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ニイシャ/一

少し血の描写が あります。苦手な方は ご注意下さい。

深い森の奥に、人狼と呼ばれる種族が住んでいた。彼らはヒトに似た容姿であったが、黒い毛並みの三角の耳、尖った牙に鋭い爪を持ち、尻には同じく黒い毛並みの尻尾があった。




ニイシャは走る。四つ足の小さな獣を狩るために。しかし獣も食われまいと短い手足を必死に動かして走り、ニイシャの手を掻い潜る。


どれ程 駆け回ったかという頃、ぜえぜえと息が上がり、ニイシャは自分の足が重く感じた。地を蹴る力も弱くなり、ついには膝をついて激しく咳き込む。


「ニイシャ!大丈夫か?」


ニイシャを心配する声に、咳き込みながら顔をあげると、大きな獣を肩に担ぎ 片手に小さな獣を手にした兄がいた。


「あっ……」


その手にある獣を見て、ニイシャは また狩りが失敗した事に気が付いた。






「ごめんなさい、兄さん。私、一匹も獲れなくて…」


その日に狩った獲物を家族で食べながら、ニイシャは うつむいて兄に謝った。


「いいさ、ニイシャは頑張ったじゃないか」


肉を小さく切り分けてニイシャの皿に乗せてあげながら、兄のミュイチは笑った。


「…でもねえ、ニイシャも少しは狩れるようにならないと、成人した後一人でやっていけるか心配だわ」


じっとニイシャを見つめる母の視線に、ニイシャはさらに小さくなった。



人狼族は15で成人する。成人した日の夜に、ひっそりと里を出て 一人で暮らし、つがいを得たら雄か雌か どちらかの里に戻り、家をつくる。大抵の人狼族は人狼族と つがいになるが、まれに違う種族と つがいになる者もいる。そうなった彼らは、里の外で暮らす。人狼族以外の種族は ほとんど混血をさして気にはしないが、プライドの高い人狼族は血が混ざる事を嫌うのだ。



「ニイシャなら大丈夫だよ。ニイシャは 一人でもやっていけるさ。それにさ、俺がついているしね」


ニイシャの頭を撫でながら、ミュイチは笑う。


「しかし、お前は来年の春には成人する。…今はもう秋だ。ニイシャも 狩りができなくてはミュイチの次の春に里を出れるかわからないぞ」


父の言うことはもっともだった。人狼族のくせに、ニイシャは小さな獣一匹、まともに狩れない。このままでは、里を出たとしても飢え死にしか道はない。ニイシャの一つ下のサナンでさえ、狩りに行けば小さな獣を三匹は狩ってくる。ニイシャは、兄に優しくかばわれながらも、このままではいけない、と思い悩んでいた。





その日、ニイシャとサナンは布を買いに行った。春には成人する兄に、二人で お祝いの品を贈ろうと考えたのだ。兄は寒がりで、いつも首に布を巻いている。その布を買って、端に刺繍を施し、それをプレゼントにしようと考えたのだ。


色んな布を見て 二人で議論するうちに、最終的に三つも買ってしまった。赤と青と緑の鮮やかな布を手にして よたよたとするニイシャをサナンが支え、転びかけたところでサナンに荷物を奪われてしまった。

サナンは黒く艶やかな長い髪を一つに まとめて垂らし、顔は凛々しくも華やかな美貌をそなえている。背は とうに ニイシャを越して、頭一つぶん高い。ミュイチとサナンは似ている。男女の違いがあるくらいで、外見も性格も そっくりと言っていいほどだった。ニイシャは二人とは全く違う。少し茶の混じった黒い肩までの ふわふわとした鳥の巣のような髪に、どんぐりのように丸い目。全体的に小さく、頼りがない。人狼族としては 魅力がない容姿だった。





「―――ほらあれ、ミュイチの妹」



あと少しで家に着く頃、雌の声が聞こえた。



「三番目はミュイチそっくりで 良い雌だね」


「あの茶色いのが二番目?あんなに小さくて、 狩りはできるのかい?」


「できやしないさ。…あんなので、つがいなんてできるのかね」


「どうせ、人狼族以外と つがうのさ」



いつも言われ慣れていることとはいえ、ニイシャの心は重く沈んだ。



「…行こう。気にすることないよ、あんな人たち」


サナンに促されて、ニイシャはうつ向きながら、歩いた。








冬が来て、春になった。そして成人の日、ニイシャたちの家に雌の人狼が押し掛けてきた。手には獲物を持って。



里にいる間、思いを寄せて つがいになって欲しいという者がいたら、その者の成人する日の昼までに自らが仕止めた獲物を差し出す。受け取ってもらえれば、つがいになれる。


ミュイチをつがいに と望む雌は多く、家の前には成人前の雌で溢れた。

その雌たちを窓から そっと眺めながら、ニイシャは魅力的な兄を誇る気持ちの陰に、羨む気持ちが あった。自分は、誰からも望まれないだろう。その悲しみを宿したまま、ニイシャは 窓から離れた。



