七
この頃 多忙で更に亀更新ですが…必ず完結はさせます。
町の小さな茶店にて、奥まった一席に 二人は向き合って座っていた。
「で、誰を探してるの?いつから探してるの?どこまでつかめてるの?」
「ちょっと待って。そんなに矢継ぎ早に質問されても困っちゃうよ」
落ち着いて、とシャイルを なだめる獣人を椅子に座り腕を組んだ状態でシャイルは 睨み付ける。
「忙しいって言ったでしょ。僕としては早く済ませたいんだよね。だから早く その はた迷惑な行方をくらましたやつの特徴を教えて。あと、あんたが どのくらい情報や足取りをつかめているのか」
とんとん、とテーブルを指で叩きながら獣人を促す。本当は この後に特には用はない。しかし、この獣人のそばにいると ろくなことにならない気がして、早く自身が感じて止まない違和感から解放されたかった。
「そうだね…その人は すごく優しくて、可愛くて…繊細なんだ。いつも 俺を頼ってくれて、俺も その人のことを守らなきゃって思ってた。でも…痛っ、なんで いきなり叩くの」
遠くを見つめながら話す獣人の目は、茶店の白い壁ではなく 自身の探し人を しっかりと見つめているようだった。その目に切なさが宿るのを感じると、シャイルは急に激しい怒りを感じた。そして、心臓がキリキリと締め付けられるのだ。
そんな目をするな!そう思った時、意図せずシャイルの手が獣人の帽子を叩き、驚いた顔をする獣人を睨みつけていた。
「…馬鹿じゃないの。あんたが そいつを どう思ってたかなんて聞きたくない。僕は そいつの外見的特徴を聞いてるの。探したくても、見てくれが分からなきゃ そいつが居たって分からないでしょ?もう少し頭を使ってくれない?」
獣人を馬鹿にする様に、シャイルは鼻で笑って言う。自分でも、酷い言葉を吐いたと思う。しかし、何故か 獣人の目に浮かぶ探し人への強い思いを目の当たりにすると、どうしてか その目を自分に向けて欲しくなった。寂しさでも怒りでも何でも良い。その強い思いのこもった目で こっちを見てよ!と口を突いて出そうになる。
そんな格好悪いこと出来るはずがないのに。
「……」
テーブルを見つめたまま黙りこむ獣人。シャイルの失礼な物言いに対して、怒りを覚えたのだろうか。
何も言わない、動かない獣人に、シャイルは内心 後悔していた。呆れられたのだろうか。怒ってばかりいる自分が嫌になったのだろうか。
しかし、それで良かったのでは?ここでシャイルが獣人に怒りを買い、一人で探すとシャイルを解放してくれさえすれば、シャイルは家に帰ることができる。面倒な人探しなどすることはない。
そうだ。家に帰れる。
それなのに、どうしてか獣人の次の言葉が怖い。獣人の唇からシャイルを罵倒する言葉を聞きたくない。人格を否定され、存在を貶されるのが怖い。どうして こんなやつに こんなにも乱されなければならないんだ。おかしい。心が バラバラになっていく。
ニイシャが いてくれた お陰で この頃は自身に巣食う暗闇とは遠ざかっていた。しかし、ニイシャは もうヒゼンのものだ。ヒゼンと 共に有りヒゼンと共に生きる。愛し合う二人の中に「異物」のシャイルは入り込めない。シャイルは また一人きり。
再び侵食を始めた暗闇に、孤独なシャイルは もう太刀打ちが出来ない。足下が脆く崩れ去りそうな気がして、自身の腕を強く握り締める。
「だ、大丈夫?顔色が悪いけれど…」
心配そうな獣人の声が聞こえる。すぐ近くにいるのに、まるで水のなかで聞いている様に 不鮮明に聞こえた。
形だけの心配なんていらない。どうせお前も、中途半端な僕を気持ち悪いと思っているくせに。散々 僕に暴言を吐かれて心の中では僕を嘲笑っているに違いない。
「吐きそうなの?どこか休めるところへ行こうか?」
椅子を立つ音がして、すぐに温かい手が肩に触れた。その瞬間、シャイルを雌だと思い強引に何処かへ連れ去ろうとした過去の雄の獣人たちを思い出してしまって、シャイルは咄嗟に 手を叩き落とした。
小さな茶店に 思いの外 高く響いた その音が、シャイルを現実に引き戻した。
叩かれた手を宙に浮かせたまま戸惑う獣人を見て、シャイルは呆然と立ち尽くす。
僕は何をやっているんだろう。
そう思うのと同時に、もう終わった。嫌われた。と未だ暗闇が残る脳が囁く。かくり、と急速に足の力が無くなって膝から床に崩れる。
獣人が息を飲む気配がした。シャイルは思考が追い付かず、冷たい床に身体を投げ出した。
