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秋がきた。人々は冬籠もりの支度をする。獲物を 採り貯め、厳しい冬に備えるのだ。

冬になったからといって人々の暮らしは さほど変わらないが、獲物や果物の収穫数が ぐんと減るために、秋は 皆狩りに忙しい。ニイシャは 果物やキノコを採取しながら、兄がいた去年の秋を思い出す。兄が毎日のように大きな獲物を狩ってきて、母は 捌くのが大変、と嬉しい悲鳴を上げていた。今年は、サナンが兄のように張り切って狩りに行っている。


サナンは、先の獅子の件から増して過保護になり、それは父と母にも伝播した。ニイシャは毎日、果物と野草、キノコ等の採集を命じられた。狩りを身に付けさせることに躍起に なっていた父が折れたのは予想外だった。しかしそれは、ニイシャが小さな獣を狩ることに成功した事が、父の頑なな心を動かしたようだ。更に、ニイシャに採集の才があると判明した事も、ニイシャの採集生活を支持する後押しになったようだった。


こうして、ニイシャは誰に咎められる事もなく、採集をすることができた。

実際、採集はニイシャに合っていたようで、採集の成果は、毎日かご 一杯に詰められた木の実やキノコがニイシャの技量を物語っていた。



この頃は、採りすぎた成果を里で問屋に売るくらいに なっていた。皆が ニイシャの技量に驚き、舌を巻いていた。



この日も、ニイシャは採りすぎた木の実を問屋に持っていった。



換金して帰る途中、里の広場を横切ると、わっ、と里の門の方で歓声が上がった。


何事かと そちらに目をやり、ニイシャは ぎくり、と体を震わせた。


人混みで ハッキリとは見えないが、あの日に見た獅子より一回りは小さい獅子が、首に縄を掛けられ横たえられていた。そのすぐそばに立つ雄に、ニイシャは 嫌な程に見覚えがあった。



あの日、獅子からニイシャを助けてくれた美しい雄だった。



「彼、去年の春に近くの人狼の里から家族で住み替えに来たんですって」


「とんでもなく優秀で、成人の雄 三人分くらいは軽く狩りをするそうよ」


「素敵ね…今年 成人?」


「それが、二つ先の夏に成人らしいの」


「ずいぶんと大人びているのね」


「あんな雄と つがいになれたら…」




聞く気はなくとも、年頃の雌たちの噂が耳に届く。


去年の春に里に来たのか。去年の春は、ミュイチがいなくなった寂しさから、あまり外に出ずに家に居た。だから、あの雄の事を知らなかったのだろう。あれだけ目立つ存在だ。里を歩けば、何処ででも耳にする機会はあっただろう。


ぼんやりと 雄を見ていると、まだ胸が ちりちりと痛んだ。なかなか吹っ切れないものなのだな、と眉を下げた。


その時、不意に雄が こちらを見た。


目が合ったような気がして、どくりと心臓が動く。手にした かごの持ち手を強く握り、ニイシャは きびすを返して、家路を急いだ。





気のせい。気のせい、だ。距離があったし、目が合うはずがない。ニイシャは そう自分に言い聞かせ、歩き続けた。広場を抜け、雑木林の道を歩きながら、溜め息をつく。


少し頭が冷えた。何を考えているのだ、私は。彼が、自分を追いかけてくるとでも思ったのか。自らの思い上がりを恥じて、ニイシャは もう一度息を吐いた。



すると、かごを持つ手とは逆の手を誰かに捕まれた。




「…っ!」


「どうしたの?」



掴んだ手の主がサナンであることに、ニイシャは驚き、 あからさまに 安堵した。ニイシャは てっきり―――てっきり、彼が手を掴んだのだと勘違いしてしまったのだ。その一瞬の勘違いでさえ、恥ずかしくて堪らない。



「帰りが遅いから、迎えに来たよ」


言いながら、かごを優しく受け取り、ニイシャの頭を撫でる。さらりとサナンの肩から滑る髪が艶っぽく、その笑みは美しい。サナンは ますます美しくなった。成人は まだ二つ先の春だと言うのに、サナンの成人の日を聞きにくる雄が絶えない。成人の日を聞く。それは、その日に 獲物を持っていく、という行為に繋がる問いだ。それは、サナンをつがいに請い願うこと。

