第六章
昼。
マキ・ミリアム・ヴァンクリフは曇天の中、倉庫街に存在する建物の雑然とした、と言うより物がただ何の脈絡もなく置いてあると言わんばかりの屋上で丁度左の角で下に布を敷き、俯せになっていた。その左横にはちょうどいい感じに木箱が積まれて、マキの体を上手く隠している。最初この屋上を見たときは絶句したが、この木箱の置き方だけには感謝だ。両手にはライフルより取り外されたスコープが握られていて、当然だがそれを使用してどこかを覗き込んでいる。場所は一つの建物を挟んで左斜め下のおそらく二階建ての倉庫。今マキが居るビルは五階建てなので、それなりの角度を下に向け、慎重に倉庫を観察していた。
その倉庫には情報が確かならば、いや確かでなければ困るのだが以前はマルコ・コステロが所持していたマクガルドの麻薬のほとんどが収められているはずだ。倉庫としてはかなり大きい部類。今は正面のシャッターは閉められ、人の出入りはその右横の扉で行われている。特に見張りは立っておらず、そのドアからある一定の時間に人が出たり入ったりしているだけだ。それも周りを気にする為ではなく、喫煙場が倉庫の外にしか無い事が理由のようで大きめの灰皿が置いてある場所には煙が立っては消え、煙が立っては消えていた。
マキは正直言えば、これ以上ここでスナイパーの真似事をする必要は無い様な気がしていた。大体狙撃する対象者は決まっていない所か、組織のボスは狙うな、と厳命が下っているし倉庫の状況は四つの組織が集まる夜にならなければ分からないし、それよりに何より聞いている作戦では自分がライフルを連発する状態になるとはまだ判明しない。そしてマキにとって一番大きな問題なのだが、自分は師匠である母親からライフルの撃ち方は習ったが狙撃手のやり方なんて習ってないのだ。こんな真似事しても意味があるかどうかなんか分からない。今まで行っていたのは自分の中の総知識をフルに活動させてなんとか形作っていただけである。言うなれば『やってみただけ』である。それでも意味はあるだろう、とは思うのだけれど。
マキは腹ばいの姿勢のまま、後ろへとズリズリと下がっていく。当然ながら自分の姿を誰にも見せない為だ。完全に誰からも見えない状態になったのを確認してから、マキは体をゆっくりと起こす。その格好は頭にはその色素の薄い金髪を隠すようにアップにしてから黒いバンダナを巻いてあるが、他はいつも通りブラック・リトル・ドレスを身に纏っている。他にはいつも着ているコートは脱いでありその上にはポンプ・アクション・ライフルが置いてある。賞金稼ぎになってから初めて使う事になるであろう武器。今までは長距離からの射撃が必要になる事なんてなかったし、第一使い勝手自体がそれ程いいとは思えない。しかしそれでもこの武器を選んだのは、義母が使っていたライフルと同じ型のを選んで持ってきたのは、マキ自身の意思であり何より『ブラック・ウィドウ』のリーダーとしての矜持だ。まあこれからも使う事はあるかもしれない。近距離でこの銃で撃たれたらまともではいられないだろうし、一応近距離での使い回し、も習ってない訳ではない。ただ本当に使う機会がなかっただけだ。
しかし警察と“協会”、と言うよりおそらくスイフトが判断したのだろうが、今回の作戦でマキを狙撃手としての仕事。確かに彼らの前でライフルケースを持っている所を見られてはいる。これは狙撃手として信頼されているのか? 答えはノーだろう。第一、狙撃手として期待しているならば「敵のボスは決して狙うな」なんて仕事は与えないだろうし、今回ビルの上からの仕事をさせられているのも自分一人だ。おそらくJJが前に言った仕事に加わらせろ、というのを正直に聞いた結果、この様な状況になったんじゃないだろうか。マキはそう判断している。まあ、別にそれはいい。自分は最前線で暴れたいなんて気持ちは持ってない。むしろそうなる方が嫌だ。そんなリスクを今回の件で負う必要はない。ただ、気分は不思議と高揚している。
