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01.旅立ちと生い立ち

 「さて行くぞー、と!」


 ぎゅっと瞑った瞼の向こう、何度も光の明滅を感じる。襲い来る奇妙な浮遊感。ぐるぐると目が回る感覚は、飛行機の離陸に似ているだろうか。

 足が地面に触れる感触に、美晴はほっとして目を開いた。どうしても慣れない。やはり人間とは地に足を付けて生きるべきものだ。眼球を圧迫し過ぎたせいか、中々視力が回復しなくて、何度も瞬きを繰り返す。

 チカチカと安定しなかった視界が一面の森を映しだした。着地の場所は細かく指定できないが、人目だけは避けるよう気を付けている。人里からはあまり離れていないと良いのだけれど。

 まあ、少し歩いても森が続くようなら、また跳べ(・・)ば良いだろう。楽観的に考えて──ふと、背後から漂った生臭さに硬直した。それは温い風に伴われて美晴の嗅覚を刺激する。

 油の切れたブリキの人形に勝るぎこちなさで振り返る。

 大きな図体の獣が、口を開いて待っていた。


 「ギャオオオオオオオオオオオンッ」

 「ひっぎゃあああああああああああああ!?」


 限界まで開いた顎が頭をがぶりと行く前に、美晴の身体を光が覆う。

 がちん、と空しく響き渡った上下の牙の挨拶。うろうろと周囲を探す獣の視界に美晴が映ることはなく、空しく背を丸めて森の中へと戻って行った。



*



 「び、びっくりしたー!死ぬかと思った!」


 まだドキドキと心臓が飛び跳ねている。もう少し遅かったら、牙に貫かれるより前に恐怖の余り気絶するところだった。

 見慣れた自室に息を吐く。つい先程立ったばかりの場所が、日常という名の安心感を与えてくれる。纏めた荷物を投げ捨てて、短パンに包まれた尻をベッドに預けた。

 幸先が悪いことだ。何度も求めた新天地だが、こんなにも恐怖を味わったことはない……と言うのは嘘になるか。兎にも角にも切実に勘弁して欲しいところである。現代日本人のノミの心臓は、何せショックに弱いのだから。

 深く息を吐いて乱れた息を整える。出だしから躓いたものの、ここで頓挫する気はない。最後の大学生の夏休み。これが美晴の、最後かもしれない長期休みなのだから。


 「ようし、場所を変えて、もう一回」


 放った荷物をひっ掴む。そういえば勢い良く投げてしまったが、化粧品の類が駄目になっていないと良い。およそすっぴんで構わない文化圏だったとしても、戻ってきたらまた使うわけだし。

 目を閉じて、拳を握る。脳裏に浮かんだ景色の一つに意識を向ける。先程と似たような森の中。今度は何もいない場所へ。念のため、逃げる気概だけ整えて。

 瞼の向こうで明かりが灯る。浮遊感。明滅。耳鳴りに似た不快な音。ぐるぐる、ぐるぐると意識が回って──。

 暗転する。



*



 大空美晴(おおぞらみはる)は平凡だ。頭は良くないし、運動神経も普通。背は高くもなく低くもなく、太っているでもなく細いでもなく。そのくせ胸はない。そこは普通であれよと思うのだが、Aカップにパッドを必要とするのが現実である。猫に似た勝気そうな目は気に入っているが、容姿も特別秀でたところはない。人より足が速いことくらいが長所だが、飛び抜けた早さでもなし、社会に出て役に立つ特技ではないだろう。

 ただ、一つだけ、誰も持ち得ない特別な能力がある。


 「よーっ……し、だーれも、いないなーぁ」


 ふかりと着地した足下には、ぼうぼうと伸びた草のカーペット。そういえば、先程は土の付いた靴で自室を踏んだ気がする。

 靴裏を確かめると、ぬかるみを踏んだのか、べったりと茶色い土が付着していた。帰ったら掃除をしなければ。また一つケチが付いたことに顔を歪めた。


 誰に言っても信じないだろう。美晴が持つのは、異世界への空間転移能力、いわば、異世界トリップ能力である。

 トリップと言っても、「麻薬などによってもたらされる幻覚状態」という不名誉な方ではなく、短期間の旅行という意味だ──電話に手を掛けるのを止めて頂きたい。精神系のお薬も必要ない。お客様の中には医者がいない方が良い。

 別に異世界から来た不思議なマスコットキャラに接触して手に入れたような力ではない。雷に打たれて開花したなら、美晴は今頃骨壺の中である。ただ生まれてきたときにはもう、そういう体質だったのだろう。

 初めてのトリップは小学生の頃だった。布団に潜り込んだ美晴は、それまで本能的に忌避してきたその情景を、夢の光景と間違った。荒れる波原。力強い波は恐ろしいながらも綺麗で、深い青に紛れる白い飛沫に視線を奪われた。

