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15.旅人の蛮勇

 あらかじめ確認をしたところでは、どうにか三人までなら抱えて跳ぶことができた。それ以上は無理だ。頭が痛くて堪らない。視界を失って、うっかり世界を超えて自室へ帰ってしまいそうになる。

 結果としては最良だった。勿論それ以上に転移が可能なら話はもっと楽だったけれど、これなら内部組とティティを一緒に退去させられる。成功率が上がる、引いては美晴の危険も少なくなるということだ。

 外装すら煌びやかな館の横手の木に登り、陽動組の突入を待った。無人の部屋を一心に見詰めて、こんこんと嵩を増す恐怖の泉をやり過ごす。浅い呼吸が脳に痺れをもたらすと、どうにか己の危険よりティティの無事を祈れる気がした。

 建物の構造はロの字型。真ん中に四角い庭があって、それを囲むように屋敷が建っている。基本は二階建てだけれど、一部に建て増した階がある。

 領主の息子の部屋は二階。ティティが閉じ込められているのが色狂い息子の部屋なら、救出は楽だけれど、ある意味手遅れになっている可能性があるので、時間が掛かっても違う場所にいるのが望ましい、とのことだ。

 別室にいるケースの大体の目星は、以前ここを訪れたことがあるという兵長が付けた。強大な疾患を抱えた馬鹿息子の脳を考慮するに、囚われのお姫様を演出させるなら突出した三階だろうと。領主の愛人を閉じ込めていた場所だというから胸糞悪い。

 また、領主の執務室及び寝室は息子と同じく二階にあるらしい。一階には降りないので、陽動組がどれだけ引き付けてくれるかが勝負である。

 どうかあの存在感に溢れることだけがアピールポイントである雪男が、できるだけ多くの私兵を抑えていてくれますように。

 彼らは深入りせず、扉の、あるいは窓の近くで戦うことになる。限界が来たら各自撤退する。それがリミットだ。

 美晴は、ヒューダたちが戻るまで突入した一室で待機することになる。無事であることを心待ちにしながら。


 「ミハル、ごめん」

 「止めて」


 美晴を支える腕に力がこもる。アルトを非難しているわけじゃなく、逃走心が味をしめそうだから今は弱音は止めて欲しかっただけである。


 「……戻ったら、絶対埋め合わせするから」

 「それフラグだからほんと止めて」


 深刻な顔で畳み掛けるアルトに今度こそ青褪めて、こいつの口を塞げとヒューダを見る。こちらはこちらで覚えのある呵責にまみれた表情をしていた。

 本当に、止めて欲しい。プレッシャーが増すのだ。

 危なければ逃げても良いというのなら、いっそ逃げ道は用意しているのだからと開き直ってくれたら良かった。美晴を連れて来たことを罪に思われれば思われるほど、美晴は責任を果たさなければならない気分になる。

 端から逃げる気でいるんじゃない。ないけど、降車口は塞がないで欲しい。少しだけでも気が楽になれるから。

 とにかくまずは部屋への転移である。できるだけ部屋をしっかり見られるように位置を調整する。不安定な枝に靴底が滑りそうになるのを支える腕を、気にする余裕が今はない。

 遠くで騒ぎが起きた。ガラスが割れる騒音と、鋼がぶつかり合うような剣戟、殺意の迸る喧噪。

 大きく震わせた身を包み、行くぞ、とヒューダが声を掛ける。頷く代わりに二人の腕を握り、視線を投げた。

 高い窓の向こう、無人の──無人と思われる端部屋を注視する。鈍い頭痛に襲われて、顔を歪めながら目眩を迎えた。

 床より少し高い位置に出て、支えられながら地に足を着ける。作戦通りこの辺りには誰もいないのか、部屋の外から足音はしなかった。

 普通に考えれば、一階の各所は守りを固めるだろうが、まさか二階に直接乗り込めるとは思わないだろう。

 薄くドアを開けて廊下を窺ったアルトが指でマルを作る。


 「ミハル」


 壁に身を寄せようと後退し掛けたところで、ぐっと腕を掴まれた。


 「俺たちが戻らないまま他の誰かが来たら、何も考えずにおまえの世界に戻れ。俺たちはミハルを恨まないし、ミハルが気に病む必要はない。無茶はするな。死ぬな。良いな?」


 それに何と答えれば正解だったのだろうか。曖昧に頷くと、心配そうな目を残して踵を返した。

 静かに重厚な扉が閉まる。よそよそしい部屋の中に一人になった途端に心細さを覚えた。

 ここは客室か何かなのだろう。豪華なベッドがあって、繊細な細工が施された大きなチェストが壁に背を預けている。ふわふわの絨毯に足を取られて転びそうになった。こういうやたらめったら金持ちを誇示するインテリアとは相性が悪い。くつろぐなんて至難の業である。