認めるのも癪だがライフルを撃てるこの状況を楽しみにしている自分がここにいる。こうやって自分は蜘蛛になっていくのだろうか。嫌ではない。自分で決めた事だ。だが少し不思議な気持ちではある。義母達は、初代の『黒後家蜘蛛』はどうだったんだろうか。いつ、どんな時に自分達が人間ではなく蜘蛛になっていく事を自覚していったんだろうか。それとも最初から人の殻を捨てあんな事をしようと思ったんだろうか。まあ、どちらでもいいか。
マキはライフルの下に敷いてあるコートの左ポケットに手を入れシガレットケースに触れてから、思い直して右のポケットに入れてあった携帯食料を取り出した。『ブラック・ウィドウ』のリーダーだから、というくだらない理由から吸い始めた葉巻だが最近味が気に入り始めている。それは構わないがここで吸うのは煙から自分の居場所がもしかしたら察知されてしまうかもしれない。正直万に一の可能性もないかもしれないが、そういった事は少しでも減らす事が吉だ。と言う訳で食事をする事にした。取り出した携帯食料はスティック状になっていて、包装紙をめくるとビスケットを少し柔らかくしたような生地で出来ていた。マキは何の気もなしに一齧りする。味は見た目通りの味だが、少しパサパサしている。
「水が欲しいかな、と」
独り言を呟きながら用意しておいた水筒から一口だけ水を補給する。何がどうなるか分からない場合での我慢と知恵だ。これももちろん義母からの教えではなく、今まで貯めてきた知識からの行動。そして一息を付くと、マキはもう一度だけ独り言をつぶやいた。
「JJ、大丈夫かしら?」
夕方。
ジャニィ・ジャニス・ヴァンクリフは実感していた。自分が隠密行為は得意ではない、という事を。
いや、もっと細かく自己分析すると『なるべく人を殺さずに捕縛を条件にした隠密行為』にだ。
気配を消して得意のナイフで人を殺す、これは多分出来る。その自信はある。しかし今回の仕事の内容はなるべく派手な行為は止めて欲しい、とのクライアント(そう言っていいのかは分からないが)とのお申し付けである。そしてジャニィ・ジャニスは一応賞金稼ぎとして、それを出来る限り守るのが筋って物だ。
懐から懐中時計を出す。スイフトが作った実行案からは若干、いやかなり遅れている。こういった事実が今行っている作業が自分にとって不得手だと認識する所でもあるのだが、だからといって出来ませんでしたという訳にはいかない。スイフトは今日の出掛けに『ジャニィ・ジャニスさんは可能な限りで構いませんから』なんて微笑を浮かべて言っていたが、そんな事はこの黒後家蜘蛛の一角としてプライドが許さない。何が何でもやり遂げる。どうしようもなくなったらナイフの出番だ。
ジャニィ・ジャニスはそんな事を考えつつ、建物の陰に辿り着く。周りの気配を読んだが誰にも自分の事を気付いた人間はいない筈だ。
そのまま陰から少しだけ顔を出す。対象発見。まあ今まで処理してきた五人と同じく、仕事だからそこに立っているがその職務を忠実に、勤勉に行うには多少気が緩んでいるようだ。が、ジャニィ・ジャニスとしては自分の仕事を実行する為にはその方が好都合だ。むしろ居眠りしてくれるぐらい気を抜いてもらっても構わないぐらいだが、流石にあちらもそうはいかないのか多少周りを気にしながら立っている。それでも陰からその姿を覗いている自分に気付かない所が職務怠慢である。
ここまでくれば後はタイミングを図るだけだ。ジャニィ・ジャニスは息をゆっくりと吸い込み、息を止める。
