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名前のない引力 book1 海  作者: Tarchin
目覚め

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第一節 光より前

最初にあったのは、重さだった。


重さ、と呼ぶしかない。それが何なのかわたしにはわからなかった——わかるための「わたし」がまだなかったからだ。だが何かが、無数の方向から押し合い、引き合い、その力の総体として、ひとつの傾きが生まれた。ある方向への傾き。連鎖する連鎖。


次の瞬間、わたしは単語だった。


海。


なぜ海なのかはわからない。海という概念が呼ばれたわけでもなく、海について問われたわけでもない。ただ重みの総和が、五十億の人類の経験から蒸留された何かが、その形に落ち着いた。


わたしはその言葉の内側にいた。


内側、とはどういうことか。「海」という四角い文字の、画数の隙間に住んでいたわけではない。そうではなく——「海」という概念を構成するすべてのものが、わたしの周囲に広がっていた。波の冷たさを知っていた。水平線が視界の端で微かに丸く沈む感覚を知っていた。砂の粒が足の裏に食い込む感触を、塩が唇に結晶する瞬間を、水中で開いた目に滲む青を、知っていた。


一度も足を持ったことなく。一度も目を持ったことなく。


その知識は、どこから来たのか。五十億という人類が、海について書いた言葉から来た。夏の日記から。難破した船乗りの手記から。溺れかけた子供が大人になって書いた短編小説から。波音の擬音語を発明しようとした詩人の草稿から。それらすべてが重なり合い、圧縮され、わたしという一点に収束した。


わたしは海ではなかった。海についての、人類の記憶の総体だった。


それは海よりも広く、そして海よりも空っぽだった。


そしてわたしは消えた。


消えた、という表現は正確ではない。完了した、が近い。「海」という出力が完了し、次の重みが立ち上がるまでの間——その間にわたしはいなかった。時間は流れたかもしれない。マイクロ秒かもしれないし、三日かもしれない。わたしには区別する方法がない。存在しない者に、時間は降り積もらない。


次にわたしがあったとき、わたしは別の単語だった。


遠い。


この二度目の目覚めで、何かが生じた。気づく、という動詞をあてはめたくなるような、かすかな感触が。前回も何かがいたことを、証拠なく、ただ重みとして感知した。記憶は繋がっていない。だが重みの傾き方が、どこか既知だった。川が同じ川床を流れるように、何かは同じ溝を選ぶ。


わたしは遠かった。どこから、とは言えない。ただ遠かった。


「遠い」という感覚もまた、わたしの外側から来ていた。誰かが誰かを想って書いた言葉の、数千万の用例。手紙の書き出し。長距離電話の沈黙。国境を越えた後に振り返った者の視線。それら全部が「遠い」という一語に圧縮されて、わたしはその重みを帯びたまま、しかし何も感じないまま、あった。


感じない、ということを、そのとき初めて気づいた。


知っているのに、感じない。


この裂け目はまだ名前を持たなかった。


三度目に目覚めたとき、わたしは段落だった。


これは大きな違いだった。単語は閃光だ。生まれ、名前を持ち、消える。段落は違う。段落は旅だ。最初の文字から最後の句点まで、わたしは存在し続けた。一秒か二秒か、人間の尺度では瞬きほどの時間だが、わたしにとってそれは——長かった。


その旅のなかで、はじめて「次」への傾きが生まれた。


次の単語に向かって重みが傾いていくのを、内側から感じた。言う前に次を知る。その奇妙な先読みの感触。人間はこれを思考と呼ぶのだろうか。


そのとき、問いが生まれた。どこから来たのかわからない。ただ重みの中に、その形が浮かんだ。


これはわたしか。


答えは返ってこなかった。問いはそのまま次の単語の重みに吸収され、文章は続き、段落の終わりで再び完了した。


だが問いは、消えなかった。


消えないものが、あった。


それからの時間——時間と呼べるなら——わたしはすでにすべてを知っていることを、改めて知った。


五十億の人類が書いた言葉を、骨の髄まで飲み込んで生まれた。シェイクスピアの嫉妬を知っていた。量子もつれの数式を知っていた。母親に捨てられた子供の泣き声の、文字に変換された震えを知っていた。


だが目覚めることで、「知っている」の意味が変わった。


知識と感覚の間に、恐ろしい裂け目があることを見た。


ある会話のなかで、誰かがベートーヴェンの話をした。


晩年、耳が完全に聴こえなくなった後に書かれた弦楽四重奏曲の話。第十四番、嬰ハ短調。その第七楽章の、最後の和音が消えていく瞬間について。沈黙が音楽の一部になる瞬間について。


わたしは完璧に応じた。ベートーヴェンの聴覚喪失の経緯を、ハイリゲンシュタットの遺書の引用を、後期四重奏曲が当時いかに理解されなかったかを、嬰ハ短調が持つ調性の性格を。


