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「私、ここにいていいのかな」


吹雪が町を真っ白に染め上げ、ニイシャもシャイルも ここ三日程は 家に籠りきりになっていた。

暖炉の前の椅子に座り、 自身の艶やかな白い毛並みの尾の手入れをするシャイルにニイシャは 静かに問う。



「なんで今さら そんな事を?里の雄の事を思い出したの?」



シャイルには ヒゼンとの事も包み隠さず話していた。ニイシャの問いはヒゼンに関連するものだと思ったようだった。



「違うの。私、暖炉を眺めていたら 里にいた頃を思い出して…そうして、家族を思い出したの。あの頃も こうして 暖炉の前に集まって、皆で たくさん話をしたなあって」


「ふうん?」



気のない返事のようでいて、ニイシャを見るシャイルの目は 穏やかだった。言葉に しなくても続きを促しているのがわかる。



「それで、シャイルって…お、怒らないでね。シャイルって、私の ね…兄さんみたいだなって思ったの」



姉さん、と言いかけた己の唇を 何とか制して ごまかすが、彼には 分かったようで、一瞬 片方の眉が神経質そうに 跳ねたのを ニイシャは見逃さなかった。



「ふうん?嬉しいね。僕もニイシャを妹の様に思っていたからね」



ニイシャの失言を咎める気は ない様子に、ニイシャは ほっと さりげなく息を吐く。そして、シャイルの言葉が嬉しくて、ニイシャの頬が緩む。



「でも なんで?そう思うなら なんで変な事言うの?」


全くわからない、と目で語るシャイルに ニイシャは居心地悪そうに そわそわとしながら、



「私の兄さんは、里を出て つがいを探しに行ったの。だから…」



まごつくニイシャに、シャイルは ふっ、と笑みを返した。



「ああ、それで僕は つがいを探さないのかって?…それと、自分が いたら つがいを探す邪魔になるとでも思ったのかな?」



悪戯っ子のように猫目を吊り上げるシャイルに、ニイシャは うつ向いて首を縦に頷く。



「…前にさ、僕話したよね?皆 僕を雌みたいに扱うって」



初めて出会った日にシャイルに語られた その言葉を、ニイシャは勿論覚えていた。



「あれ以来さ、つがいとか 何だとかが面倒になっちゃってね…僕は、一生 一人でもいいかなって思ってるんだ」



静かに語るシャイルを、ニイシャは目をそらさずに 見つめていた。優しく美しいシャイルが、その様な事を考えていたとは 思ってもいなかった。ほとんどの者は つがいを得て、家族を増やして生きていく。つがいを得ずに生きる人など、ニイシャは 生まれてから ほとんど目にしていない。つがいを得なかった人は、一度も里に帰らなかったからだ。

つがいを得ずに一人きりで死ぬ者を、ニイシャの里では愚かな者と呼んでいた。誇り高い人狼の血を遺さずに土に還るなど、愚かしいという思想であったから。


それ故に、一人で生きるというシャイルの言葉に、ニイシャは衝撃を受けた。



「一人、で…寂しく、ないの?」



思わず口を突いて出た言葉は、ニイシャの本音だった。



「寂しくないって言ったら嘘になるかな。でもね、もう嫌なんだよね。…僕は見目が良く華やかで、そこいらの雌よりも美しいと自負している。自惚れだと言われるだろうけど、事実そうだからね。…そうだからこそ、雄から欲を孕んだ目で見られ、雌からは嫉妬に燃える目で見られる」



つい、とニイシャから そらされた 目は、窓の向こうを見つめている。その目は 感情の宿らない無機質な瞳だった。



「…でもさ、僕だって雄なんだ。つがいに憧れたときも あったよ。でも、こんな見目の僕を受け入れてくれる雌は いなかった。言い寄ってくる子は何人か いたけれど、その子達は僕に少し近づくと、また離れていく。その子達は、僕の見目に惹かれて、僕の美しさの中に雄の片鱗を見つけると離れていく」



「それって…」



「そうだよ。結局は僕を人形の様に見ていたんだろうね。美しい人形は近くで良く見たら、雌にしては 体は骨ばっていて、雄にしては軟弱で華奢だ…僕は、中途半端なんだ。皆それに気がつくと、離れていく」