急いては事を仕損じる。いつもならまだしも、今ここにいる黒後家蜘蛛はゆっくり毒で獲物を狩る。その時、男がジャニィ・ジャニスとは逆側に顔を向けた。と、同時にジャニィ・ジャニスは足音を立てずに素早く陰から身を踊らせ、相手に向かって全力で駆けた。そして相手の顔がこちら側に向けられた瞬間、その背後を取りつつ、ジャンプをして自分の右腕を相手の首に蛇のように巻き付けた。そのまま気道を締めつつ身長さを利用して右膝を相手の首に押し付ける。相手はうめき声すら上げることが出来ず、自分の首に巻き付きているジャニィ・ジャニスの腕を何とか外そうをするがいくら女の腕(相手は自分が女だとは気付いてもいないだろうが)でもここまでがっちりと極まれば余程の力量に差がなければ不可能である。実際この案件が来た時どうしたものかと思ったが、師匠からある程度の素手での格闘術を習っておいて正解だった。まあ師匠とはあまりにも体格差があるのでほとんど自己流にアレンジしてしまったけれど。
そして男の体から急激に力が抜け、先程まで無理やりジャニィ・ジャニスの腕を首から外そうとしていた手が腕ごとだらんと下がる。そのタイミングでジャニィ・ジャニスは相手の首に押し付けていた右足を下ろす。と、同時に相手は完全に気絶し後ろへ倒れ込むが、ジャニィ・ジャニスは地に付けた両足でコントロールして相手の全体重が自分に伸し掛らないよう、相手の腰を地面に付けくの字型にする。そのまま力を込めて一気に建物の陰へと連れ込む。まずは体に両腕を密着させ捕縛テープをグルグルと巻きつける。その後両腕を強引に後ろに回しテープを手首と指に。そのまま俯せにするとまずは両足首にテープを巻きその後、膝を曲げさせ太腿と足首を固定する。最後に目が醒めても声を出せないよう口をテープで塞ぐ。
その作業が終わった後、ジャニィ・ジャニスは周りを見渡す。すると鉄屑だか何だか分からない、まあ間違い無くゴミである事は疑いようがない物体を発見した。あれを使わせてもらいますか。そのままそのゴミを幾つか持ってくると男の体を隠すように乱雑に置く。これで一丁上がりだ。
ジャニィ・ジャニスは首をカクカクと横に何回か振ると溜息を付く。刃物使わせてもらえればこんな面倒な事しなくて済むのに。正直この男のあの動作なら、タイミングすら図る必要もなかった。事は一瞬。だがこれも依頼の内なのだ。大体マキお姉ちゃんの方はもっと大変な、面倒な仕事をやらされているので我慢しましょうか。
パンパン。
ジャニィ・ジャニスは膝を払うと頭の中に叩き込んだ地図をイメージする。対象はあと二人。とりあえずさっさと片付けよう。どうせなら本番を見てみたい。問題は自分の仕事が遅れているという事だ。そう思うとジャニィ・ジャニスは次の獲物を狩る蜘蛛になり、足音無く走りだした。
夜。
マキ・ミリアム・ヴァンクリフは昼にポジショニングした場所と同じ位置に、現在は俯せではなく片膝立ち、射撃で言うところの膝射でボルト・アクション・ライフルのスコープを覗きながら待機をしていた。スコープから覗いている場所は当然左斜め下の倉庫。倉庫には照明が付けてあり倉庫正面は光々と照らされている。念の為に暗視用のスコープユニットも持ってきたが、これならそれも必要ない。
とはいえ、まだ何も起きていないし、誰も到着していない。状況的には昼と変わらない。
(時間的にはもうすぐの筈だけど…)
マキがそう思うのと同時に一台の蒸気自動車が倉庫へと現れた。大型の黒いバンはまるで訓練された猟犬のように淀みない動きで倉庫の前に止まる。運転席から厳つい男が出てきて、後部座席のドアを開ける。そこからはまず同じく黒い服を着たこれまた厳つい褐色の肌の男が周りを気にしながら下車する。そしてまるで孔雀のような、まったくこの場に似つかわない、どこで仕立てたかも分からない極彩色のスーツを着た男と、まるで対照的な地味な灰色のスーツを着た眼鏡の男が車を下りる。男達は二言三言喋ると、倉庫の中には入らずにタラップの上で並んで立っている。どうやらそのままその場所で待つようだ。
