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番外2.能力補填(後)

 話は翌日にまで持ち越した。

 アルトがああだこうだとろくでもない提案をしたとのことだが、ティティと遊ぶのに忙しすぎて9割方聞き流した。代理で拝聴したヒューダが何度か剣を抜いていたので、催涙スプレーが火を噴く展開だったのかもしれない。美晴が聞いていなかったことに涙して感謝を捧げると良い。

 アルトは翌日の仕事に備えて一人寂しく帰宅して、いつも通り美晴はティティの部屋で就寝した。それが昨夜の話。

 美晴の世界で言う土曜日。外へ出掛ける予定だったのを急遽変更して家の中で過ごすことになったのは非常に残念だったが、『思い出作り』を名目に、非番のヒューダを巻き込んだ糸染め体験は、思ったより楽しい作業だった。

 夏を過ぎてもまだ暑いは暑い。井戸から汲み上げた冷たい水にキャッキャしながら、混沌とした液体に糸を放り込んで加熱して、うっかりこんがらがってしまってヒューダに馬鹿にされたりもした。一度体験済みだからって玄人ぶりやがってこの男。妹から厳しい叱責を受けて顔を歪めるたび、ざまあと指さして笑ってやった。ちなみに美晴には懇切丁寧な説明と、笑顔の励ましが下された。人徳である。

 できあがったまだらな糸は、後日布にしてくれるそうだ。


 「凄いな。人ってのはここまで不器用になれるもんか」

 「むら染めって技法が私の世界にはあってだね」


 更に翌日、日曜日。干した糸は色を変えて、綺麗な深緑色をしていた。昨日は味噌を煮詰めたような茶色だったはずなのに不思議なことだ。ティティはどうしても外せない仕事が入ったとかで不在であるので、何であの味噌色からこうなるのかは後日聞いてみようと思う。

 美晴にとって緑と言えば森の色。この世界に訪れて最初に目にした鮮やかな緑と木肌色が混じり合った風景の色だった。それは領主の館から脱出した後の涙向こうの世界であったり、帰還を見送る光景だったりもする。

 茶色を側に置く色、と考えてふと視線が泳ぐ。うっかりかち合った眼差しから思い切り顔を逸らした。

 別に返礼する必要はないのだ。美晴が受け取ったリボンは、不必要な謝罪と、再転移のためのものであって、こっちから何かを返す義理なんぞない。

 ──でもこの色はヒューダに似合うだろう、だなんて。


 「うぐぐぐ」

 「何だよ。そんな悔しいならまたやれば良いだろ」


 そこはどうでも良いんだ。むら染めという技法があってだな!

 背中に打ち込む拳を何でもない様子であやされる。手首に絡んだ指が悠々と攻撃を諫め、スマートに椅子へと誘導された。手慣れている。もしかして今のはティティと同じ行動だったりしたんだろうか。妖精と比較されるとか人間として恥ずかしい。

 ポケットから出した時計を確認すると、もうすぐ昼になろうという時間だった。そろそろ帰宅の時間である。

 結局書き換えができたのかどうかは分からない。染め物の作業場とか、緑色に染まった美晴の指を楽しそうに弄くるティティの顔とか、横から茶々を入れるヒューダとか、それなりに印象的なものは色々目にしたものの、決定的な一打というものはなかったようにも思う。

 多少の不安が滲みはするが、ここでヒューダに言うとまた何か不利益を被る気がするので気にしないことにした。帰ってから目を閉じて、もし路地裏だけが浮かぶようなら、人通りがないだろう深夜に黒ずくめで転移するとかの手はあるし。

 一週間じっくり考えて、また以降の対策を練れば良いだろう。だが決してティティやアルトには任せまい。己の心の海に浸って、自分だけを頼りに考えよう。


 「さて!今日はパンでも買って帰ろうかなあ!」

 「ほら」


 余計なことを考えて顔を熱くする前にと勢い良く立ち上が──ろうとしたところで、ヒューダがおもむろに袋を投げて寄越した。

 訝しみながら口を開けると、濃厚なバターの芳香が鼻孔をくすぐった。朝からやけに良い香りが続いているとは思っていたが。精度の良い美晴の鼻は、馴染みのパン屋の商品だと直感した。

 何これ、と顔を上げる。


 「朝飯ついでに余分に買ってきておいたんだよ。あの辺りは警備の巡回多いし、またはやし立てられても面倒だし」

 「……別に、ヒューダに付いてきてなんて言ってないけど」

 「好きな女に余計な虫を付ける気はないんでな」


 これまでの人生でとんと恋愛に縁のなかった美晴だが、発言の意図が知れないほど天然でも鈍感でもないつもりだった。

 自分などに余計な虫とやらが付くかどうかは別として、よくもしれっと発言できるものだ。歯の浮くセリフはイタリアかフランス男の特権だと思っていた。あっち系の風土だったりするんだろうか、この世界は。

 数秒の絶句を挟んで、絶え絶えの息でしらじらしくとぼける。


 「な、なんのことかしらあ」

 「ほー、詳しく言って欲しいか?」

 「……遠慮しときます」


 涙を飲んで敗北を宣言した。鼻で笑う男の神経が信じられない。

 何だコイツ、何だコイツ。キャラが違うんじゃないのか。殊勝な顔で凹んでいたあの真面目さはどこへお出掛けした。今にも土下座しそうな顔で、美晴に謝罪を述べたヒューダに、こんな積極性は──片鱗が見えていた気もする。やけに距離が近いと思った記憶が、あるようなないような。