身体を打つ衝撃の後に、温かな腕がシャイルの腰を抱えた。
床に倒れ伏すはずの身体は、温かい何かに遮られて床にはたどり着かなかった。シャイルを抱える腕の主は ふう、と安堵の息を吐くと自身の胸に倒れこむ形で受け止めたシャイルの顔を覗いた。
「びっくりしたよ。具合悪いなら悪いって、そう言って」
シャイルを受け止めた際に帽子を落としたのか、首もとで ばっさりと短く切り揃えた艶のある黒髪を揺らし、凛々しくも華やかな美貌を そなえた獣人が、心配そうに眉尻を下げながらシャイルに笑いかけていた。
「…なに、誰…?!」
抱き止められたまま、身体が氷の様に硬直する。間近で見る艶やかな美しさにあてられて、ろくに言葉も出ない。
「えっ?ああ、帽子落ちちゃったんだね。俺だよ。さっきまで一緒にいたじゃないの」
そんなに変かな?と悪戯っぽく笑う獣人。シャイルは驚いて目を見開く。あの野暮ったい帽子の下に こんな美貌が隠されているとは。
「ごめんね、走らせたり怒らせたりしたから疲れちゃったんだよね。とりあえず、俺のとってる宿があるから そこに寝かせるね」
と、言うやいなや獣人はシャイルを床に立たせ、直ぐに腰と膝に腕を差し入れてシャイルを横抱きにした。
「はあっ?!なんでこんな 抱え方…っ!」
「え?気持ち悪いなら、背中に背負ったらお腹が押されて気持ち悪いかなって思って」
何にも他意はないと語る無垢な目が 今は憎かった。雌じゃあるまいし、こんな抱え方は恥だ。
「僕を雌 扱いしないでよ!そこらの雌より綺麗だけど、僕は立派な雄なんだからね?!」
こいつ、絶対に自分を雌だと思っているに違いない。そう思うと悔しいやら悲しいやら複雑な心境になり、シャイルは獣人の腕の中で めちゃくちゃに暴れた。下ろせ、と手足をばたつかせるシャイルを獣人は慌てて床に下ろす。
「危ないじゃないか。危うく落としちゃうところだったよ」
「あんな抱かれ方をするなら、床に落とされた方が百倍もマシ!」
雄の自分が あんな抱き上げられ方をするなんて、恥でしかない。いつか、ニイシャがヒゼンに ああやって抱き上げられて ぽうっとなっていたが、あれは雌だから嬉しいと思うのだ。雄のシャイルが同じく雄に あんな風に抱き上げられて嬉しいものか。
「そうなんだ…ごめん」
すまなさそうに眉尻を下げる獣人に、シャイルは ぐっと言葉が詰まった。シャイルとて、獣人が純粋に自分を心配してくれたことは分かっている。親切を仇で返した自覚があるだけに、獣人に謝罪されると、シャイルの良心が咎めた。
「別に…あんたが悪気があって あんな真似したとは思ってないから」
シャイルが そっぽを向きながら言うと、獣人は嬉しそうに笑った。その笑顔が眩しく見えてしまう自分が気色悪くて仕方ない。けれど、頬が熱くなってしまう。
「で、でも…あんたが僕を雌みたいに扱うから悪いんだからね!」
赤くなった頬を隠すように、獣人に背を向けてシャイルは言った。そうなのだ。この獣人が悪い。シャイルを雌みたいに抱き上げようとするから、雄としてのプライドが傷つけれたのだ。そうだ。そうに違いない。この獣人は自分を雌だと思っていたのだろう。だから散々シャイルを綺麗だと言ったり、優しくしたりしたのだろう。シャイルが実は雄だと知ったら驚くだろうか。それとも、がっかりするのだろうか。
シャイルは背後の獣人が言葉を発するのをじっと待った。その間が異常に喉が渇いて、心音が早まっていたが、背後に神経を尖らせていたシャイルは自身の変調には全く気づいていなかった。
なかなか言葉を発しない獣人に焦れて、シャイルが「ねえ、」と声をかけようとした時。
「…え?雌扱いなんてしてないよ。あなたは雄だよね?初めに話した時も自分のことを「僕」って言っていたから、ずっと雄だと思って接していたのだけれど…」
と、不思議そうに言う獣人の言葉を、シャイルは暫く脳内で反芻してしまった。
「え、僕を雄だと思ってたの?!」
「えっ?雄でしょう?」
首が取れそうな勢いで振り向いたシャイルに若干 気圧されながら、獣人は 事も無げに そう言い放った。
今まで出会ってきた人の全てが まず外見で シャイルを雌だと思っていた。それなのに、この獣人はシャイルが初めから雄だと分かっていたと言う。シャイルは 声も雄にしては高い方で、会話をしていても雌だと思われることが ほとんどであった。自身を「僕」と呼んでいても、そのような一人称の雌もいるのだろう、という解釈をされてしまう。それが シャイルのコンプレックスの一つでもあった。