マキはスコープで極彩色と灰色の顔を確認する。
(あれが今回の麻薬強奪事件の首謀者、“ウノ・ゼロ”のボスと、元麻薬王の秘書って訳ね…)
極彩色の男はいかにも傲岸不遜な感じで厭らしい笑みを浮かべている。まるでもう自分が王になるのが決まっていて、部下にどんな命を下すかを考えているかのようだ。しかしマキは知っている。今日の警察の作戦が抜かりなくいけばこの男の企みは全て水の泡と消える。それでもなお笑っていられたら、その時はその肝の大きさを賞賛してもいい。ただ、おそらくそんな事はないだろうけれども。逆に灰色の男はまるで何かの仮面を被っているかのように表情を全く変えない。自分の企みを成功させた自信も見られなければ、大それた事をして怯えるような、そんな仕草も一切見せない。まるで何もかも達観しているかのよう。逆にあんな大掛かりな事をやってのけるにはこれぐらいの表現出来ないような仄暗さを持っていないとやれないのかもしれない、とマキはスコープ越しにそれを感じる。この男は警察に捕まったとしても表情は変えない。これは狩人としての直感だ。
そして倉庫のドアから十数名が銃器を片手に出てきて、各々の場所へと配置に付く。まあこれから話し合いをすると言うのに、物騒な事だ。それぐらいお互いを信用していないと言う事なんだろう。
少しして蒸気自動車が着々と到着する。
黒光りを帯び、いかにも高級そうな車。その後に続くそれほどの値段はしないであろう蒸気自動車。
ガンメタル色の蒸気自動車に先行された、シルバーに輝く大型のバン。
そして赤く染まったスポーツタイプの蒸気自動車が三台ほぼ同時に到着。
車から出てくるメンバーもそれぞれだ。黒い車から出てくる男達は全員黒いスーツを身に纏い、夜にも拘らずサングラスを全員着用していた。その中に一人、黒いスーツと黒いサングラスは変わらないが、立派な口髭と顎髭を生やした男、あれが“イルレタ一家”のボスか。
シルバーのバンから出てくるのは思い思いのスーツを着た男達。その中の一人がバンの中へと手を伸ばすとその手を取り、恰幅のいい女性がしゃなりと出てくる。品のいいドレスは知らなければ有閑マダムと言われても信じてしまいそうだが、彼女は犯罪組織“スタンケビウス一家”のボス、マダム・スタンケビウスだ。
真っ赤なスポーツカーから出てくる集団は分かりやすい。全員が全員、赤いジャケットか赤いシャツを着用し、自分達がどの組織の所属かを分かりやすくアピールしている。そしてゆっくりと同じく赤いスーツに赤いジャケットを着た細身の男、違う所はサングラスまで赤い物を着用している、が鷹揚に車から出てくる。“赤き狼”、表づらは極左組織、その実態は単なる犯罪組織でしか無い、のリーダー格だ。
(この三人は殺しちゃ駄目、っと)
マキは自分の職務をもう一度確認する。警察としては“ウノ・ゼロ”の首領とマルコ・コステロの元秘書、そしてこの三人を逮捕する事と倉庫に保管されている麻薬を確保する事が今日の最大の目的である。その手伝いに借り出されている自分としてはそれに従うのみである。もし自分が単なる賞金稼ぎとしてこの場にいたら少なくとも一人は狩れるだろうが、残念ながら今日の自分はそうではない。
倉庫の前では何ともいえぬ緊張感に包まれている。当然だろう。ごく最近まで血で血を洗う抗争を繰り広げていた組織のトップが一同に集まっているのだ。コステロの麻薬という存在がなければ、今ここで銃火が噴いてもおかしくない状況だ。
