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第一話

 バティーラは隣国との貿易も盛んな国である。自国の特産品や生産品を売りに商人達が激しく出入りする。ことに王都ベグナスはその中心地でもあり、周辺の国を見渡してもここ程栄華を誇っている都市はない。だが、それも国王の政策転換以降、陰りが見え始めてきたといってよい。

 国王が税率を引き上げた事により、都市住民らの生活は苦しくなった。それに際して窃盗を働く者が続発、減税を望んで賄賂も横行、民心の不満は日を追う事に増し、王都ベグナスは暗い空気に包まれつつあるのだった。

 別の意味でこの状況を心よく思わない者も一部にあった。盗みを生業とする者らだ。金銭面で圧迫を受ける市民らが窃盗に走る様になり、取り締まりが一層強化される事となった。

 ある盗賊なぞ、人の良さそうな老婦人の鞄から財布を抜き取ってやるつもりで近付いて行ったら、前方から巡回の憲兵が数人連れだって来るのに気付き、内心では慌てつつも素知らぬ風を装ってその場を立ち去ったりした。

 そんな具合に街のそこかしこで憲兵の姿が目につく様になり、やりにくくなった世の中に彼等は舌を打つのだった。


 ディルドレンという盗賊もその内の一人かと言えばそんな事は無かった。

 彼は要領が良かった。巡回する憲兵との偶発的接触を恐れるからやりにくくなるのだ。偶発を無くせばなんら恐れる必要など無い筈だ、と考えた彼は、まず憲兵の姿から探す事にした。そうして発見した憲兵の後を密かにつけ、巡回行動が仕事に差し触らないであろう事を見計らった後、取って返して事に及ぶのだった。

 ディルドレンの盗賊としての仕事場は、主に貴族屋敷である。警備の者らが時折配置されている貴族屋敷は、邸宅に侵入する事すら困難である場合が多い。しかし、そこいらの一般住民宅より余程財貨を貯えている貴族屋敷は、腕に覚えのあるディルドレンにとって贅沢な御馳走だ。いくら難しいとはいえ、狙わない手は無いのだ。

 念入りに調査し、家人が留守である事を調べあげると、警備の手薄な時間を見計らって仕事を開始する。案外昼間が盲点である事もある。最近では憲兵が目を光らせているので一旦後をつけ、立ち去るのを見届けた上狙いの貴族屋敷に引き返し、警備の者らの隙をついて敷地内に侵入する。家屋に取り付きさえすれば彼の能力の出番である。

 元鍵屋でもあるディルドレンにかかれば、いかな厳重なる貴族邸宅の玄関扉の鍵であろうと、ものの数分で開錠してしまのだ。

 後はそっと家屋内に侵入、高価な絵画や彫像の類には目もくれずに財貨を狙う。貴族達の傾向で、寝室に保管されてある事は経験上熟知している。寝室の扉も大体施錠されてあるからこれも開けてしまう。室内に入ってすぐ物色。発見した財貨を手に入れたのち、直ぐ退散する。半時間とかからず素早く仕事を終える事から付いた彼の異名が

「疾風のディル」

であった。

 ディルドレン今年25歳。利発そうな若者である彼は、仕事の時も動き易い軽装である。白シャツに皮チョッキ、その上から藍染めジャケットを着てそこいらの青年と何ら変わらないいでたちだ。腰に房付きの長い帯を巻いているが、これも他の青年と変わる所は無い。ただこの帯には細工が施してある。帯を幾重かに巻いてある風に見せかけた作りの実は皮ベルトなのだ。その内側にはポケットがあり、開錠に必要な道具がしまわれてある。一見、何処にでもいる青年の装いを見せるディルドレンの、これが仕事着である。

