多い方が魅力的なので、あまり根掘り葉掘り聞かれるのは苦手なのであるというニュアンスを、果たして彼は受け取ってくれただろうか。
「道具屋と宿屋の場所、教えてくんないかな。手持ちのお金あんまなくてさ。引き替えたいものがあるんだよね」
「ああ、もうこんな時間か」
外はすでに、半ばほど赤く染まり掛けていた。今日中に資金を得られないのは困るし、何より宿が満員になってしまっては困る。
間に合わなかった場合には野宿をするつもりはなく、一旦自分の部屋に戻ることになるが、そうするともうこの世界には来れない確率が高い。
やはり初めて長期滞在をするのなら獣人に囲まれて珍獣扱いされるより、人が溢れる世界が良いのだ。次、その次に訪れる世界がそうである確率は低くはない。ないが、どうせならぱっと見、文化ギャップも少なそうなこの世界を希望する。
万が一運良くこの世界に戻れたとしても、明日ばったりヒューダやアルトに遭遇して、昨日はどこに泊まったのかなどと聞かれるのはまずいだろう。街の規模的には二、三件は宿がありそうだし、わざわざ美晴の在所を調べはしないだろうが、何かの拍子に嘘がばれても気持ち悪いし。
納得してくれたらしいヒューダは、親切にも簡単な地図を書いて渡してくれた。仏頂面だし受け答えが逐一ぶっきらぼうではあるが、面倒見は良いようだ。
方向感覚は良い方である。地図と街の入り口の方向を認めて、偶然にも美晴が気にした表通りの辺りに店があることを確認する。これならすぐわかるし、案外近い。
「ありがと、ヒューダ」
「いや、こっちこそ妹が世話になったな」
ヒューダたちは街の警備兵だそうで、早退を告げに、元いた場所ではなく詰め所へ行くらしい。美晴とは正反対の方向だ。少しとはいえ部屋が意識のない妹を残して無人になるのを気にしてだろう、隣の家の住人に声を掛ける姿を見守った。
軽く挨拶を交わして片手を上げる。歩き出してすぐ、背後から声が掛かった。
「治安はあまり良くないから、表通りを歩けよ!」
「りょうかーい」
本当に、お兄ちゃんは面倒見が良いようだった。
また会えると良いと思う。ティティがちゃんと回復したかどうか、こちらからご機嫌伺いに出向くのは非常識だろうか。
言われたた通りに表通りに出て、道中見付けた宿を覗き込む。入り口すぐは食堂らしく、遅いおやつか早い夕飯か、宿の客ではなさそうな人たちが案外大勢座っている。結構繁盛している店らしい。
となると今日の宿泊が心配である。暢気にしちゃいられないと、慌てて道具屋に向けて駆け出した。