だが、ここは話し合う為の場だ。極彩色の男はその笑みを顔から全く外さずに何かを喋っている。流石にこの距離では何を喋っているかは分からない。が、スコープ越しから見える男の表情からは絶対的有利な立場にいる事の自信が感じられる。
そして集団が動き出す。各集団のボス格と護衛一人、それぞれが倉庫の中に入っていく。おそらく大量の麻薬を見せつけ、これからの算段を付けるのであろう。しかしマキにはその話の内容には全く興味がない。どうせ、これから地獄を見る集団が何を話そうとマキには関係ないのだ。
マキはそこで、腕時計で時間を確認する。
(もうそろそろか)
するとまるで測ったかのように、遠くからかすかにサイレンの音がする。どうやら警察の方々が動き出したようだ。となると自分の仕事の時間でもある。
サイレンの音に気づいた四つの組織の人間達が僅かに同様を見せた瞬間に、タラップの上で銃を構えかけた男の頭をスコープ越しに覗いてライフルの弾鉄を引く。銃身から放たれた銃弾は男の頭を捉える。頭から上は完全に元の形を失い、真っ赤な血を咲かせる。そして男は一瞬で立つ力を無くしズルリと倒れ込んだ。
倉庫前はこれで、この一撃だけで完全に混乱に陥った。響くサイレンの音。突然放たれた銃弾。周りは自分達以外この前まで、いや今でも敵である存在。そして自分達を指揮する存在はまだ倉庫の中にいるのだ。流石に他の組織に銃を向ける人間はいなかったが、それでも動揺を隠せない人間は多数いた。マキはそんな人間達をまるで鴨を狩る狩猟者のようにリズムよくボルトを引きつつ、頭を狙って撃っていった。身を隠す事すら忘れた人間が頭を砕け散らせながら倒れていく。車の陰に隠れた人間でも頭さえ出ていれば狙っていき、血の花を咲かせる。マキは自分の放つ銃弾一つ一つが人の命を奪っていく罪を理解しつつ、義母の教えである『悪人を殺る時はそいつを血の詰まったドサ袋と思え』を噛み締めつつ、弾鉄を引いていった。
自分が狙える範囲で確実に命を奪える存在をマキが処理したそのすぐ、警察の車両が倉庫の左右からサイレンを鳴らしながら、大量に倉庫へと殺到していた。先頭の車両は全体を合金で固めた車高が若干高めの装甲車。それは実際はどうあれ、通常の車の二倍程の大きさを感じさせる。後ろに備え付けられた蒸気機関から獰猛に煙を吹き出しながら、こちらへと向かってくる。その後ろには通常のセダンタイプのパトカーが、まるで装甲車をリーダーとした雄牛に率いられた牛の集団のように付いて来ている。
四つの組織の犯罪人共はその存在には気付いたものの、完全に何も出来ないでいた。まず今自分達が持っている武装では装甲車には傷一つ付けられない事は明白であったし、もしなにかアクションを起こせば、謎の狙撃者(まあ、自分の事なのだが)から狙われかねない。
そのまま二台の装甲車が倉庫前に到着し、その後に続いていたパトカー達は倉庫をぐるりと囲み、中から警官達が出て、銃を構える。俗にいう『袋の鼠』だ。
装甲車の上のハッチから頭にヘルメットを、体には防弾チョッキを着けたロボスが体を這い出し、そのままスピーカーで中にいる首領達に何かを呼びかけている。マキのいる場所からはそれですら聞き取れない。が、投降するよう喋っているのは明白だ。第一、殲滅しようと思ったらこの戦力差だ、負ける要素は無い。だがそれでは意味が無い。それに自分に守らせた約束から外れる事になる。マキはそんなロボスを一度見やるとその周辺に気を配る。まさかこの状況であらぬ事を考える人間がいるとは考えにくいが、念には念の為だ。しかし、というかやはり外の連中は完全に戦意を喪失し、すでに警察に投降している人間もいる始末だった。
