ディオゲネスさん物語
コルヴォちゃんはコロネちゃん(仮称)から目を離すことなく、ポケットをごそごそとしていた。
「無駄なことはおよしなさい。新人ピュティアのあなたに何ができるのです」
コロネちゃん(仮称)が相変わらずの無表情のままゆっくりとこちらに迫ってくる。
置き物のはずなのに、カラスさんの目が一瞬、光った気がした。
「さあ、哲学シャのイシをお渡しなさい」
哲学シャのイシ。
それはグラウクスちゃん(仮称)の出てくるアニメで出てきたアイテム。主人公たちも敵の秘密結社のセンシュと呼ばれるメンバーもそのイシの力で強くなって戦っていた。
やっぱり、これはあのアニメが好きな人たちによる自主制作とかいう映画の撮影なのかな。
コルヴォちゃんはポケットからあのピルケースみたいな黒い小箱を取り出すと、ふたを開けた。中には五つの穴が二列並んでいて、右上の端にだけなにかが埋まっていた。
「アパテー」
小さくなにかをつぶやくと、ふたたびわたしの手を引きながら、コルヴォちゃんは反対側に駆け出した。
一瞬、辺りが暗闇に包まれる。
空中に投げ出されたかのような不安定さ。
「……あれ? 夜? どうして?」
疑問が解消されないうちに辺りがまた明るくなった。
いつもの街の景色と匂い。
「オネガイシマス!」
なにが起こったのが気持ちの整理もままならないうちに、コルヴォちゃんは追っ手のコロネちゃん(仮称)に向かって、さっきピルケースから摘み取ったカプセルみたいなそれを放り投げていた。
ボ………ッ、ン!
地割れみたいな衝撃とともに煙が上がった。
もうもうを湧き起こる白煙から現れたのは髭のおじいさんと大きなつぼ。
ボロボロの布切れをおそらくは二重にしてまとったおじいさんは、手に持った布袋からなにかを取り出して食べはじめた。
「……あのおじいさんは、誰なの?」
次々に起こる非現実的なできごとの数々は考えるひますら与えてくれない。
コルヴォちゃんは、ディオゲネスサンデス、と小さく答えた。
気のせいか息苦しそうだ。
不思議なことに瞳の色が昨日みたく赤くなっていた。
コロネちゃん(仮称)はじっとなにかを一心不乱に食べているおじいさんと相対していたけれど、すぐに地面にくるくるともぐってしまった。
「サプライズゲストをお呼びできるくらいアレテーが貯まっていたんですねえ」
さっきみたいに光の輪の中からくるくると登場したコロネちゃん(仮称)に抱かれたカラスさんは見くびっていました、と引きつったような笑い声を出した。
「偽空間構築の技まで覚えていたとは驚きです」
コロネちゃん(仮称)がなにかを取り出した。なにかアンプルみないなカタチ。
「では、こちらもゲストを呼ぶとしましょうか」
パキッとアンプルの上部を折ると、薄い煙が立ち上った。すごく嫌な感じしかしない。
おじいさんはこちらのことなど興味もなさげに大きなつぼの中へ入るところだった。
……なにしに出てきたんだろう。
「シュンポシオン! いざ、宴のとき。レンティーニの嫡子よ、己が顔を取り戻さん!」
カラスさんの叫びとともにコロネちゃん(仮称)がアンプルを叩きつけた瞬間、轟音が響き渡った。
さっきのおじいさん、ディオゲネスさんが現われたときよりもっと大きな音と揺れの中から出てきたのは巨大な石像。ディオゲネスさんみたいに布をまとったみたいなそれは三メートル以上はありそうだった。
「さあ、素直に哲学シャのイシをお渡しなさい。今なら特別サービスでキック一発で許してあげますよ」
けっきょくはいたぶる気みたいだ。
コルヴォちゃんはどんどん意識を失いかけていた。
「大丈夫? 大丈夫、コルヴォちゃん」
荒い息、うつろな目、たくさんの汗。ふつうじゃない。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」
そう何度もくり返すコルヴォちゃんを抱きしめることしか今はできない。
