風の剣
パァ――――ンッとなにかが粉々に砕けた瞬間、妙なことをわたしは口走っていた。
そう、わたしがいっていた。
そして、妙なことを口走ったこと以上の、異常事態がわたしを待っていた。
わたしは浮いていた。
眼下には見なれた景色。さっきまでいた公園があった。
コロネちゃん(仮称)がいる。
あの巨大な石像もいる。
そしてわたしは――――。
「メタモルフォーシスとは驚きですね。アルケーに選ばれ、咎人とのディアロゴスも済んだということですか」
コロネちゃん(仮称)の感心したような声が響く。にやっと笑った気がした。
「物怪の幸い、とでもしておきましょう」
どういう原理なのか、空に浮いているわたしにコロネちゃん(仮称)がつづける。
「アルケーはアーリア、ならば」
ド……ンッと石像が片足で大地を踏みつけた。
空気がびりびりとふるえる。
ぐらりと身体のバランスが崩れた。
「もう一度」
ド……ゴォォォンッ。
「う、わっっと」
わたしの身体はなんの支えもなくしたみたく公園に向かってアタマから落ちていった。
真っ逆さまに落ちるという経験はそうそうできるものじゃない。
落ちながらそんなのんきなことを考えていると、わたしはくるんとバランスを取り戻して、きれいに着地していた。
お見事。
このとき、もう一つの異変に気づいた。
わたしはスカートを穿いていた。白いプリーツのミニ。
わたしは制服、アイボリーのブレザーに赤いチェックのスカートだったはず。
ブレザーも従来の三つボタンではあるけれど、白くなっている。足も学校指定の革靴は白くなっていた。
ブレザーの襟にはあのきれいな石でできたみたいな蝶々のブローチがきらきらと細かくまぶしく光を放っていた。生きているみたいに、きらきら、きらきらと輝いている。
「おひさしぶり、いや、はじめまして、かな。アーリアに選ばれし古の戦士さん。ご挨拶ついでに我々からのささやかなプレゼン……トッ」
そう、目の前のコロネちゃん(仮称)がいうと、石像の振り上げた右足がわたしのお腹をはげしく蹴った。
すごい勢いで後方に吹き飛ばされる。
真っ逆さまに落ちたり、後ろに飛ばされたり、今日ははじめて体験することばかりだ。
背中となにかが激しくぶつかる。
「………った」
あれ? 痛くない。
わたしは子供ころにいっぱい遊んで、さっきコルヴォちゃんといっしょに隠れたあの山に張りついていた。
そうだ、コルヴォちゃん。
わたしはあれだけ派手にコンクリートの塊に叩きつけられたのになんの痛みも感じなかったことよりもそっちが気になった。
「コルヴォちゃん、コルヴォちゃん!」
わたしがいない間にどこにいったんだろう。
あのアドゥネイスさんはなんとかって丘にいるといっていた。どこか分からないけれど、無事なのだろうか。
「コルヴォちゃん、コルヴォちゃん!」
もう一度叫ぶと、デアエタンデスネ、とちいさくかわいい声が耳元でした。
むかしからの友だちみたいな、家族みたいな安心できる声。
「コルヴォちゃん」
彼女はすぐ横にいた。
まだちょっと疲労感のただよう表情だけど、間違いなくコルヴォちゃん。
「アドゥネイスサント、オアイシタンデスネ」
どこかホッとしたような、でもちょっとだけ不安をにじませたような顔。
「アオイサン、マキコンデシマッテ、ゴメンナサイ」
コルヴォちゃんは何度もあやまった。
「ズットズット、アルケーニ、ハンノウスルヒトヲ、サガシテイマシタ」
コルヴォちゃんは泣くのを必死にこらえていた。でも、それがむりなのはすぐに分かった。そしてやっぱり、泣きだした。
「ワタシ、ヒトリボッチデ、ズットズットフアンデシタ。ソンナトキ、アオイサンニ、タスケテモラッテ、スゴクウレシカッタ」
しゃくり上げるコルヴォちゃんはもう、むりをするのはやめたみたいだった。
「ホントウハ、タスケテ、ホシカッタンデス。ダケド、アオイサンハ、オカアサントハナレバナレデ、ヒトリデガンバッテイルノニ、ソンナコトハ、イエナカッタ」
あのとき、何回もなにかをいいたげだったコルヴォちゃんを思い出した。
そうか、そうだったんだ。
お母さんとの写真を食い入るように見つめるちいさな背中とあの悲愴な書き置きが脳裏によぎる。
泣きじゃくるコルヴォちゃんを見ているうち、わたしも昨晩の、今朝のことが被ってつられて泣いていた。
