番外2.能力補填(前)
本編その後のお話です。
……ヒューダに告白を受けた。オイ一体なんの恨みがあって人のただでさえ低い鼻に食い付きやがったと詰め寄ったら普通に告白された。
返事はいつでも良いと言われたものの、やはり受けた側としては気まずい。した側ヒューダだって気まずいんじゃないのかと思うだろう。違うんだなあ。凄い普通なの。あれっ、告白されたよね、と数秒置きにチラ見してしまうくらいに普通。
ちなみに告白現場にはティティとアルトもいたので、まるで公開処刑だった。酷い日焼けを負ったように顔が真っ赤に染まったのは、ヒューダからの言葉の他、外野二人の盛大な拍手と口笛のせいでもある。
あわあわと言葉にならない悲鳴と身悶えを繰り返していたら、やけにニヤついた顔で頭を撫でられた。畜生この野郎噛み付き返してやろうかとも思ったが、何だかそれは不思議と復讐にならない気がしたので止めた。
あれから一月が経った今でも、答えは返せないまま美晴はせっせと異世界へ足を運んでいる。行き先は一度を除いて、常にヒュ──ティティのいる世界だ。
鳥人に会いに行った一度は、新しい滞在先を見付けられたという報告と、美晴がこの力に胸を張れるようになった喜びを伝えるためだった。まさか行った先で、卵を抱いた友人を目にしようとは思わなかった。
「う、うわああああ!私の!私の聖域が汚されたあああああああッ!」
「やかましい。卵に悪影響が出るといけないからさっさと帰れ」
相手はあのインテリ鳥だった。知らない他の鳥のつがいになっているより良かった気はするものの、やっぱり釈然としない。何だこいつ。胎教とか気にするキャラじゃなかっただろうが。
ひとまずおめでとうと祝辞を述べて、度肝を抜かれたがためむしろスムーズに現状報告ができた。
告白されたとか余計なことを告げた際、にわかに殺気立ったインテリが騒ぎ出したのは想定外だったが、美晴の弱さをずっと懸念していた二人──二羽──いややっぱ二人には、美晴の成長は朗報だったようである。
ヒューダに返事を返す前にここに連れてこい、もしくは連れて行け、と。全く慎重なインテリらしくない言葉に無理矢理頷かされて憤慨したものの、傍らで朗らかに笑う友人に、幸せそうだからまあ良いかと毒気を抜かれた。
閑話休題。
ティティの世界へは週の終わりに顔を出す。毎回眼裏にヒューダが浮かぶわけではないが、三回も瞬きして景色を更新すれば大抵は見付かるので、安定して足を運べていた。金曜夜9時くらいに跳んで、土曜を過ごして日曜の昼頃帰る。そういう生活が習慣付いてしまった。
時間に遅れるとティティが膨れるので、最近はタイマーを掛けるようにまで規則正しくなった。お餅を真似た頬を美晴の腕にくっ付けて見上げる彼女は可愛いが罪悪感が芽生えるし、物言いたげに半眼を向けるヒューダとアルトが気に食わない。曰く、女同士がくっ付いていて慰撫されるのは視覚だけなので、それならこっちにくっ付けとかああああああああああああ。
何なのあの今までの美晴の人生とは縁もゆかりもなかったピンク色の空気とか言葉とかその他!