 刹那の浮遊感の後、襲い来た息苦しさに夢中でもがいた。遠のく意識の中、唱えたのはこれは夢だという思い。自分は自室にいるのだ、すぐに自分は目覚めるのだと何度も何度も必死に考えた。

 突然気管を満たした酸素に縋り付いた。酸素はフランス料理のフルコースよりずっと美味しかったが、勢いが良すぎて鼻水が止まらなくなるほど噎せ返った。

 パニック状態を脱した美晴は、ずぶ濡れになっていた自分の身体に驚いて、べたべたに濡れた布団に恐怖を覚えて、涙と鼻水で汚れた顔で悲鳴を上げた。

 悲鳴に駆け付けた両親が警察を呼んで判明したことは、美晴を濡らすのが塩辛い海水だという事実だけだった。翌日のニュースの片隅に、怪奇!という見出しで記事が乗り、ひとまず「不法侵入をして海水を掛ける不審者」の存在を警戒するよう締め括られた。愉快犯にもほどがあるので、余り真剣に対策されなかったのは言うまでもなく、今では美晴を語る鉄板の笑い話である。

 2度目のトリップはその一月後だ。

 自室でゲームをしていて、目が疲れたので閉じて癒した。いつものように浮かぶいくつかの情景。子供とは現金なもので、その頃には喉元を過ぎて、恐怖はそこそこ消えていた。

 綺麗な星空が見えたから、目に良さそうだなと考えた。ちらちらと映る星々に目を凝らした。そうしたら、また浮遊感があった。

 気が付けば平原のど真ん中。しばらくはその異常事態に呆然としていた。自失の中、夜の平原にパジャマ一枚では寒いから上着が欲しいな、なんて現実逃避に己の部屋を思い浮かべた。途端、またぐるぐると目が回って、部屋に戻った。

 幼いながら、大体を感覚で理解した。

 目を閉じると、窓から覗き見たような形でいくつかの景色が思い浮かぶ。あれは何だろうと意識するとその景色は段々と大きくなる。そのまま注視していれば、すぐに意識が吸い込まれる。そうしてふと気付くと、美晴はその情景の中に佇んでいる。

 子供は好奇心旺盛である。初回の悪夢を棚に置いて、目を閉じては新しい景色にチャレンジした。何度も行っては、何度も戻る。

 人一倍の好奇心が働いて、小学校から中学校に上がり、高校生になって、その短かい旅は時間を伸ばした。

 人に会わない場所にばかり行っていたが、味を占めて、現地人に接触した。それが高校1年生。笑顔で駆け寄って、初めて気が付いた。外国なのだとばかり思っていたが、違うらしいと。こちらを向いたヒトの頭が、見間違いようもなく鳥のそれであったがために。

 悲鳴を上げて倒れた美晴を、親切にもその地味な色合いの鳥頭──悪口ではない、念のため──は介抱してくれた。全くの幸運だった。ファーストコンタクトが鳥頭の彼女でなければ、美晴は行方不明の捜索を断ち切られ、中身のない棺桶を燃やされていただろう。

 鳥の顔をしたヒトなどという生物が美晴の世界に存在するはずがなく、当然恐ろしく混乱した。帰ることも忘れてぐるぐると考え続ける美晴に、当時は彼女とは認識できていなかったのだが──彼女は熱心に話し掛けてくれた。しかし残念ながら、発声器官は鳥のままなのか、美晴の耳にはピーチクパーチクとさえずる鳥らしい声しか届かなかった。

 彼女が例えば美晴の知る人間と同じ顔をしていたとして、言葉が同じであったという確証もないので、彼女が鳥であったことに不満を抱いたことはない。逆に、鳥の顔をしていたからこそ異世界だと現実を受け入れるハードルが下がったので、彼女の存在全てに掛け値なしの感謝している。

 彼女は考えるように小首を傾げて、ちょっと待っててというようなジェスチャーをして去っていった。よく見れば、袖に隠れた部分には羽毛があった。座っているときはアクセサリーかと思っていたが、背中には立派な羽が生えていた。

 戻ってきた彼女は、別の鳥人を連れていた。インテリ臭い空気の割に原色に彩られた眩い彼は、美晴の前にしゃがみ込んで、いかにも胡散臭いものを見る視線をくれて、やがて観察に満足したのか手を伸ばした。

 光が胸元に収束した。何をしたのかと訝しんでいたら、また鳥の彼女が口を開いた。

 「体調悪くはないですか?」との、有り難い気遣いだった。

 混乱したまま、あるがままを口にして、気難しいインテリ鳥に怒られたのには今でも軽く腹が立つ。迂闊過ぎるとか、警戒心がないだとか。初対面の人間に言うことじゃあないだろう。