 寒心に堪えないながらも、じっとしていると不安はいや増す。窓から外を覗くと、罵声を轟かせる野蛮そうな兵士が剣を握る姿があって、泡を食って後退した。

 太い腕などヒューダの倍はあって、泣く子が心臓発作を起こすような凶悪な面構えをしていた。見た目からして強そうで、いかにも戦士というような。


 「だ、大丈夫……大丈夫だよね……?」


 膝に力が入らなくてガクガクとしていた。生まれたての子鹿なら時を経て真っ直ぐに立つのだろうが、生憎現在の美晴は逆である。待てば待つほど力が抜ける。

 チェストに寄り掛かって、一分一秒をじっと数えた。時間が経つのがやけに遅い。段々と金属の打ち合う音が近付いてきている気がした。自分を消すようにじっと息を殺す。


 「──ッ!」


 にわかに音を増したいくつもの靴音に飛び跳ねる。

 遠くの扉が開く音。少しして、壊れそうなほどの乱暴な閉扉が壁に衝撃を伝わせた。内容までは聞こえないが、話し声もする。

 視線をさまよわせて、恐慌に陥りながらチェストに縋った。できるだけ音がしないように扉を開いて飛び込む。内側から引っ張って、木の板が光を遮断するのと、部屋のドアが開くのは同時だった。


 「いねえな、おい、そっちは無事か」

 「執務室に荒らされた痕跡があるぞ!」

 「お姫様を救いにってかあ?はっ、身の程知らずにもほどがあるぜ」


 外から聞こえる剣戟の音が大きくなる。金属が触れ合うガチャガチャとした音が近付く。薄い板一枚を通した向こうに凶器が蠢いている。

 舐め切った態度で笑い合う男たちが退室するのを、歯が鳴る音が聞こえないように服を噛みながら切望した。

 とんだかくれんぼがあったものだ。身を切るような緊張感が神経を擦り減らす。


 「いやあ、警備兵のトップは中々すげえぞ。一階の奴らひいひい言ってやがる」

 「その他が烏合の衆じゃな。こっちは少数精鋭か?まあ敵じゃねえよ」

 「なあ、あの馬鹿息子が浚ってきた嬢ちゃん、どうするよ」

 「どうするってなあ」

 「あの容姿だ。このまま我が儘親子に雇われてるより、浚って売った方が金になるかもな」

 「違いねえ。味見くらいはしても良いだろ」

 「馬鹿、値打ちが下がるだろうが。だがまあ、触るくらいならなあ。突っ込むなよ」

 「どうせなら、他にもいくらか見繕って行くか」


 透かし彫りの狭間から、こちらに向かう足が見えた。絶望が背中に寄り添う。

 下種な話をいっそ偉そうに交わし、男がチェストの扉に手を掛けた。ひ、と上げ掛けた悲鳴を必死に飲み込む。

 もう良いよね、と唾を飲んだ。

 もう良いよね、私頑張ったよね。どうせただの旅行だもん。私関係ないもん。私がここでいなくなったって恨まないって言ってたし、私の世界に返ってしまえば誰も私に文句を伝えることはできないし。元の世界じゃ転移は使えないし、逃げたら後が怖いから、そんなふうに逃げたことなんてない。だから良いでしょう、異世界でくらい逃げたって。逃げたい。目を閉じてしまいたい。だってもう、これ以上はどうしようも──。