兄は押し掛けた雌の誰とも つがいにならなかった。ひとしきり家族と別れの挨拶を交わした後、兄は ひっそりと里を出た。






「姉さん、コレ食べなよ。美味しいよ?」


肉を食べやすいように小さく切り分けてニイシャの皿に乗せるサナンに、ニイシャは苦笑した。兄が 里を出た後、サナンは前にも増して世話焼きになった。まるでミュイチがいない穴を埋めようとするような、ミュイチに そっくりな その言動に父は苦い顔をし、母は 可笑しそうに笑う。


ニイシャは、サナンが元気のないニイシャを慰めようとしているのだと気づいていた。兄がいないという現実は、思いの外ニイシャを空虚な気持ちにさせた。ぼんやりとする時間が増えたのも、サナンに心配をかけているようだ。




このままでは、いけない。ニイシャの頭を撫でながら優しく笑うサナンを見つめながら、ニイシャは決意した。






ニイシャは走っていた。森の中を一人で。どうにかしなければ、と決意した日から、ニイシャは森に入り、狩りの練習をしていた。まだまともに狩りができないニイシャは里に近い狩り場で狩っていた。ここには小さな獣しかいないが、大きな獣と遭遇せずに狩りができて ニイシャには好都合だった。今、ニイシャが大きな獣に遭遇したら、太刀打ちできずに怪我をするか、最悪の場合 殺されてしまう。


サナンには反対されるから いつもこっそりと練習していたが、今日は森の奥に凶悪な獅子が出たということで、里の狩りが得意な者は皆 駆り出されている。 サナンも成人前ながら その実力を買われて森の奥に赴いていた。

今日は、サナンを気にすることなく狩りができるのだ。


森を歩き、獲物を探す。きょろきょろ歩き回っていると、獣の臭いがした。いた、と思って振り向くと。


「グルルル…」


ニイシャから 少し離れた そこには、大きな獣が たてがみを逆立たせて、ニイシャを威嚇する姿があった。


ニイシャの倍程の身の丈に、口許からのぞく鋭い牙。今にも飛びかからんと地を踏みしめる 太い足には、肉を裂くのも 容易そうな鋭利な爪が。



―――食べられる。ニイシャを獲物として映す獣の瞳から逃れられるとも思えず、ニイシャは へたりと 尻餅をつく。

獣は ニイシャを 舐めるように見つめながら、ゆっくりと近づいてくる。



こんな事になるなら、サナンの言う通りに家に居ればよかった。ニイシャは後悔したが、もう どうにもならない。



「サナン…に、兄さん…」



がくがくと体が震える。獣が口を歪め、笑ったような気がした。獣が地を踏みしめる 音が、ニイシャの絶命へのカウントダウンのように、辺りに響く。



「サナン…ミュイチ兄さんっ!」



食われる、とニイシャは頭を抱えてうずくまった。同時に、地を蹴る靴音と地を引っ掻く爪音が交差した。






どしゃ、と重いものが地に落ちる音に、ニイシャは自分の耳を疑った。一口に食いつかれると思った。自分は もう絶命するばかりだと思っていたのだ。


しかし、自分は 生きている。獣に触れられてさえ いない。あの音は何?このむせかえる程の血の臭いは?



何が起きたのか わからないニイシャは、動くことができずに、小さくなったままでいた。





「獅子は仕止めた。そこの娘。怪我はないか」



若い、青年になる前の澄んだ声が、ニイシャの耳をくすぐった。どうやら、自分は助かったらしい。この雄が、一撃にして あの大きな獅子を仕止めたようだ。若いながらも、相当 腕がたつに違いない。


「………は、い」



ニイシャは頭を下げたまま、やっとの思いで返事をする。



「今日は 狩りを禁じられていたはずだ。何を思ったか知らぬが、獣臭に疎い そなたには、狩りは まだ早いのではないか」


その言葉に、ニイシャは体を震わせた。初めて聞く声だった。初めて会う人にさえ、自分は 駄目な奴だと言われてしまった。それに、口ぶりからして ニイシャをまだ 子どもだと思っているようだ。もう、ニイシャは次の春には成人するのに。