「よお、ディルじゃねぇか」

 ディルドレンが酒場で一杯引っかけている時、声をかけられたので見ると、真っ黒の口髭が目につく年輩の男がニヤケ面して近付いて来る。

「何だゴルザか」

「つれねぇ言い方だな。しけた面してんじゃねぇかよ、ええ?」

 体格のいいゴルザがテーブルを挟んでディルドレンと差し向かいの席につく。年期の入ったイスが悲鳴の軋みをあげた。

「どうしたんだ?珍しくしくじったのか?」

「そんなんじゃねぇよ」

「なら何だよ」

 と、ゴルザは尋ねた後、酒場の親父を呼びつけた。そうしてブランデーを注文すると再びディルドレンと向き合った。

「疾風のディルらしくもねぇ、心気臭い面してるぜ?」

「お前には関係ねぇよ」

「わかった」

 突然ゴルザは手を打った。

「女だな?」

 ぎくっ、というディルドレンの鼓動が跳ねた音はゴルザの耳には届かなかったものの、ほん一瞬ではあるが動きの止まったディルドレンを見逃す様な男ではない。ゴルザはニヤリとした方笑みを浮かべて

「図星だな」

と、指摘してみせた。ディルドレンは胸の内を言い当てられていまいましくもゴルザの顔を見たが、やがて観念した様子で両手を上げた。

「ああそうだよ。今朝、えらい女を拾っちまってよ」

「えらい女だぁ?」

「ああ。それも飛びっ切りえらい女だ」

「何だそりゃ?」

 訝しげに首を捻るゴルザの脇から、店の親父がブランデーのボトルとグラスを運んで来てテーブルに置いた。親父にチップを渡したゴルザが直ぐ様向き合ると、ディルドレンは今朝の様子を語って聞かせた。


 先日からの調べで、さる貴族が家族共々歌劇公演を観に行く為今日の午前中には留守となる、との情報を掴み、目当ての貴族邸宅にディルドレンは出向いた。

 その貴族邸には警備の者すら配備されておらず、疾風のディルの異名にたがわず、現着から僅か数分後には侵入をはたし、更に数分後には既に事を終えて邸宅を出た。手に入れた財貨は結構な額で、ディルドレンは意気洋々と引き上げたのだが、一旦人気の無い通りに差し掛かって角を曲がった途端、走って来た誰かとぶつかった。見ると、白サテンのハイウエストのドレスで着飾った女で、髪に付けてある羽飾りが高貴な印象をもたせている。

 気を付けろ、との文句のひとつもぶちまけてやろうとしたところ、通りの向こう側から憲兵とはまた違う兵士の一団がディルドレンに向かって殺到しつつある。

 甲冑を纏っているのを見て、正規兵だ、と気付いたディルドレンは、盗賊の性から脱兎の如く逃げ出した。

 本来泥棒の一人や二人の為にわざわざ正規兵団が捕まえにやって来る筈がない。しかし、そんな事を考えるよりも前に体が反応してしまったのだ。

 ディルドレンはそうして大慌てに逃げ出したが、暫く走っているうち

「待って!」

という女の声が背中を打った。振り向くと、さっきの女が追い掛けて来る。ディルドレンの逃げ足に及びもつかない女は引き離されて後方で走っていたが、振り向いて驚いてる内には追い付いて来た。

「追われてるの! 一緒に連れてって!」

「はあっ!?」

 何だこの女は、という疑念は、後方から迫りつつある兵士団を改めて見た事により、とにかくこの場からトンズラかまさないと不味い事になっちまう、という思いに駆られた事で断ち切られた。

 ディルドレンは再び逃げ出した。女の手を引っ付かんで。

 後方からは何の事やら聞き取れない叫びを口々に兵士団が走って来る。ディルドレンは逃走用として頭の中に叩き込まれている裏道抜け道を駆使し、しつこく追って来る兵士団をどうにかこうにかまいたのだった。


 話終えたディルドレンは、飲みかけのビールを一息にあおった。途端に顔をしかめたのは、飲んだビールがすっかり温くなっていたからだ。その様子に苦笑したゴルザがディルドレンに尋ねる。「それで? その女というのは今どうしてるんだ?」