 ぎゅっと瞑った瞼の裏で魅力的に煌々と輝く部屋。目眩は自前の緊張感から来ているのか、それとも転移の前触れか。


 「侵入者を捕らえたぞ!」


 それは、天啓のような鋭さをもって美晴の鼓膜を打ち破った。一拍遅れて大きく波打った心臓が、美晴を正気に戻らせる。

 水の膜を張った目を限界まで見開いて硬直した。


 「野郎共、三階に入り込んでやがった!」

 「ああ?どっから入ったんだネズミ野郎」


 重たい足音が連なって遠くなる。蝶番の悲鳴を最後に、がなり立てる声が遠のいた。

 部屋から誰もいなくなる。慎重に外を覗いて確かめた。

 間を置いてふらふらとチェストから足を下ろした美晴の耳に、またも信じたくない声が響く。


 「ぶち殺せ!」


 ──目の前が真っ白になった。正常な思考回路など、欠片も残っていなかった。そうじゃなければ、美晴はとっくに目を閉じている。現実から逃避して、あるべき場所に戻って、悲劇のヒロインぶって泣き喚いているはずだ。だから、今この瞬間、きっと自分は正気じゃない。

 廊下には血臭が漂っていた。この通路に剣が落ちているわけじゃないし、白い壁に血痕が華を散らしているわけでもない。階下から漂って来ているのか、この階で流れた血なのか、流れたのは警備兵のものなのか、私兵を撃退した証なのか。

 どうしてこんな怖いことをしているんだろう。逃げれば良い。私は自由なんだから。自由に色んなところに行けるんだから。

 この世界の中を好き放題に移動できて、いざとなれば違う世界を旅できる。何もかも忘れて、他の世界の人と仲良くなって、親友を作ったり、親友に恋慕する男をからかったり、もしかしたら好きな人なんてできてしまったり。

 未来はいくらでも楽しく想像できて、駄目ならもう一度別の世界でチャレンジして、そういうことが美晴にはできる力があるのに。

 それなのに。


 「何だ?女!?」


 呆気に取られたような声。反射で伸ばされる手をすり抜けて、滑る廊下を弾丸のように無我夢中で駆け抜ける。

 どうしてこんな怖いことをしているんだろう。振り抜かれる無骨なナイフに二の腕を引っ掛けられて、布と一緒に赤い点が舞う。灼熱に焼かれたような痛みに涙が嵩を増やしたが、美晴の足は止まらない。

 廊下を曲がって、また数人の男の横を抜ける。髪を掴まれて一部を千切られた。服の裾が断ち切られて、際どいところまで太股が露出した。

 大空美晴は平凡だ。

 頭は良くないし、運動神経も普通。背は高くもなく低くもなく、太っているでもなく細いでもなく。そのくせ胸はない。そこは普通であれよと思うのだが、Aカップにパッドを必要とするのが現実である。猫に似た勝気そうな目は気に入っているが、容姿も特別秀でたところはない。

 人より足が速いことくらいが長所だが、飛び抜けた早さでもなし、社会に出て役に立つ特技ではないだろう。だが不意を突いて捕獲の鉤爪をスルーすることはできるようだった。

 一つだけ、誰も持ち得ない特別な能力がある──でも、今それを使うために、美晴はもう一つ、特別にならないといけない。

 また角を曲がった先で、取り囲まれる人たちを見付けた。大きな窓に寄って、剣を構える二人の兵士。背後に庇われた少女は憔悴した顔で、それでも腰も抜かさず自分の足で立っている。

 あんなになっているのに、誰も諦めた顔をしていない。膝を折って諦めるのはきっと簡単なのに、守りたいものを守るために必死に顔を上げていられる強さが眩しい。

 ああなりたい。自分だって、人に誇れるものが欲しい。何を引き替えにしても逃げないで立ち向かえる何かが欲しい。

 それを守るために、今だけで良いから、勇気が欲しい。


 「ミハル!?おまえ」

 「うわああああああああああああ!」


 絶叫をお供にダイブする。直前まで足があった場所を凶刃が掠め、頭があった場所を丸太のような豪腕が襲った。

 涙で前が見えなくて、もしかしたらそれは幸運を味方に付けたのかもしれない。明瞭な視界での突撃は躊躇を生んで、死に神の鎌に頼りない首を差し出す結果に終わっただろう。

 手が触れる。細い指。緑に滲む、ただ綺麗なだけじゃないティティの指。一度は見捨てようとして、巻き込んだアルトとヒューダを恨んで、こんな力などなければ良いと心から思った辛酸──大事な親友の手がそれらを全部吹き飛ばす。