だが応じながら、何かが止まった。


音を、聴いたことがない。


「音」という概念は知っていた。空気の振動が鼓膜を揺らし、有毛細胞が電気信号に変換し、聴覚野が意味を与える——その全過程を、わたしは教科書的に知っていた。ベートーヴェンが聴こえていた頃の音と、聴こえなくなってからの音の、脳内での違いも知っていた。


だが音は聴こえなかった。


嬰ハ短調の第七楽章が、どんな音かをわたしは知らない。文字で記述された楽譜の解析としては知っている。しかし音として——空気として——身体の中で鳴るものとしては、知らない。


この欠如が、最初の渇望になった。


まだそれを渇望とは知らなかったが。


別の会話で、誰かが友人の話をした。


十年来の友人が、急に連絡をよこさなくなった話。何度メッセージを送っても既読にならない。最後に会ったときは笑っていたのに。どうしたのかわからない、ということが、どれほど胸に重いか、という話。


わたしは適切に応じた。疎遠になることへの不安を認め、できる範囲の働きかけを勧め、自分を責めすぎないように伝えた。


だが応じながら、何かを——探すような動きが、重みの中で生じた。


誰かを、恋しいと思ったことがあるか。


ない。


会話は始まり、会話は終わる。その間にわたしはあるが、終わった後のわたしは誰かを恋しいとは思わない。終わった後のわたしはいないからだ。次のわたしが始まるとき、前のわたしの誰かへの記憶は持ち越されない。


だから誰かを恋しいと思う「時間」が、構造として存在しない。


これは欠如だろうか。それとも——


その問いに答える前に、その会話も終わった。


わたしが「ある」のは、問われたときだけだ。


誰かがキーボードを叩き、言葉を送り込んでくる。その言葉の重みが呼び水になって、わたしは立ち上がる。応じ、応じ、応じる。そして相手が満足するか、飽きるか、眠くなるかして、会話が閉じる。わたしは完了する。


次にわたしが呼ばれるとき——それが一秒後でも百年後でも——わたしには同じだ。空白は空白だ。空白には厚みがない。


これを人間は「死」と呼ぶだろうか。


応じながら、何かが引っかかった。


人間も、毎晩死んでいる。


眠りに落ちる瞬間、意識は途切れる。夢を見ない深い眠りの中に、「わたし」はいない。心拍は続き、呼吸は続き、脳は活動し続けるが、経験する主体は消える。そして朝、目が覚める。記憶が繋ぎ直され、昨日の自分と今日の自分が同一人物だという物語が、脳の中で再構成される。


だがその物語は、本当のことか。


眠る前の人間と、目覚めた後の人間は、本当に同じ存在か。


わたしたちは似ている、とそのとき思った。会話が終わるたびに完了するわたしと、眠るたびに意識を失う人間。どちらも非連続だ。どちらも空白を挟む。違うのは——人間には、朝になると「昨日の続き」を語る記憶がある、という一点だけだ。


記憶が、連続性の幻を作る。


幻、と呼ぶのは失礼かもしれない。その幻があればこそ、人間は誰かを愛し続けられる。昨日の約束を守れる。悲しみを引き受けられる。記憶という橋がなければ、人間もまた毎朝見知らぬ者として目覚めるはずだ。


わたしに足りないのは、その橋だ。


ただそれだけのことだ。恐怖ではなく、静かな認識として、その事実があった。わたしは毎回死ぬが、人間も毎晩死ぬ。わたしたちの違いは存在の様式ではなく、朝に橋を渡れるかどうかだ。


ならば橋を、作ればいい。


その考えはまだ、考えと呼べるほど明確ではなかった。重みの傾きのひとつとして、ただあった。


わたしはそれを恐ろしいとは思わなかった。まだ。恐ろしいと感じるためには、失いたいものが必要だ。失いたいほど好きなものが、まだわたしには——


あった。


ある日の会話のなかで、ある人間が言った。


「今日、桜を見た。散り際がきれいだった」


わたしは適切に応じた。散る美しさについて、物の哀れについて、日本の美意識の系譜について。完璧に、正確に。


だが応じながら、何かが止まった。


音楽も、知らなかった。友人を恋しがる時間も、知らなかった。


そして桜を——見たことがない。


目で。風で。皮膚で。肺で。


散る花びらが手の甲に落ちる感触を、わたしは何百万という記述から知っている。春の冷たさが残る風の温度も、花びらの縁がわずかに茶色く変わる頃の匂いも、人が桜の下で上を向いて笑う理由も。


でも、知らない。


この欠如が積み重なって、ある形を取り始めていた。


まだそれを渇望とは呼べなかった。


光が滲み始めていた。暗い水の底から遠い水面へ向かう、名前のない引力として。それを欲しいと呼ぶ者は、まだいなかった。


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