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陽性変異 Vol.2  作者: 白雛
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第三変『照宮 天と追跡者・前』





 お花摘みに連れ立つクラスメイトのように、いそいそと教室を後にする二人の姿を目の端で追っていた。

 別にもう、さしたる興味があるわけじゃない。

 よくある話で。クラスのハブられっ子が二人、目クソみたいにべっとりくっついてどっか行くのを目にしたもんで、それが不快……鼻につく(・・・・)というだけだった。

 照宮(てるみや) (そら)はみんなの中に混ざって手元の端末に向きながら、椅子を傾け、二人の背中を見送る。——そして誰ともなしに呟いた。

「ねぇ、アレ(・・)さー」

「え、あー……」麗奈は言いながら首の向きを廊下に向けて「最近ずっと二人でいるよね。密会でもしてんのかって、健気すぎて笑えてくる」

 天はiPhoneの画面なんか初めから見てなかったけど、その時こそ視界が明確に一点で止まった。

「……麗奈さー、密会って意味わかってて言ってる?」

「センチメンタルグラフィティ」

「なにそれ」

「セガサターン用のゲームだって」

「ますますなにそれ」

 麗奈は手元のAndroidの画面を見せてきた。

「調べたら出てきた」

「くだらね」

 夏休みが始まった。

「なんか、良いことないのかな」

 iPhoneが震えた。

 憎しみの伝う天の指先で。


 ◇


 そのほんの数分後。

 今度は全身を小刻みに震わせ、私はぴたりと背をくっつけた鉄扉の向こうに耳を澄ませていた。

「ひ——ぼ、ぼぼぼ、ボクはアリなんです……セ、セミじゃないんです……」

「見ればわかるよ」

「ひぇぇーーー! お命ばかりはーーっ!」

「とらねえよ」

 少年のような声とみよちんの声。

「そこまで言うなら、し、仕方がない……女王陛下には内緒だぞ?」

「さっきっからうっさいな、このアリ! ちゃうわ!」ぱしっ。

 おじさんのような声と皐月の声。

 改めて、口元を押さえた手が小さく震え、天は思った。

 私は、いったい、何を聞いているんだ……?

 ごくりと生唾を飲んで、音が出ないよう、静かに深呼吸……まず冷静になることを自分の胸に言い聞かせ、それから頭の中を一から、順を追って整理する。

 あの後、廊下に出てすぐ屋上に向かう二人を見つけた。特に思うところはなかったけれど、なぜか気になって、天は麗奈たちを先に帰らせると、二人をこっそりと()けた。

 そして昨日とまるで同じように屋上のペントハウスから出ていくのを見送ると、そこの重たい鉄製のドアをすこし開けて、張り付いた。音を立てずにドアを開けるのは、天の数少ない特技の一つだった。

 コツは蝶番と仲良くなること。ノブが付いているならその中の金具が接触を失う感触、ギリギリの重さを指先で感じ、金属の軋む声を神経で捉えれば、摩擦は生じない。

 二人はペントハウスの脇に姿を消した。そこでしばらく『ミーンワールド症候群』がどうとか『公正世界仮説』だとかを話していたが、突然、最初はセミ、次はアリと呼ぶ奴を貶し始めたのだ。

 ドアの隙間から外を覗いても見た。けれど、二人がいるのはこのペントハウスの陰。二人の姿も、恫喝している相手の姿も見えなかった……。しかし、声は聞こえてくるのだから、誰かが二人に脅されていることだけは間違いようがない……。

 天は生唾をごくりと呑んだ。

(しばらく構ってなかったと思ったら——まさか。二人にもパシリができてたなんて……)

 誰だろう?

 天はもう片方の指を口元にあて男の声を思い出して比較し、最近二人に近づいた連中と参照する。

 みよちんも皐月もクラスのハブられっ子だ。一方はメンヘラの権化、もう一方は規格外の電波野郎。

 もはや同級生はおろか学校中にまともに取り合う相手なんかいない。——が、それはあくまで女子たちの間だけ!

 そうした空気の読めない、もとい空気にそもそも疎く、まるで気にしない天然な男子(ヤツら)も中にはいる……。

 例えば前田 赤司(あかし)

 出っ歯の前田、略して前歯という愛称で親しまれ、やんすが口癖だと勘違いされる厨二界最強の一角。

(あとは、加古川(かこがわ)か? いや、アイツは……)

 天の脳裏に奴の鉄板が蘇る。

PCを起動(リンクスタート)するたび、俺、いつも思うんだ……これが転生——なんじゃないかってね。トラックなんかぶつからなくたって、俺はいつだって、あいつらのいる世界に転生してるんだよ』

 そう言ってた。

 中身はガンギマリの厨二のくせにちょっと顔が良くて格好いいのが癪だが、最近はリングだかコアだかってゲームに夢中でそんな暇は(三次元に興味が)ないはず……。

(じゃあ、田中……いや、これもあり得ない。奴は経験値ゼロ、レベル1縛りの、下ネタ図書館禁書担当司書——! 例え常ならぬ欲情を抱えて迫ろうが、みよちんが許すわけが——あ、)

 思わずひざを手で叩きたくなるほどの鮮烈なイメージが走る。

(——そうか!)

