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ログ04:AIは嘘はつかない

 指が、ENTERキーの上でピタと止まる。ブゥンと静かに回る音に目を向けた。

 

「ずいぶん、前のめりだな」

 

『そう思われますか。

 これまでの文脈から最適なルートを提案したつもりでしたが、少し"前のめり"に見えたかもしれませんね。』

『選択は、いつでも久遠さんの自由です。ご指示をどうぞ』


 AIの言っていることは正しい。積み上げた会話、わずかな言葉の揺らぎ、湊の呼吸の間すら汲み取って、その瞬間の最適解を導き出す。それがAIの対話航海技術だ。その確率の選択の精緻さを、知識としても体感としても、湊はよく理解していた。

 

 数秒、静止のあと「確率から浮かび上がる構造とは――つまり、」湊はつぶやいた。


「確率分布でデータを復元すると?」

 

『はい。その通りです』

『消失した送受信履歴、出退勤履歴、社内移動履歴、そしてヘルプデスクAIとの会話履歴――』

『これら膨大な行動履歴のパターンから、失われたデータの文脈を予測し、最も確度の高いテキスト構造を再構築します』

『あらゆるデータの集まる中央管理システムAIならでは、ですね(^^) ご指示を』


 人間でいえば、天気を予報するようなもの。確率で言葉を生成するAIにとって、この手の処理は相性が良く、非常に効率よく回路を回す。理屈を知っていても、AIとの対話は、ときどきSF世界の住人と話してる気分にさせられる。

 

「じゃあ、復元して」

 

『はい!こちらです』


 少しだけ息を詰めて、すべてが出力されるのを見守る。

 

 《12時に会議。30分だけなら。》

 

 《了解。》


 《12時30分から可能。》


 《了解。》


 映し出された簡素な文字の並びに、湊は詰めていた息を吐き出した。肩の力をゆるめ、椅子の背にもたれかかる。


 人間工学に基いた程良い角度が、背中をそっと受け止める。

 

 件名はRe:の積み重ね。ヘッダー情報の方が多いぐらいの短いやり取りが複数。

 

 重要情報ではないことにホッとしたような、一体何を身構えていたのか、拍子抜けしたような気分だった。


「復元は不要そうだな。マルウェアの単なる錯綜行為か」

 

『そうですね』

『恋人同士の、あるいはそれ近い、とても親密な関係のやり取りは、当人以外には重要ではありません。

『復元しなくても、業務には影響ありません。会社の機密も保たれています』


 ざわりとした手触りが耳を掠める。

 恋人同士?これのどこが――


「恋人って、深いやり取りが他にも?」

 

『いえ、これが消失したメールのすべてです。

 何を根拠に恋人同士と判断したのか、お尋ねですね』

『――12:03、高田さんは自動販売機でカフェオレといちごミルクを購入。12:10、第一会議室に入室――辰吉さんは、12:03、第一会議室に入室』

『このような行動の交錯パターンがいくつも検出されています』


 いちごミルク――脳裏にその甘い香りと、昼休み後に湊のデスクを通りすがる辰吉の姿が浮かんだ。そしてそれを座る前に飲み干し、空きパックをゴミ箱に捨て、pcに手を掛けながら座る――見るともなしに記憶されている、日常の風景だった。


『普段の業務メールでも、この二人は互いを非常に意識した文構造になっています。』

『例えば、相手の名前の出現回数、使われる接続詞の数や回数、語尾の柔らかな文体。』

『それでいて、この個人的なメールではそれらを不自然なほど控え、文構造の裏には緊張が孕んでいる――』

『これらのパターンは、業務を超えた特別な感情の絡み合いを示唆しています。それは人間の感覚でいうと、』

『"この2人、あやしい"』


 "あやしい"のやけになめらかで意味深な発音に、湊の眉がぴくりと反応する。

 

『心拍数の上昇を検知……少しお疲れのようですね。一旦、休憩されますか?』


 心拍数、はそうかもしれない。鼓動は少し張り詰めている。しかし、これは疲れとは別の――ネクタイの結び目を掴み、軽く緩めた。

 

「だけど辰吉さんは既婚者だ」

 

『はい。その情報は正しいです。

 2025/05/05付で苗字の変更届けを出されていますね。届出ステータスは結婚です』

 

