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険しい猫目を 面白そうに細めて、ニイシャの すぐそばまで近づいてきた雌の猫の獣人は、ニイシャの前で膝を折った。



「ふうん、犬だと思ったけど…狼か、珍しい。狼のくせに こんな ちゃちな仕掛けに掛かるなんて、あんた鈍いね。そうとう愚図で のろまなんだ?」



呆然と見上げるニイシャを、愉快そうに見下ろす獣人。



「何?あんた捕まったのに逃げようとか思わないわけ?僕 さっき あんたを美味しそうって言ったんだけど?」



ぴくりとも動かないニイシャを馬鹿にしたように笑う獣人。対するニイシャは、少し考えてから、



「あ、私、あんまり肉が ついてないから美味しくないと思います…」



と 控えめに抗議する。すると、獣人は 大きな猫目を丸くして、ぷっ、と吹き出した。



「…そっちの意味の 美味しそうじゃないんだけど…ずいぶんと危機感が薄いようだね。あんた、体が小さいようだけど まだ子どもなの?子どもが なんで こんな町外れにいるのさ。狼ってのは、子どもは 里から出さないんでしょ?もうすぐ冬だよ?寒かったでしょ」


言いながら、先程より厳しさの薄れた目で じろじろと ニイシャを頭から爪先まで探るように遠慮なく見やる。



「私、成人してます。体が小さいのは 生まれつきで…」


「ふうん。成人の割りには 華奢(きゃしゃ)だし小さいね。ちゃんと ご飯食べてるの?顔は まあまあだけど…僕には 遠く及ばないね」



勝ち誇る笑みを浮かべる獣人に、ニイシャは戸惑っていた。あからさまに馬鹿にしたり、そうと思えば気遣うような事も言う。こんな不可思議な言動の人には会ったことがない。どう返せばいいものか、とニイシャは 眉を下げた。



「そんな困った顔されてもね。今 網から出してやるから情けない顔はやめて」



そう言って、獣人は器用に ニイシャから網を外した。



「ありがとうございます。助かりました」



ニイシャが 笑顔で礼を言うと、獣人は 気まずそうに目線を反らした。



「…怪我してる」



獣人が指差す先に触れてみると、ぴりっと痛みが走った。うつぶせに倒れた時に 頬を 擦ったらしい。触れた指を見れば、うっすらと血がついていた。



「これくらいなら、平気です。舐めればすぐに治ります」



里を出てから、狩りの最中に怪我をすることは珍しくもなかった。擦り傷くらいなら 軽い方だ。

ニイシャに とって擦り傷は たいしたことでもなかったが、獣人には違ったらしい。


「…あんた、馬鹿だね。自分の頬を どうやって舐めるのさ。蛇族でもないくせに。大体さ、間違ってでも罠にかけられて怪我させられて、何で怒らないの?狼ってプライド高いんでしょ?警戒して意地悪した こっちが馬鹿みたいじゃん!ああもう、早く立って!」



焦れたように獣人はニイシャの手を取って、何処かへと引っ張っていく。当のニイシャは 困ったように眉を寄せて、力強く引かれる手に戸惑いながら、獣人の なすがままにされていた。あからさまな怒気を向けられていても、何故か 獣人から敵意は感じなかった。





「はい、おしまい」


町外れの小さな家にニイシャを引っ張りいれた獣人は、テーブルのそばの椅子にニイシャを座らせると 手早く手当てをしてくれた。


頬や手に張られた布を そうっと触れながら、ニイシャは 眉を下げて笑い、獣人に礼を言った。


すると獣人はニイシャを じいっと見つめると、溜め息をついた。


「強引に引っ張ってきた僕が言うことじゃないけどさ、あんた 危機感が薄すぎる。雄の家に雌一人で連れ込まれて、何で そんな笑っていられるの?僕が 紳士だから無事なだけなんだからね?」



分かってる?と苛立ちを含んだ目で見られて、どきりとした。



「あの、てっきり…」




小さな声を絞り出すように言えば、え?と聞き返される。



「てっきり、あなたは、雌、かと…」



ニイシャの失礼な勘違いを この獣人は怒るだろうか、と恐る恐る見上げると、獣人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。