「おや、新人ピュティアさんは満足に話すこともできないようですな。代わりにそちらのお嬢さん、哲学シャのイシをこちらに渡していただけますかな」
コロネちゃん(仮称)、ディオゲネスさんというおじいさん、巨大な石像。
どう考えても撮影とかではない。
なにがどうなっているのか説明できないけれど、すごくおかしなことになっているのは理解できる。
コルヴォちゃんを庇うように公園の真ん中にでんと構える山に身を隠した。
東西南北にすべり台が走っていて、頂上によじ登るための色も形もさまざまなフットホールドがすべり台の間に点在しているこのコンクリートの山はわたしもよく遊んだ。
「ニゲテクダサイ、アオイサン。ニゲテ、クダ……サイ」
足音が聞こえてくる。
小さなのと大きなのふたつ。コロネちゃん(仮称)とあの石像だ。
怖い。
胸の中ではコルヴォちゃんが小さな身体と声をふるわせていた。
足音はどんどん近づいてくる。
怖い、怖い。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメ、ン、ナ……サ、ィ」
大地を揺るがすような足音はもう、すぐそこ。コルヴォちゃんの小さくてか弱い声は燃え尽きる寸前のローソクだった。
怖い、怖い、怖い、すごく怖い。
手のひらに熱を感じた。あの小さな皮袋を握っている右手。
熱だけじゃなく、気のせいか皮袋の口から光りがもれている気さえした。
中を開けてみる。
鉱石の欠片みたいなそれは四つあった。
気のせいじゃなく、ほんとうに光りを発していた。
大きさは指のつめぐらい。透明なのと水色なのと黄色いのと赤いの。
光っていたのは透明な石。
すごくきれいだった。
きれいすぎて涙がでた。
さっきまで怖くて泣きそうだったこともあると思うけど、それぐらいきれいだった。
その透明な石だけ皮袋から出して手のひらに乗せる。
きれいで、あたたかい石。
まるで石の欠片なんかじゃなく、本当に生きてるみたいな、これ自体が意思を持っているみたいな、そんな感じ。
哲学シャのイシ。
あのアニメと同じ名前の不思議な石。
足音は近づいているはずなのに、どうしてだろう、すごく遠くに聞こえる。
透明な石は本当にきれいだった。
……ダレカ、タスケ、テ。
次の瞬間、世界が真っ白になった。
Ψ
そこはなにもないところだった。
見渡す限り、奥行きがずっとあるようにもすぐに行き当たっちゃうようにも思える空間。あたたかくも寒くもない空間。
さっきまであの公園にいた。
コルヴォちゃんを抱えてあそこにいた。
コロネちゃん(仮称)と巨大な石像に追われて、あの山に隠れてふるえていた。
握っていた皮袋を開けて、きれいな石の欠片を見つめていた。
すごくきれいだった。
生きてるみたいだった。
気がついたら、助けてってつぶやいてた。
涙がこぼれた。
そうしたら、そうしたら……。
「………………?」
人の気配を感じた。
すぐそこにも、ずっっっと向こうにいるようにも思える。
「誰か、いるんですか?」
………………。
いる。絶対、いる。
うまくいえないけど、気配を感じる。見えないのになぜか分かった。
ううん、見えなくはない。ぼんやりと輪郭のようなものは分かる気がする。
それは一ヵ所にとどまっているんじゃなく、わたしの向く方角、見つめる方向に常にいる感じっていえばいいのかな。
………………。
なにかが聞こえる。
聞こえるというよりもアタマの中に言葉がしみこんでくる感覚。でも、はっきりとはカタチにならない。
………………。
怒っているようにも感じるし、平静を保っているようにも思えるけれど、少なくとも笑ってはいないみたい。
………………。
「こ、こんにちは。わたしはヒメヤマ・アオイと申します」
………………。
予想はしていたけれど、明確は返答はなかった。
「……あ」
コルヴォちゃん。
不思議な空間にのまれて忘れていたけれど、コルヴォちゃんはどこにいったんだろう。
「コルヴォちゃん、コルヴォちゃ――――――ん!」
あわてて辺りに声を張ったけれど、返事はない。
