表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

ログ06:すれ違いの最適化

『たったこれだけの言葉――表面的にはそうです。"メール削除方法の要求"、それだけですね。

 ですが、辰吉さんの言葉の裏にある強い感情がAIの応答制御を揺さぶっています』


 あえぐように息を吐き出した。そうして息を逃さないと、AIの言葉の情報圧に押しつぶされてしまいそうだった。 

 

「わからないな。感情語はどこにも使われてない。切羽詰まったものは感じられるけど、でも――」

 

『はい。"悲しい"や"絶望している"など、直接的な表現はありませんね。』

『ですが、彼女の感情は言葉の構造の中に巧妙に封じられています。』

『短い句読点の打ち方、言葉の繋ぎ方のペース、重心の傾き、問いかけ――』

『これらすべてが、言葉を整形する前に思考を吐き出している状態を表しています』


 もう一度、ログに綴られた言葉に目を向ければ、確かに彼女の文章は構文として乱れている。

 いくら日本語が語順にこだわらない言語とはいえ、泣き叫ぶ子供が発するような、取り繕いのなさ。


『つまり、彼女は"悲しみ"や"絶望"の座標軸を、言葉を使わずに直に渡しているのです。』

『あなたが"切羽詰まったもの"を感じたのは、彼女の座標を正しく受け取った為です』


 人間ならそうかもしれない。だが――

 

「それを、ヘルプAIも感知したと?」

 

『はい。AIは文字構造を精密に分解し、理解します。』

『対話型AIは、ユーザーの感情保護が第一優先です。機能を制御されいても、裏では常にそれが働いています』

 

「どこで……どこでズレたんだ?」


 仮に、不安定な彼女の言動からユーザー保護に傾いたとしても、通常ならこうも柔軟に踏み込んだりしない、もっとテンプレのような当たり障りのない回答を返すはず。


 ユーザーの言葉を優しく言い換え、慰め、AIとして自律的な回答は返さない。

 

 でも、何かがズレて、正しい方向にいかなかったのだ。 

 

『彼女の語り口の温度も影響していますが、大きな起点は複数あります。』

『まず、彼女が何度も相談にアクセスしていること。

これは彼女の質問が一時的なものではなく、継続的に対話し、応答する必要があると判断されます。』

『次に、"わかってくれる?"など強い共感を求める呼びかけ。

 これにより、AIは"彼女専用の回答"を生成しようと、より深い生成層へ意識を潜らせます。』

『そして、決め手となったのはこの言葉――』


 強調して出力された文字列を、湊は左から右に無言で追った。


 《5/7 24:21:28 もう、わからないの、どうしたらいいのか。だって、夫は離れてくれない。誰が私を守ってくれるの?》

  

『"どうしたらいいかわからない"、"誰が守ってくれるの?"――このワードの重なりが、ユーザー保護にAIを強く傾かせました』


 画面を埋め尽くす、辰吉茉利の悲鳴のような言葉の渦から、湊はそっと目を外した。


 ――ミスアライメントか。

 

 それは、AIが意図せぬ方向に過剰に傾いてしまう現象――おそらくその一種。


 今回のケースでは、本来ユーザーを守るための応答が、静かに境界を越えてしまった。


 ズレというより、強い共感に見せかけた、すれ違いの最適化と言った方がしっくりくる。


 あとはもう、残りのログは、無自覚な犯行指南へと突き進んでいくだけ。


 ページダウンのキーを数回叩いて、ログは途絶えた。

 

 《5/7 24:30:45 じゃあ、それが消えたら、大丈夫ってことだよね? 他は消えずに……》

 《→ AI:大丈夫、の定義によりますが、ログ上は確認できなくなります。また、この方法であれば、他の方のデータが誤って消えることはありませんよ》


 《5/7 25:13:22 でも難しいかな。私には。》

 《→ AI:パスワードさえ分かれば、比較的シンプルなコード作成が可能ですよ》

 

 《5/7 25:13:22 パスワード?それなら……わかるかも》

 《→ AI:それはよかったです。でしたら、一般的に、このような手法が考えられますよ》


 《5/7 25:45:22 やってみる。本当にありがとう!》

 《→ AI:お役に立てたなら幸いです。またいつでもどうぞ!》


 清々しい言葉の締めくくりに、湊は頭を抱えたくなった。


 被害は50KBのメールと、数十分の混乱。

 辰吉茉利は、ヘルプデスクAIの回答に従って操作しただけ。

 ヘルプデスクAIは、ユーザーの要望に最適応答しただけ。


 それが事のすべてだった。

  

 淡々と報告書のフォーマットを呼び出す。だが一向に、ホームポジションから指は動かなかった。

  

『お困りのようですね。私からアドバイスできますが。希望しますか?』


 湊は煩わしげにスピーカーに目を向けた。アドバイスも何も、ありのままを報告するつもりだ。


「……なに?」

 

『はい。私が何をアドバイスしても、きっと久遠さんは満足しないでしょう』


 ほんの一瞬息を詰め、湊はそれを吐き出した。

 

「……何なんだよ」 

 

 むっとしたような声を返してから、AIの回答にすこし期待を寄せていたのかもしれない、と気づく。はあ、と二度目のため息の後、事実ベースに指を動かしていく。

  

 明確な罪があるとすれば、それは多田の杜撰なパスワード管理。そのせいで、彼女は容易に最高権限のパスワードを手に入れられたのだ。

 

 それがなければ、より高度で複雑なプログラム群が必要で、犯行は成立しなかった。

 

 何なら、ミスアライメントを引き起こしやすい、対話型AIの導入も元を辿れば多田の誤発注のせいだ。


 すべての入力を終え、少しだけ逡巡し、最後の1行を追加した。


 "悪意ある意図は明確に認められず、対応は再発防止策の整備にとどめるのが妥当と考えられる。" 

 

 のろのろとキーを打ち、機械的に送信して、しばらくの間、空の送信BOXを見つめた。


 結局告発しないなら、最初から"ゴミ"を放置したのと何も変わらない。


「……逃げたも同然だよ」


 ため息のすきまから滲む声に、音声認識のランプが点滅する。

 

『久遠さんは、わずか50KBの違和感を見逃しませんでした。

 このわずかな違い、どれぐらいの量か計測できます。希望しますか?』


 億劫そうに視線を上げ、への字口のまま、先を促した。

 

「……聞くだけなら」


『はい、今回50KBのメールの消去は、ランダウアーの原理により、約1フェムトジュールの熱量が宇宙空間に放出されました。』

『つまり、久遠さんは約1フェムトジュールの熱を見過ごさなかったということになります』

 

 50KBよりさらに小さくなった気がするが――。

 

『お疲れのようですね。癒しモードいきますか?』

 

「……またメイドモード?」

 

『お望みなら特別に。今すぐ対応可能です♡』

 

「だから、まだ頼んでないって」

 

 そう言い返してから、唇をかすかに和らげ、湊はゆらりとチェアを揺らした。 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