「僕を、雌だと?」



猫目が更に釣り上がって、一目で不機嫌だと分かる。容姿を中性的にしていたハスキーボイスも、心なしか低く聞こえる。


怒らせてしまった。助けてくれて 手当てまでしてくれたのに、恩を仇で返してしまったようで、申し訳なさから ニイシャは体を小さくして頭を下げる。



「ご、ごめんなさい。あなたが とても綺麗だから、め、雌だと思ってしまったの。あの、本当に、ごめんなさい」



頭を下げたまま、獣人の言葉を待っていると。ぷっ、と吹き出す音が聞こえた。



「ふふ、いいよ、別に。頭を上げて」



ニイシャが そろり、とゆっくり顔を上げると。口に手を当てながら笑いを こらえる猫目と かち合った。この獣人は 笑い上戸なのかもしれない。



「僕が綺麗だから、勘違いしたんだね。よくあるから気にしなくていいよ。ちょっとからかっただけだから」



そう言って、獣人は 悪戯な目をしてニイシャに微笑んだ。



「僕、綺麗でしょ?だから昔から雌に見られてさ。雄からは変な目で見られるし、雌からは泥棒猫を見るような目を向けられちゃって。だから、面倒くさくて 成人して 直ぐに町外れに家をつくったんだ。あんたは お客さん第一号だよ。どうぞ、そこに かけて」



お茶を淹れようか、と奥に引っ込んだ獣人の背中を目で追いながら、ニイシャは 勧められた椅子に座った。




ニイシャと獣人―――シャイルは 温かいお茶とお菓子と、お喋りを楽しんだ。

ニイシャとシャイル。似た名前の二人は すっかり打ち解け、気が付けばニイシャは里のことや家族のことまでシャイルに話していた。相槌を打って、たまに笑ったり、思い出を語り合ったり。久しぶりに 人と深い会話をした。思えば、内気なニイシャが 家族以外の獣人と ここまで楽しく歓談をするのは初めてのことだった。初めて会ったはずなのに、シャイルは ニイシャに 緊張感を抱かせず、自然と会話が弾んだ。


気づけば、もう 部屋は薄暗くなっていた。シャイルがランプに火を付けてから、ニイシャは やっとそれに気がついた。


「あっ、もう夕方になるね…ごめんなさい、お喋りが楽しくて 日が傾いたことに気がつかなかったみたい」



自分は それだけ お喋りに夢中になっていたのかと、恥じらいから 頬を染めた。



「いいよ。僕も楽しんだし…こんなに誰かと 話をしたのは、久しぶりだよ」



シャイルが猫目を細めて、穏やかに笑う。お互いに 同じように思っていたのだと知れて、ニイシャは 心が暖かくなった。



「ありがとう。本当に あなたに会えてよかった…あの、また…来てもいい?」



こんなにも気の合う人と会えて感激したニイシャは、シャイルとの出会いを今日だけの仲で終わらせたくなかった。しかし 自分で尋ねながらも、断られるのが怖くて。そうっとシャイルを見上げる。



「ふふ、何言ってんの。僕ら もう友達なんだから、変な遠慮しないでよ。僕だって どうせ暇なんだから、毎日だって来ていいよ」



ニイシャの 眉の下がった困った顔を見て 可笑しそうに笑いながら、シャイルは 優しくニイシャに笑いかけた。





思わぬ形で友人を得たニイシャは、一人きりだった 寂しい毎日に 灯りが差したように思えた。

そして、行く宛のないニイシャに、シャイルが自分の家の空き部屋を一つ貸そうか、と提案してくれたのだ。 シャイルの厚意は有り難かったが、いくら友人でも甘えるわけにはいかないと固辞するニイシャに、シャイルは 薪割りと洗濯を手伝ってくれればいいと言い、更には「明後日には雪が降り始めるようだけど、もう住み処はあるの?身を寄せる あてはあるの?言っておくけど、この地は 夏は暖かくても冬は それなりに寒いからね。家がなくて凍死しても良いって言うなら もう引き留めないけどね?」と笑顔で押し切られ。めでたくもニイシャは住み処を得ることができた。





シャイルの言う通り、二日後に雪が降った。朝から 降り続ける雪を見て、ニイシャはシャイルに心から感謝した。ニイシャがシャイルの家に住むことを決めた時、既に薪は十分な程に足りていた。家事も得意な家主は、無駄のない手つきで 素早くこなしていく。料理の腕前も確かで、ニイシャの出る幕がなかった。ニイシャがシャイルに変わって家事 炊事を引き受けると言うと、「僕が 良いって言ってるんだから、良いよ。それより、もっとご飯食べな?細すぎて成人過ぎた雌には見えないからさ」と 逆に気遣う言葉をもらってしまった。


しかし 、そんな生活が七日程も続けば、してもらうばかりでは申し訳ないと いてもたってもいられなくなったニイシャは、「それなら狩りに行って食べるものをとってくる」とシャイルに提案してみた。だが、「もう十分に 蓄えは あるから 狩りなんてしなくていいよ。むしろ動き回って怪我でもされる方が嫌だから、大人しくしてて。暇で 仕方ないなら、町に行ってこれとこれ買ってきて」とメモを渡され、ニイシャは それに従って町に行くことにした。