この獣人の様にシャイルが「僕」と言ったからシャイルを雄だと認識してくれる人は初めてだった。
こいつは、空気が読めない馬鹿みたいな言動をするやつだが…初めて、シャイルをシャイルとして見てくれた。そう思った時、シャイルは ぞわりと 身体が身震いするのを感じた。もしかすると シャイルの瞳は今、綺麗な円形に広がっているかもしれない。興奮して瞳孔が開くなんて、久しぶりのことだ。
「そうだね。僕は雄だよ。よく雌だと間違われるんだけどね」
「へえ、そうなんだ…変だね、ちゃんと見れば 喉だって雄の印が しっかりと分かるし、身体だって華奢だけど雄のつくりをしているよ」
「皆、見る目がないんだね」と笑う獣人は艶めいて見えて、シャイルは ごくりと喉をならした。
ちゃんと、見てくれている。そう思えば思うほど、この獣人が「特別」に見えてしまう。
しかし、おかしいだろう。特別とは何だ。こいつは雄だ。雄に特別だなんて言葉、気色悪いだけだ。
「そ、そうだよ。見る目がないやつばっかりで困っちゃうよ。あんたも僕と体格が同じくらいだから、よく雌に間違われたんじゃないの?」
おかしな考えを振り切るために、シャイルは内心の動揺を悟られないよう平常心を努めて、獣人に問う。
「えっ?」
そんなことないよ、などと適当な答えが返ってくると思っていたが、獣人は目を見開いて固まってしまった。何か変なことを聞いてしまったのだろうか?とシャイルも同じく固まってしまったが、直ぐに獣人は ぎこちない笑みを浮かべると、
「そっ、そうだね。俺も昔は そんなことも一度…や二度?くらいはあったかな。はははっ、まあ いいじゃないの、そんなこと。それよりお腹すいちゃったから、何か食べよう?何が美味しいか教えてよ!」
とテーブルの隅に追いやっていたメニューを慌ただしく開いた。「これ、美味しいと思う?俺は甘酸っぱい料理は許せない方なんだけど、あなたは好きだったりする?」と 真剣な顔でメニューを見つめる獣人を見ていると、その様子が微笑ましく見えてしまう。これは、あの感情に近い気がする。シャイルが ニイシャを見ている時に感じる胸が温かくなる感情。それと同じようだ。
もう少し、こいつに優しくしてあげよう。メニューにかじりつく獣人を見つめながら、シャイルは密かにそう思った。
「ねえ、これとこれ、どっちが美味しいのかな?」
メニューに指を突き立てる獣人を穏やかな目で見ながら、
「…どっちも風味が違うから、食べてみて損はないと思うよ」
と笑いかけてみる。シャイルの笑みを初めて目にした獣人は、目を見開いた後に照れ臭そうに笑みを返してきた。
途端に胸に広がる温かな感覚に、弟がいたら こんな感じなのかな?とシャイルは小さな幸せを感じていた。
「じゃあ、これ頼もうかな。あなたは?」
メニューを渡そうとする獣人を やんわりと制して、シャイルは テーブルに置き去りだった水の入ったコップを手に取った。
「僕はいいや。お腹すいてたはずなんだけど、どうしてか胸がいっぱいでさ。…不思議な感じ」
昼を過ぎていて シャイルの腹は空腹を訴えていたはずなのに、獣人と話をしていたら腹というより、胸がいっぱいになって物が喉を通らない気がした。この獣人と一緒にいると、本当に新しい体験に事欠かない。
「へえ、本当に不思議だね。俺は そんな体験ないんだけど…それって風邪とかではないの?」
眉尻を下げてシャイルを気遣う獣人が可愛いらしく見えて、シャイルは 読みもしないメニューに目線を落とした。
「分からない…けど、あんたと会ってから変な感じ。やたらと心臓が痛むし、脈が早くなったりしてさ」
がたん、と椅子に横向きに座り直し、獣人から見えている方の顔を、テーブルに頬杖をついて手でさりげなく隠した。きっと、耳まで赤くなっている。
「えっ?それって俺のせい?!」
「違う!けど違わないみたいな…ああもう、僕だって何がなんだか分からないの!いいから早く食べて探しに行くよ!」
「…でもさ、心臓とか脈とかって、身体の大事な部分だし…早く医者に診てもらった方がいいんじゃないかな?」
不安そうな声音の獣人は、そっとシャイルの頭を撫でた。「こうすると、少し落ち着くでしょ」と柔らかく笑う獣人に「全然落ち着かない。むしろ悪化したんだけど…」と 椅子の背に もたれ掛かりながら、耳の先まで赤く染まってしまったシャイルは、ぽつりと呟いた。