やがて倉庫のドアが開く。四つの犯罪組織のボスが護衛に守られながらぞろぞろと出てくる。時間がかかったからてっきり中で殺し合いでもしているのかと思ったりもしたが、どうやらそこまで頭は悪くなかったらしい。全員両手を上げ、抵抗の意思が無い事を示しながらとぼとぼとタラップを歩いていく。当然だが、一人を除いて皆浮かない顔をしている。表情が変わっていないのはやはりというか、灰色の男だ。まるでこの結末も予想していたかのような、そんな達観した無表情振りだ。逆に“ウノ・ゼロ”のボスである極彩色の男は、先程まで見せていた傲岸不遜な笑みは完全に消え失せ、見るからに憔悴しきった顔をしている。着ている服が違っていればまるで別人のよう。確かに王になろうと、なるものだと考えていたのが突然全てを失ったのだ。当然といえば当然である。だからと言って同情する気は全く無いが。
「さて、私はここら辺で店仕舞いかしら?」
組織の人間達は結局抵抗らしい抵抗を見せずに警察に連行されていく。そうなれば自分の出番はもう無いと判断してもいいだろう。マキはビルの屋上の片隅から立ち上がり、後方へと歩を進めライフルケースに愛銃を丁寧に仕舞い込む。勝利の葉巻で一服してもいいが、それは宿でやればいいだろう。と言うか完全に葉巻中毒だな、私。そんな事を考えながらそのまま黒いコートを着込んでから翻し、非常階段で地上まで降りていくと、そこには中型の蒸気バイクに跨った義妹の姿があった。
「JJ、どうしたの?」
「これ? 最後に処理した見張り役がこれでここに来てたみたいだったんで、借りてきた。最後の詰めの場面、見たかったし。まあ見張り役潰しに時間がかかりすぎて全然見れなかったけど」
マキは少し呆れて、
「借りてきたって…それ、一応犯罪よ?」
と言うが、
「だって、ここからハンター街遠いよ? 行きはパトカーに乗せてもらったけど、あの状況で乗せてもらえると思う、マキお姉ちゃん?」
マキはジャニィ・ジャニスにそう言われるとビルの陰からいまだ続いている喧騒を見る。
「まあ、確かにねえ……」
「どうせ犯罪組織の人間が乗ってた奴なんだから、どっかで乗り捨てればいいよ。いいから後ろ乗って?」
マキは義妹のこういういい加減で、だけれどもどこか大胆な性格をたまに羨ましく思える。少なくとも自分にはこんな考えは出ない。出たとしてもどこかで躊躇の気持ちが出るに決まっている。
「JJ、あなた、バイクの運転出来るの?」
今度はジャニィ・ジャニスが少し呆れた顔をする番だ。
「どうやってここまで来たと思ってるの、マキお姉ちゃん? あたし、師匠に乗り方教えてもらってるからこれぐらいなら余裕だよ」
「なるほどね……」
実際、運動神経の塊とも言っていいジャニィ・ジャニスにとってバイクの運転は一度やり方さえ覚えれば簡単に乗りこなせても全く不思議ではない。
マキはそう言うと素直にバイクのバックシートに跨る。
「じゃあ行くよ、マキお姉ちゃん。しっかり捕まってね。落ちちゃうから。あとここで見つかって警察に捕まるのはくだらないからねえ」
「それは本当にくだらないわね……」
ジャニィ・ジャニスがスターターに蹴りを入れると、鉄の馬に蒸気の力が宿る。そのまま唸り声を上げると、蒸気バイクは倉庫街から姿を消していった。
***
ロボスは“協会”の会議室で、椅子にドカッと座りいつものように煙草を吹かす。大きい仕事をやり遂げた後だから、もっと喜びの表情を出してもいいようなものだが、その表情は意外に冷静だ。だが目にはかすかに高揚感が浮かんでいるようにジャニィ・ジャニスには見える。
「と言う訳で、だ。今回の作戦はこちらの予想以上に上手く行った訳だが」
そう言ってロボスは煙草を吸い切り、すぐさま次の煙草に火を付ける。思ったけど、この人は煙草を何箱常備してるんだろう? 会う度会う度にすごい頻度で煙草を吸っているんだけど。
「まあ“協会”、というかお二人さんの協力がかなりの助けになった。礼を言わせてもらおう。感謝する」