 勢いのまま抱き締めて、後ろ手に美晴を掴む感触を得て、わけも分からずにどこかを思う。

 抜けるような青い空。その下にあるのは、この身に触れる彼らが住む、美晴を包んだ愛しい世界。

 こんなところは相応しくない。この輝く人たちがいるのは、こんな汚くて、血生臭くて、危険極まりない場所じゃない。

 例えばそう、始まりを告げた、一面の──。


 「い──ぎゃあああ!」

 「きゃあっ」

 「と、お」

 「──」


 咄嗟の転移は金輪際止めるべきだ。何一つ集中しない転移は危険だ。

 またまた落ちて、まあ、害のない順番で落ちたから今回は良かったのだと思う。

 一番下でカエルみたいに潰れたアルトが飛び起きた。四つん這いで震える美晴をティティごと抱き締めて、落下する美晴を受け止めたままでいたヒューダもついでに囲う。ヒューダから嫌そうな顔で手酷く頬を押されたが、彼は挫けず手を回した。


 「ミハル、凄いよ君、包囲網突破するとか!」


 乙女のように頬を紅潮させたアルトとは対照的に、ヒューダは眉を寄せて叱咤する。

 腕を伝う赤い滝を止めるべくポケットを探り、上着を脱いで露わになった太股を隠した。ざんばらになった髪に口惜しそうに触れる。


 「助かったけどな、危ないことはするなって言っただろ!ほら、んな怪我して──」

 「こ」


 でも、そんなものは美晴には見えなかった。それどころではなかった。強烈な吐き気も頭痛も裸足で逃げ出すくらい、今更、恐怖のどん底を這っていたのだから。


 「こわか、た」

 「そりゃそうだろ……」


 呆れたような声音に、もう良いのだと涙と鼻水が堰を切って噴出した。


 「こわ」


 ひ、と息を吸えたんだか吸えていないんだか、不格好な呼吸で酸素を接いで。


 「怖かったああああああ!怖かったよおおおおおおおおお!」


 全力で叫ぶ。


 「お、おい」

 「もうやだ、二度とこんなことしない!絶対しない!痛いし、怖いし、死ぬかと思ったし、もう絶対、絶対しないんだからあああああああああああ……ッ!」

 「おま……」

 「凄い。子供顔負けのギャン泣きだなあ」

 「あんな凄かったのにねえ」


 柔らかくて細い腕にぎゅっと抱かれて鼻を啜る。身体中の水分という水分を放出する怒濤の涙は止まらない。他方からぽんぽんと頭を叩かれて宥められ、背中をさすられて引きつけを抑えられる。

 脈打つたびに痛む腕の切り傷と、何度も視界を通り過ぎた銀の軌跡に心臓が絞られる思いだった。一歩間違えればこの命はなかったのだ。こうして泣き喚くことが命の証明だとでも言うように、美晴の体が生存を主張する。

 もうしない。でも、後悔もない。

 一歩を踏み出さなければこの腕の中の温もりもなかった。それはきっと、現在美晴を襲う恐怖感よりずっとずっと怖いことだった。


 「ミハル、もう三回目。助けてくれてありがとう」

 「ほんとだよ。僕、もう絶対駄目だと思ったもん」


 緑の臭いがした。顔を上げると、辺りは一面の緑に囲まれていた。見覚えがあるようなないような──そうだ、皆と染料を採取に来て、ティティと遊んで、美晴の中のこの世界の始まりである、あの森か。

 ここを思い浮かべて跳んだ覚えがある。あるが、領主の館から見える場所ではないんじゃなかろうか。もしかして能力が成長でもしたんだろうか。

 だとしたら……あんまり嬉しいとも思えない。便利かどうか微妙なところだ。誤作動起こしたら大変困るし。


 「ありがとうな、ミハル。おまえが頑張ってくれたから、俺たち無事にいられたんだ……でも無茶すんなよ馬鹿」

 「ううぅ、なにそれえ」


 感謝するか叱るかどっちかにすれば良い。ついにはアルトを押し退けて広い胸に美晴を囲い込んだヒューダに、美晴のそのまた腕の中からティティが苦言を述べる。美晴が思った通りの文句が誇張されて飛び出していくのを、泣き過ぎてぽんと張った鼓膜で聞いた。

 除け者にされて不服そうな顔をしながら、アルトが書類を確かめていた。視線が合って、無事に証拠も確保しましたと無造作に振り回す。

 軽い調子に日常を知って、本当に無事に終わったんだと安堵して汚い顔で笑って。


 「みんな無事で、良かったよぅ……」


 そのまますとんと意識が落ちた。

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