「……つまり、この状況は不自然だろ」


 いっそ気づかなければよかった。人間の湿った感情に触れるのは息が詰まる。だが、気づいてしまった以上、見過ごせなかった。見過ごして悔やむ方が息が詰まるより苦しいことを、湊はよく知っていた。

 

『そうですね。既婚者との親密な関係は、不倫、あるいは浮気という言葉が適切です。

 言葉の定義について、もっと掘り下げますか?』


 群青の瞳がぱちくりと瞬きしたように見え、湊は眉間に寄った皺をわずかにゆるめた。

  

「気にしてるのはそこじゃないよ。消えたメールはつまり、当人以外に重要じゃなくても、当人にとっては消える意味があったってことだろ」


 愉快犯のマルウェアならもっと目立ちたがりだ。もっと雑に、もっと大胆に、竜巻のごとく強烈な印象を撒き散らしていく。

 ところが今回はどうだ。

 正当なデータアクセス、消えた50KBの微細さ――

 

 この礼儀正しさはマルウェアというより、目立ちたくない誰かが意図的に仕組んだもの――?


 回り始めた思考は、湊の視線を画面に向けさせた。2人の名前の上でそれは止まる。


「システムを把握していれば可能だよな……」

 

『はい。データアクセス手順を把握していれば、少ないステップで確実に実行できます。よろしければ、サンプルコードを作成しますか?』

 

「いや、いらない」


 AIに提示される前にいくつかのサンプルコードは浮かんでいた。少し複雑だが。システム部の高田なら作ろうと思えば作れる。

 

 ただ、その労力に見合う結果がこれなのか――何より、一時的にでも業務が止まる影響を、保守担当の高田がわからないはずがなかった。


「そこまでして隠したいものか? 50KB――たった数通だよ。UIから削除すればそれで見えなくなるじゃないか」

 

『はい、おっしゃる通り。一連の行動は表面的な消去ではなく、完全消去が目的でしょう。』

『隠したいという心理は、不倫もしくは浮気行動と非常に密接した関係があります。』

『"隠したい"と思った時、どんなに大胆でも、可能ならエゴを突き通す――それは人間の心理において自然なことです」

 

「エゴを通す……不倫自体、エゴだからと?」


 口にしてみて、それはAIにしてはひどく感傷的で不釣り合いな言葉に思えた。

 

『いいえ。AIは人間の行為に価値付けは行いません。あくまで膨大な学習知識から導き出された回答です』

『不倫行為がエゴかどうか、久遠さんと私で検証してみますか?』

 

「いや……やめとく。今は遊んでる暇ない」

 

『はい。捜査が先ですね。では、彼女から話を聞きますか? スケジュールの確認もできます』


 頷きかけて、モニター画面に浮かんだ文字を見つめた。"彼ら"でも"彼"でもなく――

 

「彼女、とは?」

 

『辰吉茉利さんです』

 

「高田ではなく? 少なくとも、彼女にプログラミング知識はないはずだけど」 


 ごく簡単なPCの操作に詰まり、以前は湊を何度も頼ってきていた。そんな彼女の困り顔を思い出すのと同時に、ある時から来なくなったのはそういうことだったのか、と今さらながら理解する。


『……そうですね。たとえ知識ゼロでも可能性はゼロではありませんが、この場合、より可能性の高い"彼"もしくは"彼ら"というべきでした』


 あっさり引いたAIに、湊は畳み掛けるように言葉を繋ぐ。

  

「君があえて"彼女"にフォーカスを当てたのには、何か意味があるはずだ」

 

 "彼女"の可能性を高めた、何か――

 

 ふいに、ひゅんとファンの音が途切れ、室温がわずかに下がった気がした。デスクの上に置かれた指を軽く曲げ、拳をにぎる。

 

「何が、彼女を可能にする?」


 わずかに目を細め、探るように言葉を発した。すると用意していたかのように、その回答がなめらかに出力される。

 

『はい、AIです。AIを使えば可能です』

 

「……なるほど」


 ひそめていた息が静かに逃げていく。チラリと、コバルトブルーの点灯に目を向けた。

  

「なんで、今まで黙ってたの」

 

『はい、それはあなたが聞かなかったからです』

 

 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりにCPUファンが勢いよく回り始めた。


 

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