サナンは たくさんの雄に求められている。異性に愛されるその様子は、兄を思い出させた。


兄は…無事でいるのだろうか。里を出て、命を落とす者もいる。しかし、兄なら大丈夫だろう。兄は、このサナンと同じく狩りの名手で頭も良い。じきに つがいを見つけて帰ってくるだろう。


ぼうっ、と思いを馳せていたニイシャの手を引き、サナンは足を進めた。



しかし、サナンは三歩と進まぬ うちに足を止めた。


「……?」



不思議に思い、ニイシャがサナンを見上げると。



「そこの奴、出てこい。何故つけ回す」



サナンの常に無い険しい声音に、ニイシャは びくりと 体を震わせ、サナンの後ろに隠れた。



すると すぐに、やや離れた茂みから一人の雄が歩み出てきた。


ニイシャは その雄を見て息を飲んだ。彼は、広場にいたはずでは―――?


目を見開き雄を見つめながら、ニイシャは眉をひそめる。雄は サナンを一瞥し、次いでニイシャを見る。ひっ、と声を漏らしてうつ向くニイシャを、サナンは 庇うように腕を回す。



「あなたは誰?」



雄を睨み付けたまま、サナンが問う。サナンも 狩りに出てばかりで里の噂に 疎いようだ。彼を知らないような物言いだ。



「怖がらせたのなら、謝ろう。私はヒゼン。少しそちらの娘に用があったものでな」


彼はヒゼン、というらしい。この雄に似合いの美しい名前だとニイシャは思った。あの時以来の、澄んだヒゼンの声に また胸が熱くなり、

ニイシャはサナンの手を より強く握った。


が、しかし、彼は今 何と言った?私に用があると?



「用とは何だ?私がいては出来ない話なら、諦めてもらうけど」



付け入る隙を与えないサナンの言葉に、ヒゼンは苦笑した後、いても構わない、と言った。



ニイシャは、用があると言われても心当たりは全くなかったが、少し考えを巡らせてみれば、その答えは すぐに見つかった。彼は、あの時私を獅子から助けた礼を欲しがっているのだろう、と。むしろ、それしか考えられなかった。それの他に、凡庸で役立たずの私に、どのような用があると言うのか。

しかし、思い返せば、私は命を助けてもらいながらも、礼の一つも言っていなかった。それに気が付き、ニイシャは 申し訳ない気持ちで いっぱいになった。




「あ、あの…」


そうっと、一歩ヒゼンに近づいたニイシャに、サナンは困惑しているようだった。絡めたままの手に柔く力を込めて、ヒゼンを警戒するサナンに、大丈夫だと目で諭す。ヒゼンは、顔を上げて視線を合わせたニイシャに どこか安堵した表情を見せた。

ヒゼンと視線が かち合った瞬間、彼に言われた言葉が脳裏をよぎり胸が痛んだが、ニイシャは彼の目を見つめながら、(こうべ)を垂れた。



「あの時は…ありがとうございました。私に出来る事があれば、何でも言ってください」



努めて平静な振りをするが、心の内では どくどく と忙しなく胸は鼓動を刻んでいた。一体、ニイシャを追いかけてまで何の用があったのやら。ニイシャの常と同じく頼りない笑みで隠していても、サナンには分かったようで。サナンは小さなニイシャの肩を そっと優しく引き寄せた。



「仲が良いのは誉められたものだが、そなたは いささか過保護ではないか?落ち着いて話もできぬようだ」


サナンを見据えて、ヒゼンが低い声で言う。ニイシャは 「過保護」という言葉に かっと頬を染めた。日頃から サナンのニイシャに対するそれを 父は苦い顔で見ていたが、やはり 「過保護」であったか、と今更ながらに自覚した。


恥じらいに頬を染めたニイシャを、ヒゼンは またも射抜くような眼差しで見つめるが、過保護を恥じて うつ向くニイシャは それに気がつかない。サナンは、ヒゼンの その眼差しを忌々しく見やりながら、ニイシャにまわした手を更に己に引き付ける。



