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14.暗雲と捨鉢

 案の定帰り道にヒューダから、何故だか美晴まで巻き込まれて小言を受けた翌日。

 前日の固い誓いはどこへやら、またも一日を宿とその周辺で潰すことになった。だって、筋肉痛が酷かったんだから仕方がない。

 これでも美晴は頑張ったのだ。食堂まで行くのにも死にそうな激痛と戦うことになったのに、外界へ足を運んだだけでも快挙なのである。

 夕飯を取りに訪れた、名前を覚えられない警備兵に力説したところ、魂に傷が付きそうなほど馬鹿にされたのは言うまでもない。あんまり腹が立ったので乙女の演技力を駆使して涙を滲ませたところ、月に変わって女将が成敗してくれた。さすが宿泊客の味方。

 その翌日は、不幸にも未だ残る筋肉痛には打ち勝って、またぶらぶらと街を散策した。とはいえもう足を運んでいない店もなく、散歩がてらティティの家の近辺を通った。暇そうなら遊べないかという目論見は外れたので、ノックはしていない。

 忙しそうだなと判断した結果であって、家の中から彼女のものとは思えぬ罵声が聞こえてきたのが怖かったわけじゃない。

 ……不器用!とか、鈍臭い!とかはともかく、一度注意されたことも満足にできないウスノロ!馬鹿兄!とかは本当にティティの台詞だったんだろうか。兄って言ってるんだし多分そうだったんだろうけど、あんまり記憶していたくない。声が天使か妖精かというほど可愛いだけに。

 仕方がないので、適当なカフェに入り、いかにも暇そうなお年寄りと仲良くなった。世間の常識に詳しくなったので、これはこれで収穫である。

 事件は、その翌日のことだった。


 「……あれ、アルト?」


 肩がぶつかりそうな距離を結構な勢いで駆け抜けた人影に首を傾げる。小さな呟きは彼の耳に届いたようで、砂埃を立てて急ブレーキを掛けた。

 振り向いた必死の形相に驚く間もなく手首を掴まれて絶句する。挙げ句、我に返って文句を言う前に再度走り出した。


 「君も来て!」

 「ちょっと、あんたの全力疾走に付いてけるわけないでしょ!?」


 何度も転びそうになりながら着いた先は、外から眺めていた質素ながらも大きな建物。警備兵の詰め所に押し込まれる覚えはないのだが──まさかまた容疑がぶり返したんじゃなかろうなと顔色をなくす。

 それが誤解だと分かったのは、沈鬱な面持ちで会議室に待機していたヒューダが驚いた顔を見せたからだった。

 しかし、ほっとしたのはつかの間のことだ。事態はそんな些事では済まなかった。

 告げられた言葉に愕然として、耳を疑ったのは美晴だけではなかったはずだ。誰もが通過した道だったのだろう。言い含めるようにもう一度。


 「……ティティが領主の息子に浚われた。これ、おまえが渡したものだろ」


 握らされたのは、バキバキに割れた防犯ブザーだった。

 それなりの値段がしたので、強度はそれなりのはずである。何度も固い靴裏で踏まれたような傷跡は電気系統にまで及ぶ深さで、恐らく、高らかに響き渡る警告音を止めようとした結果なのだろう。

 不審者に会ったら鳴らせと美晴は言った。


 「これ……鳴ってた……?」

 「裏路地から凄い音がして、何事かと駆け付けた住人が殴り倒された。証言によりゃお馴染みの領主のキンキラ私兵だそうだぜ。倒れる前のほんの数秒見たってだけのようだが……お嬢ちゃんが領主の館に運び込まれたような目撃例もあるしな、まあ、信憑性は高い」


 兵長は信憑性は高いと濁したが、こうして大勢が集っている現状を見るに間違いないのだろう。

 どうしてさっさと救出に向かわずこんなところで腐っているんだとは、いくら権力図に疎い美晴ですら言えない。

 相手が領主であるのなら、下手に反抗すれば全員投獄される危険性がある。正当性を上に訴えられたら、立場の弱い者が勝てる道理がないのだから。


 「──でも、そうだヒューダ。領主の不正の、ええと、賄賂?を暴くとか!」

 「難しいな」


 ばっさりと返されて視線に難色がこもる。解説を担当したのは、頭を抱えて机に突っ伏したアルトだった。


 「私兵の数は多くはないけど、実力はあっちが上なんだよ。あいつら、金にもの言わせて強いの雇ってやがる」

 「その状態でティティ嬢ちゃん助けた上に不正の証拠を持ち出すってのは難しいな。何せ、俺たちは戦力外の嬢ちゃん連れて無事帰って、おまけに証拠品を提出するまで達成してようやく勝利。あっちは入った俺たちを館から出さなければOKだ。守り固められるだけで詰むってんだからきっついぜ」


 苦い響きを帯びた弱気な声。眉間を押さえて天井を仰いだ兵長が口を噤むと、重々しい沈黙の帳が下りた。

 良くある小説や漫画なんかでは、こういうとき、現代の知識を総動員して作戦を立案したりする。戦争に詳しかったり、得意な知識で武器を作ったり、あるいは凄い異能を持っていたり。