 しかし言われたことは確かだったので、文句を言い返しはしたが、ちゃっかり教訓にはしている。

 言うに事欠いて、異世界から来た、である。あっさり自白するなどいかにも頭がおかしい人間だよと言っているようなものだ。

 彼の手で施されたのは翻訳の魔法だと聞いて、全力で喜んだ。胸元には入れ墨のような文様が残ったが、公共の湯船に入れないのが何だ。外国に好き放題旅行に行ける。

 2人に──2羽かもしれないが、とにかく感謝の雨を降らせて、その日は大人しく家に帰った。

 意気揚々と英語の映画を付けて、撃沈した。英語は英語のまま、美晴の成績に関わる劇的な翻訳はされなかった。近所の中国人に今日は良いお天気ですねと声を掛けてみて撃沈したりもした。

 色々試してみた結果分かったことは、翻訳入れ墨の効力は異世界でのみ発現するらしいということと、転移能力により移動した世界は、同じ場所とは限らないということだった。

 それまではてっきり移動先は同じ世界だと思い込んでいたが、鳥人など知らないという世界もあれば、鳥そのものが文化を形成している世界もある。

 多種多様の世界、美晴は様々な旅をした。異世界の一日は美晴の世界の一日。どこへ移動してもそれは変わらなかったので、休みの日に、外へ出掛ける振りをして。

 沢山の経験をした。異世界では、目に映る範囲に限り自由に転移移動ができることも判明した。便利な能力である。自分の世界でも使えれば最高だったけれど、あくまで異世界でのみだった。危険対策にも移動にも使えるのでこれ以上は望むまい。簡単にお金を得る方法や、トラブルの躱し方もそこそこ身に付いた。

 けれど、あくまで今までは短期間の旅を重ねるだけだった。大体3泊以内。長くて精々一週間。世界の空気に馴染む間もなく、美晴は元の世界に戻っている。

 同じ世界を何度も訪れることは、そうない。眼裏に浮かぶ情景は美晴の意思を反映しないので。だから新しい世界を重ね続けてはいたが、その世界を深く知る前におさらばだった。偶然に再訪問を果たすことはあっても、大体の場合、同じ世界かどうかも分からないことが多い。

 唯一の例外として、世話になった鳥人の2人のところには何度か訪れている。彼女たちの印象が強いせいだろう。日中の出来事を夢に見るように、美晴の心の深い場所に刻み込まれた場所は、登場頻度が高くなるのではないだろうか、とはインテリ鳥の見解である。

 また、短期間の自室との行き来であれば、訪れた世界に戻ることは可能だ。帰る前に目に景色を焼き付けて、念のために写真とか撮って。部屋に戻って1時間以内なら、大抵の場合、元の場所の光景が眼裏に浮かぶ。逆に言えば、それを過ぎて戻れたことはない。一時間以内でも、そこまでしても戻れなかったこともある。

 さて、今回の目論見は今まで通りの異文化見学ではなく、異文化交流である。同じ場所に滞在して、深く現地を知ろうじゃないかと。もしかしたら、鳥人の世界と同じく、何度も訪れることが可能な第二の世界を作れるかもしれない。いわゆる別荘である。

 一人暮らしで大学最後の夏休み。これが終われば、自由気ままに動ける時間はあまりなくなるだろう。遅い就職活動に追われなければならないし、就職が決まればきっと余裕がなくなる。

 それなら最後に、休みの一月を丸々使って、異世界に滞在してみようではないか。両親には海外に旅行に行くと伝えてある。メールの返信はできないかも、とも。

 幸先は悪かったが、最後のチャンスで思い出を作れれば良い。


 決意を新たに一歩を踏み出す。

 鬱蒼と茂る森を見て、早速だが少し不安になった。何度も心配するが、人里は遠いのだろうか。歩いて行ける距離なのか。あまり遠いと、先程の獣のような敵に襲われる可能性もある。転移を重ねて動くのが安心だが、何度も使うと気が疲れるのが難点だ。

 旅人という設定で動いているのでと、出立を夕方近くにしたのは間違いだったか。だって、朝早くに町に入ったらちょっとおかしいのかなと、思ったんだけど、余計な気を回したかな。

 傍らには対岸に渡るのが難しい程度の川。村や街なら、恐らく水源沿いにあるだろう。

 とりあえず、少し歩いてみよう。結論を付けて荷物を背負い直し──躓いた。


 「な、何!?」


 すわ蛇か、と慌てて落とした視線の先では、川の中から細い手が生えていた。

MFブックス&アリアンローズ小説家になろう大賞2014応募に向けて書き出したら、丁度10万字くらいになりました。

見直ししながら、毎日お昼頃更新する予定です多分。

一応書き上がってはいますので、お付き合い頂ければ幸いです。

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