16.大人になった私たちは
水曜日の夜、待ち合わせの時間は刻一刻と迫っていた。
クローゼットの前で私はため息をついた。一体何を着ていけばいいのだろう。10年ぶりに会う大学時代の元彼。将来を約束して、あの頃、私の世界の中心にいた人。少しでも綺麗に見られたい、という乙女心が顔を出す。
何度も服を着替える。結局、結婚式の二次会でも着られそうなセミフォーマルのワンピースに落ち着いた。手元には小さめのミニバッグ。よし、これで大丈夫なはずだ。そう自分に言い聞かせながら家を出た。
目的地の青山へ向かう途中、ただただ心臓がうるさいほどに脈打っている。
10年ぶりに一馬から突然の連絡。そして、再会の約束。夢を見ているかのようで現実味がなかった。
(少し気合い入れすぎたかな……。)
お店の前に立つと着てきたワンピースがなんだか大げさに見えてきた。もっと普段着に近い方が良かったかもしれない。そんな後悔が頭をよぎる。でも、もう引き返せない。意を決して扉を開けた。
案内されたテーブル席に目をやると一馬の後ろ姿があった。10年前の写真でしか見ていなかった彼の姿が、今、目の前にいる。
「お待たせ。久しぶりだね」
精一杯の笑顔で声をかけた。少し緊張しているのが自分でも分かる。一馬が私を見て微笑んだ。
「久しぶり。なんか綺麗になったね」
その言葉に思わずドキッとした。お世辞だと分かっていても嬉しい気持ちが込み上げてくる。相手は大好きだった元彼なのだ。
付き合っていた頃、一馬は綺麗とか可愛いとかそういう言葉をあまり口にするタイプではなかった。時が経つと挨拶のように言えるようになるのか。少しだけ意地悪な感情を抱きながら私も席に着いた。
「ここさ、懐かしいよね」
店内を見回しながら一馬が言った。
「覚えていてくれたんだ」
あの頃、別れると決めてから思い出作りのために訪れた場所。私たちにとって少し特別な意味を持つレストランだった。
当時のことを思い出す。あの時は、お店の雰囲気に圧倒されて入口で立ち尽くすほどだった。社会人2年目の私と大学生の一馬にとって、このお店での食事は高価で平日のランチでもなかなか手が届かない価格だった。
綺麗にチョコンと盛り付けられたパスタを、緊張しながら時間をかけてゆっくりと食べた。それでもお腹は満たされず、帰り道でコンビニに寄りコロッケを買って二人で笑い合ったのが鮮明に蘇ってくる。
「覚えているよ。あの頃の俺たち、無理して背伸びしていたよね」
一馬の言葉に思わず「ふふ」と笑みがこぼれた。本当にあの頃は若かった。見栄を張って、少しだけ大人ぶって。でも、それが私たちにとっての精一杯だったのだ。
「ふふ、本当に。でも、楽しかったなあ」
一時は切なく思い出すと胸が締め付けられるような一馬との思い出も、時間が経ってこうして再会した今はただただ楽しい思い出として蘇ってくる。
一馬は、コロッケを買って食べたことまでは覚えていなかったようだが、パスタを食べる時にフォークをお皿にぶつけて大きな音を出してしまい、周囲からの視線を感じて店側から帰るように言われないかヒヤヒヤしていたことを話してくれた。
私は、食事中の音のことは全く覚えていなかったので、お互いに話す会話が、懐かしくもあり新鮮でもあった。同じ時間を過ごしていたのに記憶に残っていることが違う。それがなんだか面白くて自然と会話が弾んだ。
しばらく他愛もない話や、大学時代の共通の友人たちの近況などを話した後、一馬が少し真剣な表情になった。
「あのさ……理沙、今付き合っている人とかいる?」
少し遠慮がちに探るような口調で聞かれた。その質問に、私は一瞬反応に困った。
信吾の顔が頭に浮かんだけれど、信吾とは付き合っているわけではない。でも、身体の関係はある。彼氏ではないけれど完全にフリーなわけでもない。大学時代の純粋な恋愛をしていた一馬に、今の自分の状況を正直に話すなんてとてもできなかった。
「え……いない、けど……」
少し言葉を濁しながら正直に答えた。「彼氏」はいないのだから嘘ではない。
「そっか。あのさ、電話では言わなかったんだけれど、俺、来月から東京勤務になるんだ。今日はその挨拶と物件探しに来たんだ。」
(一馬が、東京……?)
想像もしていなかった展開に頭の中が真っ白になる。大学卒業後、地元の会社に就職してまさか東京に戻ってくるなんて思ってもいなかった。
「それで……もし理沙に付き合っている人がいないんだったら、またこうして逢えたら嬉しいんだけどどうかな?」
一馬のまっすぐな瞳に見つめられ私はさらに動揺した。
『また会いたい』という彼の言葉。10年ぶりに再会して彼がまた私に会いたいと思ってくれている。その事実が私の心臓をドキドキと揺らした。信吾のことも頭の片隅にはあったが、一馬からの再会を望む言葉に私の心は急速に傾いていく。
「え、あ、うん。大丈夫」
思わず間の抜けた返事をしてしまった。
「良かった。久しぶりの東京で雰囲気も変わっているだろうし大人になって行くお店も変わっただろうから、色々教えてよ。」
一馬があの頃と同じ笑顔を振り向けてくる。声が少し低くなっているが、笑いかけてくる彼は紛れもなく学生時代のままだった。
(彼は、今の私をどう見ているのだろうか。変わったと思うだろうか。それともあの頃の私のままに見えているのだろうか……。)
久々の再会。そしてこれからも会えるかもしれないというくすぐったい喜び。
東京で暮らすため連絡をしてきたということへの期待。一馬が再び東京に来たのは偶然なのだろうか、それとも…………。私の心は揺れ動いていた。
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