「もう大丈夫、大丈夫だよ。わたしがいるから。もうひとりじゃないよ。だからいっぱい泣いたら、あとはいっぱい笑おうね」
コルヴォちゃんは涙でくしゃくしゃの顔を上げて、じっとわたしを見ていた。
やわらかい髪の毛をそっとなで、お人形みたいな目の端からたくさんこぼれた涙のわだちをなぞると、ハイと頷いた。
瞳の色が赤から青に変わったコルヴォちゃんを抱きしめながら、この子を守りたいと強く思った。
「すばらしい」
声に振り返ると、コロネちゃん(仮称)と石像が佇んでいた。
「いい話ですねえ、泣けます。しかし、ただで感動を収受するわけにもいきませんな。というわけでこちらは我々からのささやかなプレゼン……トッ」
まただ。
腕を交差させて防いだつもりだったけれど、石像キックは予想外に重く、速かった。
ただ事前に意識しておかげか、さっきほどの衝撃はなかった。
もちろん、痛くはない。
「アオイサン!」
ぽーんと跳ねるように、コルヴォちゃんがこちらに飛んできた。
聞きたいことはたくさんあった。
コルヴォちゃんもいいたいことがあるのだろう。
だけど。
「さすがは古人の業。一筋縄ではいかない堅牢ぶりには感嘆を禁じ得ません」
コロネちゃん(仮称)が石像にを伴って迫ってくる。
石像がドスッ、と地面を足を踏み込んだ途端、長方形の石版みたいなものが次々と波みたいな勢いで襲いかかってきた。
考えるよりもはやく、コルヴォちゃんを抱えて飛んでいた。
「……わッ、すごい」
身体が軽いのか、ただジャンプしたつもりが、公園をまたぐ勢いで飛べた。
「アーリアノチカラデス」
驚きが顔に出ていたのか、小脇に抱えたコルヴォちゃんがいう。
なるほど。さっき浮いていたけど、そういうことなんだ。
「よーし」
うおォ……ン。
やっぱり。
浮かぶイメージで跳ねたら、ちゃんと浮けた。
わたしはまるで人間風力発電所だ。
「すごいよ、コルヴォちゃん!」
興奮気味なわたしにコルヴォちゃんは苦笑を浮かべていた。
「デモ、アイショウガ、ワルイデス。アノセキゾウハ、ダイチノゾクセイ」
「……えっ?」
轟音とともにぐらっと揺らぐ。
犯人はさっきと同じ。
「無駄ですよ」
コロネちゃん(仮称)の笑い声が下から飛んできた。
「カゼノチカラヲモツ、アーリアハ、ダイチノチカラヲモツモノトハ、アイショウガワルイノデス」
「あいしょう?」
なんとなくは理解できたけれど、裏を返せば向こうにも相性の悪いものがあるはず。
「ダイチノチカラハ、カゼノチカラニツヨク、ヒノチカラニヨワイノデス」
ふたたび石像が大地を揺るがし、わたしたちはそのまま落ちていった。
「イマノアオイサンハ、メタコスミアート、カンショウデキマス」
メタコスミアー。アドゥネイスさんもそんなこといっていたっけ。
「ソレニフレナガラ、ネンジテクダサイ」
蝶々のブローチを指しながら、コルヴォちゃんがいった。
「ブキニナリソウナモノヲ、オモイウカベテクダサイ」
いわれた通りに武器……剣かな、そういうものを必死に思い浮かべる。長くてカッコいいモノを。
頭上でなにかが開いた気がした。
「ウデヲ、ノバシテクダサイ」
コルヴォちゃんのいうように手を突きあげると、なにかに触れた。
妙な確信でもってつかんで引きずり出すと、それは剣だった。想像していたのよりも少し短めで全体が銀色。色も地味で飾りもなにもないけれど、間違いなく剣。
アーリア・ソード、とでも呼ぼう。
あきれるくらい陳腐だけど、名前があった方が愛着も沸く。
生まれたての愛剣、アーリア・ソードの尖端はまぶしくもたのもしい光を放っていた。
ト……ッン。
着地と同時にわたしは大地を蹴り上げる。
両手で柄をぎゅっと握りしめて、祈るみたいに飛んだ。
はじめて剣を手にしたのに、なんの不安もなく、むしろ嬉々として相手に突っ込んでいく。
空を駆ける天馬のイメージで石像に斬りかかった。
ザンッ、と手応えを感じた。それは対象を一閃する手応え。
―――――決まった。
わたしは大役を果たしたアーリア・ソードをいい点を取った我が子を見つめる母親みたいな目で見つめ、
「……お、折れたァ――――?」
わたしはつばからぽっきり折れたアーリア・ソードを信じられない気持ちで眺めながら、カペロス商店街上空に広がる大空に向かって叫んでいた。