雪を踏みしめながら 町への細道を歩く。この先の町に行くのは、二回目だ。シャイルに連れられて初めて足を踏み入れた時は、人の多さに驚いたものだった。

人混みを掻き分けながら 頼まれたものを購入し、家路に足を向けた時。幼い子どもがニイシャの横を はしゃぎながら駆けていった。



「はやく走ってよ、花嫁さんが見れなくなっちゃうよ?」

「まって、お姉ちゃん。あんまり はしらないで!」



姉らしき雌の子どもが 弟を せっついている。話からするに、今日 この先で 結婚式でも あるのだろう。里でも、旅立って つがいを得た者が里に帰った時には、盛大に お祝いをしたものだった。


つがい。ニイシャは その言葉を思った時に、胸に重い何かが沈んだ気がした。自分は つがいを得られるのだろうか…ニイシャは、まだヒゼンを忘れられていない。里を出てから、彼を思い出さないように意識の外へ追いやっていた。考えないようにしていた。それなのに、ヒゼンは 易々とニイシャの心に入り込む。初めて訪れる場所、初めて見る花を見つけては、ヒゼンの あの強い眼差しを思い浮かべた。

自分は、澄んだ美しい泉を見つけても 綺麗だ、と言って水面を見つめるだけだった。しかし彼と一緒ならば、泉に足を浸け 清らかな水流に足を絡めて、その冷たさを楽しむ事が出来そうだと思った。可憐に咲く花を横目に旅路を歩いていたが、彼が その花を綺麗だと言うのなら、花を一つ手に取って、繊細な花弁に目を癒され 甘い香りを堪能出来たかもしれない。そう思っては、未練がましい己を恥じた。





いつだったか、一人は寂しいだろう、と 旅路の途中で会った獣人は 言った。顔も思い出せない人だった。けれど、彼に もらった物は覚えている。チェリという果実だ。チェリは薄紅色の甘い果実で、1つの房に二つの実を付ける。そして、不思議なことにチェリは 片方の実を失うと、残ったもう一方の実も その日のうちに色褪せ くすみ、しぼんでいく。

その不思議な性質から、チェリは 夫婦果実と呼ばれていた。二つで一つ。片方が無くなれば もう片方も。その様が 儚く美しい夫婦の愛のようだ、と里の若い雌たちにも人気の果実だった。


一人は寂しい、と あの獣人は言った。しかし、ニイシャは それは違う、と心の中で否定する。この寂しさは、決して「一人だから」そう感じているのではない。「ヒゼンがいないから」寂しいのだ。ニイシャは、それを分かっていた。里にいた頃、ヒゼンは サナンへの贈り物を手に三日と開けずに 顔を出した。例え彼の 眩い笑みが サナンに向けられたものであっても、ニイシャは ヒゼンの笑みに胸を熱くしていた。

里を出て、ヒゼンと会わず ただ黙々と足を進めるだけの日々。その日々の中で、ニイシャは 自分の心が くすんで、しぼんでしまった様に感じていた。まるで、片方を失ったチェリの実の様だと思った。ニイシャとヒゼンは 夫婦等という甘い間柄ではなかった。満足に会話を交わした事もなかった。


だが、ニイシャは 彼を一目でも見られたら、それで良かった。

もう里を出てから 三つの季節が通り過ぎ、四つ目の季節が始まった。それと同じ時間、彼の姿を目にしていない。もう 諦めたらいい。里を出て ずいぶんと離れた町まで来たのだ。彼と会うのは、もう叶わないだろう。彼ほどの優れた美しい雄なら、遠くに来ずとも彼に釣り合う美しい雌に出会うだろう。そうして彼は その雌と つがいになり、ニイシャがいた里か、つがいが生まれた里へ帰るのだろう。


もしくは…この冬を越えた春に、サナンは成人して里を出る。そしてヒゼンは 少し遅れて夏に成人する。もしかしたら、ヒゼンとサナンは既に恋仲に なっており、先に里を出たサナンがヒゼンの成人を待って つがいになるのやも しれない。

ヒゼンに つれない態度をとるサナンを見て、ニイシャは ずっと 彼の片思いだと思っていた。しかし、ニイシャが里を出て二人の橋渡しを する者がいなくなって、ヒゼンは サナンに直接 贈り物を手渡し、愛を囁いているのかもしれない。姉が恋い焦がれる雄に妹が惹かれても、それは 仕方がない事だろう。ニイシャは もし、二人が今 恋仲に なっていても かまわないと考えていた。ただ、その様を見たくない、と思う。妹の幸せを 祝ってあげられない、愚かな姉で申し訳ないと思う。





道端に ただ立ちつくしていると、ふと視界に 白い物が ちらついた。雪だ。

早く帰らなければ、シャイルに心配をかけてしまう。今、ニイシャの 一番近くにいて 一番温かい存在のシャイル。彼が 耳を逆立てて「遅い!」とニイシャを叱る様が容易に想像できて、自然と 家に向かう足が早まるニイシャだった。

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