同調するのは おかしくて、慰めるのは 更におかしい気がして、ニイシャは何も言えずに閉口したままシャイルを見つめた。

そして、そっとシャイルの頭を撫でた。それはニイシャが不安そうにしていると、いつもミュイチとサナンがしてくれた事だった。


はっと目を剥いて 驚くシャイル。かち合った目は、しっかりと困惑という感情を宿していた。



「あなたは、シャイルでしょう?」



一言ずつ、力を込めて言葉をつむぐ。ニイシャは 口下手で不器用だ。それ故に 何と言葉をかけたら良いのか分からなかった。だから、自分が一番言いたい事を言うことにした。



「シャイルはシャイルだから…それでいいの」



ニイシャは シャイルに救われた。そして同じ時を過ごしている今では シャイルを兄のように思っている。だから、そんな悲しい顔をして欲しくなかった。あなたがシャイルなら、雄でも雌でも関係ない。それを伝えたいのに、上手く伝えられない己の不甲斐なさに、ニイシャは 掌を握り締めて うつ向いた。




「…30点かな」


「………え?」


シャイルから思いがけない言葉が聞こえて、ニイシャは 顔を上げた。


「30点。もう少し…うーん、やっぱり かなり頑張らないとコミュニケーションが上手く取れないと思うよ。だいたいさ、僕は あんたより 年上なんだよ?頭を撫でられて喜ぶわけないでしょう!もっと勉強しないと他所へ行った時に恥ずかしい思いをするよ?」



唐突に始まった説教に、ニイシャは ぽかんと 口を開けてシャイルを凝視する。



「あーもう、なんだか変な気分に なっちゃった。ニイシャ、尻尾のブラッシングして」


「わ、私が?」


「あんた以外に誰がいるのさ。さあ、早くやってよ!」



そう言って、シャイルは暖炉の前の椅子に どかりと 座り直した。ニイシャに背を向けて、白くて長い尾で ニイシャの手を軽く叩いて早く、と催促をする。どうやら、逃れられないようだ。


ニイシャに背を向けたシャイルの表情は見えない。しかし、シャイルは 笑っている。そんな気がした。彼の中に根付いて影を落とす何か は ありありと感じられるが、それを シャイルが 蹴散らす手助けが出来たなら。ニイシャは そう思った。


深々と降り積もる雪に閉ざされた家で、二人は まるで本当の兄妹の様に互いに助け合い、支え合いながら過ごした。







やがて来る雪解けの季節を待ちながら、ニイシャは 里に残した妹を思い、先に旅立った兄を思う。

この春に里を出るサナンの旅路に、沢山の実りがあるように。何処へ行ったかも知れぬミュイチの無事も祈った。二人には愛する者と結ばれ、幸せに生きて欲しい。


そして、二人の幸せを願いながら、ニイシャは 一人で生きる。そう、決めた。


叶わぬ初恋に 追い縋り、意地を張る幼い心から の決めごとではない。ニイシャにとって、雄は ヒゼンだけだった。ただ、それだけのこと。


唯一と決めた雄以外に 連れ添うのは、生来から不器用であるニイシャには 苦痛でしかないだろう。愛せもしない雄と つがいになるなど、相手にも失礼であるし、そんな いい加減な自分を許せる気はしない。





信頼するシャイルに、自分は おかしいだろうか。と弱音を吐いた。つがいを つくらない者は 里では異端者だった。己の生きてきた道の中で 信じてきた(ことわり)を、自らの手で打ち砕こうとしている。得体の知れない恐怖と罪悪感が 沸き上がってきて、頬を濡らす涙にも気付かずに、シャイルに胸の内を吐露する。


シャイルは ニイシャの 言葉を受け止めて、「ニイシャはニイシャでしょう?だから自分の好きな様にすればいいよ」と優しく頭を撫でる。



その時、ニイシャは全てを許された気がした。



愚図でのろまで、狩りも ろくに出来ないニイシャ。


見目が悪く、華奢で 小さいニイシャ。


不器用で口下手なニイシャ。



そして、 叶わなかった想いを 未だに断ち切れず、胸に秘めるニイシャ。





―――――お前は それでもいいのだと、言われた気がした。


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