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プロローグ

 王都ベグナスの空は気持ち良く晴れ渡り、立ち昇った陽光が燦々と降り注いでいる。常ならば朗かな心地良さを抱く日となったであろう。

 ところが、美と慈愛の女神ティアの祭られる神殿を前に少女の心は晴れぬまま。それもこれもここ数ヶ月、父の様子がおかしいからだ。娘たる自分に対する接し方に温もりが感じられない、というだけでない。

 父は一体どうされたのだろう、と少女は心を痛めていた。

 女官長と侍従達を従え、王宮の敷地内にある神殿を訪れた少女は今、女神ティアに問うつもりだ。心神深い彼女からすれば、女神の慈悲にすがるしか手はないのだ。

 ただ、臣下の者に聞かれるのは少し躊躇いがあった。臣下達にとって父は主君。その父の事を神に問うのは、彼等が抱く父への尊厳に傷をつけてしまい兼ねないからである。

 今日は一人で礼拝しよう。少女は内心でそう決断した。

 少女の名はパールバティー。18歳になったばかりだ。父はこの国、バティーラの王。つまり彼女はこの国の王女であり、更に言えば親王宣下された内親王であった。


 バティーラは立憲君主政の形を取っていた国である。これまでは公正な税制度、公平な裁判が行われ、国内の平和維持を念頭に、まず理にかなった憲法が定められていて、国民の生活も良く保証されていた。それゆえ不平不満の類が比較的少なく、犯罪発生率も抑えられ、平和な国として栄えていた。

 それが突如として変わった。劇的な変貌といって良い。良い方向への変化であったら国民も喜ばしい限りだろうが、人民が落胆する様な変貌をとげたのだ。

 他国からの侵略や、災害に見舞われるなどといった、外的要因から民衆心理の荒廃を招いた訳ではない。ある日、民衆に突き付けられた国王からの布告。憲法の廃止、それに伴う立憲君主政から絶対君主政への移行。これにより、バティーラは君主主動の元、政治の推進が成される様になる訳だが、同時にこれが民衆の暗黒時代到来の幕開けとなった。

 まず税率が引き上げられた。収入の具合、職の有無は考慮の対称とはならなかった。それどころか、ある種の人間だけが減税の対称となった。則ち国王に付け届けを送った者だ。

 高価な物品を献上する者や、そんな物を持ち合わせない貧民階層の者らは自分の娘を国王の側に使えさせようとした。 ただどういう訳か、国王の血縁関係者も血縁というだけでは免除の対称とはならなかった。親類縁者は皆渋ったが、仕方なしに税を受け入れるか、贈り物をするのだったが、その一点だけみれば公平かつ公正であると言えた。

 税率が上がると供に増加したのは犯罪、特に窃盗の類である。それに際して裁判も行われるのだが、ここでも献上物の有無が巾を効かせる様になった。国王への付け届けのあった犯罪者は罪が軽くなるか、罪を解かれるかするのだ。

 そんな不公平な裁決に異を唱える者には厳罰が下された。裁判を取り仕切った者に対して意見しただけであるのだが、それは国王の統治に文句つけた、という事に繋がるという理由で処断の対称となるのだった。

 重い租税に悩まされ、犯罪が横行、裁判も公正さを欠き、異を唱えただけで処罰を受ける、とあっては人心も暗くなる一方である。そんな民衆をよそに、バティーラの統治者は贅沢な暮らしを送っていた。


 国王サラマガーン四世は今年で56を迎える。まだ老け込む年でもなく、若い頃鍛えられた身体は健強そのもので、燃える様な赤い髪がその印象を一層強めている。眉が太く目も大きいのは意思の強さを表しているようであった。

 王宮の自室には豪華な絨毯が敷かれ、名工に作らせたソファーや机があり、壁には名のある画家に書かせた絵画がかけられている。

 朝を迎え天外付きの豪奢なベッドの中でサラマガーンは目を覚ました。上半身だけ起こして軽く頭を振る。昨晩、商人が寄越した年代物の上等のワインを一本丸々空けたが、二日酔いの気配はない。

 横には女が寝息を立てている。貴族から使わされた女である。彼は夜毎事に違う美女と寝台を供にした。体の衰えた様子の無い彼は、性欲の衰えも全くみせない。それどころか前にも増して旺盛であるのだ。

 サラマガーンはベッドから降り立った。よく鍛えられ、引き締まった体にナイトローブを羽織った。

 テーブルに並べられたワインボトルを手にとりグラスに注ぐ。赤いビロードの液がグラスに満たされていく。ボトルを脇に置いてグラスに口をつけた。彼の乾いていた喉を潤す。朝、起きぬけの一杯は格別だ。