 美晴には、できない。普通に暮らして、ひたすら異世界旅行に時間を費やしてきた美晴には特殊な知識なんてない。スーパーヒーローみたいに、役に立てることはない。

 ──何もできない、振りをする。『異能』の心当たり何て。

 なあ、と口を開いた誰かは、打開策を探るというより、逃避をしたかったのだろう。胡乱な目でアルトを振り返り、同情を滲ませた声で言う。


 「何でミハルちゃん連れて来たんだ?その妙な鳴り物渡したのがこの子だってのはティティちゃんからヒューダが聞いてたし、わざわざこんな重苦しいとこ来させるの可哀相だろ」

 「え、いや、動転して。道端で偶々会ったから、思わず」


 返しながら、アルトが目を大きく見開いた。ぱっと美晴を振り返った顔は期待に満ちていて思わず身構える。

 椅子を蹴倒しながら身を乗り出した彼の提案は──到底受け入れられるものではなかった。


 「そうだ、ミハルならどうにかできるんじゃない!?」


 どうやって、という重なる誰かの言葉より、脳から引いていく血の音が大きかった。目の前が真っ暗になるような感覚に目眩を覚える。

 声は、考えるより先に出ていた。


 「無理だよ」


 悲鳴にならなかったのはのどがカラカラに乾いていたからだ。掠れた音が舌を辿って、辛うじて否定を伝える。


 「どうして!」

 「だって、殺されちゃうかもしれないんでしょ!?」


 保身が腹から飛び出した。理性とか体裁とか、そういうものを振り払って全力で拒絶する。

 一瞬で火が点いた非難の色に身を竦ませた。無意識に後退した踵が、広くもない会議室の壁に当たる。糾弾の声を跳ね退けるべく、固く目を瞑って首を縮こめた。


 「何それ、ミハル、親友がどうなっても良いっての!?」

 「だって──だって、無理だよ」

 「どうして。助けられる力がミハルにはあるだろ!それ使わないで見ないフリすんの?」

 「アルト、止めろ」

 「だって怖いよ」

 「ティティを見捨てるつもりなのかよ!」

 「アルトッ!」


 頭を抱えて、耳を塞ぐようにして、壁伝いにずるずると落ちてうずくまる。

 助けたくない、わけじゃない。


 「何で止めるんだよ、ヒューダ!」

 「無理強いはできないだろ」

 「でもさ……!」


 助けられるものなら助けたい。でも、駄目なのだ。本能が絶対的な拒絶を告げる。

 殴り倒された男の姿を思い出す。屈強な男たちに囲まれて、美晴の視界から姿を消した不幸な人。彼はあの後、全身に打撲を負って、今もなお、臥して過ごしているらしい。不幸中の幸いだと、それを教えてくれた老夫は言った。大袈裟に騒ぎ立てず、低姿勢に徹したからこそ刃傷沙汰にはならなかったのだと。

 ティティを助けるそのために、自分が刃物の前に躍り出る。美晴の中の生存本能はそれを良しとしない。滴るような恐怖心が臓腑に行き渡り、考えるだけで体温がなくなっていく。

 駄目だ、と思うのに、涙と共にじわりと浮かぶ黒い思い。いつしか耳を塞ぐ手は口を覆っていた。

 折角認められたのに。

 こんな──。


 「危険過ぎる役割を人に押し付けられるか」

 「でも、ミハルはいざとなれば逃げられるじゃないか。チャレンジしてみるくらい」

 「おまえが思ってるより、ミハルのそれはずっと不安定だ。もし発動しなかったらどうする」

 「それは、だけど、そこにある奇跡を使わないまま諦められるわけないだろ!」

 「奇跡だって分かってるなら諦めろ。ミハルがいなきゃ、俺たちは救出がどうの何て悩むこともできずにティティを失ってた。例え川に落ちたときに助かっていても、元々ミハルがいようといまいと、馬鹿息子はあいつを狙ってたんだ。都合の良い奇跡を何度も願うな」


 頭上を影が覆った。庇うように美晴の前に立ったヒューダが、アルトの弾着を反らしている。揺れる目を向けた先で、下りた手は拳を握り震えていた。

 爪が皮膚を破るほどの自戒の苦衷を、美晴は知らない。


 「ティティがどうなっても良いっての!?」

 「良いわけあるかッ!」


 一室を満たすほどの裂帛は、壁に跳ね返って美晴を襲った。


 「たった一人の家族だぞ!?良いと思うのかよ!助けたいに決まってるだろ、俺にできることなら何でもするよッ!」


 血を吐くような叫びだった。初めて聞いた、身を切る悲痛とはこういうものを言うのだという本音だった。

 低い獣の唸りにも似た声が、床を這って足に絡む。


 「それでも──それでも、ミハルを巻き込むのは、違うだろ」


 腕で顔を覆って、両手で頭を抱えて、音を出さないまま悲鳴を上げた。渦巻く後悔が胃を食らっていく。痛みを訴える胴体の真ん中が、声を出すなとのどを塞ぐ。同時に伝わる、口を開けという矛盾した指令と共に。