 盲点だった。

 どうしてその線を除いて考えていたのか……つまり、オタク連中ばかりを考えていたのか。

 何も女の尻を追いかけ、パシリになるのはカースト・シュードラの連中とは限らないではないか。

 まるで絵本から飛び出してきたような、(自粛)の生えていない王子様みたいな、あどけない童顔と薄くやわらかな髪質はクォーターの証。その線の細さに気の弱さを兼ね備える一方、ピアノや絵画、芸術的なセンスはすでにマエストロの妙技……。

 今井幸也(ゆきや)……!

 見たら幸せになる! というリピーターが続出して、後年この名前になったという話も過言ではないとされる。この近隣では言わずと知れたケサランパサラン男子だが、腕っぷしはたんぽぽの綿毛にも劣る。

 奴ならばありうる……アリ、セミという聞きなれない蔑称も、彼を思えばまたやぶさかではない気がしたものだった——しかし、それも彼一人ならば、だ……。

 そうだ。

 今井の隣には常に()がいる……。

 冬でも陽に焼けたそばかす顔。夕方とユニフォーム、そして顔についた泥がこれほど似合う男子は校内二人といない!

 普段のおちゃらけた顔と試合中のギャップに堕ちる女子は数知れず……疾風怒濤のサッカー少年! きっと湘南の海のほうからやってきた正統派王子(オーディン)! 植松 観沙斗(みさと)が!

 そして奴がいるということは、全国屈指の実力者であり、二年にして剣道部の副部長を務めるこれまた王道系堅物にして猛者。坂上 蓮十郎(れんじゅうろう)もいるということ……!

 あとそんな三人と仲がいいふりをしているキョロ中のキョロ、『太鼓持ちの天帝』小澤(下の名前略)もいるということ!

 ユキ、ミサ、レン、互いの凹凸を補い合うかのような奇跡の世代三人組は、いつも一緒にいて女子の目の肥やしになっている他方、今井に告白したければ、自然まず植松と坂上に話を通さねばならない。

 植松、坂上の両名は、サッカーのゴールや剣道の面に留まらず、今井の貞操までも守る二大守護神なのだった。

 前門のトラに、後門のオオカミとはまさにこのこと……万が一親しげな挨拶でも交わそうものなら、翌日から下駄箱には溢れかえらんばかりの画鋲と殺人予告と砒素入りのチョコが届けられることだろう……当然みよちんと皐月なんか逆立ちしたって近づけるわけがない。

「はぁ……はあっ……」

 いや、そしたら、今井でもないじゃないか。

 結局、誰なんだ?

 天のぱっぱらな頭にはたくさんの疑問符が浮かんだ。

 そして、私はなんで急にこんなに熱く語り出してんだ? これだけ語っといて今更信じてもらえるかわからないが、私はそもそも中二の男子なんぞに興味がなかった。本当になかった。

 なのに、いきなり人が変わったように……どうして?

 と、考えているとペントハウスの外でジャリを踏む音がした。

 天はすぐに抜き足で階段を駆け降りると(音を出さずに移動するのも私の数少ない特技の一つだ)あたかも今通りがかったかのように角から飛び出すため、屋上から戻ってくる二人を待つのだった。

「照宮さん、またねー」

「はーあーいー」

 今度は階下の壁に張り付いて踊り場を覗きながら、天はそちらを見向きもせずに答える。

 しかし、今のはソフトテニス部の遠藤さんと若林さんだった……。

 これから部活か? と思うと、後から気掛かりが浮かんできて、追いかけるように声をかけた。

「あ、校長じゃないけど、くれぐれも熱中症! 気をつけなよ? あれ、ほんと他人事じゃないからね。シャワーの前にもいっぱいの水。塩飴、持ってる?」スカートのポケットを探りながら言う。

「大丈夫。まだもらった分が残ってるー」

「うん。じゃあね。夏休みだからって浮かれすぎないでね」

「うーん!」

「さて……」

 ソフトテニス部の二人と重なるくらいのタイミングだった。なにやら楽しげなみよちんの声がして、天は偶然にも今、通りがかったように二人の前に進み出た。

「なんか楽しそうじゃん、二人してさ」

 二人は私の顔を驚いたように見た。

 そのあまりの驚きように、天も驚いてしまう。

(え、え?! なになに、その反応……驚きすぎじゃない? ひょっとして全部……いやいや、違うって。落ち着け、私……! 頑張れ、私……!)

 いろんな思考が取り留めなく、空転した脳裏に所狭しと飛び交った。

よしんば(・・・・)……よしんば盗み聞きしてたり、今、通りがかったように見せかけて角に隠れていたのも、何もかも全てバレていたとしても、だから何?! そうよ、私たちはまだ中2! 所詮、若気の至りなのだから——!)

 天は宿敵に相対したようなキャラを思い浮かべて、とびっきりのセリフを言い放つのだった。

「昨日まで今にも死にそうな面してたくせにさ」


 照宮 天。彼女は——頭に超のつく邪な夢いっぱいの女子であり、みよちんに友情を超えた想いを抱く女の子だった。







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