 サラマガーンはグラス片手に窓際へ寄ってカーテンを開けた。心地いい朝日が薄暗かった室内に満ちて清々しい気分になる。

 この部屋の窓からは遠く王都の街並みを見はるかす事が出来る。彼の統治する街である。彼の政策は犯罪の横行する治安乱れる街へと変貌を遂げたが、それでも繁華な趣きは一向に変わっていない。

 彼はふと、遠望していた視線を下に向けた。左右の広大な庭に挟まれて石畳が延びる玄関前に兵士どもが集まっているのに気付いたからだ。慌ただしい様子でそこかしこから集まって来た兵士に部隊長が指示を出している風である。何事かの指示が行き渡ると、少人数単位に分かれた兵士どもが散っていった。

 サラマガーンが大して興味をそそられた風でもない目で兵士どものそんな光景を眺めていると、ドアのノックする音と供に

「国王陛下大変でございます」

という声が部屋の外から聞こえてきた。

「どうした、入れ」

 サラマガーンの促す声に

「失礼します」

と入って来たのは、王宮管理官のヘイゲルである。

 入室した初老程の男であるヘイゲルの目に、ワイングラスを持って窓の外を眺めている主君の後ろ姿が写った。

「兵士どもが騒がしいな」

「気付いておいででしたか」

「その事で参ったのだろう。何があった?」

「実は内親王殿下のお姿が見当たらなくなったのです」

 サラマガーンが振り返って返問した。

「パールがいない?」

「はっ…」

 ヘイゲルは事情を説明した。


サラマガーンの娘パールバティーは、起床して食事を済ませた後、必ず王宮の敷地内にある美と慈愛の女神ティアが祭られている神殿へ礼拝に出るのが日課となっている。彼女は今日もいつも通り、女官長と侍従の者を従えて神殿へ赴いた。ただ、今日に限って一人で祈りたいと言い出し、女官長らは拝殿の外で待つ形となった。

 礼拝は大体30分程度で終わるのだが、一向に出てくる様子がない。1時間程しても出てこないので、これはおかしい、と女官長らが中に入ると内親王殿下の姿が見当たらない。慌てた女官長らは手分けして神殿内をくまなく探したが見付ける事が出来ず、仕方ないのでヘイゲルの元に報告した。

「それで兵に命じて探させているという訳か」

「真に面目ない事ながら…」

 ヘイゲルは恐縮の体である。そうして

「必ずや見つけますのでしばしお待ち下さいますよう…」

と頭を垂れた。

 ヘイゲルは主君の逆鱗に触れるであろう事を覚悟したが、意外にもサラマガーンの表情からは怒気の沸き上がってくる様子は見受けられない。そればかりか、事情はわかった、お主に任せるから見付け次第報告に参れ、と穏便に言い渡したのである。ヘイゲルは内心で安堵の溜め息をついた。

 そうして拝命した返答をうって部屋を出ていこうとした。そんなヘイゲルを、思案したのちサラマガーンは一旦呼び止めた。

「その女官長はどうしてるか?」

「はっ、内親王様を捜しに回っていますが…」

「失態の罪は大きい。帰って来次第償わせろ。処置は任せる」

「…仰せの通り致します」

 主君の部屋を出て廊下を歩くヘイゲルは嘆いた。長年よく使えた女官長をヘイゲルは評価していた。だが処置は任せる、としたが、命でもって償わせろと主君は暗に言ってるのだ。

 以前なら長年の勲功に免じて命まで取ったりはしなかったであろう。我が主君の事ながら冷淡といわざるを得ない。

 内親王様に対してもそれは言える。今少し驚かれるかと思ったが、そんな様子など一向に見せない。

 陛下は変わられてしまった、と溜め息をつきたく思ったが、ヘイゲルも命令に背けば自身が危ないのだ。女官長には気の毒だが、殺してしまうしかないのである。

 ヘイゲルはひとつ頭を振った。

 とにかくも内親王殿下を何とかして見付け出さねばならない。

 せっかく穏便に済んだ主君の怒りが、今度は自分に向けられるかも知れないのだ。

 それにしても……と、ヘイゲルの思案は方向を変えた。

 厳重なる王宮の警備に抜かりはない。

 賊の侵入をゆるして姫様を拉致された、などといった思考をヘイゲルは持ちあわせてはいない。

 内親王様はどうしてお姿をくらまされたのだろうか。

その一点が謎であった。

 そして今、その所在はどこであろう。

 王宮から外へ出るには正面大門か裏門を通らなければならない。そうなれば門番の目に留まって然るべきだが今のところその様な報告は受けてない。だから王宮内を探索しているのだが一向に見付かる気配が無い。念の為王宮の外へ出た事も考慮して探索の手を拡げた方がいいかも知れんな、と思考を進めたヘイゲルは、主君の事は一時念頭から外して歩を速めた。


プロローグ 了

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