八
すごく優しくて可愛くて繊細。いつも この獣人を頼ってくれて、守ってあげたくなるやつ。
探しているのは、二つ前の春から。
と、ここまでをシャイルは獣人から茶店の椅子に もたれ掛かりながら聞き出した。本音を言えば、そんな話聞きたくない。獣人が大切に思っているらしい その探し人など、見つけてやりたくもない。何処かで人知れず 死んでいたって、シャイルは全くかまいやしない。
そう思う癖に どうして獣人に協力するのか。答えは 薄々感ずいている。シャイルは、この獣人から 離れがたい何かを感じている。 それは 認めたくないのに認めざるを得ない事実だった。現に こうして 腹の内では面白くない思いをしながらも、シャイルは大人しく獣人から 話を聞いている。
ここまではスムーズに事は進んでいた。徐々に落ち着いてくる自身の心音と、穏やかな色を浮かべて話す獣人の笑顔に油断した。
だが、やはりシャイルは この獣人を前にすると普段は決してするはずの無い過ちを「何故か」犯してしまう。
「そういえば、なんで その探し人は いなくなったの?」
と、頬の熱が退いた頃に シャイルが ぽろりと問い掛けてしまってから、獣人は口を閉ざしてしまった。それを目にして、シャイルは地雷を踏んだ事を悟った。
人が消えた理由など、大抵が良からぬ理由だと想像がつくではないか。そんなことにも気が回らずに軽はずみに口にしてしまった自分が信じられない。もしできるなら、今すぐに自分の頭を思いきり蹴り飛ばしてやりたいくらいだ。シャイルは本来 口が上手く、相手を自分のペースに持ち込んで会話の主導権をつかむことが得意だった。
そのはずなのに、今こうして己の放った言葉に頭の機能が停止してしまいそうな程の後悔を感じずにはいられなかった。
そして、目の前で静かにテーブルの一点を見つめたまま何も話してくれない獣人を目にしていると、より一層と じりじりとした焦燥がシャイルの胸を容赦なく苛む。
「あ…」
何か言わなければ、と意味もない言葉を発してみても、その先に続く上手い言葉も謝罪も見つからず、ただ沈黙が続くのみ。
どうしよう。どうすれば この失敗を挽回できるだろうか。シャイルは訳もなく不安に襲われる。いや、この不安に思う心には何か己の知らないうちに積み上げた不可思議な感情が絡み合っており、それは 何か意味があるのかもしれないが。そんなことは今は どうだっていい。今、シャイルが獣人に無神経で馬鹿なやつだと思われない為に、己がするべきことは何だ。
考えを巡らせても、この窮地を脱する救いは見つからない。
「ぼ、僕は!」
嫌われたくない。その一心で柄にもなく大声を張り上げたシャイルは、獣人が 困惑しながらも しっかりと その黒く光る瞳に自身が映っていることを確認すると、
「僕は、あんたの味方だから!」
と、宣言した。暖かく切なさを交じえて 熱を孕む、この獣人へ向かうシャイルの感情の全てが、重い「何か」を背負い込んでしまった獣人に伝わるといい。そんな想いを ありったけ込めて、未だ見開かれたままの獣人の瞳から一瞬たりとも目を離さずに宣言した。
幸い 茶店の客は捌けていて、シャイルと獣人しか居なかった。もし人の目が あるとすれば、フクロウの獣人の店主が 我関せずといった体で 二人に背を向けてカップを磨いている姿くらいであろうか。
切れ長で美しい獣人の目は、シャイルを映したまま 円い形から変化はなかった。ごくり、と唾を飲み込んだシャイルの顔色が赤から青に変わりかけた その時、獣人は ぽろぽろと透明な雫をこぼした。
声にならない悲鳴を上げたシャイルは、ぎくり、と身体が硬直して動けなくなってしまった。まさか 泣かせてしまうとは思わなかった。どうしようもなく自分が無力で何も出来ない阿呆に思えて、情けなくも手が震えて 慰めることにさえ躊躇する。これがニイシャなら そっと優しく、頬を濡らす涙を指ですくい、頭を撫でて 一言 二言慰めの言葉をかけるだろう。もしくは抱き寄せて背を撫で擦ってやったかもしれない。
だが、この獣人に それは出来ない。
そんなことをする度胸がない。指先が触れることさえ心臓が跳ね上がる自分が、この獣人を抱き締めるなど、己の心臓の行く末が恐ろしくて天地が引っくり返っても実行に移せないだろう。
しかし、美しく艶やかな濡れた瞳を見ていると、無性にシャイルの中の雄が騒ぎ出すのは何故なのか。その涙を止めてやりたいと思う自分と、もっと泣かせてしまいたいと思う自分がいる。凛とした光を宿す瞳が、薄く紅色に色付く唇が、いや、この獣人の全てが 自分一人の ものになれば良いのに。
「……?!」
自身の脳裏によぎった想いに、シャイルは息を飲んだ。
自分は今、何を思った?
何を望んだのだ?
これでは まるで―――――
つがいを見つけて発情した、雄のようだ。