単語を変えて同じような言葉を浴びるティティが軽く受け流しているのがマジ解せぬ。この子強い。知ってたけど。
──そんな感じで、以前とは違い緩く流れている日常なのだが、ここで一つ困ったことがある。代わり映えがしなくて申し訳ないが、美晴の能力の話だ。
「……そろそろ良いかなーっと」
デジタル時計を取り上げて呟く。時間になるのを待つ、という行為は苦手だ。まだかまだかとソワソワするから。携帯電話のタイマーが鳴り響く前に解除した。
午後9時。食事も風呂も済ませて、二泊三日の荷物を腕に立ち上がる。
髪を結うためのリボンを握り締めて目を閉じた。途端に浮かぶ様々な景色の中に混ざる一つの顔。見るたび赤面するやら憎く思うやら、とにかく複雑な思いを抱えつつ意識を集中する。
一度訪れた世界の場合、再来する対象は「印象に残ったもの」だが、そこに浮かぶ光景は記憶ではなく「今現在」のものである。例えば印象に残ったものが大樹の生えた景色だとして、瞼の裏に映る光景では大樹が切り倒されているということもある。
印象に残ったのが腹立たしくもヒューダの端正な顔面どアップだったから、映るのは今現在のヒューダのどアップ。背景などちらりとしか見えない。ティティに笑い掛けていたり、アルトに顰めツラを向けていたりする彼が、何だか緊迫しているな、だなんて。
気付かなかったのは、まあ、美晴が悪かったんだろう。
「う、えええええッ!?」
「おっま」
酩酊感と浮遊感を交互に食らった美晴は、それらを遙かに上回る衝撃に可愛さの欠片もない悲鳴を上げた。ぎょっとして目を見開いたヒューダが、思わずといったように腕を広げる。
ここのところ素直に地面に立てていたのにまた空中に出現したらしい。そして暗い。いやそんなことより。
落下した身体を広い胸が受け止める。低い鼻を鎧に打ち据えられて涙がこぼれそうになった。真上から落ちてきた人間一人をガッチリとキャッチできるほど、ヒューダはレスラー的なマッチョではない。いわゆる細マッチョな彼は、勢いに耐えきれず、けれど美晴を取り落とすことはなく尻餅を付いた。
おお、とか、ヒューヒュー、とか。何だ何だと聞こえる声への既視感。
「よーう嬢ちゃん、良かったなあギリギリ裏路地でよお。表通りだったら大騒動だぜ。明日からと言わずヒューダの熱愛がトレンドになるところだった。いやあ惜しかった!」
「兵長……俺もう帰って良いすか」
「お?お持ち帰りかヒューダ!おいおいおい牽制未遂で終わったからってまた大胆なこったなあ。だーいじょうぶだよ、んな牽制しなくても、俺はもっと色っぺえお姉ちゃんが好みだよ」
「聞いてないし知ってますよ。帰って良いすか」
「聞いたかおい、お持ち帰り否定しねえぞこいつ!」
恐る恐る、堅い場所に埋めていた顔を上げる。
美晴がヒューダを押し倒したような格好で転がっている現状。警備兵長を振り仰いでいたヒューダが、美晴の動きに気付いて挨拶を向けた。つられるように、一斉に場の視線が集まる。
ニヤニヤとした笑みを浮かべた兵士たちがこちらを見下ろしていた。まるで美晴が告白を受けた際のアルトが沢山いるような光景だった。
裏路地から表通りに繋がる道を封鎖するように集まっているのは、突然現れた美晴を隠すためだろう。兵士諸君は領主の一件で、異世界は別として、この特殊能力を知っている。
そこまでを比較的冷静に分析して──徐々に感情が追い付いた。
具体的には、息が掛かるほど超至近距離にあるヒューダの顔とか、逞しい腹に押し付けた形の胸とか、しっかりと抱かれた腰とか、美晴が跨いだ太股とかに対する、並々ならぬ羞恥心が。
「う、うわああああああん!」
「あ、逃げた!」
「お先失礼しまーす」
どうでも良いけど転移能力が地味にパワーアップして、行き慣れたヒュ──ティティの家になら、この世界のどこからでも転移できるようになったよ!