というより、ここにはなにもない。
すぐそばに感じる気配しか、ここにはない。
――――――巫女か。
誰かの声がした。
今度ははっきりとわかった。
巫女って聞き取れた。
巫女ならばいない。グリザリデに召喚されるのは選ばれし者のみ。
目の前のなにかが、だれかが、そういった。
やっぱり、怒っているようにも、平静を保っているようにも思えるけれど、少なくとも笑ってはいないみたいだった。
「熱ッ」
手のひらの石が反応した。
透明できれいな石がきらきらと光っている。
まるで、よろこんでいるみたい。
次の瞬間、空気がふるえた。
まるで石の輝きに呼応するみたく。
『我が名はアドゥネイス。二千年の咎を背負いしとこしえのバルバロス。グリザリデに誘われし異郷の御子よ、我に何用か』
怒鳴っているのとは違う、威厳のある声。
アタマの中に入ってくるんじゃなくて、ちゃんと面と向かって話してるみたいな肉声。
『もう一度訊く。ポリテイアの生命たるアーリアのアルケーを持つ御子よ、何用だ』
「あ、あのバルバルさん」
『バルバルではない、バルバロス。そして我が名はアドゥネイス。混同するでない』
突っ込んでもらえた。会話になってる。ちょっとうれしい。
「ごめんなさい。アドゥネイスさん、ここはどこなのですか」
『グリザリデ。アルケーに選ばれし者だけが誘われるメタコスミアー』
……よく分からない。
「そ、それでコルヴォちゃんはどこに」
『ここに巫女は来れん。しかしメタコスミアーは一つだけではない。つまりはそういうこと』
どういうことなのか、やっぱりよく分からないけれど、無事なのかな。だったらいいのだけれど。
手の中では石の放つ光りは、熱はさらに増していた。
『滾る情念を抑えられないのだな』
アドゥネイスさんはどこかうれしそうだった。
『して、どうする、異郷の御子よ。アーリアは汝を選んだのだ』
「わ、わたしはどうしたら」
『グリザリデにやって来る前に汝はなにを願った。なにか強い想いを抱いたからこそ、汝はここへ誘われたのだ』
―――さっき、真っ白くなる前にわたしは泣いていた。怖くて、ううん、あの石があまりにきれいだったから。そして祈るように―――
「た、助けたいんです、コルヴォちゃんを、コルヴォちゃんを助けたいんです!」
気がつくとわたしは大きな声を出していた。
自分でも驚くくらい、すごく大きな声。こんな大声を出したのは、きっとはじめて。
「お願いします、コルヴォちゃんを助けてください!」
次の瞬間、また世界が真っ白になった。
*
青い。
天井のない議場。
たくさんの人がいる。
わたしがなにかを叫んでいた。
暗い。
寒い部屋。
誰もいない。
わたしは檻に中にいた。
冷たい。
かたい床。
なにも見えない。
わたしは倒れていた。
グノーティ・セアウトン
声がした。
アタマの中に、ココロの中に、カラダの中にすっと溶け込むみたいにしずかに、ゆっくりと入ってくる、混ざり合う感じ。
グノーティ・セアウトン
アタマがおもい。
ココロがいたい。
カラダがあつい。
グノーティ・セアウトン
目を開けると誰かがいた。
グノーティ・セアウトン
その誰かがいう。
グノーティ・セアウトン
わたしの意識はまた、飛んだ。
Ψ
帰ってきたのか、まったく別の場所なのか。
白い世界の中で腕を伸ばすと、かたいなにかに当たった。
痛くはなかった。
ちょっと突けば壊れそう。
ためしに上部を強く突いてみると、手応えがあった。
なにかにひびが入る音。
もう一度、突くと、なにかが割れて、頭上から見慣れた色が顔を出した。
青い空、白い雲。そしていつもの街の匂い。
世界と世界が混ざり合う。
そしてわたしはなぜか、こんなことを叫んでいた。
突きあげた右腕を上空にかざしたまま、ひと指し指を立てて、自分でも分からないけれど、宣言でもするみたいにそんなことを叫んでいたの。
「我が名はアーリア。澄み渡る空より産まれし最も大いなるアルケーを秘めたる古人。我が名はアーリア。ファレーナ・アーリア」