「俺の家にいるさ」

「連れ込んだのか?」

「バッキャロ! 勝手に付いて来やがったんだ!」

 人聞きの悪い奴だぜ。と、思ったディルドレンだが、それは言わずに尚ゴルザに説明した。兵士の一団をまいた後の様子を。


 兵士団の追跡の手から逃れる事が出来た彼等は、三角広場で一息いれた。落ち着きを取り戻すとディルドレンの思考も回復して活発化する。そうなるといっかいの単なる泥棒如き彼が何故、兵士の一団に追い回されなければならなかったのか、という疑問が湧いて来るのだったが、答えは直ぐ側にあるのだ。

 乱れた呼吸も落ち着いたディルドレンは、連れだって逃げてきた女に声をかけた。

「おい、あんたさっき追われてる、とか言ってたな」

「はいそうです」

「あの兵士はあんたを追ってた訳か」

「そうです」

 とんだトバッチリを食ったもんだぜ。ディルドレンは自分の勝手な勘違いである事は脇にどけて、内心女を恨めしく思った。

 ともかく、ディルドレンには関わりの無い事である。どんな事情なのかは分からないが、いずれにせよ、巻き込まれる前にさっさとこの女とはおさらばした方が良さそうであった。

「とりあえず追っ手からも無事逃れる事が出来た訳だし、あんたも今度は見付からん様にするこったな」

 そう言ってディルドレンが、じゃあな、と手をあげて立ち去ろうとした時、女が彼のジャケットの裾をしっかと握った。

「あ?まだ何か用があるのか?」

「あの……かくまってもらえませんか?」

はあっ!?という、大きな声を出しそうになったが、大きな目を見開いて懇願する女の凝視をまともに直視した瞬間、まずいっ、と悟らざるをえなかった。

 女の容姿は飛び抜けた程では無いにせよ、まず綺麗といってよかった。ただそんな外見上の云々はどうあれ、彼女の清んだ瞳がディルドレンの心情に電撃の様な何かを駆け抜けさせたのは間違い無かった。

 ディルドレンは思わず顔を背けた。そんな彼に女は尚、お願いします、という懇願の声をかける。もはやディルドレンは相手の意に背いた意見を吐ける心境ではない。女の瞳から感じとった気品ともいうべき感覚に捕われてしまった彼は、彼女の願いに頷かざるをえなかった。

「ちっ、わかったよ。好きにしな」

 仕方なく連れかえってやるんだからな、といった風の装いをみせるだけが、彼の抵抗の精一杯であった。


「成程。疾風のディルもついに年貢の納め時って訳か」

 話を聞き終えたゴルザがウイスキーのグラスを傾けながら飛ばした毒舌に、ディルドレンも

「まあ、あんたには分からん話だろうな」

と返した。モテた事なぞ産まれてこの方一度もないゴルザは、言葉に詰まった。何とか言い返してやりたくは思ったものの、これといった台詞が思いつかなかったのでやむなく断念した。

 そんな事よりその女である。兵士団に追われてたとなると、余程の事をやらかしたに違いない。自分の家にかくまったのなら、素性も事情も聞き出している事だろう、と考えたゴルザがディルドレンに尋ねた。

「で、何やらかしたんだ? その女は」

「何でも逃げ出して来たそうだ。王宮から」

「王宮?」

「王女様でいらっしゃるそうだ」

「王女様ぁ?」

「ああ。あんたでも王女様の名前くらい聞いた事あんだろ?パールバティー内親王殿下様、だそうだ」

 ゴルザは訝しがった。そんな話はにわかに信じれるものでない。だからゴルザは

「何の冗談だ、それは」

と言ったが、なんら不思議ない事である。

 しかしディルドレンにとっては冗談で済まされない体験もある。女から放たれた気品は尋常ではなかった。本当に王女様だとしても不思議無い気品だ。だからといって直ぐ肯定も出来ずにいるディルドレンは、その事をゴルザに話した上、

「だからこうして酒を飲みに来てんだよ。わかったか?」

と言い放つと、店の親父に二杯めのビールを注文したのだった。


続く

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