半泣きで跳んだ美晴を出迎えたのは、ちょっと赤い顔をしたティティと、美晴の足の下に収まったアルトの後頭部だった。
人が災難に遭っている間にまたこの男は親友に迫りよってからに。
「悪い、仕事が長引いた」
ということだった。それは仕方がない。仕事なのだから。仕方がないけれど、そんなあっさりとした謝罪では美晴が受けた恥辱は晴れないのである。
ハプニングだといくら理解されていようとも、難易度高めの異性との密着現場を、人前に、しかも結構な大人数の知人の前に晒したというこの収めどころのない荒れ狂う血潮をどうしろというのだ。
ティティの豊かな双子山に顔を埋めていじける美晴を、どうにかこうにか引き剥がそうとするアルトの手と格闘する。ええい、傷心の乙女を慰める気もない器のちっさい男はあっち行け。ついでに貴様に加勢しようと隙を窺う油断ならない男もどっかやれ。よしよしと髪を撫でる妖精の手だけが癒しなんだから。
「だからアルトくんとお仕事代わって貰えばって言ったのに。ごめんねミハル、うちのヘタレは気が利かなくて」
「んなことしたら明日の休み確保できなくなるだろ。もうちょいだからいけると思ったんだけどな……おい、悪かったよ」
「でも大通りじゃなくて本当良かったよね。ミハルが大道芸的な意味で街の人気者になるとこだった。ヘタレのミハル奪還作戦に乞うご期待!」
「なあ、俺はいつになったらヘタレから脱却するんだ」
「告白の返事貰ったらじゃない?」
「私とミハルが姉妹になったら!」
「そんならアルトはヘタレ仲間だな」
「えっ」
「あ?」
「……」
ふいに頭を撫でる手が強ばった。天上のクッションから視線を上げると、頬を真っ赤にしたティティが──。
愕然とした思いで悲鳴を上げる。
「私の……聖域が、また汚された……ッ!」
「てめえはどうしてこう油断も隙もない……!」
うわあああ、と全自動床掃除機よろしく地面を転がる美晴と、将来の義弟の胸ぐらを締め上げるヒューダと、嫌らしい笑みのまま釣り上げられて高笑うアルトと、両手で顔を覆って縮こまり呻くティティ。地獄絵図のような光景が収まったのは、隣家からの猛烈な壁ドンのおかげだった。アルトのせいでご迷惑をお掛けして大変申し訳ない。
我を取り戻して大人しく椅子に腰掛けると、隣をヒューダが陣取った。自然な仕草で椅子を端に寄せたら腕力任せに引き擦られて近付けられたので、無駄な抵抗は悪化を招くと学ぶ。しかし無駄と分かっていても……やらねばならないことがある……!色々画策した結果、膝に乗せられそうにまでなったので大人しく隣に収まる結果で妥協した。
さて、沈黙が落ちたところで困ったことの話題である。
「まだ検証したことないんだけどさ」
ゆっくりと瞬きをする。一瞬浮かんだ自室の様子に、慌てて首を振った。
不思議そうな三対の眼差しが先を催促する。
「問題提起。私の世界から移動するとき、選択肢が複数提示されます。その選択肢は同一の世界を重複することがあるのかどうか」
「深刻な感じ?」
アルトが首を傾げた。同じ動作を重ねるティティに、ああこの二人は残念ながらお似合いなんだなあとしみじみ思う。何だか悔しいが祝福はしてやろう。万が一ティティを泣かせたらアルトは海抜100mから自由落下の刑。
「同じ世界の『心に残る光景』が増えたらどうなるかって話か」
「そう。そもそも任意に転移できるようになった世界って、ここともう一個しかないし、もう一個の世界では外出しないから、選択肢が増えたことないんだよね」
テーブルに肘を付いて頭を支えたヒューダがうっすらと眉を寄せた。言いたいことが早くも伝わったらしい。
対岸でアルトが天井を仰ぐ。軽薄な態度を僅かに落ち着かせると、案外頭が良さそうに見えなくもないという大発見をした。
「……選択幅が増えるのか、上書きされるかってこと?」
「ええ、よく分かんない」
「んーっと……」
つまりだ。
誠に遺憾ながら、現在の当世界へのゲートは『ヒューダ』という鍵で開いている。これは、あの帰還際の乱心のせいだ。重ねて、告白の効果も便乗している可能性はある。
この状態で、例えばティティの豊満なバストとかが心に深く刻まれたとしよう。