 流れる涙を気付かせないように、奥歯を噛み締めて嗚咽を耐える。

 ヒューダの切言はお門違いだ。これは奇跡なんて高尚なものじゃない。美晴が生まれ持った、ただの能力だ。美晴の意志でどうとでもなる、勉強ができるとか、運動が得意だとか、そういうものと同じ、ただの個性。

 罪悪感が切り刻む。それができるのに、何故しないのか。その通りだ。反論する隙がない。


 「……分かってるよ、勝手だって。でも僕は」

 「俺だって諦めたくねぇよ」


 アルトの糾弾より、いっそヒューダの言葉が痛い。彼が何を思って美晴を庇っているのかが分かるからこそ、彼の思惑とは真逆に。

 痛切に思う。折角『自分』を好きになれたと思ったのに。

 ──こんな力、持つんじゃなかった。


 「……あのさ」


 蚊の鳴くような声が沈黙を裂いた。辛うじて涙混じりにはならなかった。

 腕を下ろせないまま、吐き気を堪える。制止を訴える赤色灯が、頭痛となって意識を揺らす。震える身体はどうにもならなくて、集まる視線を感じながら、一層身体を丸めた。

 できない。できるわけない。そう思いながら、ギリギリのところで発言する。妥協点を探りながら、潰れた声で。


 「私、が、できる範囲なら、協力するよ……ティティのこと好きだし、大変な目にあわせるの……やだし……で、でも、あいつらの前に出る、のは、無理だから……だから……」

 「ミハル……」


 話に付いて行けず首を傾げる大勢の気配を放っぽって、ヒューダが美晴の名前を呼んだ。困惑と、隠しきれない喜びがどうしようもないプレッシャーを掛ける。

 そうときたらだ!と注目を集めた兵長の心遣いに感謝した。ちらちらと投げられる視線に気付かない振りをした。

 こんな力、持つんじゃなかった。さっさと帰ってしまえば良かった。ティティには助かって欲しい。怖くて怖くて堪らない。囚われて、彼女はきっと心細い思いをしている。どうして、どうして美晴が刃物を振り回す悪鬼の巣窟に行かなきゃいけないのだ。もしかしたらティティはもう酷い目にあっているのかもしれない。目の前で危ない目にあっている人がいるなら咄嗟に手が出ようというもの、どうして危険に出向かないといけないんだ。まだ無事であると信じたい。どうして自分がやらなきゃいけないの。救出が遅くなれば、ティティの純潔は無惨に奪われる。そんなことは許せない。でも、だって。争いなんて知らないのに。

 この力さえなければ、心配顔でティティの、皆の帰還を安全な場所で待っていられたのに!

 美晴の能力が開示され、ざわざわとした戸惑いの声が細波のように溢れたのは少しの間だけだった。三人の証言者を軸に受け入れられた異能を憎む。順調に話し合いが進む中、ひぐ、とのどが呼吸を違えて引き攣った音を立てた。

 二手に分かれて二階建ての領主の館へ突入する。内部を捜索し、ティティの救出と不正の証拠を探す組と、陽動組。まずはティティの確保を優先する。裏口から陽動組が先に突入して、注意がそちらに行っている間に美晴が二階の端に人員を転移する。内部へ入るのは、兵長の次に腕が立つらしい、ヒューダとアルト。多人数で跳べるなら一度だが、単数での移動なら二度跳ぶことになる。

 にわかに殺気立った兵士たちが部屋を出て行く。あらゆる武器を引っ繰り返す金属音が床を振動させて、タイムリミットを美晴の目前にぶら下げた。

 腕に顔を擦り付けて涙を引っ込める。俯いたまま壁に凭れてずり上がると、退室しなかったらしいヒューダがおずおずと手を差し伸べた。手を取る気にはなれなくて、見なかったことにする。


 「中に入ったら安全な場所で待っててくれれば良い。もし兵士が来たら、逃げてくれて構わない。どうせ勝率なんてないんだ。俺たちはおまえを恨まない。だから……頼む」

 「……うん……」


 息を吐くような相槌。傷付いた顔をさせたのに罪悪感を抱く。

 悪いのは奮起できない、あるいは拒絶し切れなかった自分だ。協力すると言ったのはあくまで美晴で、彼は美晴のために要請すら抑制したのに。

 伸びた手は震え続ける美晴の身体に回って、強く抱き寄せられた。


 「……悪い」


 謝ることをされてばかりと思うより、謝らせるようなことをさせてばかりいると思う。

 耳の裏で脈打つ心臓の音が気持ち悪くて、縋るように服を掴んだ。今すぐ逃げ出したいけれど──背中を押されたとはいえ見捨てて一目散に逃げないだけ、少しは成長したのかもしれない。

 己を奮い立たせて、更に湧き出す涙を堪えて、そんな夢想にしがみ付いた。

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