 「とりあえず、一人でパン屋には行くなよ」


 今度は全く意味が分からなかった。不審を露わに見返すが、何やら不穏な眼差しが戻ってくるだけだった。

 仕方がないので拳を突き上げて反論する。


 「横暴だ」

 「返事は」

 「弾圧反対」

 「……そんなに噛まれるのが好きか」

 「なぜそこで野生に還るのか!人間なら言葉を駆使するべきである!」

 「駆使して欲しいか」

 「ううん、できれば黙って欲しい」


 駄目だ、捨て身の野郎に勝てるはずがない。美晴の敗因は羞恥心である。しかしこれを捨てるなんてとんでもない。羞恥心とは人間の証であるからして、何ということだろう、ヒューダが人間を止めていたとは思わなかった。ということはきっとアルトも人間じゃない。

 流れ弾を遠方へ食らわせつつ、さっさと帰ってしまおうと今度こそ尻を浮かせた。同じくヒューダも立ち上がる。別にここから転移するんだから、見送りに立つ必要はないのだが。


 「なあ、宿屋での一時帰宅のときには、窓を景色に入れたとか言ってたか?」

 「え、うん、そうだけど……」


 おもむろに肩に置かれた手に意識を取られる。

 窓を視界に入れて風景を記憶するのは、単に落下防止のためだった。まちまち転移場所が上空であることから分かるように、転移の際の距離感は正確ではない。窓を背にして転移すると、うっかり窓の外に出ることがあるのだ。宿屋のように二階の部屋で誤爆したら大怪我に繋がる恐れもあるので、結構重要な小技である。

 それが何か、と見上げる前に、肩を押されてくるりと方向を変えられた。


 「まっすぐ前見てろよ。動くな」

 「はあ?」


 扉。それから、扉の隣にある窓。ちらちらと置かれた植物がティティのマメさを表している──と思っていたが、水やり担当はヒューダらしいと最近知った。ティティは買ってきて置くまでが仕事らしい。ペットを買いたがる子供と母親みたいな分担だ。往々、世話するからと約束した子供は早々に投げたりするよね。かくいう自分である。

 両肩を固定されて、否応なしにそれらを目に焼き付ける羽目になった。こんなのよく見たって、一時帰宅準備ならともかく、転移風景に上書きされるとは思わないんだけど。

 10秒ほどは黙って従って、すぐに飽きた。無駄を諭すべく口を開き掛けて。

 ──首の後ろに、ぬるりとした軟体の感触、が。


 「ん……」

 「──ッ!?」


 覚えのある軽い痛みが走った途端、背筋を駆ける電気ショックの類似感。艶めかしさすら感じる吐息が肌を撫でる、今世紀最大の衝撃といったら。

 文句とか反抗とかより、一刻も早く肩を拘束する手から、背後の衝撃感覚から逃げ出すことが頭を占めた。けたたましく悲鳴を上げるより先に瞼が強く下りる。

 目を開けたときには自室にへたり込んでいた。転がるパンの袋が膝の下で潰れている。

 震える手を首の後ろに当てる。濡れた感触を指で感じた。

 しばらくの間忘我の境地で蹲る。膝と顔のこもった空間が暑い。夏休みが終わったとはいえまだまだ熱波は去らない。そのせいだ。自分が過剰に発熱しているせいでは。


 「あの、男……また噛んで……!」


 心臓の音がうるさい。頭に血が昇って、視界がやたらとちかちかする。

 長めの瞬きをすると、唇を舐める男の顔と、奴の住処が漂った。路地裏?何それ、どこにあるの。

 景色が並列するなら、あの世界の出現確率が大幅にアップするんじゃないかなとか、あんまり衝撃シーンが増えると他の世界が浮かばなくなって行き難くなるなとか。現実逃避にもならない分析をして呼吸を整える。

 感情を抑えろ。喜ばしいではないか。今度からは転移場所にティティの家を選択できる。

 いちいちヒューダの目の前に落ちなくて済むから、毎度息が掛かる距離で狼狽えることはなくなる。今回みたいに衆目に恥を晒す心配もない。ちょっとくらい時間がずれても、うっかり着替え中の男の前に乱入することもないわけで。何なら空いた時間にお邪魔することも可能である。

 そのためなら、首筋に舌を這わされた上、歯形を残す程度に噛み付かれたくらいで、血管が切れそうなほどカッカすることは──。


 「……許さん」


 ゆらりと幽鬼に似た体で立ち上がる。吸い込まれるようにパソコンに向き合い、立ち上げ、電脳空間を進む。

 許してなるものか。一度ならず二度までも、乙女の柔肌に許諾も得ず歯を立てるなど、天地が許そうと美晴は絶対に許さない。

 このまま恥ずかしがって泣き寝入りなどしてなるものか!


 「もっとだ、もっと強力な武器を。知恵袋か、ふふふ、それとも匿名掲示板か」


 瞬きの裏で、ぞっとした顔をしたヒューダが目を泳がせた。シックスセンスという奴か。確実に美晴の呪詛が届いたような仕草だった。

 ついでにティティの分もポチっておこう、とマウスを動かした際、アルトが身を震わせたことなど美晴が預かり知ったことではない。


 「第三段スプレーは確実にヒューダに食らわせてやるんだから……!」


 ゴーグルと粉塵マスクを買い物カゴに放り込む。

 即日出荷希望、と打ち込んで、美晴は凄惨な笑みを浮かべたのだった。

一応これで本編書いてるときに考えたお話は終了です。


何かシチュエーションネタとか、アルトにスプレーして欲しいとかお題あったらいただけると嬉しいです。

書けるかどうかは分からないけど、凄い短いネタ話が書きたい。

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