その結果、美晴の眼裏に映る光景はどうなるのか。相変わらず映るヒューダのイケたツラの隣にティティの胸が浮かぶのか、はたまたヒューダが消えて胸になるのか。
「じゃあまず、何で例え話がおっぱいだったのかを話し合おうか」
「ふわふわで気持ち良かったから」
深刻かと言われると、結構深刻である。並列するのなら問題はない。けれど、上書きされるなら色々と危険があった。今まで盲点だったことが信じられないほどだ。──それだけインパクトを残したのだと考えると凄い居たたまれない。
握った拳を包まれて顔を上げる。慈愛を湛えた焦げ茶色の目に、いつの間にか緊張していたらしい身体から力が抜けた。
「何だ、ミハル」
そっと手の甲を撫でられて震える。
「そんなに俺に跨がったの見られたのが強烈だったのか」
「うっさいバカ!」
しみじみとした物言いに手のひらが飛んだのは仕方があるまい。いっそ雄々しく立ち上げた二本の指を目に突き立ててやれば良かった。
過去は深くに留まるが、最新映像は鮮やかである。
不動かと思われたヒューダの顔面どアップのインパクトだが、ここに来て不安が湧いた。以前の告白現場で思い当たらなかったのは、転移場所が切り替わっていたとしても問題ない場所だったからだろう。今回は違う。外だ。
べったりとヒューダに抱き付いた状態と、若者をはやし立てる兵士たちの姿。夜とはいえ表通りには街灯がある。人垣の隙間からちらっと見える大通り、何事かとこちらを見る数人を美晴は目撃していた。大通りはすでに歩き慣れた道で、細部を思い出せるほどであったことが災いした。
激烈な羞恥心と共に『刻まれ』た。瞬間的な衝撃としては相変わらず順位に変動はないが、今現在脳を占める割合を考えると危険信号が鳴り止まない。
「駄目じゃんお兄ちゃん、上書きだー!」
「よし行け!そこだ!僕たち扉の向こうで隙間から応援してるからお気になさらず。濃厚なラブシーンを期待してるよ!」
「そうだ、ティティにお土産があるんだ。変態撃退に大活躍の超強力催涙スプレー第二弾なんだけど」
「ひいい、悪魔のアイテム!森に埋めてッ!」
何をしたかは分からないが、第一弾を食らったことがあるらしい。隣の男が白い目を向けている。怒っている様子はないので、妹の貞操云々が要因ではないようだった。じゃあどうでも良いや。
「まあヒューダがミハルに襲い掛かるってのは後に回すとして」
「……」
無言で自分用の護身スプレーを向けると、アルトは懐から取り出したハンカチを顔面に張り付けた。
お仕置き成分を吸収した布で痛い目を見ているところに追い打ちを掛けろってことだろうか。とんだドMである。
「それって厄介な問題だよね。上書きするにしても、またヒューダの顔を登録するってのだと今後の不安が残っちゃうし」
意外にも真面目に考えてくれるようなので無罪とする。数秒様子を見て、顔から布が外された。
目を輝かせて兄の行動を待っていたティティが、露骨にがっかりとした表情に変わる。
「あ、そっか。じゃあ、私がちゅーするとか、家の中のどっかで思い出作る?」
「凄いナチュラルに問題行動を提案されたんだけど、これってどういう反応するのが正解なの、お兄ちゃん」
「スルーしとけ」
うーん、と真剣な顔で悩むティティは本当に可愛らしいけど、一部マニアが喜びそうな絵面を晒すのはちょっと辛いのでご遠慮したいところである。
こめかみを押さえるヒューダは、普段からこの二人に挟まれて苦労をしているのかもしれなかった。ご愁傷様、と言いたいところだが、生憎現在ヒューダに心労を掛けられている美晴が同情することではない。
「あとは……そうだ、お兄ちゃんの顔以外なら良いのかな。アルトくん、お兄ちゃんのパンツ下ろすのお願いして良い?」
「うーん、万が一中身に触っちゃうと手が腐っちゃうからなー。もしかしたら目も腐っちゃうしなー。僕という存在の危機だし、いくらティティの頼みでもなー」
「お兄ちゃんこれもスルーするんですか!」
「アルトちょっと来い」
「あれ、僕?今のは僕、悪くなくない?」
猛々しい足取りで恋の奴隷を連行する後ろ姿を見送る。目の前では未だうんうんと妖精が苦悩していた。
できればそれ以上、何も考えないでいてくれないかと思う。多分何を思い付いても、美晴に喜ばしい結果にはならないはずなので。