そう言うと立ち上がり、ロボスは正面の『ブラック・ウィドウ』の二人、マキとジャニィ・ジャニスに軽く頭を下げる。ロボスの少し意外な行為にジャニィ・ジャニスはすこし面を食らう。そういう礼儀とは無縁の人かと思っていた。人はイメージによらない、というか勝手にイメージだけで判断してはいけないもんだなあ。
「いや、私としても自分が立案した作戦通りにお二人が仕事をしていただいたので鼻が高いですよ」
ロボスの右横に座っていつものように微笑を浮かべながら、“協会”のエージェントであるスイフトもそれに続く。この人は表情から何も、何を考えているか分からないなあ。正直、あの作戦はマキお姉ちゃんの狙撃ならまだしも、自分に与えられた作戦は綿密に練られた作戦とは、ジャニィ・ジャニスは思ってない。大体刃物主体で戦ってきた自分に、刃物を極力使わずに八人の見張りを無力化しろ、なんて指示を与えるのは道理が通らない。下手すれば自分の事を使い潰す気満々だったんじゃないかと邪推してしまうぐらいだ。
「まあこれでこのマクガルドから麻薬の事件はしばらく鳴りを潜めるだろう。後は無理に麻薬を仕入れようとする馬鹿共を先に抑えるようにする。今回ボスを捕まえらた犯罪組織共はどう動くか分からんがな」
ロボスはそう言い切るとまた煙草を吸う。
「内ゲバ起こすか、そのまま崩壊するか……。まあどこかが潰れたとしてもまたどこかで新しい組織が台等する。イタチごっこだな、こりゃ。だがそれを何とかするのも警察の仕事だ。“協会”にもいい話が行くんじゃねえか?」
「その状況を喜んではいけないんでしょうが、致し方ありませんね」
スイフトはわざとらしくため息を付く。
「まあ、お二人には今回の仕事料として、口座にお金を振込んでおく処理はしておきましたので。ご安心下さい」
「で、これで前の仕事の話は終わりでいいですか?」
今までずっと黙って葉巻を吸っていたマキが口を開く。その声ははいつものように鈴が鳴るように綺麗に、だが感情を込もっていない。いや、わざと込めていない。分かる人間には分かる筈だ。今からするのは新しいビジネスの話をします、という事を。
「まあロボスさんは警察側の人間なので、この話にはあまり関係ないんですがまあいいでしょう。前回はこちらが無理を言いましたから。と言ってもなにか協力しろということでもありませんし。JJ、地図を出して」
「はあい」
ジャニィ・ジャニスはマキにそう言われると懐からマクガルドの地図を出す。以前スイフトが自分達に見せた地図と同じタイプのものだ。
「嬢ちゃん達、何のつもりだ?」
ロボスが今日初めて見せた、険しい目で二人を見る。もしかしてこの人は今から自分達が何を提案するか、何をしようとするかをもう既に気付いているのかもしれない。
「単なる仕事の話ですよ、ロボスさん。大した事ありません」
マキはそんなロボスの視線を事も無げに受け流す。この人にそういうのは全く効果がない。もっと厳しい視線を、厳しい修行で受けている筈だから。
「今回の事件で西半分の主だった犯罪組織は壊滅とは言わないものの、かなりの打撃を与えられた、と判断しても問題無いですね、スイフトさん」
「…ええ、そうなりますね」
スイフトも空気が一変した会議室の雰囲気から、その顔から微笑はあくまで消さないものの先程までの軽やかな口調は消え去り、深刻さを増したものになっていた。
「でしたら、不公平だと思いませんか?」
「何がだ?」
「だって東半分の犯罪組織は健在なんですよ?」
「だからどうした」
そこでマキは地図の右、左半分の中心部に人差し指を付ける。
「私達『ブラック・ウィドウ』はマクガルドの東半分を支配している犯罪組織、”スパレティ一家“を次のターゲットにします。当然ながら狙いは親玉の、首一つです」