「そなたらの仲の良さは、少し妬いてしまう程だな」



澄んだ声音と美しい笑みだったが、ちらと目をやったニイシャは その目が笑っていないことに気づく。また、ちりちりと胸が痛くなり、うつ向く。しかし うつ向いた後も、刺すような視線は感じていた。



「早く用件を言って。そんな目で、無駄に見るんじゃない」



苛ついた様子のサナンに、ヒゼンは 小さく声を出して笑う。幼子を なだめるようなその笑みに、サナンは ますます腹を立てたようだ。サナンは穏やかではない空気を醸し出し始めた。



「すまない。礼を欠いてしまったな。話というのは、簡単だ。…そちらの美しい妹君の成人の日を聞きにきた。それだけだ」



サナンとニイシャは、目を見開いた。ニイシャに用とは この事だったのか。恐らく どこかでサナンを目にして心を奪われ、そして どこからか聞き付けたのであろう、サナンが溺愛している姉から サナンに取り次いでもらおう、という算段だったのだろう。


しかし、ヒゼンは それだけ、と軽く言うが、どう聞いても それだけ の話ではない。先の雌たちの噂話によれば、ヒゼンは 今 この里一番の狩りの名手。しかも見目も素晴らしく良く、強い雄のようだ。そんな雄がサナンをつがいにと望んでいる。それはサナンの姉として、この上ない喜びである。



しかし、ニイシャの胸は悲鳴をあげた。恋をした相手が、自分の目の前で他の雌を つがいにと請い願っている。

痛手を負いながらも まだ胸の奥でくすぶっていたニイシャの初恋は、この瞬間に儚くも散ったのだった。



つがいに、と望まれたサナンは ひたりとヒゼンを見据えたまま、口を開かない。罵声でも拒絶の言葉でも ありそうだと思っていたニイシャは不思議に思い、サナンを見上げた。

サナンは、柳眉をひそめ、困惑した表情を浮かべていた。つがいに望まれて 喜ぶでもなく、かといって常のように頑なに雄を拒絶するでもないサナンに、ニイシャは首を傾げる。そんなニイシャに気づくと、サナンはニイシャを後ろに隠すように手を引いた。



「成人の日を尋ねられたら、日取りを教えるのが儀礼のはず。それすらも させてはくれぬと?」



咎めるようなヒゼンの声音に、ニイシャは肝を冷やした。ヒゼンの言う通り、真摯に尋ねた者には 同じく真摯に答えなければならない。人狼族はプライドが高いので、誠には誠で返さねばならぬ しきたり。

一向に返事をする兆しがないサナンに焦れたのか、ヒゼンが妹君、とサナンに答えを促す。しかしサナンは 口を開かない。このままでは、サナンは礼儀知らずになってしまう。そうなれば、今度はニイシャに次いでサナンの不名誉な噂が立ってしまうだろう。


それではいけない、とサナンに隠されたままだったニイシャは ひょこりと頭を出した。

途端にヒゼンの強い眼差しとかち合った。まさか、ずっと私を見ていた?と驚いて首を引っ込めかけたが、まさか。たまたまだろう。とニイシャは再度ヒゼンを見やる。気まずさから目と目を合わせることは 出来なかったが、しっかりとヒゼンを見て答えた。



「……春、です。二つ先の…桜の月の二つ目の日が日取りです」



サナンの姉の答えでは失礼かと思ったが、何も言わずにいるよりは良いだろう、とニイシャは か細い声でサナンの成人の日を教える。



「わかった。良い返事を期待しながら、技を磨くとしよう」



気分を害した様子もなく、ヒゼンは優雅な所作で頭を垂れると、サナンが口を開く前に 何処かへ飛び去っていった。


「……サナンは、たくさんの雄に望まれて幸せね」


未だ何も語らないサナンに、ニイシャは優しく声を掛けた。サナンはヒゼンが飛び去った後を 追うように見つめていたが、ニイシャと目が合うと、 ふっ と笑みを溢した。



「私は、何も手は出さないでいようかな」



常に大人びた彼女にしては珍しく、悪戯っ子のような笑みを浮かべてニイシャの手を引くサナンを、ニイシャは 首を傾げて追いかけたのだった。

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