「ごめん、なさい…」


情けなさか 、悔しさからか。ニイシャの声は小さく。震えていた。見つめる地面に、涙の雫が一つ、二つと落ちて染みていく。



「謝らずとも良い。命は大切にせよ」



張りのある声の男は、ニイシャの心のうちには気づいていない。今だ残る獅子への恐怖からくる震えだと思っているようだ。



「時に、娘。―――そなたはミュイチの妹か?先ほどミュイチの名を呼んでいたようだが」



思わぬ雄の言葉に、ニイシャは はっと顔を上げた。



「そなた、泣いて…」


濡れたように艶のある髪を短く切り揃え、美しさと逞しさを持った雄が、そこにいた。兄のミュイチも優れた容姿をしていたが、この雄は やや幼さがあり、中性的な美しさを醸し出していた。



「…ミュイチは、私の兄です」


雄に見とれて言葉を失っていたニイシャだったが、雄が浮かべる表情が驚きに変わるのを見ると、早口に言葉を並べた。


「そうか。ミュイチには…世話になった。そうか、そなたはミュイチの…」


そう言ったきり、ニイシャを じっと見つめる男に、ニイシャは困惑した。こんなに間近で、雄に射抜くように強い眼差しで見つめられたのは、初めてのことだった。



戸惑うニイシャが、次の言葉を紡ぐより先に、雄が 何事かを呟いた。


その言葉が耳に入った瞬間、ニイシャは 弾かれたように立ち上がり、雄を涙ながらに睨み付けると、矢のように駆けていく。



常より早く走るニイシャの背中に、雄が何かを叫ぶ声がしたが、ニイシャは 聞きたくないとばかりに無心で駆けた。





気づけば、村外れまで来ていた。ここには大きな木が一本生えていて、その根元に人が一人入れるくらいの窪みがある。そこに ニイシャは背中を預けて腰を下ろした。膝を抱えてしまえば、外からは暗くて人が居るとは思われない。

昔から、ニイシャの良い隠れ場所だった。悲しいことがあると ここに来て、一人で泣いていた。

そして、日が落ちて暗くなると、兄さんとサナンが迎えに来てくれたのだ。


兄さん…と呟き、ニイシャは 先ほどの美しい雄を思い出していた。


一目惚れ、だと思った。あの澄んだ声に、雌を幾人も惹きつけるだろう美しさ。そして、ニイシャを見る強い眼差し。あの目に射抜かれた瞬間、ニイシャは胸が激しく痛むのを感じた。初めての痛みに狼狽えたが、雄の目を見れば見るほどに激しく鼓動を打ち、そして見とれてしまう。


これは、恋なのだろう。と自覚した。しかしその時に、雄が呟いた言葉を聞いてしまった。



彼は こう呟いたのだ。



「里の噂の通りだ」と。




父と母、兄と妹が 里の噂がニイシャの耳に入らぬように配慮してくれていたのは知っていた。しかし里には、親切にもニイシャに噂を教えてくれる者がいた。それは兄に 振られた雌であったり、サナンに相手にもされなかった雄であったり。どちらも、ニイシャを蔑んだ目をして言うのだ。



あそこの兄弟は、一番目は雄々しく美しい。

三番目は花のように美しい。だけど、二番目は不美人で役立たず。


里じゃあ皆が知ってる噂話だ。お前は 見目も悪く狩りもできない。まともな つがいは得られまいよ。


ニイシャは、気にしなかった。


気にしない振りをした。ニイシャが落ち込むと、家族も皆 悲しそうな顔をするから。だから、悪口を聞けば少し落ち込みはしても、すぐに立ち直っていた。特に仲良くもない、知らない人からの悪口は、流すことができた。



けれど、あの雄の一言は、身を裂かれるようにニイシャの心を痛め付けた。



初恋は叶わないものだ、と いつか兄が言っていたが、今 身をもって体験した。



「痛い。………痛いよ、兄さん」



暗い木のむろから見上げた切り取られたような小さな空は、日が落ち始めていた。


「姉さん」


気づけば、サナンが そっと むろを伺い見ていた。家に居ないニイシャを探しに来てくれたのだろう。


父と母も心配しているだろう。ニイシャは、心配そうにニイシャを見るサナンに笑みを見せると、すっと立ち上がりサナンの差し伸べた手を取った。


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